ツバキくんは絵が得意   作:にえる

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「あなたはボルテクスじゃない。そうですよね。あなたの本当の名前は……」

 

 目の前の男が悲鳴を挙げ、覆っていた黒い靄が剥がれ始めた。

 これほどまでに名前が合っていない(・・・・・・)者を見るのは初めてだった。

 そう在って欲しいという願い、またはそうならないで欲しいという戒め、どちらにしても名前という言葉には意味が込められている。

 全てを理解していなくとも、僅かでも言葉から察することはできる。誰もがしているはずのそれを、何一つ出来ていなかった。

 何も理解できず、何もわからないまま、しかし、その言葉を名乗れている。

 このままでは愉快な事にはならないだろう。自己を定義する礎を失っている。

 知っているフリは大変だろう。わかるよ。いや、やっぱりわからないな。知らないフリも大変だからな。

 

「ボルテクスだ……。俺は、ボルテクスなんだ……」

 

 両手で耳を塞ぐ男が絞り出すように呟いた。ボルテクス、ボルテクス、と繰り返してる。

 それは自分自身に言い聞かせるための言葉だと思えた。

 繰り返される度に、男の体の周りに再び黒い靄が集まり、広がりつつあった。

 靄のせいで姿が見にくくなっている。何かが揺らいでいる。

 広がった靄の中、男が這っていた。どこか卑屈な様子で、視界から逃れようとしている。

 俺にはそれがとても良くない気がした。

 

「よく聞いてください。あなたはボルテクスという名前じゃない」

 

 俺は靄の中を這いずる男に指差して言った。

 

「違う、違う違う違う! 俺はボルテクスだ! 勇者だ! 勇者ボルテクスなんだ!」

 

「それこそ違います。あなたは勇者じゃない。勇者は決してボルテクスという名前でもない」

 

 頭を抱えるように耳を塞ぐ男が叫んだ。

 地に伏したまま、這って離れようとしている。その姿に哀れみを覚えないでもないが、嘘をつくほどに靄が濃くなっていた。

 汚いキノピオみたいだな、と思いながら俺は言葉を訂正する。

 今はアメリアさんがいるので、いつものように教会だとか冒険者ギルドみたいにすぐ傍まで近づいて話しかけられない。靄で視界が僅かに悪くなっているのが面倒だった。

 

 「対抗するな! 離れろボルテクス!」「話を聞いてはならん!」「返事をするんじゃない! 言葉を認識させられる!」「格が違いすぎる! こんなもの拒めん!」「さっさと切り離せ! ボルテクス!」「まずい! このままでは最下層に戻される! ボルテクス! 早くしろ!」「このボルテクスにできるわけがない!」「無理やりにでも理解させろ!」「言葉が全く馴染んでいない! このボルテクス程度では危険すぎる!」「ボルテクス!」「ボルテクス!」「ボルテクス!」

 

「うるさいですね……。何度も言いますが彼はボルテクスじゃない」

 

「ツ、ツバキさん……?」

 

 勝手に騒ぎ出した声たち。うるさいと文句を言うが、今度は止まらない。

 こんなじめじめした場所を後にして、早く教会に帰りたかった。

 震えるアメリアさんが俺の名前を呼ぶので、大丈夫だと返す。

 声もビビってるからへーきへーき。

 

「声が!! 声が聞こえない!」

 

 男が叫んだ。

 いや、聞こえるが。

 急に耳が悪くなったのかもしれない。

 

「俺は勇者だ! こんなのはおかしい! 俺は勇者なんだ! 俺はボルテクスだ! ユビキタス! 俺を助けろ! 仲間だろうが!!!」

 

 蹲ったまま、男が叫んだ。

 「その名前を呼ぶな!」と近くで叫んだ声の場所を指で示せば、腐った海産物のような魔物が倒れている。アメリアさんが「ひっ」と小さく悲鳴を漏らした。

 声は変わらず遠くの方で騒がしい、男は頭を抑えて丸まっている。

 外に出て行きたいが、これじゃあ話が出来そうな相手がいない。

 男が助けを求めたユビキタスとやらは地面の下に潜んでいるようだった。

 出てくるのかと思って少し待つが、何も起こらない。

 声が隠れていろと言っていた。

 

「ユビキタス? それがあなたの名前でいいんですね?」

 

 ボルテクスを名乗る不審者と同じように、その名前に致命的なズレを俺は感じた。

 確認を取るが、やはり返事は無い。

 しょうがないのでユビキタスと呼ぶことにする。俺としてはあまりいい言葉とは思えないが、それを名乗っているのだからそういうことなのだろう。

 

「じゃあユビキタスと呼びます。ユビキタス、お話をしましょう」

 

 Ubiquitous、名を正しく呼びかける。

 地面の下から悲鳴が聞こえた。その直後、地面が割れて頭を抱えた姿勢の女性が現れた。

 その女性は一向に起き上がる気配がない。

 ただ、痙攣するように震えているだけだった。

 

「やめろ、やめろ、やめろ、やめろやめろやめろ。私の、中に、入って来る、な……」

 

 女性が呻いている。まるで陸に上げられた魚のようだった。

 

 「統べる名前が!」「これでは壊れてしまう!」「馴染む前に名付けられた! こいつでは耐えられん!」「言葉が強すぎる!」「最早ユビキタスは使い物にならん! 捨て置け!」「止めろ!」「神父を殺せ!」「貴様がやれ!」「そんなことをすれば月に呪われる!」「早くボルテクスを目覚めさせるのです!」

 

「うるさいって言ってるんだよなあ。……特にそこ」

 

 騒いでいる声に苛立って、一番うるさい場所を指し示す。そこには巨大な海産物の魔物がいる。何が起きたのかわからないとばかりに呆けた様子だった。

 しん、と静まり返った。

 

「き、聞かれてるぞぉぉぉぉ!!!」

 

 静かだったのは一瞬だった。

 声の一つが殊更大きく叫ぶと同時に、数多の声が爆発したかのように騒ぎ始めた。

 俺が示す先にいる魔物は、その図体とは裏腹な小さい瞳を悲しそうに歪め、涙を零しながら震えていた。

 ため息を吐きながらアメリアさんの隣に座る。

 

「……違うなあ」

 

 騒がしい声。声。声。

 偽物の夜空。月。星。

 漂う腐った磯の臭い。

 

「違うなあ」

 

 何もかもが違う。

 目を凝らせば見えてくるのは、朽ちた都市のような何か。

 それすらも崩れていく。

 ぼろぼろと、夥しい数のブラックウーズが剥がれ落ちていた。

 

 「逃げろ!」「何処に行けと言う!」「近寄るな! Sanityが消失する!」「ディープワンを使いすぎたんだ!」「やはり呪われた名前だった!」「そうだ! ディープワンを使え!」「喚べ!」「世界よ、我が声を聞け! サモンアンドランをここに!」

 

 何の役にも立たない月明かりだったが、目が慣れてくればどうってことはない。

 馬鹿みたいに騒いでいる海産物に似た魔物がたくさんいるだけだった。

 どれもこれもが陸に打ち上げられた魚のように、満足に動けなくなっていた。

 それぞれは見上げるような巨体だったり、言葉にするには難しい醜さをしている。

 不気味で醜い憐れなそれらが身じろぎするだけで、少しばかり地が揺れていた。

 

「あれは足の生えた魚ですね。前に見たやつ」

 

 何かが歩いて迫ってきているようだった。不安げなアメリアさんが、俺が羽織っているコートの袖を引いた。

 人間ほどの大きさで、魚面をしていて、二本の足で歩いてた。

 だがそれはよく見れば以前見たことのある足の生えた魚だった。だから俺はそれをアメリアさんに伝えた。

 三十センチほどの魚が陸で跳ねていた。

 

「魚、魚、魚。人。魚。人。魚。魚。魚。あれは……チンアナゴ? あ、できらあさん」

 

 たくさんの魚に混ざってチンアナゴもいた。多くの人も眠っていた。

 びちびちと跳ねていて魚は可哀そうだったし、寝ている傍で跳ねられている人々も可哀そうだった。

 魚に囲まれて、呆然とした顔のできらあさんが立っていた。何度見ても見事な胸だった。

 海産物が身じろぎした物とは違う、地面が砕ける音がした。

 

 「名前を剥がされている!」「ボルテクス! 何とかして歪ませろ!」「神父から離れろ! 片っ端から秘匿が剥がされている!」「捨てたはずの身体が……」

 

 ずん、とひと際大きく揺れる。

 爆ぜるように地が砕け、穴が開く。

 逆さまの体勢をした勇者が、地面から飛び出してきた。

 

「ツバキ! 生きてるか! 生きてたな! よかった! ついでにエルフのおねーさんも生きてて良かったな!」

 

 なははー、と勇者は笑いながらこの磯臭い地に降り立った。

 穴の底から、三つの月がこちらを覗き込んでいた。

 

 「まずい! 蝕む名前までもが侵入してきたぞ!」「蝕む名前が何故!」「名前を知られた者がいるとしか考えられぬ!」「階層が最下層に戻された! これではサーモンランしか起こせん!」「ボルテクスを起こせ!」「ユビキタス! ドラゴンを呼ぶのです! ユビキタス! ユビキタス! ユビキタス! 呼びなさい!」

 

 勇者の出現に、より一層騒ぎが広がる。

 ぽいぽいと自身が下りて来た穴に転がっていた人々を放り込みながら、勇者があまりの騒ぎに顔を顰めていた。

 わかるよ。うるさいもんな。

 

「なんだこのダンジョン。ここまで気持ち悪いのは初めてだ」

 

「はあ。ダンジョンなんですか。勇者はよくわかりますね」

 

「多分だけどな」

 

 自信ないけど、と勇者が呟いた。

 

「街の近くに発生したダンジョンだからオレは駆除していくけど、ツバキはどうする?」

 

「どのくらい強いですかね」

 

「ドラゴンよりは強い」

 

「せっかくだから絵を描きたいなあって」

 

「オレなら余裕だから描いてけ! 悪そうなやつだから倒すぜ!」

 

 俺が色鉛筆とスケッチブックを見せると、勇者はやる気になったようだった。

 あそことあそこ……と海産物を指し示していけば、コツはわかったから大丈夫だと勇者が言った。持っていた木の棒を掲げて見せる。

 勇者が飛び出した穴がいつの間にか塞がっていた。

 

「これがオレのエクスカリバーンロンギヌス妖刀村正だあああああ!」

 

「盛りすぎ」

 

「このままでは描かれるぞ!」「深海に戻せ!」「戻してしまってはデルタサイトを超えられなくなる!」「そんな問題ではなくなった! ここを切り抜けなければ!」「深海を繋げろ! 動けなくなる!」「我々の領域はやはり地と海の底だったか……」「捨て置け!」「六つの名前を持つ者が来るぞ!」「深海となるまで時間を稼げ!」「あれも人間の範疇には違いない! 水中では動けんはずだ!」「サーモンランでいい! 押し出せ!」

 

 声が囀っていた。

 勇者に抱えられて、俺とアメリアさんは朽ちた建物の上に移動した。なぜかできらあさんも。

 轟く水音とともに、凄まじい勢いで水が流れ込んできていた。

 

「うーん、勇者が速すぎて見えない! とりあえず死んだ海産物だけ詳しく描いとこう」

 

「えぇ……」

 

 俺の潔い宣言に、アメリアさんが脱力して呟いた。

 海の上を走って戦っているのはわかる。残像の後に音がして、水しぶきが上がる。様々な海産物のバラバラなパーツが浮き上がり、そして沈んでいく。それが勇者の移動した軌跡だった。

 沈みゆく都市、砕け散る海産物たち、速すぎて見えない勇者。

 さっきの棒を掲げた勇者をまずは描く。

 

「漫画にしましょうか。描いてみたかったんですよ」

 

「?」

 

「それっぽくカッコよくしちゃえばいいんですよこんなん」

 

 イメージだがこの都市を描いて、敵は海産物だと微妙なのでドラゴンとかにしよう。それを勇者がカッコよく敵を倒す。

 描くのは後で余裕が出来た時にしよう。

 海産物も使えるかもしれないから軽くスケッチしたい。

 巨躯を誇る緑の海産物が、勇者を相手に粘っていた。背にはドラゴンの羽根に似た翼を持っていて、顔と思われる部位からは軟体生物の触手のような物が無数に生えていた。

 

「あの翼、もしやドラゴン……」

 

「ツバキさん、あんなドラゴンはいませんよ……」

 

「えっ……。じゃあ、あれはもしやドラゴンっぽい何か……」

 

 勇者が殺した三匹のドラゴンも絵に兼ねればいいんじゃないだろうか。竜殺しのほうがカッコイイよ。

 緑のやつと同時に挟み撃ちを狙った白く膨れ上がった溺死体のような海産物が、勇者に一撃で首を刈り取られたようだった。飛んできた首が、近くに落下した。酷く磯臭い。

 

「話を……話を聞いてください……」

 

 死んだかと思ったが、話しかけてきた。酷く磯臭い。腐臭もする。墓地よりもずっとずっと臭かった。

 気持ちの悪さのせいだろうか、アメリアさんは俺の背に隠れてしまった。

 女性には厳しいよな。

 清潔さの重要性を考えさせられてしまう。

 

「私はただ、名前が欲しかったのです……。名前を、私にどうか新たな名前を……」

 

 巨大な頭部とは不釣り合いな円らな瞳で訴えかけられた。

 円らな瞳とはいえ、無数にあるとおぞましさのほうが先行するのだが。

 しかし、俺も助祭位を任せられている者だ。名前を乞われたら考えなければならないだろう。

 

「いいでしょう。要望はありますか」

 

「ありがたい! ならば寄越せ! 唯一の名前を! 単なる名前を!」

 

「じゃあキングフグですね」

 

「は?」

 

 何かに似てると思ったんだが、あれだ。サーモンランの時に見たキングサーモンだ。

 近縁種とかなのかもしれない。

 そうなるとやはり名前も似通っていたほうがいいだろう。

 

「ふ、ふざけるなぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

「ふざけてなんかいませんよ。月にお願いしますからね。あなたこそ真面目にやってください。……名前を乞うとはそういうことでしょう」

 

「やめろ! やめてくれ! 名付けに月は……」

 

 キングフグが叫び、俺はにっこりと笑顔を浮かべてそう答えた。

 驚いたのか、アメリアさんは俺の背に張り付いていた。

 

「月よ、数多の名を持つが為に名も無き管理者よ、そして三つの連なる名を持つ支配者よ。新たに『キングフグ』の名前を持つ者がこのデルタサイトに生まれたことを伝えます」

 

 言葉とともに月に祈れば、世界が止まった。

 

「ツバキの名前を持つ者の言葉と願いをどうか聞き届けて欲しい」

 

 何もかもが静止した時間の中で、三つの月が見ていた。

 虚構の夜空が剥がれ落ち、三日月は壊れ、星は潰えた。

 空が、近い。

 

「ぬ、ぬわぁぁぁぁぁ!」

 

 頭だけの溺死体みたいなキングフグは、その叫びとともに立派で巨大なフグとなった。

 フグかこれ……?

 いやフグ……?

 いやこれどっちかというとハリセンボン……。

 

「キングフグ、ヨシ!」

 

 少しだけぱくぱくと口を動かしていたキングフグだったが、首だけでは生きられなかったようだ。

 せめてもの供養として絵を描いておこう。

 スケッチブックにその姿を描こうとすると、キングフグはまだ死んでいなかったのか、針を逆立てて苦悶の表情を浮かべた。

 それはまるでこの世の終わりを告げる醜い顔だった。精巧にスケッチしてあげよう。

 

「ツバキ! 水位が……どうかしたか?」

 

 勇者が現れる。走ってきたであろう方角から、遅れて音が届いた。水しぶきは上手く逸れていった。

 随分と声が減ったようだった。

 緑の海産物も、既にバラバラに引き裂かれていた。

 

「キングフグが生まれたところです」

 

「なんだそいつは!」

 

「なんだろう……」

 

 勇者が首傾げるので、俺も同じように傾げた。

 

「そんなキングサーモンの亜種みたいな名前のやつはどうでもいい! 水位がかなり上がってきた!」

 

 キングフグは確かにどうでもよかったな。

 勇者の言う通り、水位のほうが大事だった。

 すべて描き終わるまでいたかったが、そうもいかないだろう。

 俺も、アメリアさんも、水中で生きることはできない。

 勇者は普通に活動しそうだからわからないが。

 俺だけなら死んでもいいから描くところだが、残念ながら、いや、嬉しいことに帰る場所があるからね。

 

「じゃあここらで帰りましょうか」

 

「そうか! ちょっと残念だけどそれが良いだろうな! どうする? オレが地面を……必要なさそうだな」

 

 勇者の言葉の途中、今いる場所よりも少し離れた位置に光の柱が現れた。あれは月の光だろう。

 光に飲まれた水や海産物が蒸発していく。

 直後、暴風とともに湯気が巻き上がる。ひどい臭いだ。

 光が収まれば、その場には大渦が生み出されていた。

 勇者は俺とアメリアさんを背負うと、躊躇いなくその中に飛び込んだ。

 笑いながら勇者が拳を叩きつければ、大渦が吹き飛んで、単なる穴となった。

 その先に、三つの月が見えた。

 

 「ボルテクスが裏切ったぞ! 歪めて逃げた!」「ユビキタスもいない!」「終わったのか!?」「なんてことだ! すべてやり直しだ!」「新しい木偶が必要だ!」

 

 声が遠ざかっていく。

 浮遊感を感じて、そして空を下にしていることに気付く。月が下に見える。

 身体が反転しているのだと気づいた時には、すでに勇者はくるりと回っていた。背負われているために、一緒に回される。

 音もなく着地した勇者から降ろされれば、そこはドラゴンがいた森の中だった。

 

「二人とも無事だな! ツバキ! 絵はどうだ!」

 

「もっと時間が欲しいですね!」

 

「そりゃそうだよな! オレが帰って来る頃には完成してそうだ! 楽しみにしてるから見せてくれよ!」

 

 今俺たちが飛び出してきた地面の穴は閉じつつあったが、勇者が再び殴って破壊した。

 噴水のように水が噴き出していた。

 きらきらと輝いて見えた。空には虹もかかっている。

 

「あれ、勇者は帰らないんですか?」

 

「まだ帰らねえ! オレにはやることがある!」

 

「あ、できらあさんを連れて来ないと」

 

「……誰だっけ」

 

 勇者が首を傾げたので、時間奴隷だと伝える。

 色々と説明したが、反応は薄かった。

 忘れなかったら連れ帰るとは言ったので大丈夫だと思う。すでに溺れていなければ。こればっかりは仕方ない。

 

「あそこの連中は駆除したほうがいいと思うんだわ! オレはサーモンランの勇者だからな!」

 

「それはいいですけど、あんまり遅くならないうちに帰って来てくださいね」

 

 エクスカリバーンロンギヌス妖刀村正を落としたわー、と呟いた勇者が目を丸くした。

 帰って来るのが遅くなったりするのだろうか。

 よく考えるとダンジョン攻略だから遅くなるのも当然かもしれない。

 

「……そうだな! 遅くなったらダメだよな! オレが一番そういうの忘れちゃいけなかった!」

 

 なははー、といつものように勇者が笑った。

 俺よりもずっと背が高くて強いのに、人好きのする柔和な笑顔でいるから朗らかに感じる。

 くすんだ灰色の髪が、水に濡れたせいか少しばかり輝いているようだった。

 

「ツバキ! おまえに会えて良かったよ! また会おうな!」

 

「俺も勇者に会えて良かったですよ」

 

「オレが勇者だあああああ!!!!」

 

 「うおおおお!」と叫びながら勇者は海水が噴き出す穴へと向かっていった。

 俺はその背を見送ったが、すぐに姿は見えなくなった。

 それでも何となく離れることができずに見ていれば、徐々に水量が減っていき、やがて穴は塞がった。

 森は水に濡れていて、魚が跳ねていた。

 それはまるでサーモンランの後のようだった。

 

「アメリアさん、そろそろ帰りましょうか。勇者も行っちゃいましたからね」

 

「え、ええ。……勇者?」

 

「勇者はやっぱり世界一勇者ですね」

 

「急なエルフ構文……」

 

 ぼんやりしたままだったアメリアさんを連れて街へと戻る。

 驚いたことに、俺は何日も留守にしていたことになっていた。

 ダンジョンに入っていたためだろうと神父様が教えてくれた。このことについて、アンバーもファティも何も言わなかったが、少しだけまた過保護になったように感じた。

 

 日常が戻ってきて、数日経っても勇者は帰って来なかった。

 街には誰が倒したかわからないドラゴンの素材が三体分あって、ギルドは扱いに困っているようだった。

 俺は変わらず絵を描いている。ドラゴンや魔物を倒す勇者の絵を。まだ未完成だが、近いうちに描き上がるだろう。

 漫画は画材などの関係で難しかったから今は妥協したが、いつか必ず描きたいと思う。

 美しいものばかりのこの世界を。

 

 

 


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