眠る君に花かんむりを   作:K-Knot

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Snowy Inferno Forever
The World without You


 永い夢を見た。破壊世の夢、王の夢、胡蝶の夢。

 ひび割れた空から悪夢の雪が落ち、破れた雲から破滅が降る。

 今もその夢を見る。災害の夢、絶滅の夢、世界の終わりの夢。

 いつだって夢を叶える力がこの手にあった。

 

 きっともう、逢えなくなるけれど。

 もしもそれでも愛せるなら、この世界を小さなペンダントにして、君に飾ってあげる。

 

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 その教会はユーラシア大陸の端にひっそりと建てられていた。 

 仏教が主に信仰されているその地ではキリスト教系の教会は非常に珍しかった。

 この地の有力者がイギリスに留学した際にキリスト教に触れ、国に帰った後に教会を建てて神父を招聘したのだ。

 その荘園に建てられた教会には毎週日曜日に子供たちがお菓子目当てで話を聞きに来る。この日もいつも通り、神父は旧約聖書を子供たちに読み聞かせていた。

 

「『神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された』」

 10年以上この地に暮らした神父の中国語は非常に流暢で、現地の人と比べても遜色ないほどだった。

 祖国から遠く離れた中国まで来たが、神父はこの地の素朴な人々を愛しており、また自分の仕事を誇ってもいた。

 

「『神は彼らを祝福して言われた。「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」』と」

 子供たちはお菓子を食べながら神父の話を聞いているような聞いていないような。

 それでよいと神父は考えていた。100教えて1が彼らの心の中に残り、人生の助けになればそれで十分だった。 

 今日の読み聞かせを終え、井戸で汲んだ水を飲むと子供たちが駆け寄ってきた。

 

「ほら、一人でたくさんとってはいけないよ。周りの子にも分けてあげなさい」

 

「はーい」

 籠の中のお菓子を一人の子供がたくさん取ってしまったが、神父が優しく言い聞かせるとその子供は素直に周囲の子供たちに分けた。

 この荘園の所有者の子も、農民の子も、親がいない子も、みんなお菓子は好きだったがそれと同じくらい神父のことも大好きだった。

 まだ古い身分制度の残る国だが、子供たちは神父の教えを素直に聞き入れ身分の垣根を越えて仲良くしていた。

 子供たちが教会の前で遊ぶ様子を微笑みながら見ていると、視界の端で座って本を読んでいる少女が目に入った。

 

「それは英語で書いてあるから読めないんじゃないかな?」

 内容を中国語で話してはいるが、神父が先ほどまで読んでいた旧約聖書は英語で書かれている。 

 そもそも自国語の読み書きも完ぺきとはいいがたい、まだ5歳ほどの少女が読めるはずがないのだ。

 少女が顔を上げて神父の目をじっと見た。朱の交わった黒目に艶やかな髪、桜色の頬。間違いなく将来美人になるであろうその少女は、親に連れられて先週から読み聞かせに参加するようになった子だ。

 

「どうして人は生命の木の実を食べなかったの?」

 

「……!? 読めるのかい?」

 

「『主なる神は、園の中央に生命の樹と、善悪を知る樹とを生えさせられた』」 

 世界の始まりに、楽園に神は生命の樹と善悪を知る樹を生やした。特に、神は人の祖に善悪の樹から実を取って食べることを禁じた。

 しかし、蛇がそそのかして人の祖は善悪の樹の実を口にしてしまい楽園を追放された。今なお世界中で使われている、禁断の果実というたとえの元となった聖書の一部だ。

 

 聖書の内容を理解しそれを中国語で話していることに神父は驚いた。そうでなければこんな質問は飛び出してこないからだ。

 そういえば、彼女を連れてきた両親が言っていた。この子は天から才を授かっていると。

 

「全ての生き物を治めるなら、永遠の命を手に入れればよかったのに」

 

「君は……」

 書を読み、自分だけの感想や解釈を持つのは少なくとも10歳を超えてから出来るものだと神父は考えていた。

 しかしこの少女は異国語の書を読み、独自の解釈を持ち、高度な質問をしている。

 

「ケルビムに生命の樹を守らせたのに、どうして食べることは禁止しなかったんだろう?」

 

「……君ならどうした? 楽園にいたら……」

 幼い子供にするには、あまりにも難しすぎる質問だと神父は思った。

 答えるにしても、相手が気に入るような答えを口にするのが精いっぱいだろうと。

 しかし、少女の答えは違った。

 

「両方とも食べる。善悪の実も、願いの林檎も。そうしたら、いつか全てを支配できる。創るのも壊すのも思いのままになる。神の罰なんて、怖くない」

 地獄の底のように赤みがかった瞳が少女に宿った純粋な悪意を鈍く光らせる。

 神父は少女の天与の才の更に奥に、異質な魂を見た気がして――――血を吐いていた。

 

「なんだ……これは……」

 その瞳よりも赤い血に染まった少女が人を呼びに行く。

 僅かな時間に胃が痙攣し、肺が酸素を取り込まなくなり意識が薄れていく。 

 地下水に毒が――――そこで神父の意識は途切れ、二度と目を覚ますことは無かった。

 

 

 

1936年 日独防共協定
 

1937年 日中戦争

 

 

 

 

 暴走した日本陸軍は列強諸国をなんとしてでも引きずり下ろすために、ナチスドイツと悪魔の取引をした。

 後にアメリカ合衆国が用いたものよりも遥かに強力なその化学兵器は、中国の土地を蝕み草花を枯らし動植物を死滅させ、虫の一匹すらも残さなかった。

 人間だけが、食事や水に猛毒が混じっていることに気が付いたが、その化学兵器が蝕んだ土地は余りにも広大だった。

 車の一つも持たないただの市民が飢え死にせずに壊死した地を抜け出すのは不可能だった。

 

 100万人が死に絶えた土地の最後の生き残りとなった赤目の少女は、親の死体に齧りついた。

 毒に侵されていない食料や水分を優先して自分に与え、暴漢からも必死に守ってくれた優しい母の腹に齧りつく感覚は、僅か五歳の少女の世界を紅く蝕む。

 

 時代が悪かったのか生まれた国が悪かったのか、それとも自分が何か悪いことをしたのか。

 一口臓物を口に運ぶたびに、階段を後ろ向きに下がるように人間から遠ざかる。

 冷たい血を啜るたびに、人間性を失った少女の心の中に憎悪が生まれ、元々宿っていた純粋な悪意に絡みつき融合していく。

 

 友も家族も失って。

 親の身体を食い散らかして。 

 なぜそこまでして生きようとするのか。

 

「――――――」

 どす黒い感情と血の臭いにむせ返り顔を上げると、一人の男がこちらを興味深そうに見ていた。

 ボロ家に似合わない豪著な恰好、洋服。なぜここに、という疑問はすぐに消えてなくなり、母の身体に突き立てていた包丁を抜いた。

 

「日本人!!」 

 自分では全速力のつもりだった。それこそその一振りに命すらも懸けているつもりだったのに、簡単に杖で叩き落されてしまった。

 

「そうとも、日本人だ。君の全てを奪い、この国を焼き、君が親を食べなければならない理由を作った、日本人だ」

 

「…………」

 少女はその時になってようやく、男の異様さに気が付いた。

 あまりにも流暢な中国語もそうだが、子供が人間を食べている姿を目の当たりにして動揺の一つもしていない。

 血も涙もない民族だとは聞かされていたが、この男はそれ以上の何かだ。

 

「ようやく会えたね」

 

「…………?」

 

「さぁ、行こう」

 

「!!」

 血と肉で汚れた小さな手が突然に握られた。

 決して乱暴ではなく、むしろ優しいと表現してもいいくらいだがそれが一層少女に違和感を抱かせた。

 この男は自分を連れて行こうとしている。どこか知らない土地へ――――それは間違いないだろう。

 そうではなく、もう人間として戻ってこれない場所へ連れて行こうとしているのだ。

 

「君をこの星の王にしてあげる」

 果たして少女に、その言葉に逆らう心は残っていなかった。

 たとえこの男が悪魔でも、少女は力が欲しかった。

 

 この世界の全てを奪うための力が。

 

 

 善悪の実も、願いの林檎も丸かじり。

 

 

 

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The World without You

 

 

2048年  晩夏

 

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1.自分の家を手に入れる

2.満足のいく自炊をする

 

 

 

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 樹埜、いいの。あなたは好きに生きて。

 

 母から貰った中で一番うれしかった言葉だ。 

 だが、教師も友人もこの国も、自分に才能人としての人生を期待した。

 それこそが自分が生きるべき道だと信じて、その期待に応えられるよう精いっぱい生きてきた。

 

 心の声を無視し続けて。 

 やりたいことをやらず、やりたくないことをやり続けて。

 

 

 そして、壊れてしまったんだ。

 

 

 

「……! あっ……着いたの……?」

 少しだけ開いた車の窓から、夏の終わりの冷たい風が入ってくる。

 現実味を帯びた悪夢に茹でられた脳が冷やされ、現実へと徐々に感覚が帰還する。

 そうだ、今日は引っ越しの日だ。住んでいた渋谷を出たのが数時間前の話。

 目的地まで2時間半とナビが答え、引っ越し作業で疲れたこともあり自動運転の車の中で眠ったのだ。

  

(お母さん、私、こんなになっちゃった……。ごめんなさい……)

 自由の無いこの日本でも、それでも母は樹埜が自由に生きることを望んでくれていた。

 結局、その選択をする勇気がなかったせいで、ありきたりな道を選んでしまった。

 そんな樹埜の選択を見届けることもなく、母は6年前、樹埜が大学を卒業する前に癌で亡くなった。

 

(いや、もう。誰にも謝る必要なんかないんだ)

 誰かのために。そう言い訳をして楽な選択をする人生はもうやめたのだ。

 すっかり微妙な温度になっていた缶コーヒーを飲み干し、車の外に出る。

 傾いた日の光に目を細めながら今日から暮らす土地の空気で肺を満たす。

 

 そこにあるのは誰一人として住んでいない廃村だった。 

 東京一極集中により限界集落となりそのまま滅びたという、今や日本中のどこにでもある寂しい土地。人がギリギリ住んでいる土地と境界線が触れるような村だ。

 その土地の一角を、その上にある民家ごと買ったが100万円もしなかった。

 もしかしたら、引っ越しの費用や電気水道などのライフラインの開通費用の方が掛かったかもしれない。

 

「荷物、ちゃんと来てるか。よかった」

 ボロボロの玄関前に家具や段ボールが置かれているが、前に住んでいた家が1Kに対しこの家は5SLDKもあるため荷物が少なすぎるように見える。 

 まぁ、無理してスペースを全て使う必要もないのだが。とりあえずは暮らす部屋を決めてそこを掃除しなければ。

 荷物の上で待機していたドローンにサインをすると空高く飛んでいってしまった。

 引っ越しの時は50台近くのドローンが荷物を運んでいったのだが、客のサイン待ちをするのは1台だけらしい。効率的でいいものだ。

 

「あっ、出た出た。猫ちゃん」

 家の鍵を取り出そうとした床下から三毛猫がにょろんと出てきた。

 これを求めてこの村にやってきたのだ。きっと日本でこの事実を知っているのは10人もいないと思うが、この村は人がいないだけでたくさんの猫が暮らしている猫村なのだ。

 前にこの村に来た時も、覚えているだけで20匹以上の人懐っこい猫たちが廃屋の縁台で日向ぼっこをしていた。

 現実からとにかく可能な限り逃げたかった樹埜は、荷物の片付けのことなど完全に忘れてとてとてと歩く猫の後ろをついていく。 

 そうだ、ついでだから村の散策を軽くしてみようか。どうせ誰も住んでいないのだが――――

 

「…………」

 

「っ――――!!」

 本当に、本当に本当に幽霊が出たと思ってしまった。

 猫が歩いていった先の廃墟に、あまりにも場違いな少女がいた。

 

 この辺に学校などあるはずもないのにセーラー服を着て、ベルベットのような黒い髪が夕陽を反射して天使の輪を作っている。

 廃村の中の廃墟で猫に囲まれて佇むその少女はそれだけでどこか神秘的な雰囲気すらあるが、極彩色の奇妙な仮面を着けていた。

 黒いスカートの上で猫が寝ていることでようやく、その少女が質量を持つ人間なのだと理解できる。

 

「…………」

 派手な仮面の向こうにある宇宙のように黒い目が樹埜を品定めするかのように観察している。

 都会ならばこれくらい目が合っても会釈ひとつで何もなかったことに出来るが、これはもうどうやったって無視できない雰囲気だ。

 

「な……何、しているの?」

 

「……何って?」

 

「…………。昨日まで、ここは誰も住んでなかったかもしれないけど。今日からここは私の家だから」

 

「その家がでしょう? ここは私の家」

 

「え?」

 

「だからここにいるの。何もおかしくない」

 それこそ野良猫が自由に出入りするくらいの廃屋を『自分の家』だと言っている。 

 もう滅茶苦茶もいいところだが、こういった人間は今の日本では珍しくない。

 

(エクソダスか……)

 2020年代後半から無視できないほどに日本に現れ始めた所有者不明の土地は、民法に基づき次々と国庫に帰属することとなった。

 だがそれら土地には学校はおろか消防も警察もなく、事実上管理は放棄されている。

 第二次世界大戦戦勝国である日本は、満州・朝鮮・樺太・ウラジオトスクも支配している。当然国土面積も世界有数なのだが、各地に放棄された土地が存在してしまっている。

 ではその土地はただ野山に還るだけなのか。そうはならなかった。国民年金の廃止。生命保険の控除率引き下げ。70歳以上の老人に対する社会保障の廃止。才能適性検査によって明らかになった『何にも向いていない人間』の存在。

 徹底した効率主義により、経済力・科学力・軍事力・文化力で日本は世界一になった一方で、日本はまだ生きている人間すらも切り捨てるようになった。

 彼らはどこに行くのか、となれば放棄された土地で自活していくしかない。

 社会で生きていく術を失い滅びた土地で生きる人々は『エクソダス』と呼ばれ、世界中からその存在を認識されているのに日本国民の平均年収1200万円という統計のうちに、エクソダスの人々の収入0円は含まれていない。 

 

(まだ若いのに……可哀想に)

 若ければ可能性に満ちているからエクソダスにはならない――――という甘い話もない。

 才能適性検査により、15歳で日本国民は投資価値の有無を見極められるし、それ以外にも血縁関係に犯罪者がいないかなど徹底的に管理される。

 きっとこの少女はその中のどこかで、エクソダスになるしかない事情を背負う羽目になってしまったのだろう。 

 

「今日から隣り同士ね」

 

「……うん。よろしくね」

 流石この年で一人で生きているだけあって、肝が据わっている。

 動揺をうまいこと隠しながら大人として冷静に対応する。

 出て行けと言う権利もないし、わざわざ遠い役所まで行ってこの土地の持ち主が誰かを調べるのも面倒だ。

 

「荷ほどき、手伝ってあげる。お隣さんだし」

 その言葉を口にしたのが男だったら、あるいはここが都会だったらレベル100の警戒をして断っていただろう。

 隣に立った少女は身長170cm前後の瘦せ型で、自分よりも背が低い。こちらに危害を加えようとしても力で押さえつけられる。

 

「……そう。うん、よろしくお願いします」

 何か盗まれるかもしれないが大して現金は持っていないし、持ってきた荷物のうち大抵は別に盗られたってどうでもいいものだ。

 そんなことよりも、この訳の分からない少女への興味が勝ってしまった。

 

 

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 壊れた王冠を被った裸の王が老人を踏みつけ、子供を斬りつけている。 

 溜め込んだ財宝の上で何人かの肥え太った人間が眠りこけているが、王の足元にはその数倍の数の人間の死体が転がっている。

 王の頭上には国を照らす太陽が赤々と昇っていた。それが何を象徴しているか、この国に住む人間なら誰でも分かる。

 

(……あっ! いけない、手伝ってあげないと)

 恐らくはエクソダスによって廃墟の壁にスプレーで描かれた傑作グラフィティをぼんやりと眺めていると、冷蔵庫を運ぼうとしている少女が映った。

 一人暮らし用で大きくないとはいえ、女子の細腕にはそれでも重すぎる。

 

「ごめんね、こんなことまでやってもらっちゃって」

 言いながら手を貸すと簡単に冷蔵庫は持ち上がった。

 キッチンに置く場所はあるのだが、問題はとりあえず生活の中心にしようと考えている部屋とキッチンが遠すぎることだろうか。

 まぁ、広いことに対して文句を言うのはワガママが過ぎるので黙って運ぶ。

 

「力、強いんだね」

 

「うん。身体大きいから」

 それも女性にしては、ではなく男を含めてもなお大きい。

 道ですれ違う人間のほとんどが自分より小さいという人生にはもう慣れてしまった。

 だから、こういう風に女性らしくない評価をされることも仕事を受けることも慣れている。

 

「これで終わり?」

 

「とりあえず。片付けとかは一人でできるし」

 出てきたゴミを袋に押しこみ、燃えるごみの有料ステッカーを貼る。

 これを外に置いておくとドローンが回収していってくれる。たとえそこが廃村だったとしても。

 もちろん指定のゴミ捨て場に出せばタダなのだが。

 

「……ふーん」

 電気の下で見る少女の目は美しい形をしていた。

 年はいくつくらいだろうか。袖の下や首から覗く肌のツヤは10代中盤の危うさをそれとなく醸し出している。

 もしかしたら自分より10は年下かもしれない。

 

「今日のご飯ってどうするか決めている?」

 

「さぁ……特に何も決めていない」

 エクソダスは何を食べているのか全く知らないが、普通に考えたらやはり野生動物や木の実なんかになるのだろうか。

 目の前の少女が狩猟をしている姿を全く想像できないが、少なくとも日も沈んでしまった今からは無理だろう。

 

「一緒に食べよう? あなたの分も作ってあげるから」

 

「…………。うん」

 孤独を求めてこんなところに移り住んだのに、まさか初日に誰かと一緒に夕食を食べることになるとは思わなかった。

 不思議なのは、誰がどう見ても怪しいその少女に対して自分がほとんど警戒心を抱いていないことだった。

 

 

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 小さめなスーパーですらも車で1時間以上かかる場所にある。

 冷蔵庫の大きさ的に1週間に1回は車で買い物に行かなければならないがそれは覚悟していたことだ。

 料理は別に好きな方ではなかったが、こうなったからにはやってみたかったことがあった。

 

「ずっと夢だった……広い庭でご飯を作って食べるの……!」

 今日の昼まで歩けば人とぶつかるような東京にいて、家には猫の額ほどのベランダもなかった。

 だが今は呆れるほど広い土地があり、料理をしようが騒ごうが歌おうが自由だ。

 

「片付けの方が大変そう」

 

「準備も大変だったけどね」

 2時間以上目の前で料理する様子を見せられた少女の感想ももっともだが、実は準備にはこの何倍もの時間がかかっている。

 庭と言えば一言だが、ド田舎の廃村の棄てられた家だ。一週間前の土日に、庭で料理をして食事をすることを夢見ながら一人で延々と草刈りをしたのだ。

 それに比べれば調理器具や食器を庭に運んでくることくらい今更なんでもない。

 そういえばまだあの時この少女はいなかった。どこから来たエクソダスなのだろう。

 

「その変な仮面、外さないの?」

 

「外さない」

 

「食べれないよ?」

 どういう信条をしているのかは知らないが、自分は至極当然のことを言っていると思う。

 ガスコンロの上で煮えた鍋から中身が吹きこぼれ、そちらに視線が行った瞬間、少女は幻のような速さで仮面を腕で拭った。

 

「これで食べられる」

 瞬き一回ほどの時間で仮面の模様が変わった。

 それだけでなく、一瞬前までは目に穴が空いているシンプルな構造だったのにいきなり口の周りにも穴が空いている。

 

(これ……変面ってやつだ……。日本人じゃないの?)

 手や扇子を顔にかざした瞬間に面が変わるという中国の伝統芸能、変面。昔テレビか何かで見たことがあるから知っている。

 だが日常生活で使うような技術ではないし、そもそもあれは仕掛け的に帽子かひらひらとした服が必要なはずだが彼女の格好は仮面以外は普通だ。

 

「いただきます」

 

「あ、うん。どうぞ召し上がれ」 

 少女が背筋を伸ばして箸を綺麗に持ち、雑な形のつみれを鍋から取って口に運ぶ動作を三往復ほど見て、ようやく樹埜も食事を口に運び始めた。

 具だくさんの鍋の中にショウガを混ぜたつみれ鍋だ。夏の終わりに鍋とは気が早いと思うが、都会の夜に比べてここは随分と涼しい。

 少し肌寒いくらいだから、外で食べると大雑把な料理ながらとても美味しく感じる。

 

「…………」

 居間の明かりが窓から漏れているだけの薄暗い空間だが、それでもそこの周囲だけ空気が凛としている気がする。

 少女の食べ方が、姿勢が綺麗だからだ。仮面からのぞいた口回りが想像よりも遥かに美しかったこともあるかもしれない。

 何も無いド田舎の上に、食べているものもエネルギー補給重視のただの鍋なのに、何故か『高貴』という言葉さえも浮かんでくる。

 

「あなた……もしかして、すごくいいところのお嬢さま? とても育ちがいいでしょう」

 

「…………いいところの生まれではないけど……育ちはいいかな、多分」

 

「そうだよね。お箸の使い方ひとつとっても綺麗だもん。名前、なんて言うの?」

 一緒に食事をしたからか、すっかり少女への警戒心はなくなっていた。

 名前も知らない変な仮面をつけた女子高生が一人で住んでいるのは相当おかしなことだと思うが、とりあえず自分には好意的に見えるし危害を加えられそうな要素もない。

 普通に仕事をして街に暮らしていたのならまだしも、今こんな状況ではまぁいいかと思ってしまっていた。

 

「Xuěhuā」

 

「え? しぇ……は?」

 日本人ではないだろうなと思ったが、やはり飛び出してきたのは聞いたこともない発音の言葉だった。

 

「huā」

 

「難しい……中国語? だよね? シェファ?」

 

「うん」

 詳しくは知らないが、エクソダスには好きな名前を名乗る文化があるらしい。

 もしかして彼女もエクソダスとなってから自身にその名を付けたのかもしれない。

 

「へー……私はね、樹埜(じゅの)って言うの。下の名前も難しい漢字だけど、苗字はもっと難しいよ」

 籌。それが樹埜の苗字だった。難読漢字の名前を持つ者にとって共通の苦労が2つある。

 小さい頃に書けないこと、そもそも読んでもらえないことだ。 

 さんざ書きなれた苗字なので目を瞑っても書けるが未だに実際はどんな時に使う漢字なのかすら分かってない。

 読めるはずがない、そう思っていたのだが。

 

「かぞえ」

 

「えっ、すごい……なんで読めるの? 中国では結構使う漢字だったり?」

 

「そういうことでもないけど、知ってた」

 

「へー……」

 いつの間にか猫たちが庭先の目が届く場所で寝ころんでいる。

 どかどかやってきた人間はどうやら危害はなさそうだと分かったのだろう。

 せっかくだし何か餌でもあげてみようかと思ったが、残りは焼きおにぎりしかなかった。

 

「べつに狙っていた訳じゃないんだけどね、やっていた仕事もお金を『数える』仕事だった」

 こんな名前だから天職だなんて言われていたが、実際は新卒で入社して4年で辞めてしまった。

 才能が無かったわけでも楽しくなかったわけでもない。ただ、樹埜の中で蓄積されていた怒りや鬱憤がとうとう爆発して無職になってしまったのだ。

 

「それで、引っ越して最初にすることがこれ……?」

 

「いいの! ほら、これ。仕事をやめたらやってみたかったことなんだ」 

 取り出したノートの表紙には大きくマジックペンで『無職になったらしたい10の事』と書いてある。

 その1ページ目が『自分の家を手に入れる』こと、2ページ目が『満足のいく自炊をする』ことだ。

 

「10のこと? 全部終わったらどうするの?」

 

「さぁ。まだ何も考えていない。その先のことは知らない」

 優秀だと散々言われてきた。周囲の人間にもそうあることを期待された。

 だったら、そんなに替えの効かない程に優秀だと言うのなら、2、3年くらい自由に生きたとしても元の道に戻してくれるだろう。

 そうなれば今はそんな先のことは考えずにやりたいことをやるのだ。

 

「…………」

 肩肘突っ張らせて息巻いている自分を、いつの間にか仮面をデフォルトの形に戻していたシェファが何を言うでもなく見ていた。まるで珍しい生き物を見るかのような目だ。

 エクソダスにとっては常にある無限の自由を、仕事を辞めてまで求めた自分が不思議で仕方がないのだろう――――と思ったが、よく考えてみればここには自由以外に何もない。

 コンビニの一つすらもないから、本当に何をしに来たのか疑問なのかもしれない。

 

「次にやりたいこと……付き合ってくれる?」

 3ページ目をめくってシェファに見せる。『平日の昼間から映画館に行く』という、それ以上でも以下でもない願いは、しかし馬車馬のように働いている日々にはありえなかった贅沢だ。

 シェファにとってもエクソダスの身としては映画館など贅沢の極みだろう。一人で行ってもすぐに退屈の限界が訪れるのは予想が付くから、是非とも付き合ってほしい。

 少しの間をおいて頷いたシェファに対して、自分でも予想しなかった程の喜びを感じる。

 もしかしたら、自分が繰り返す日々を飛び出したのはこういう予想外が欲しかったからなのかもしれない。

 

 

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3.平日の昼間から映画館に行く

 

 

 

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 冷たい空気が肺を満たす。どこからともなく家に入ってくるすきま風はやけに心地よい。

 自然に開いた目にまぶたが張り付いて渇く感覚もないのは、昨日ほとんど電子機器の画面を見ていないからだろう。

 時計を見ると朝の六時半で、なんなら会社員をしていた頃よりも早起きだ。

 

「んー! いい天気だー!」

 庭に出ると山から日が昇るのが見えた。思い切り伸びをするとそれだけで僅かに残っていた眠気も吹き飛んでしまった。

 サンダルで庭の砂利を小気味よくこすり、丸まって寝ていた猫の背中をつつく。

 少し前までは、化粧に着替えにと慌ただしくて栄養食品を適当に放り込んで外に飛び出すという毎朝だった。

 そして休日は疲れ切って昼過ぎまで寝て、重たい身体を何とかベッドから動かす。それが普通だった。

 何もやる必要がない日の早起きというものがこんなにも気持ちの良いものだとは。

 

(納豆食べたいな。あとお味噌汁)

 寝ているところを起こされて不機嫌な猫がどこかへ行ってしまい、ぼんやり見送っていると腹の音が鳴った。

 納豆味噌汁白いお米――――なんて、そんなものは家にほとんどない。あるのはほとんど非常食だ。

 デパートで食品のサブスクライブに契約して、ドローンで届けてもらうようにしようか。

 あとは焼き魚なんかあれば完璧だ。そうだ、この近くには綺麗な川が流れている。何が釣れるのかも分からないが、釣りもやってみたい。

 仮にボウズだったとしても何も気にすることは無い。

 

「ん?」

 ドローンのことを考えていたら、本当にドローンが飛んできた。

 どこへ行くのかと目で追っていたら、シェファがいる家の前で止まった。

 ドローンがチャイムのボタンを押すが鳴らず、原始的にアームで扉を叩いた。

 

(なんだろ、あれ)

 寝起きだと分かる格好をしていてもなお変面を付けているシェファが、何やらサインをして家にドローンを入れた。

 大きな荷物を持っているようには見えなかったが、家電の修理にでも来たのだろうか。

 シェファも隣人が早起きしていることに気が付いたようで、何も声をかけずともこちらに来た。

 人嫌いの猫みたいな目をしているのに、可愛らしい行動だ。

 

「おはよう!」

 

「おはよう」 

 

「……寝ぐせ」

 ところどころ跳ねているシェファの黒髪を手で撫でてやると、あっという間に真っすぐになってしまった。

 100人に1人もいない、全ての女性が羨む髪質だ。

 

(あれ、自然に触っちゃった)

 髪なんて女性にとって一番大事な部位で、昨日今日出会った人の髪に触る人間などまずいない。

 なぜこの子に対してこんなにも自分は心を開いているんだろうか。そしてなぜシェファはその行為を普通に受け入れているのだろうか。 

 

「ね、お出かけしよっか。買わなきゃいけないもの、たくさんあるんだ」

 

「…………」

 シェファが何かを隠していることは間違いないが、それとは裏腹に自分にとても広く心を開いているように感じる。

 そうするだろうな、と想像した通り、シェファはゆっくりと頷いた。

 

 

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 ほとんど勢いだけで家を買い田舎暮らしを始めてしまったので、やはりというか足りないものは沢山あった。

 トイレットペーパーもなかったし、洗い物に使う洗剤だって無かった。

 食材も家具も日用品も、思いつく限りのものを買って家にドローンで送ってもらう。

 車でこのデパートに辿り着くまでに2時間かかったのに、買い物に更に3時間もかかってしまった。  

 

(お腹空いたな)

 と、思いながらフードコートにあった名物の巨大肉まんを2つ注文してしまう。

 ちょうどお昼なので、どこかの店に入れば良かったはず。

 だが、そういう四角四面の発想を嫌ってあえて目に入ったものを食べることにした。

 

(シェファどこだろ?)

 一人で並んで二人分を買ったのは、気を使ったわけではない。

 シェファがフードコートの店に並んでいる姿が想像できなかったのだ。

 推測が間違っていなければ、シェファは恐らく貴族かそれに準ずる程に高貴な家の育ちだ。

 権力や政府といった力の象徴的なものは好きではない、むしろ嫌いな方だ。

 だがそれはそれとして、高貴で美しい物にはそのままでいてほしいと思っている自分がいる。

 間違っても、腹を空かせてゴミ漁りなどはしてほしくない。

 

(いた……――――!!)

 顔を晒して椅子に座っているシェファが、何やら話しかけてきている二人組の男を冷たい目で見ている。

 ああ、バカバカ、こんなに人がいてなんでよりによってナンパの相手にその子を選ぶんだ。平日なのに仕事もしないでそんなことして。

 怒りよりも蔑みが遥かに強いシェファの目線は、目力に異能があるならばデパート内が凍り付きそうな程だ。

 

「行こう!」

 

「…………」

 その手を引いた瞬間、死んだ鼠を見る猫のようだった目に光が戻った。

 それどころか、こちらを見る目には熱さえも宿っているかのようだ。

 やはり気のせいではない。昨日会ったばかりなのにどうしてか、シェファは樹埜のことが大好きなのだ。

 

「でっけー女」

 早足で去る自分の背に、わざと届くように吐かれた言葉。

 先ほどまでは氷点下よりも更に冷たい目をしていたシェファが、急激に目を宿らせて男たちへと向き直る。

 慣れているから、と彼女にだけ聞こえるように呟いてその場を去った。

 

「ジュノ」

 

「え? あ、ごめん!」

 190cm近い樹埜の早足は、あくまで普通の体格をしているシェファには早かったようだ。

 心の中にあるギザギザを適当に笑って誤魔化し、肉まんを渡す。

 

「私は……」

 

「え?」 

 シェファの顔より大きい肉まんがおかしいのか、シェファの顔が小さすぎるのか。

 ぼんやり眺めながらベンチに座ろうとしたとき、何やら口を開いた。

 

「大きくて力持ちのジュノが好きだよ」

 たった一言で心の中のもやもや全てが吹き飛んだ。もう成人してから結構立つが、こんな直球の言葉は大人になってからしばらくは聞いていない。

 いや、それどころか、今までの人生でも片手で数えられるくらいしかないような気がする。

 

「わ、わ……」

 酸欠の金魚のように口をパクパクさせ、結局何も思い浮かばず肉まんにかぶりつく。

 隣に座ったシェファが同様に肉まんを食べ始めたのを見てほっとするが、大人としてこの態度は良くない気がしてきた。

 

「どうしてだろ……。昨日会ったばかりなのに。シェファの言っていること信じられるの……不思議」

 

「…………」

 この年頃の女の子にしては、あまりおしゃべりではないシェファは、その代わり人の話を聞く時には目をじっと見てくる。

 ルビーアイズ―――――黒い瞳がやや赤みがかっている。絶対絶対素でも美人だろうに。

 

 今のシェファの顔は偽物の顔だ。流石にこんなお面を付けたままではデパートには入れない。

 そうシェファに伝えたら、また瞬き一回の時間で面の模様を変えたのだ。精巧な人の顔に。一目では、いや、十目でもその顔が偽物だとは分からないほどに完璧な人の顔だ。

 辞めてしまった会社でも開発をしていたスマートアパレルと呼ばれるものだ。

 この技術のおかげで、誰でも好きな顔を持てるようになる日が近いと言われているが、まだ一般には流通していないはず。

 こんなものを持っていること自体シェファが尋常の少女ではないことが伺える。

 

「もっと顔、醜くすれば良かった」

 

「だめ!!」

 理屈や理由を考える前に全力否定していた。

 食事の作法、歩き方、目線、全てに気品漂う少女が、自分を醜く見せるなんて絶対に許せない。

 恋人のいない女性でもトラブルを避けるために指輪をする。それと同じ合理的なものだ、なんて。そんなふうには考えられない。

 

「それ……シェファの本当の顔じゃないよね。何か理由があって隠しているの?」

 

「そう。街中では顔を出したくない」

 

「そ……そっかぁ」

 セーラー服の袖から伸びる白い指先を唇にあてて何かを考えている。 

 容姿の美しくない女性はこんな所作をしない。差別的な考えだが結構だ。自分はそう信じている。

 朝一から隠していて、本人もこう言っているなら諦めるのが筋なのだが気になって仕方がない。

 

「今度……二人きりの時に見せてあげる」

 

「い、い、やった!? いいの!? なんで!?」

 たかが素顔を見せてもらえるというだけでなぜこんなにも興奮しているのか。

 十代の少女相手に、まるで不審者ではないか。今更ながら、同性だから色々関係が成り立っている気がする。

 興奮したり冷静になったりと忙しい樹埜を見て、シェファは本当に小さく笑った。

 

「映画、始まっちゃうよ」

 

「あ、ほんとだ! 行こう!」

 予約していた映画の時間のことを全く考えずにこんな大きな肉まんを買ってしまった。

 昔からそうだった。慎重で、人と争うことを望まず、何事も計画を立てて進めるタイプなのに、突然行き当たりばったりの勢いだけになることもある。

 今日だって勢いで来たから何も考えずにシアターの席を予約してしまった。

 反省したいが、口いっぱいに食べ物を頬張るというきっと珍しいシェファの姿が見れたから、どこかずっとふわふわと上機嫌だった。

 

 

********************************************

 

 ある若い女性がガンだと診断された。

 若さゆえに進行が早く、既に全身に転移しており、余命は僅か2カ月と宣告された。

 彼女には既に夫も子もいたが、残される時間を嘆くのではなく、死ぬまでにしたい10のことを決めた。人生を楽しむことに決めたのだ。

 

「今のジュノと同じことしてる」

 シェファの前には泡があふれ出しているカフェラテがある。

 クマの形をした泡には見るからに甘そうなキャラメルソースがかかっており、口を付けるのももったいなく感じるくらいに洒落ている。

 

「ふふふ」

 平日の昼間から映画館に行く。オシャレな喫茶店に行きたい。完了したリストにチェックを付けて笑う。

 そう、シェファの言う通り今の自分の選択はあの映画の影響が強い。

 もっと面白い映画や、記憶に残っている映画も観た気がするが、何故か記憶に強く残っていたのはこの作品だった。

 それこそ、似たようなウィッシュリストを作り再上映も見に来てしまうくらいには。

 

「それ、見せてほしい。もう3つも終わっちゃったんでしょう?」

 

「……シェファが顔を見せてくれた時になら」

 やはり気になるか。気になるだろう。

 映画内でのウィッシュリストには、酒やタバコを楽しむ、爪やヘアスタイルを変えるなんていうありがちな願いもあった。

 その一方で、子供に毎日愛を伝える・夫以外の男と付き合うという、今の自分には不可能な項目もあったのだから。

 

「…………。わかった」

 こんなことを言ってしまってはなんだが、驚くほどに素直だ。 

 推測でしかないが、きっとシェファは自分以外の言うことなど一切聞かないと思う。

 彼女から感じる気高さや絶対性はそういった類のものだ。

 だからこそ、何故樹埜の言うことにはこんなに素直に従うのか、そもそも付き合ってくれているのか気になる。

 

「ねぇ、今から話すこと……当たり前のことだと思うんだけど」

 

「……?」

 

「どうして付いてきてくれたの? 普通なら、お互いに変な人だってなって終わりだと思う」

 それはある意味自分に向けた疑問でもあった。出会った時から、警戒心をほとんど抱かなかった。

 あんな状態で出会ったのならば大騒ぎをするのが当然なのに。相手が男だったら、いや女性であってもそうだっただろうと思う。

 しかも目の前の少女は、既に両手でも足りないくらいの謎に満ちているのに。

 なぜか出会った瞬間から樹埜はシェファのことを心底信じてしまっているのだった。

 

「信じてもらわなくていい。納得できる理由も用意できない」

 北極の分厚い氷をダイヤモンドの槌で叩いたかのように透き通った声。

 この声のせいで、なんでもしてあげたくなってしまう。

 

「ジュノが好きだから」

 赤みがかったシェファの目は、一つも嘘をついていなかった。

 

 

 昔、テレビである番組を見た。

 定年退職してしわくちゃになった老人が散歩をしていると、段ボールに捨てられていた子猫を見つけた。

 それまで、箱の外に出る元気もなかったその子猫は、老人の姿を見た途端に足元に飛びつき全く離れなかったらしい。

 今でも、いつでも、どこにいくでも、老人のそばにはその猫がいる。

 

 インチキ霊能力者が言っていた。

 

 その子は前世であなたの番犬だった、と。

 あなたを守れなかったことを悔い、そしてまたあなたのそばにいたいと願ったのだと。

 魂の繋がり、生まれる前からの縁。テレビ的な演出にべたべたな番組だった。

 

 その時樹埜は、その番組を見て笑っていた。

 

 それは本当にある!!

 

 

「信じるよ。だって……」

 あまりにも唐突すぎてしばらく何も言えなかった。前後不覚に陥るほど嬉しかったのだ。

 孤独なのに、女王のように気高い少女に好きと言われることが。

 

「だって私もあなたのことが気になって仕方がないんだもの!」

 樹埜がこの場で残りのやりたいことをシェファに見せてしまわなかったのには理由がある。

 それは、前半の半分に比べ、後半の望みがあまりにも抽象的で難易度が高いと自分でも分かっているから。

 無職になり、無限の時間が出来たとはいえ、一生達成できないかもしれない。

 それこそ、この世界で一番のお金持ちですらも出来なくたっておかしくない。

 だが、シェファといれば。シェファとなら、願いが叶うような気がした。

 

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