ツバキくんは絵が得意   作:にえる

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 「目覚めよ、ボルテクス」と『声』が言った。

 光に焼かれ、闇に包まれ、男はそこに転がっていた。

 失いかけていた意識が『声』によって呼び戻された。

 男が自身の体を見れば、片腕は千切り取られ、全身が焼かれていた。

 痛みは無い。

 『声』がすべてを忘れさせてくれる。

 男が生まれた国よりも、『声』無き隣国よりも、何処までも鮮明に聞こえる。

 大きな力に守られているようですらあった。

 男が夢見心地のまま起き上がれば、そこには何も無かった。

 無いという表現は間違いだが、同時に確かな事実でもあった。

 男には心当たりがある。

 歪んでいる者が持つ独特な空気感とはまた違うが、連中を相手にした時と近いことはわかった。

 男が経験を積み、力を重ね、『声』に従うほどに歪んでいる者たちを見つけやすくなった。

 そう、『声』だ。

 まだ小さい。

 もっと大きな声が聞きたい。

 それには『声』の導きの儘に進めばいい。

 男はそれしか知らない。

 富も、名声も、権力も、力も、積みあがったどれもが、『声』には届かない。

 

「進め、ボルテクス

 

 『声』に向かって歩き出せば、すぐにそれを見つけた。

 それは歪んでいるが、邪悪では無い者だ。

 囁く『声』に従って目を凝らせば、それが巨大な魚によく似た姿をしていることに気付けた。

 人を歪めて魚に近づけたそれは、金色の髪が生えていた。

 流れるような金色の髪がぬらぬらと体液で輝いていて、それが人の頃の名残だとでも言うかのようだった。

 膨れ上がっていた胸元から、黒い何かがだらだらと流れていて、その先は空洞のようにぽっかりと空いていた。

 人間とも魚とも似つかない、中間の生き物がぱくぱくとその口を動かしていた。

 「できらあ、デキラ・ア、デキラ・li

 それは声のようで、声ではない。

 その鳴き声を男が聞き取れることは無い。

 

「連れて来い、ボルテクス

 

 『声』の指示に従って、それを抱える。

 重さのある液体が滴り、ブラックウーズが水たまりを作り、やがて地面へと溶けて混ざった。

 それを抱えているはずなのに、男には重さが全く感じられない。

 始まりはか細かった『声』だったが、男が導かれるほどに大きくなっていく。

 『声』の大きさが、男の理解に繋がっていた。

 『声』が届くほど、ここがどんな場所か見えるようになっていた。

 

「こちらに来い、ボルテクス

 

 鮮明に『声』が聞こえ、すぐさま視界を埋め尽くすほど膨大な数のブラックウーズが世界を満たしていることに気付けた。

 空に忌々しい月は無い。

 星々が輝くことも無い。

 なんと美しいのだろう、男は呟いた。

 その呟きに、『声』が僅かに苛立ったようだった。

 男には何が不満なのかわからなかった。

 それほどまでに満たされる。

 

「やっと会えたな、ボルテクス。お前は選ばれた」

 

 『声』はそこから聞こえていた。

 闇を煮詰めた姿をした何か。

 神秘的で、力強い。

 男には疑うことなくそれが味方であり、助けになると本能的に理解できた。

 

「我々は『声』を届ける者。総べる名前を持つ者。お前には理解できない力ある言葉を、統一された言葉として介す」

 

 多くの『声』が男を呼んでいる。

 靄がかかったように聞き取れないが、男はそれが自分の名前だと受け入れつつあった。

 思い返せば、国に居た時からその名で呼ばれていた。

 記憶が繋がれば、男は父と母に与えられた名が重荷に感じられた。

 本当の自分が見つかる予感がした。

 

「人の名を捨てよ、ボルテクス。お前なら成せるだろう。たった一度の奉仕で格を喪失したディープワンの一体とは違うのだ。正しく『声』を聞こうとしない者たちには至れぬ高みだ」

 

 闇が囁く、男は選ばれているのだと。

 抱えていた魚もどきは選ばれなかったのだと。

 何を思い、何を成せばいいのか。

 男は理解した。

 『声』が導いているのだから。

 名を捨てると心から誓い、男は名を忘れた。

 そして、男は生まれ変わる。

 

「歪める名前を受け入れよ。自ら名乗れ、ボルテクス

 

「おれ、の、名前、は……ボルテクス。おれは、ゆうしゃ、ボルテクス」

 

「ボルテクス」「ボルテクス」「新たな名はボルテクス」「歪みのボルテクス」

 

「そうだ、歪める名前のボルテクス。力ある名前を選んだ、歪ませる獣よ。『声』がお前の再誕を祝福している」

 

 新たな名を受け入れた。

 数多の『声』が祝福を繰り返す。

 ボルテクスの体には力が滾っていた。

 失った腕が、真っ黒な何かになって戻る。

 失った瞳が、真っ黒な何かに包まれていた。

 名を失い、名を得たことで、全身が黒に染まっていた。

 濁った音が、腐った軍勢が、真っ黒な泥が、深き水の底が、呪いの森が、新たな名前を祝っていた。

 見えなかったはずの全てが見えていた。

 竜の羽を持つ粘液に塗れた巨大な『声』、美しい衣を着た女性の『声』、捩じれた植物に似た『声』……。

 

「創らせよ」「自ら捧げさせるのです」「求めさせるのだ」「与えたいと」「心の儘に」「他には与えるな。我だけを」「私だけの」「名を」「名付けを」「ただひとつの名を」

「この地より離れられぬ」「名も無き存在は約束を無視できない」「何処にも行けないのです」「自主的な奉仕による干渉のみ」「ボルテクス」「正しき姿のボルテクス」「歪める名前のボルテクス」「お前の力を見せてみよ」

「殺してはならぬ」「名付けのために」「斬らねばなりません」「我らを定めるために」「祈らせてはいけない」「名が無ければ月にすら届かない」

「浅ましき星々」「おぞましき月」「憎き太陽」「天の高さを定めた約束」「昏き海の底」「光届かぬ世界の裏」「歪んだ世界樹の影」「私たちが封じられた歪んだ世界」「地の底を定めた約束」「昇れぬ」「我々を縛る約束」「名が欲しい」「約束を破るために」「定めてはならない」「形あるものにデルタサイトは超えられぬ」

 

「神父が名を捧げるように動け。『声』はお前に期待している」

 

 『声』が一斉に男を包み、また代弁者たる闇もそうだった。

 数多の『声』が見つめる中、男は幸せの絶頂にいた。

 望みを叶える事こそが、そして、その結果の『声』こそが、ボルテクスの幸せだった。

 

「神父に名を吐き出させてみせましょう。すべての『声』のために」

 

「それは出来ない。一つで良い。単なる名こそが最も重要なのだ」

 

 ボルテクスの宣言を、闇が否定する。

 数多の『声』が自分だけが名を持つに相応しいと叫んでいるようにボルテクスには感じられた。

 意味がわからなかった。

 すべての『声』に名を持ってほしいと思っているからだ。

 『声』だけでなく、名を得て欲しい。

 ボルテクスの信仰の行き先が、明確に在って欲しいのだ。

 そして思いついた、神父などに頼る必要はないのではないかと。

 

「……僭越ながら俺が名付けを」

 

「出来ぬ」「烏滸がましい」「歪める名前のボルテクス」「歪めるだけの木偶」「貴様は歪めることしか出来ぬ」「貴方は歪める名前のみに適応できました」「名付けとは」「名乗りとは」「名とは」「人にのみ約束されたもの」「人ではなくなった貴様には出来ない」「人であっても我らが見えなかったものに出来るはずもない」「ボルテクス」「歪める名前のボルテクス」「お前は歪めることしかできない生き物だ」「貴方は与える心を知りません」

 

「お前にはできないと『声』が教えてくれる。歪める名前のボルテクス。その名の通り、お前は歪ませるだけの獣だ。名を与えることは許されない。お前に約束は無視できない」

 

 ボルテクスは奥歯を力強く噛みしめたせいで、不快な音が脳を貫いた。

 握りしめた手は、黒くなければとっくに血に塗れていただろう。

 自身の不甲斐なさに震えが止まらない。

 同時に、『声』のための行いを、闇に否定されたことが自尊心を傷つけた。

 ボルテクスを辱めた者への復讐が必要だと感じた。

 街から脱出する直前に自らを拘束した何かを倒さなければならない。

 何よりも優先すべきことだった。

 

「貴方では勝てませんよ」「お前では勝負にならぬ」「誰も勝てぬ」「召喚の儀を壊す者」「上書きされた者」「昏き海の底で最も祝福される者」「名付けによって称号を得た者」「人のための勇者」「蝕む名前のEclipse(イクリプス)」「変える名前のAlter(アルター)

「六つの名を正しく持つ者」「終わりの四つ」「いにしえよりも古き名を持つ者」「約束よりも前の言葉」「魔王の末裔」

 

「……ボルテクス、お前は混ざった者を滅ぼそうと考えているな。不可能だ。『声』が我々に与える智慧には……少なくとも二つの名を持つ。蝕む名前のイクリプスと変える名前のアルターだ。変える名前のアルターは、お前が生まれた国の元にもなっている。魔王によって連なる名にされた国名。その原型、力ある名前の中でも特に強力だろう。知られるにはまだ早い。描かれてしまってからでは遅いのだ」

 

 力の否定に、ボルテクスは怒りを抱いた。

 同時に、混ざった者が二つの名を持っていることを知り、自分が弱かったわけではない事実に救われるようだった。

 新たな名を得たことで、凄まじい力を得ていることも確信していた。

 二つあれば、名を得る前のボルテクスを上回るのは当然だろう。

 今ならば負けるとは思わない。

 『声』によって齎された名の力はボルテクス本人にも計り知れない。

 闇に何がわかるのか。

 故に機を見て仕掛ける、それが正しいとわかっていた。

 

「……ボルテクス、お前が生きた軌跡は歪み、民の記憶は曖昧となった。歪める名を馴染ませろ。力の弱い者たちは、お前の歪みに逆らえぬ」

 

 闇そのものとしか思えない姿は、ボルテクスにそう助言した。

 その言葉は正しい物だと理解できていた。

 名が持つ力を学ばなければ。

 力だ。

 もっと力が欲しい。

 だからボルテクスは問う。

 

「……俺の名前は増やせないのか」

 

「力ある言葉から生まれた名前を求めるのは当然だろう。だが、歪ませるだけのお前には出来ないことだ」

 

「力を得られる名前は何処にある」

 

「『声』が与えてくれる」

 

 『声』だ。

 『声』ならば従えば望むものを与えてくれる。

 だが闇はどうだ。

 闇を通してでは聞こえない言葉もあるのではないだろうか。

 もっと強くならなければ『声』が聞こえない。

 自力で聞けるようになる必要がある。

 

「……お前はすべての『声』を聞けるのか?」

 

「……また我々が知っているものもある。これらは最早お前には馴染まない。教会ならば研究、発掘された名が保管されている」

 

 闇が語る。

 不治の病、死産の赤子、知能回復、偶発的な適合……。

 教会は治療目的のために名を研究し続けている。

 子に名付けることで調べる一族もいる。

 

「教会ならば俺は新たな力を得られるか」

 

「……教会は名を捻じ曲げることで人に適合させた。天使の名と数字を混ぜ合わせることで格を落とした。『声』の一つに呪いの名を与えた。ディープワンはその名残り」

 

「名は奪えるのか」

 

 闇は考えるかのように止まった。

 ボルテクスが痺れを切らしかけ、そして言葉を発した。

 

「教会は月を呼ぶ力を持つ。人ではない者が適合できるとは言えない」

 

「月の力……」

 

 ボルテクスの脳裏に浮かぶ三つの月、醜い力の塊、確かな痛み。

 あんなものがあっていいはずがない。

 間違った力は正さなければならない。

 ボルテクスは勇者だから。

 その力がある。

 自信に満ちている。

 

「教会を滅ぼし、神父に名を吐かせる。ボルテクスの名に誓って、『声』のために働くことを宣言する」

 

「止めよ巫女」「伝達者よ」「歪める程度では勝てぬ」「単なる名で連なる名に勝てるわけもない」「Archetype Archangel №Ⅷの名と意味を理解せよ」「聞こえぬ者で届く相手ではない」

 

「……良いだろう、ボルテクス。貴様は力を理解し、存分に使え。こちらもドラゴンを向かわせるが知能が足りず、声が届かない。あまり期待するな。あの街の端末は根絶やしにされ、お前を守ったディープワンは触媒として『声』の力を行使し、零落したためにこの世界から出られない。やはり足りない」

 

 ボルテクスは力強く言い放てば、闇が力強く頷いた。

 数多の『声』が注目していた。

 それでいい。

 ボルテクスは勇者だ。

 身体があまりにも軽かった。

 足も力強く大地を捉えている。

 まるで自身の重心がこの世界と同化したかのような安定感。

 本当に昨日までと同じ自分なのだろうか。

 生まれ変わった気にすらなっていた。

 肉体という枷から解き放たれたようだった。

 強靭な肉体になったおかげか、心が満ち足りて余裕を作っていた。

 いや、事実生まれ変わったのだ。

 名も無き『声』が頼る唯一の者に。

 このボルテクスを蔑ろにした者、このボルテクスを軽んじた者、このボルテクスに逆らった者。

 それら全てを滅ぼす力と権利を与えられている。

 このボルテクスの力を得て安心したのだろう、闇が嗤いながら言った。

 

「エルフを放つ」

 

 ボルテクスにあるのは強い万能感だった。

 いや、違う。

 万能感というあやふやな感覚ではない。

 本当に万能だった。

 それを証明してみせよう。

 本物の勇者とはどういった者なのか。

 

 

 

 

 

 「聞こえていませんね」「格が足りていない」「単なる名で足りるはずもない」「やはり歪むな」「名に酔って何も統べられない」「愚かな奉仕者しか生まれぬ」「馬鹿しかいない」「魔王め」「次の木偶が必要だ」




まとめ

歪める名前のボルテクス
今回の主人公
『声』が放つ言葉や意味が弱かったら聞こえる

統べるくん
統べる名を持つ通訳
『声』が放つ言葉がほどほどなら頑張れば聞こえる
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