「これは白夜が近いですね」
空を見上げながら神父様が言った。
「……まだ周期では無いと思いますが」
「灰が降りましたからね。魔力が飽和するのに随分と早まったようです。ブラックウーズを処分できて良かったと思えますね」
街の外に世界樹の灰が降り積もっていた。
国内外問わず、情報が集まる各地で灰が降っている報せが教会にも入ってきていた。
風とともに街の中に入り込む灰が、家屋や道を薄い白に染めていた。
日が落ちると、僅かに銀色に輝くのが幻想的だった。
空気中に含まれる物や、呼気によって排出された魔力が灰と吸着しているらしい。
心なしか教会内の植物も艶が出ていて、生き生きとした様子だ。
「ツバキくんが知っている灰とは違ってガラス質が含まれているわけでもないですからね」
天窓が汚れてしまうので、頻度を増やした掃除の最中に神父様が教えてくれた。
灰が目に入ったり、体内に入っても影響が無いとのことだ。
植物の燃え滓だからか、表面を軽く掃いたり、拭くだけで汚れは落ちていく。
「それで、エルフはどうでしたか。キミたちは揃って興味を持ちますが」
思い出すのは名前と容姿が合ってないエルフたち。
よく考えるとそれも当然なのかもしれない。
日本にも光宙なのに黄色い鼠じゃない人もいるからな。
「思ったのと違っていました」
「それはそれは。ああ、アンバーエイトが拗ねてましたよ。ツバキくんがエルフを見に行くって興奮してたとも」
「興奮はしてなかったと思いますが」
「さて、どうだったか。ちょっと夢を見ている感じではあったと私は感じましたがね」
「……エルフへの理想は一応あったのは確かですから。アンバーのほうが綺麗だったよ、とか言って機嫌を取れればいいんですけどね。そうはいかないのがなあ」
アンバーを含めて、容姿を褒められるのが好きじゃない子が多すぎる。
その中でファティは褒められるのも好き。
俺は綺麗な物が好きで、綺麗な容姿も好き。だからそれでいいじゃないか、と済ませられないのだから難しい話だ。
「アンバーエイトについては悩むくらいがちょうどいいのですよ。ツバキくんが考えているというのが大事なんですよ」
「そういうものですか」
「どうでしょうね。……それで、エルフは変わった性格をしていたでしょう?」
「変わっていたと言えば変わっていましたけど……」
「今の姿を見たら言葉を濁すのも仕方のないことはありますね。この地に残された当初はまともでしたが、信じる神を失ったままでは正しく在ることが難しかった」
「神? この世界には神がいるんですか?」
信仰の対象としてなのか、実物なのか。
神について記された書物はあまりに少ない。
俺の疑問は、微笑むだけの神父様が解決してくれる物ではなかった。
「エルフに伝わる力ある名前は、それぞれの役割に特化しすぎていました。森で最も美しい大木を選び、澄んだ炎で焚き上げ、恵みや感謝を捧げる祭事を覚えている者は今では残っていない。選ぶ名が途絶え、大きな木を育てる者が伴侶を得られるようになってしまった。見目麗しい者、気高き者、清らかな者。尊きものを喜ばせるための姿だけを重んじるようになってしまったが、それぞれに役割があったように、名を持ったが故に育てる力は損なわれてしまう。歪な価値観だけが残ってしまった」
荒れ果てた大地に緑を植えるエルフは、本当に立派だったと神父様が言う。
「ツバキくん、写本している時に面倒だと思ったことはありませんでしたか」
「面倒……。文字を書くのが大変、とか?」
「大変で済ませてしまえるのはキミの美徳ですね。言葉の読み方や書き方が失われることも多い。少しでも後世に言葉が残るように、刻むことを選んだ結果の文化なんですよ。……エルフは違いましたが」
掃除する手は止まっていた。
掃除が終わったので話に集中していた、が正しいだろうか。
「おしゃべりし過ぎましたね。掃除も終わっていますし、下りましょうか。それに、ほら、ツバキくんにお客さんですよ」
話はこれで終わりだとばかりに神父様が梯子を下りていく。
下を見れば、アメリアさんがこちらに小さく手を振っているのが見えた。
「こんにちは、アメリアさん。機嫌がよさそうで何よりです」
「ええ、こんにちは。焼けた森の空気は美味しいですからね! ……あ、違います。今日は森焼きの布教に来たのではなくて、これを届けに来ましたよ」
梯子を下りて、待っていたアメリアさんと挨拶を交わす。
森を焼く魅力を語りに来たのかと思ったが、今日はそうじゃないらしい。
アメリアさんの足元に置かれていた布に包まれた荷物、それを手渡された。
「これは……紙?」
確認すると中身は白い紙だった。それも一枚や二枚ではない。
数十枚はあるだろうか。
表面は少しざらついているが、これ以上は望めないのでは無いかというくらいに純白だった。
「これは世界樹から作った紙ですね。エルフは製紙が得意なので品質は保証しますよ」
「もしかして焼いたら紙が出来るんですか? 毎日世界樹を焼こうぜ」
「ツバキさん、性格が変わっちゃってますよ。焼けたら紙が出来るなら良かったのですが、残念ながらこれはエルフの職人が用意した物です」
陽の光に照らせば、僅かに輝いて見える。
光に手を翳し、紙を通して見れば薄く手の形を見ることが出来る。
今まで使っていた紙と比べて、あまりにも薄い。
普段使っている道具で文字を書こうとすれば簡単に穴が空いてしまうだろう。
「まさかこれを火種に世界樹を焼く、と? もったいない……」
「違いますよ! これは青の部族の首長からの贈り物です」
これはどうやら世界一キューティクルなエルフから届いた物だという。
そういえば森が焼けてすべてが終わった雰囲気で街に戻ってきていたが、こうやって課題への挑戦を続けているエルフもいるのかもしれない。
申し訳ない気持ちが芽生えてくる。
「貰っていいんですかね、これ」
「良いと思いますよ。課題は達成できていないが諦めていませんよ、という主張の証みたいな物ですからね。受け取り拒否したら泣くと思います」
「まあ、それじゃあ有難くいただきます。……課題は何でしたっけ」
「最高級の絵筆って言ってませんでしたか」
「はえーそうでしたっけー」
紙の手触りを楽しんでいると思考能力が停止してくるから不思議だ。
こうなると俄然鉛筆が欲しくなってくる。
「ツバキさんに会いに来た理由がもう一つありまして。ドラゴンが出ました」
「ドラゴンが!?」
上質な紙の手触りサイコーとか暢気している場合じゃなかった。
ドラゴンといえば強大な魔物として有名で、個体によっては街を挙げての迎撃準備が始まるだろう。
ブラックウーズの対処やエルフの森と来て、ドラゴンまで飛んでくる可能性があるとなるとギルドも大声で泣きたいくらいの事態に違いない。
俺だったら辛すぎて泣く。
あと冒険者さんとローレットさんがドラゴンを求めて灰が多く降っている場所を目指して遠征したので、彼女らも泣くだろう。
「私も驚きましたが、ドラゴンはもう討伐されてました」
「もう討伐されてたんですか!?」
「発見と討伐の報せが同時だったくらいには早かったみたいですよ。今回の竜殺しはサーモンランの勇者です」
「それは……普通にやれそう」
「実際やってますからね」
詳しく聞けば、エルフの森に繋がっていた辺りを朝早くからうろついていた勇者がドラゴンを仕留めたという話だ。
文字通り朝飯前だったらしい。
勇者が「ドラゴン殺したわー」とギルドに伝えてから、発見した衛兵の報告が舞い込んだので、色々と面倒なことになっていたようだった。
「そんなわけで、サーモンランの勇者がツバキさんに来てくれって。絵を描いて欲しいそうですよ」
「ドラゴンを討伐したなら描かないといけませんね。しかし、竜殺しの場面を俺も見たかった」
「……危ないですよ」
「……森を焼くのも危ないと思うんですけど」
「どうせエルフの森なんてダンジョンの中だから被害は有りませんよ。それに森を焼くと元気になるので健康に良いですよ」
アメリアさん、基本的には良い人なんだけど頭がちょっとなあ。
致命的にダメな部分がある。
まあそれは置いといて、今回はお絵描きだ。
貰った紙を使いたいが、同時に勿体ない気持ちも湧き上がってくる。
うーん、ここは保留で。
「……ツバキ、これ。神父様が持っていきなさいって」
教会から顔を出したアンバーが、いつもよりもじっとりとした視線をこちらに向けていた。
その手には色鉛筆とスケッチブック、肩からは長い紐が括りつけられた画版を垂らしている。
色鉛筆やスケッチブックを貰った後、外でも絵が描けるようにと画版を神父様が手作りしてくれた。
灰のおかげで空気中に含まれる魔力が多く、アンバーの起きている時間が伸びていて、行動範囲も僅かに広がっていた。
「ありがとう、アンバー。ちょうど欲しかったんだ」
「……またお出かけ? エルフのとこ?」
「今日は外かな。勇者の所にいくよ。ドラゴンを討伐したんだって」
「……んー」
アンバーから道具を受け取る。代わりに掃除の道具と、今回使わない紙を渡す。
眠たげな眼が、ファティを一億倍薄めた鋭い形に変わる。
「アンバーも一緒に行く?」
「……あたしの身体だと外まで歩けないもん」
お手をどうぞ、と手を差し出す。
俺の手を、アンバーの小さな両手でにぎにぎとしてくるが、一緒に行く気は無いらしい。
それでも手放さないのでちょっとくすぐったい。
「抱っこしようか?」
「……ツバキ、あたしより力ないじゃん」
「力は関係ないんだよなあ。重要なのは、世の中の男は女の子を抱っこしたいという事実だけ。しかし、理由がないと出来ることでもないんだよ。あー、どこかの優しいアンバーが俺に理由をくれないかなあ」
ふふふ、とアンバーが笑ってくれた。だから俺も笑顔になった。
「だめ、ツバキはよわよわだから」
「実は強いかもしれないし」
「槍を使ってる人は手が固くなるって神父様が言ってたけど……筆の癖しか指に付いてない」
「槍は重いから例外と見做されたい」
「だめ。……いってらっしゃい」
そう言ってアンバーは教会に戻ってしまった。
行けるかな、と思ったがそう上手くはいかないみたいだ。行けたとしても長く連れて歩くのは良くないからな。
「お待たせしました。さあ、勇者の所に向かいましょうか」
「は、はい……。あれ、道具は持ってましたっけ?」
「アンバーが持ってきてくれましたよ?」
「……私もまだまだですね。もっと森を焼かないと」
アメリアさんに声を掛ければ、返ってきたのはそんな言葉だった。
今までの流れで森を焼く必要が何処かにあったのだろうか。
俺には何もわからない。
画版を肩から下げ、色鉛筆とスケッチブックを持って外を目指す。
門を抜け、街道を歩き、灰が積もった森に入る。
俺の姿は完全に風景画を描きに来た絵描きでしかないに違いない。
冒険者の姿か、これが……。
アメリアさんが先導してくれたおかげで特に迷うことも無く目的地に着けたようだった。
そこは森の中とは思えないほどで、ちょっとした人混みが出来ていた。
「来たか! ツバキ!」
両手を大きく振りながら、勇者が俺の名前を呼んだ。
後ろには、巨大な魔物が転がっていた。
堅牢な鱗に覆われている巨体、鋭い爪と牙、背に生えた大きな翼。
西洋のドラゴンそのものだった。
威容を誇っていたであろうドラゴンは、しかし、首と胴が分かれていた。
首は三つ、胴体も三つ。
俺の目がおかしくなければ、三体分の姿があった。
「……うわ、ドラゴンを三匹殺してますよ」
嫌そうにアメリアさんが言った。やはり三体も殺したらしい。
……ブラックウーズ何匹分なのだろうか。
「ツバキ! これならオレの絵を描いてくれるよな!」
「当然描きますよ」
「やったぜ!!!」
「……ところで、三匹殺したんですか?」
「いや、オレも困ってんだよ。それがな……」
最初のドラゴンは、教会で聞いた通り、早朝に切り殺したらしい。
その時は一匹だったという。
ギルドの職員や他の冒険者を連れて確認していると、もう一匹現れたそうだ。
それも切り殺したらしいが。
そして俺が来る直前、ドラゴンが
ギルド職員や他の冒険者にも話を聞けば、同じように答えてくれた。
同じようなことが再び起きれば、野放しのドラゴンが急に街を襲うかもしれないので離れるに離れられない現状に繋がっているようだった。
「生えてきた地面は確認しましたか? 灰が多く積もっていたとか」
「灰はそんなに無かったが、ブラックウーズがいっぱいいたぜ! ……エルフのおねーさんは何か心当たりあるのか?」
「無くもないんですけど、あんまり無くなったというか」
「なに言ってんだ。馬鹿か」
「言い方ぁ! 粗雑な話し方ばっかりしてると頭ルーシリアになりますよ!」
「誰だよ」
「うちのエイプですよ。……まったく。知能が高い魔物は縄張りを持っているので、独自のダンジョンから出て来たのかと思っただけです。エルフの森みたく入り口がわかればそこを塞ぐなりすればいいはず」
二人の会話を聞きながら、ドラゴンを見て回る。
すっごい(語彙消失)
巨大なトカゲっぽさもあるが、トカゲよりも鋭い形状をしている。
空を飛ぶためだろうか。
それでいて恐竜とも違う。
恐竜の映画に出ても場違いっぽさが出てくるだろう。
ふんふん、と見ていれば妙な場所を発見した。
地面の下のほうに何かが隠されている。
これは……そうだな、エルフの森に繋がっていた入り口に近いかもしれない。
「ドラゴンが生えてくるらしいですので一人だと危ないですよ」
「アメリアさん、ここの下に何かありそうです」
「何か……。折角なので燃やしてみましょうか。ドラゴンが生えてくる入り口だったら魔力が乱れて閉じるでしょうし、違っても燃やせて私が嬉しい」
「それ大丈夫なんですか。理由が雑というか」
「大丈夫ですよ。ドラゴンは火への耐性がとても高いので燃え移ることもないですし、灰があるときに使う魔法の威力は最高ですからね! 奮発して詠唱しちゃいましょうか! ……みなさん離れてください!! 原因がわかったかもしれません!! なので魔法を使いまーす!! みなさんもっと離れて!!」
アメリアさんが叫ぶように魔法の使用を知らせれば、周囲にいた人々が離れていく。
勇者はあんまり離れていないが、アメリアさんも気にしていないし、他の人も全く気にしていなかった。
少し下がって、と言葉をかけられたのでアメリアさんの背中に回る。
本当に大丈夫か不安でしかないのだけれど。
「『この身に宿る魔力と、空を渡る樹の灰を捧げる。世界よ、どうか私の声を聞いて欲しい。プロミネンスをここに』」
格式張った、と表現すればいいのか。あまり聞くことの無いがとても綺麗な発音だった。
アメリアさんの髪と、周囲の灰が一瞬だけ煌めいた。
ちりちりと熱を感じて、そして、地面から炎が噴き上がった。
ぼこぼこと地面が沸騰するようだった。
黒い液体があふれ出していた。
炎の奥が揺らめいて、何かが見えた。
「こ、こんにちは?」
俺が似顔絵を描いた男が居た。俺の腕を折った冒険者が、炎の奥に居た。
男が驚いたようにこちらを見たが、俺だって驚いていた。だって黒い靄で仮装してるし……。
炎から這い出てきた数多のブラックウーズがアメリアさんを飲み込もうとしていた。アメリアさんが飲み込まれるということは、後ろにいた俺も同じ目に遭うわけで。
まるでブラックウーズの大波だな、と俺は思った。
どぷん、と音がした。
生温かい液体のような黒い何かに包まれた。
俺とアメリアさんを包んでいるブラックウーズは弱り切っているように感じられた。
それから僅かな時間でブラックウーズから吐き出された。
俺たちを吐き出した後は溶けるように消えていった。
「……違うなあ」
そこは酷く磯臭い場所だった。
薄汚れていて、崩壊していて、夜のように暗かった。
空には欠けた月があった。
夜には星々が煌めいていた。
俺の生きている空とは違う、三日月が浮いていた。
だから違う。
「これは違うなあ」
俺は呟く。
俺の描きたい世界とは違う。
俺が望んで生きる世界はこれじゃない。
だから
数多の声が騒いでいた。
あそことあそことあそこと……多すぎる。どこから聞こえるか、方向だけはわかる。どのくらい離れているのか、距離がまだわからない声もある。
近くならすぐにわかる。
「どこにいるかわからないから不安なんですか。大丈夫、大丈夫。俺は目がいいですからね。勘もいいのかな」
血の気が引いたように真っ青になったアメリアさんが震えていた。
背を擦りながら伝える。
ここが何処かわからないが、俺に不安はなかった。
全ての声が怯えているのに不安を抱くはずがなかった。
「あそこと、あそこ……あそこにも隠れてますよ」
近くなら声もいらない。
隠れても見えてるからなあ。
俺の腕を折った冒険者と、朽ちた建物の裏に居た巨大な海産物のような魔物を指差す。白く醜く膨れ上がった姿はキングサーモンの親戚なのかもしれない。
最後の一人は地面に潜っていて出て来ないが、動かないならどうでもよかった。
「統一言語話者が侵入してきている!」「まずい、Sanityを消失させられたやつがいる!」「引きずり出されたぞ!」「誰があいつを引き込んだ!」「声を出すな! 特定される!」「ボルテクス! 逃げなさい! 名前を剥がされますよ!」「底に引き寄せられている! 切り離せ!」「相手は本物の夜を知っている! 切り離せるわけがない!」
「うるさいですね……」
蜂の巣をつついたように騒がしくなった声。声。声。
思わずうるさいと呟けば、静まり返った。随分と聞き分けがいい。
俺が気になったのは声よりも、冒険者のほうだった。
ボルテクスと呼ばれていたが、違和感が強かった。エルフたちよりも酷い。
俺は本当の名前を知っているし、似顔絵にもわかりやすいように名前を書き添えている。
挙動不審となったその男に歩み寄る。
「あなたはボルテクスじゃない。そうですよね。あなたの本当の名前は……」
目の前の男が悲鳴を挙げ、覆っていた黒い靄が剥がれ始めた。
・勇者
・魔法使い
・僧侶
一分の隙も無い完璧なパーティですね。