眠る君に花かんむりを   作:K-Knot

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Chaosmology

 

 世界はきっと繰り返している。

 何度も形を変えて、魂は循環し生と死を永遠に経験している。

 デジャヴはきっとそういうことなのだろう。その生では初めてでも、いつかに己の魂が経験しているのだ。 

 ならば、これがデジャヴになるなら。自分の魂は一体どういう経験をしてきたというのか。

 

「前の世界の前は? その前は?」 

 ベッドで横になるシェファの手を強く握りしめる。

 Snow、χιων、снег、שלג、हिउँ――――知らないはずの雪を表す言葉が頭の中に浮かんでは消える。

 雪とは誰だろう。何かを思い出しかけたのに脳内で溶けてしまった。まるで魂が踏み込んではならない領域を閉ざすかのように。

 

「覚えていない。君だけを覚えている」

 

「なんで、どうしてこんな国にしたの? 今日強盗してきた人達だって! あなたが、あなたが!」

 まさか自分が弱っている人ををこんなに強く非難する日が来るとは思ってもいなかった。

 どんな時も自分の味方でいてくれると言った言葉に嘘はないのだろう。

 だが、言葉通りならば樹埜の一番の敵は他でもないシェファなのだ。

 こんなにも、こんなにも――――愛しているのに!!

 知っているくせに。彼女が作った世界に自分が壊されてしまったことを。

 ああ、違うか。シェファが壊そうとしていた世界に生まれて出会ってしまったのだ。

 

「そうだ……。この国はあと100年も持たないだろう」

 国が滅ぶ原因は大きく3つある。内憂、外患、悪政だ。

 弱者を虐げ続け強者を優遇して分断化を進めた結果、内側の不穏な影は膨らみ続けている。経済力と武力で高圧的な外交を繰り返し、戦争の禍根も合わせて周辺国の怒りは蓄積されている。

 そしてその最悪を実行し続ける政治の実権をいつからか彼女は握り続けていたのだ。数百兆円の会社を創り出した彼女が白と言えば黒も白になる。

 

「どうしてこの国を終わらせたいの? もう……日本は……」

 弱者に優しくない国は遠からず必ず滅ぶと樹埜は考えている。なぜならば、人は必ず小さな弱者として生まれ、老いて弱者として死んでいくからだ。

 もうこれ以上その流れを生み出す側になりたくないと、吐くほどに嫌悪して逃げ出したのに。

 

「私は中国の寧波で生まれた」

 歴史を学べば必ず習うことになるこの国の隠しようもない戦争犯罪。

 恐らく世界で最も有名なその虐殺は、非人道兵器に指定される前の兵器を用いられた。

 民間人を標的にしたドイツ製化学兵器による大虐殺は1937年だったはず。

 シェファの言っていた年齢から計算するにその時は5,6歳になる。

 

「家族は……?」

 

「全員死んだ……。私はこの家に拾われて偶然助かった」

 

「…………」

 

「そんな顔をするな。それとこれは関係ない……元々破壊世の夢を見る子供だった……」

 悲惨な過去とは別に、元々が悪の種をその身に孕ませていた子だったとシェファは言う。

 それが偶然にも大金持ちの家に拾われ、偶然にも恨みを持った日本に行くことになった。

 全ての歯車が最悪な方向に噛み合い、シェファは国家崩壊の悪夢をこの国で現実のものにしていったのだ。

 

「繁栄を望むならば、与えてやる。どこまでも醜く膨らませて破裂させてやる。……何十年もやってきたのに、もう少しだったのに――――」

 

 

 

 君を見つけた

 

 

 

 

 頭が揺れる。自我が溶けていく。

 あの日、彼女は全てを投げだして、それこそ国を買えるほどの金すらも捨てて自分を守るために飛び出したのだ。

 出会った日から滅国の夢は消えたとしたのならば、まさかシェファは全てを自分に渡そうとしていたのだろうか。

 かつて樹埜に過剰に与えられた権限、一人も家族がいないこの家。何もかもが繋がっていく。

 そんなこと、そんなもの一度だって願ったことはないのに!

 

「また地獄に堕ちちゃうよ……」

 

「君のためなら喜んで地獄に堕ちるよ」

 自分で言った言葉が遅れて脳に染み込んでいく。

 前世で愛した顔も思い出せない彼は地獄に堕ちていたのか。

 そんな気がする。今のシェファと同じように、善も悪も気にも留めず手段を選ばない人だった。

 見た目も、性格も、性別も、生まれた国も時代も、何もかも変わってしまったのに、この凶悪な愛で満ちた魂の本質は何も変わっていない。

 

「違う、違うの……。私は、あなたがそういう生き方をするのを止めたかったの……!」

 液状化した脳から涙がぽろぽろと流れ、時間関係も因果関係も滅茶苦茶な言葉が飛び出る。

 だが確かにそう誓ったんだ。卒業式の日に学校で、消えてなくなる前に。学校だなんて――――そんなに早く自分は死んだのか。いいや、おかしい。もっと生きた気がする。

 そもそも死んだのかとはなんだ。いま生きているのに滅茶苦茶なことを考え始めている。

 なんだこの感覚は。人間如きが入ってはいけない領域に踏み込んでしまったかのような感覚がする。もう戻れない。

 ああ、でも間違っていない。彼女が、彼がそういう生き方をするのを止めたかった。ただ普通に一緒に、ちょっと幸せに生きたかっただけなのに。

 なんでそんなささやかな願いすらも叶わず『いつもこんなことになるんだ』。

 

(いつも――――?)

 繋いだ手を通して魂が繋がる感覚。まさか、何度も何度も。何度生まれ変わっても。

 自分達は滅びの運命に呪われ、彼はあるいは彼女は全てを投げ出し結局死んでいるのではないか。

 そうだ。『もし生まれ変わっても』ではなく『何度生まれ変わっても』と言っていたのは、この身体を引き裂いた先にある魂が輪廻を知っているからだ。 

 螺旋の中を無限に落ちていき、幾度も壊れ行く魂が。

 

「それでも、何度でも……何度だって、君に逢いに行く。何度生まれ変わっても君を好きになる」

 混乱のまっただ中にいる樹埜を救いあげるかのように、シェファが答える。願う力の強さが運命すらも捻じ曲げる。

 正しい選択、正しい選択――――誰に教えられるものでもなく、この先の命で、たとえ近い将来に死ぬことになろうとも、己を誇れる選択を。

 もう夢は醒めた。無作為に振りまいた願いに映し出された弱さを見つめ直し、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を拭う。

 愛よりも誇りを。愛ゆえに誇りを。見せ付けて魂に刻んでやる。何度生まれ変わっても覚えていられるように。

 この選択を、この強さを。

 

「私のために、誰が相手でも戦ってくれる?」

 

「この身体が朽ち果てるまで」

 その言葉に偽りはなく、その身朽ち果てても生まれ変わりまた守りに来てくれた。

 こんな状態でも、樹埜が望めばなんだってしてくれるだろう。

 既に朽ち果てかけているのは、この世の理を歪めているからだ。

 理論理屈は分からないが、恐らくあの薬は理を歪めた天罰を無視する薬なのだろう。

 これ以上世界の理を歪めるのはやめだ。同じ轍はもう踏ませない。

 何も思い出せないが、その想いだけが指先から頭のてっぺんまで満ち満ちている。

 

「立ちなさい。寝ている場合じゃない!」

 

「……?」

 無理やり立たせたはいいがふらふらだ。

 だがやらなければならない。直感でしかないが、天命を感じる。

 ここがこの命の分水嶺、次の生、そのまた次の生の自分達の運命を決める場所なのだと。

 

「あなたの全てが私の物だと言うなら……私は! あなた自身と戦ってほしい」

 

「私と……?」

 

「全てを捨てる覚悟を決めて!!」

 財産立場しがらみ恨みつらみ。

 そんな気がするとしか言えないが、自分達を呪っていた破滅の運命は、それらにしがみ付いていたから付きまとってきた。

 全てを捨ててやり直そう。今度こそ、自分を誇れる正しい選択をしよう。

 

 

 

 

********************************************

 

 

 

 生きて帰れないかもしれない。

 半ばやけくそでアクセルを踏みながらそんなことを考えていた。 

 この年になって振り返って思う。自分は優しい性格なのではなく、勇気がなかったのだ。

 その勇気の無さのせいで保守的な選択を繰り返すのに、突発的に無計画な行動に出ることがある。

 それがいい方向に転がることもあるし、一生残るような傷になることもある。

 

 これが人生最後の選択になるかもしれない。10のウィッシュリストは結局9つを叶えて終わりだ。 

 もうそれで構わない――――摩天楼犇めく東京の中心、かつての職場へとシェファを抱えて入っていく。

 47階建ての創日本社ビル。樹埜の職場は38階で、それより上の階は権限が無かったため行ったことは無い。

 だがシェファがいればどの階にも行けるはず。

 

「隠れてじっとしてて!」

 

「…………」

 適当な毛布を被せて背中に乗せたシェファがぐっと腰を掴む。

 点滴をしていたのに引き千切って連れてきてしまった。

 やっぱり何か間違えたことをしているかも。弱音を吐く心を抑え、裏口へと向かう。

 12時を回ると正面入り口は完全に封鎖されるため、深夜残業をする社員は裏口から出入りする。忌々しい記憶だ。

 

「くそ……開かない!」

 社員証を認証システムにかざしてもドアの鍵は開かない。

 当たり前だ。もう退職して半年以上経っている。初手で行き詰まってしまった。

 流石に無計画にも程があったか。

 

「あれ、籌さん?」

 

「!! ……警備員さん」

 後ろから声をかけられ、シェファを隠すように振り向く。そこにいたのは、本社ビル裏口担当の警備員だった。

 かつて何度も裏口から出入りしていたので、すっかり顔なじみになってしまった気のいいおじさんだ。

 

「久しぶりだね~。最近はあまり残業していないの?」

 

「は……はい」

 

「何か忘れ物?」

 

「あの……社員証おかしくなっちゃって。中に入れなくて」

 

「ん……? 磁気が飛んじゃったのかな。どれ、貸してごらん。すぐ直ると思うからちょっと待ってな」

 少々曲がった腰を叩きながら警備員が警備員室の扉を開く。

 まるで計画になかったが願ってもないチャンスだ。ここにはそこの扉の鍵も、全ての階の鍵もある。

 

「……あれ……。なんだ……この社員証……とっくの昔に無効化されて……」

 覚悟を決められずにまごついている間にカードを読み取った警備員が、樹埜が既にここの社員ではないことに気が付く。

 退職した人間が深夜に会社に入ろうとしていた。状況のおかしさに気が付いたのか、警備員は後ずさりをしながら腰のテーザーガンに手を伸ばし――――何かが警備員の頭に直撃し意識を刈り取っていた。

 

「必要な物を持っていけ……。ジュノ、ここまで来て踏みとどまるな」

 警備員にぶつかった何かが転がって樹埜の足元で止まった。

 それは万力の力で固められたかのようにカチカチの雪玉だった。

 何が起きたのか分からない。毛布から出ていたシェファの手を握ると氷のように冷たかった。

 魂の記憶が湧き出す感覚と交叉して酷い頭痛がする。

 

(私も……地獄に……堕ちていたの……?) 

 悪魔になった彼は雪を操り氷を生み出して地獄の底で荒れていた。こんな記憶があるなんて、まるで自分も地獄にいたかのようではないか。

 長い爪に大山羊の頭蓋骨、白熊の毛皮の外套、その姿はまるで――――

 

「急げ! 目覚めたらすぐに通報されるぞ!」

 

「うっ……! おじさん、ごめん!」

 シェファの声で現実に引き戻され、鍵とカードキーを拝借する。

 もうこれで問題なく犯罪者だ。しかもこれから世界一の会社に侵入しようというのだ。

 射殺されたって全くおかしくないし100%樹埜が悪い。

 ここは私の会社だとシェファが主張したところで見た目は10代の少女なのだから無理がある。

 

「行こう」

 

「シェファ……あなた……髪が真っ白に……」

 毛布を被せて背負っていたせいで気が付くのが遅れたが、シェファの髪がいっそ神々しいほどに真っ白になっている。

 このまま一気に本来の年齢に身体が追い付くのかと思ったか、どうもそれだけではない何かが起きているようだ。

 

「なんだろうね……これは……」

 

「身体平気なの!?」

 

「…………。身体中死ぬほど痛い。……止まるな、進め!」

 治療をしていたシェファを連れ出したのだから、この異変は全て自分のせいだ。

 二の足を踏む樹埜の心を見抜いたかのように、シェファが鋭い声で奮い立たせてくる。

 そうだ、もう戻れないところまで来てしまった。生まれてから今日までずっと心に巣食っていた弱弱しい自分を抑えつけ、ドアの向こうの非常用エレベーターに乗り込む。

 行き先は最上階、通常の社員は入れないエリアだ。

 

「……あの女の子は、誰?」

 恋人や友人、ましてや家族には見えなかった。

 恐らくはシェファに不老手術を施した人間であるはずなのに、アムリタに対してシェファが野良猫のように警戒していたのが気になった。

 シェファの変装はなんなら彼女から逃れるためだったのではないかとすら思う。

 

「……いくつの時だったかな。私がしわくちゃのおばあちゃんだった時だ」

 ごうんごうん、と連続するエレベーターの音と普通ならおかしいシェファの言葉に脳が混乱する。

 突然異世界転生をしてしまったかのような気分だ。

 

「寿命で死にかけている私にアムリタは会いに来た。『志半ばで死にたくはないだろう。永遠の命は欲しくないか』、と。……まるで魔女さ」

 

「何者なの……」

 

「私の知る限り、世界最高の医者であり、世界最高の技術者。……そして、恐らく人間ではない。気を付けろ。出来ることなら彼女と言葉をもう交わすな」

 

(シェファの命が握られている……)

 やろうと思えば国をも動かせるほどの権力と金を持っていたはずだ。

 それでも寿命には逆らえなかった。それをひっくり返したのがアムリタなのだ。

 しかし、その技術は彼女以外持っていない。恐らくあの薬の製法も彼女以外知らない。

 シェファはこれほどまでの力を手にしているのに、アムリタと完全な上下関係にあるのだ。

 

(あ……!!)

 そこに気が付いた瞬間、寒気がした。神代家で見たクローンの中には樹埜でも知っている権力者や天才たちだ。

 もしや、あの屋敷にあったクローンの数々はシェファと同レベルの世界の支配者達なのではないか。

 そんな人物たちの命を握っているのだとしたら、アムリタは正しくこの世界の頂点だ。

 正攻法でこの世を上り詰めるのではなく、卓越した知識と技術を独占し頂点に独り立つ。

 この世にこんな攻略法があったなんて。謎なのはやはり、彼女がどこから来たのか、その知識と技術をどこで手に入れたのかという点――――エレベーターが最上階についた。

 

「そっちはヘリポートへ行く階段しかない。その右の部屋だ」

 

「うん」

 入口の指紋認証と虹彩認証をシェファが正式にパスして扉が開いたのを見て、いよいよ認識と現実が一致してくる。

 関連企業含め、日本だけでも約2000万人の社員がいるこの超巨大企業のトップは、この少女なのだと。

 

「それで、どうしろと?」

 

「とりあえず開いて!」

 デスクに座らせたシェファに命じると、辛そうに指を動かしてパソコンにパスワードを入力し始めた。

 

「指……動かないの……?」

 

「まだ動くから、これくらいは大丈夫」

 

「……! あのピアノ……」

 

「君の想像は合っている」

 そういう夢があったわけでも趣味だったわけでもないのに、ピアノを修理して演奏していた理由。

 あれは身体のメンテナンスを行っていたのだ。今日も身体は隅々まで思い通りに動かせるか、と。

 そして今まで弾けていた曲も弾けなくなってしまったのだ。寿命を騙し、死に追いかけられ続けるというのはどういう気分なのだろう。

 パソコンを起動したシェファがフォルダを開いた。核廃棄物処理、と不穏な文字が最近利用したフォルダ一覧の中にある。

 

「これ……何?」

 

「出ていく前、最後に取り掛かっていた仕事だ」

 

「…………。なんてことを……」

 日本は侵略国家だった名残で広大な領土を持っているが、それ以外にも周辺国に通貨として円を導入し強力な経済圏を構築している。

 同盟国という名の属国に核兵器を作らせていることまでは知っていた。このフォルダにあるのは、核開発で生じる放射性廃棄物の処理についてだった。

 廃棄物隔離試験施設の建設予定地は、まさしくエクソダスの人々が住む土地だった。核廃棄物の処理を請け負う代わりに周辺国から金を巻き上げ、エクソダスの住民たちを国家プロジェクトの名の元に追放する。

 取り扱いを一歩間違えれば人体に悪影響が出るものだからこそ、どの国もその処理に困っている。だがどうせエクソダスの地は各国の裏社会が入り込んでいる悪の地で、そこに住んでいる人間は日本国民として数えられてはいないのだからいい名目だ。

 一石二鳥を遥かに通り越して効率的――――こんなことを何十年も、将棋のコマでも動かすようにやってきたのだ。支配者の目に、命は映らない。

 金はないのに核を保有している国が既にいくつもある。近い未来に何が起こるかなんて、終わりの予想できるチープな少年漫画よりも明らかだ。 

 

「さぁ、何が望みだ……」

 

「もちろんこれも……ガンの治療法も、汚水処理の技術も……」

 

「違うだろう……?」

 

「……! 全部!」

 

「そうだ、それでいい……」

 全てを捨て去る強欲を叶えるシェファの指が動く。

 樹埜がシェファに願ったのは、解放だった。この企業が100年かけて独占してきた情報、闇に葬り去った技術、人権を蹂躙する構想。

 何もかも一切合切が、ネット上にアップされていく。その一つ一つが百億はくだらない金を生み出す情報が公開されていく。 

 明日の朝には世界がひっくり返るほどの大騒ぎになることは間違いないのに、この部屋はとても静かだった。

 

「……元々そういう方法は用意していた」

 

「なに?」

 

「産業スパイが紛れ込み、サボタージュを行ったり社内機密を盗み出した時にどうするか? 一番いい方法は犯人を追うことじゃない。それは『この会社のセキュリティはザルだ』と喧伝して回ることになる」

 

「…………。全部捨てる日が来るなんて思ってなかった?」

 命を懸けて盗み出した情報ならば、他の国や企業に使われる前に情報を公開してしまえば陳腐化する。一番確実で被害を被らない防御策だ。

 やけに手際がいいと思ったら、そういうことか。きっと知らないだけで、何回か情報が盗まれたこともあったのではないか。

 まさかこんな日が来るとは想像もしていなかっただろうが。

 

「私も……全部覚えている訳じゃない」

 

「…………?」

 

「でも君はそういう人だった気がする……。うまくいっているのに、突然全部投げ出す」

 

「それは……私じゃなくて……『前の私』?」

 おぼろげながら思い出せるのはシェファが前にどんな人間だったかだけ。

 当たり前のことだが前世の事なんか覚えている訳がない。

 だが、理屈が通っていないと自分でも思うが、そんな人間であったような気がする。

 

「そして私も……。君のために全てを投げだした。……何度も。そんな気がする。……業か」

 

「……私もそう思う。覚えてないけど、絶対にそう……――――!!」

 ドアが何度も乱暴に叩かれた。扉の向こうから何人もの人間の気配がする。

 下で気絶させた警備員が目を覚ましてすぐに警察に通報したのだろう。

 二重の認証を突破しなければ開かない扉だが、入ってくるのも時間の問題だろう。

 

「これを」

 

「なにこれ……。パ、パラシュート!?」

 これを渡されたということはそういうことだろう。確かに入口からは出られない。

 某アニメの怪盗も真っ青だが、現実はそんなに上手く行くだろうか。そもそも上手くいったところで外にも激怒した警察がダース単位で待機しているだろうに。

 先のことを考えずにここまで来てしまったが、流石にこの先10分のことを考えているとシェファが拳銃を取り出した。

 

「なにを、――――!!」

 弾丸を受けた巨大な窓が砕け散り、気圧差により空気が一気に外へと出て、きっと重要であろう書類が外へと散っていく。  

 それと同時に部屋の気温が急速に冷え込み白い息が出る。

 

「寒っ……!? なんで……」

 空気が混ざり一気に冷え込むのは分かるし、高所だから冷えるのも分かる。だが、まだ秋口なのに何故こんなに寒いのか。 

 その答えは一目でわかった。月を背負って外に風花の雪が降っていた。

 雪、また雪だ――――脳の奥がひび割れるような痛みに歪む視界の向こうで、シェファが突風に白い髪をなびかせ赤い目を薄っすら光らせている。

 

「ジュノ、誓ってほしいことがある」

 

「誓う?」

 

「私は悪人だ。誰よりも命を奪い、倫理を狂わせ、この世界を壊し続けた。私以上の悪は後にも先にも存在しない。そして私は世界の破壊者であることを誇っていた」

 最初からシェファが善人ではないとどこかで感じてはいた。

 その理由も、堂々としていた理由も、そこにあったのだ。

 彼女は思うまま、望むままに悪であり、その道を100年以上歩んできた。

 

「そして君も既に大罪を犯した。何千万、いや……下手をすれば数億の人間の人生を狂わせる選択をした」

 

「分かっている……」

 扉の方から破壊音が聞こえる。正攻法で開くのは諦め、物理的に突破する方法を選んだのだろう。

 だが、こんな切羽詰まった状況でもこの話は絶対に聞かなければならないと感じる。

 

「これでこの国は延命されるかもしれない。あるいはもっと早く滅びるかもしれない。そしてそれを見届けるのは……誰よりもそれを見なくてはならないのは君なんだ」

 

「たぶん……どこかで殺されるよ……私……」

 

「そこで想像を断つな。人はよく勘違いする。命と引き換えであれば何をしてもよいと。あるいは、罪を犯しても死ねばよいのだと。そんな劇的で一瞬で終わる英雄的なケジメなんかありはしない」

 

「…………」

 

「君の責任は……この道を選んだからには……この先何が起ころうとも生きて見届けること。世界に起こる混乱の果てを見ることなんだ」

 

「どうして、」

 

「分かっているんだろう……?」

 確かに、シェファが回復するまで待ってからお願いしても結果は同じだったはず。

 今自分がやらなければと感じたのは、そう望んだからだ。

 ならばその責任を果たさなければならない。見届けなければならない。

 

「誓ってくれ。生きると」

 

「誓う」

 重たそうな身体を机に寄りかからせながら立ち上がったシェファが、壁にある小さなカバーを開くと物々しいレバーが出てきた。

 何の説明を受けなくても分かる。このレバーを引くことで、生き延びるための何かが、あるいは最後の仕上げが発動する。

 鈍く冷たいその責任を握ると、シェファがそっと手を添えてきた。

 

「愛している」

 これまでの世界に、大嫌いだった世界にさよならを告げるようにレバーを引く。

 

 神は『光あれ』と言い、世界に光が生まれた。そして光と闇を分け、全ての物事に名を与え、この世界を創り出した。

 樹埜の行いは、まさしくその真逆。闇を生み出し何もかもを混沌へと引きずり込んだのだった。

 

 

 

********************************************

 

 

 闇を切り裂く二つの光が残像を残しながら道路を進んでいく。

 やってしまった――――暗い車内でシェファの細い息遣いを聞きながら考える。

 あのレバーを引いた瞬間、目に見える全ての範囲の建物の電気が消えた。世界一の経済都市である東京から光を奪ったのだ。

 電力インフラに接続されている全ての機器の電源が落ち、信号は消え、街灯の明かりも消え、通信機器も使用不可となった。

 確かにそうすれば窓から飛び出しても誰にも見えないし、それ以上の混乱が起きているから捕まらない。こんな状況までも想定し生き残る方法を用意していたところにも、シェファがこれだけの悪を為して生き延びてきた理由を感じる。

 着地に失敗して転んでしまったが、初めてなのだから建物の屋上に降りなかっただけ上出来だ。

 

 今日の行為は犯罪ではあるが、それが原因で会社から殺し屋が差し向けられるようなことにはならないとシェファは言っていた。

 会社である以上利益追求の為に動くのが当然であり、樹埜が盗み出し独占したのならばまだしも、世界中の誰もが知っている情報になれば犯人を消す意味もなくなるからだ。

 たった一晩のうちに殺す殺されると意味の分からない世界に突入してしまった。

 心臓の早鐘収まらないうちに神代家の屋敷に辿り着いていた。

 

「やってくれたな」

 夜明け前だというのに、入り口で二人を出迎えたのは車いすに座ったアムリタだった。

 その表情は怒りを隠そうともしていないが、明日にも手術だという患者を連れ出したのだから無理もない。

 

「…………」

 

「満足したかい。シェファ、ジュノ」

 

「……! なぜ……私の名前を知っているの?」

 彼女の前で名乗った記憶はないのに。

 それ以前に、混乱していたので分からなかったが、先刻話をした時も自分とシェファの関係を知っているかのような口ぶりだった。

 

「知っているさ。気になるかい? だがまずはシェファをベッドに戻すんだ」

 

「う……」

 

「私はおかしいことを言っているかな」

 思わず腕に抱えたシェファを見るが意識を失ってしまっている。 

 徹底して正しいことしか言っていないが、こんな状況ではだからこそ違和感がある。

 死ぬぞ――――その言葉を聞いてようやく、高熱に苦しむシェファを抱えて屋敷に戻った。

 

 

********************************************

 

 

 再び戻ってきたダイニングで、机を挟んで対峙したアムリタが何かをセッティングしている。

 忙しなく動いていた触手がやがて机の上に何やらメーターが表示された機械を置いた。

 

「それは……?」

 

「嘘発見器だ。もう飽き飽きしているんだ。『そんなバカな』『デタラメを言うな』、そんなありふれた反応に」

 

「なぜそんなものを」

 

「話したところで信じないだろうからな」

 

「話す? 何を……」

 

「全て、偽りなく。どうせどこかでお前と対峙しなければならないと思っていた」

 

「対峙……」

 

「私はお前の勝手な行動に怒っていない」

 怒っているに決まっているじゃないか、と思う前に机に置かれたメーターの針が降り切れんばかりに動いた。

 

「私の好物はアプリコットの紅茶だ」

 机にあったカップを掴んだ触手がアムリタの口元にまさしくアプリコットの紅茶を運んでいく。 

 今度は嘘発見器の針は全く動いていない。その精度は正確なようだ。

 いったいどんな話をするつもりなんだ――――と考えていると、車椅子から投射された光が真っ白な壁に映像を浮かび上がらせた。

 

(これは……)

 脳のイメージを投射する技術だが、知る限りでは現在開発中だったはずだし、実用化もまだまだ先だったはず。

 それなのにアムリタが使っているそれは鮮明な映像を映し出している。

 アムリタの表情が質問をしろと言っている。確かにこれならば、身振り手振りで嘘か本当かも分からない話をされるよりもよほど早い。

 

「なぜ人クローンを……あの薬はなに?」

 

「人の意識・記憶の電子化・転送のためだ。だが、転送先は『自分』でなければ拒否反応が出る」 

 魂が別人の身体に入ってすぐに滅びる簡単なアニメーションが映写される。

 そして噓発見器は全く動いていない。だとするならば、やはり予想通りあのクローンは天才たちのスペアの身体ということになる。

 

「ファントムペインは知っているか?」

 

「切った部分が痛むっていう……?」

 事故などで四肢を切断した人間が感じる、無くなったはずの手足の痛み。

 詳しい原因は分かっておらず、痛みを感じている部分そのものがないため麻酔も効かない。

 おまけに決定的な治療法も分かっていない。

 

「転送に成功しても全身がファントムペインに襲われる。自分の身体だが、自分の身体ではないからな……。それを誤魔化すための薬だ」

 

(なら……シェファは……)

 一カ月近く前に薬が切れてから、己の身体ではないという違和感と全身を苛む痛みに耐えながら一緒にいたというのか。 

 そういうことではないのだろうが、髪が真っ白になるのも当たり前のように思える。なんでもっと早く気が付かなったのか。

 己の鈍感さを恨むべきか、シェファの精神力を讃えるべきか。

 

「人クローンなんて……よくもそんなことを!」

 

「それは質問じゃないだろう? 老人を生かすために本来生まれるはずの命を消費している、そう言いたいのか?」

 

「地獄に堕ちるのが怖くないの!?」

 

「あいにくだが、私は地獄には行けないんだ」

 

「……?」

 そんなものはない、と言うのならば100歩譲ってまだ分かるし、僅かながらにある地獄の記憶という反論も用意していた。 

 行けない、とはどういう意味なのだろうか。

 

「仏作って魂入れず。あの身体には魂は入っていない。一つの身体に二つの魂は入らないからな。培養槽から出して初めて魂が宿るんだ。だから他人の身体に入れられないし、本体のクローンを作るのが確実なんだ。女王の魂とて、理屈は同じというのは久しぶりの新しい発見だった」

 

「女王……!? なぜシェファに執着するの!?」

 女王という単語がシェファを、正確に言えばその魂を指すとなぜかすぐに理解が出来た。

 魂の記憶の濁流に飲まれかけた樹埜を見てアムリタが笑う。

 

「昔話をしてやろう。2500年前にヒマラヤ山脈にあった小さな国の話だ。……恐怖の象徴、氷の国。そこに住むのは悪鬼羅刹、雪の一族。数々の国に戦争をしかけては蹂躙し、滅ぼし、全てを奪い去った。まるで天災のごとく」

 動く影絵のような簡単なアニメーションが白い壁で動く。

 大国が雪に覆われ、戦士たちが雪崩込み殺戮を繰り返す映像は、デフォルメされたその絵柄とミスマッチ甚だしい。

 やがて映像は移り変わり、氷の国にある城の内部の様子が映し出された。

 

「そんな国の話聞いたことない!!」

 

「この世界の話ではないからな」

 それこそ漫画や小説でありがちな設定なのに、机に置かれた機械は全て真実であることを示している。

 別世界の過去の話、それが真実だとしてなぜアムリタはそれを知っているのか。

 

「全ての国に忌み嫌われた氷の国は、しかしある種の人間を惹きつけた。三つの目を持つ者、獣のような体毛に覆われた者、顔が二つある者。ただ人間として生きることを拒まれた者達を、氷の国は受け入れた。気が付けばバケモノの国の出来上がりだ。なぜ異形の者達は氷の国を目指したのか? なぜ雪の一族は彼らを受け入れたのか?」

 王の間でセコイアの木から出来た玉座に跪いているのは怪物たちだった。

 腕が6本ある者、常人の4倍の体格を持つ者、アムリタが例に出した以上の怪物たちが一様に絶対的な女王に頭を垂れている。

 やがて玉座にその者は深く腰を掛けた。

 

「雪の女王こそが本物のバケモノだったからだ」

 山羊の頭蓋骨を被り、白熊の毛皮を纏った巨人が氷の剣を携えている。

 いつかに樹埜が描いた守り神の姿そのままに。

 

「う、わあぁ!?」

 そして見せたその素顔。真っ赤な目と唇、真っ白な肌と髪、凶暴な肉食獣のような牙と角、暴力的な黒い戦紋。

 今のシェファにそっくり――――嘘だこんなこと。アムリタが脳で作り出した創作に決まっている。そんな言葉を前もって阻止するかのように、嘘発見器は静かだった。

 

「斬られようが刺されようが焼かれようが死なず、天を操り、未来を見通し、獣も化物も従える。たとえ国が相手でも滅ぼす」

 きっと今の時代でも忌諱の対象となる異形の人間たちが、隠すことなく自分のままであれる国。

 全ての人間の恐怖の対象であっても、そんな国は遠くない未来に滅びると分かっていても、自分以上の怪物の部下であることはどれだけ心地よかったか。

 なぜか、なぜか分からないが化物と言われ迫害された人たちの気持ちが分かる。自分もきっとその時代に生まれていたら流れ流れて氷の国の住人になっていたかもしれない。

 

「滅びを見たことはあるか? 私はある。何度もある。優しさすら感じるほどの無慈悲な終わり、世界の終わりだ」

 

「何度も……?」

 

「滅びと会話したことはあるか? 命を持った滅びを見たことはあるか? 私はある。女王ヴァーリィバルフは雪の化身だった」

 

「雪……」

 

「お前の想像するようなロマンチックな雪じゃない。全てに降り積もり、あらゆる生命を絶滅させる『天災』だ」

 いつの間にか切り替わった映像内では恐竜が元気に動き回っている。数千万年前の遥か昔の地球に隕石が衝突し、塵が舞い上がり、太陽の光が消えてなくなり、やがて雪が降り始めた。

 10m以上ある肉食恐竜も、ネズミのような小動物も、分け隔てなく凍り付き死に絶えていく。

 

「しかし女王は天災たる権利をはく奪され、人の身に堕ち、死んだ。一人の花売りのシュードラに恋をしてしまったからだ」

 女王の膝にも届かない小さくみすぼらしい少年が白い花を女王に捧げている。 

 よせばいいのに、長い爪を伸ばし戦紋に蝕まれた手で女王が花を受け取った。

 

「そのシュードラ……何度生まれ変わっても私には分かる」

 扉を無理やりこじ開けるような暴力的な真実の叩きつけに、心臓が早鐘を打つ。

 最早あんなメーターなどなくとも、疑う気など一切なかった。螺旋に巻き込まれた魂が時間を遡る。

 

「パティ」

 一つ会話を交わして心を許し、10も会話をすれば信頼し、100話す頃には好きになっていた。

 この命だけじゃない、前も前も、その前も――――輪廻転生という言葉が頭で渦を巻く。

 

「お前のその強き身体と恵まれた才能は、次の生では女王を助けたいと願ったがためだ。思い上がりも甚だしい。わきまえろ、人間如きが」

 

「あなた……人間じゃないの? 何者……?」

 明らかに普通の生命と違う視点で世界を見ているこの少女に対し、そんなことを今更言うのもおかしな話だ。 

 だが人の姿に生まれた天災という話があるのならばもう何が出てきてもおかしくない。

 

「私は楽園で生まれた」

 

「楽園……? アダムとイヴのいた……?」

 

「そうだ。楽園の中央にあったのは善悪の樹だけではなかった。生命の樹、セフィロトに生る願いの林檎……手に入るのは永遠の命。私はそれを丸呑みにしたのさ」

 

「……! アダムとイヴは知恵の実を食べて追い出されたんでしょう? そして大地は耕さなければ作物が実らなくなり、女は妊娠出産の苦しみを負った」

 

「ほう。よく知っているな」

 

「その話が全部本当だとして、あなたがなんの罰も受けていないなんてあり得ない」

 

「永遠の命、それ自体がもう罰だからだ。私はどこまで行っても、死んでも、生まれ変わっても、終われないんだ」

 アムリタの言う永遠の命とは、物理的なモノではなく、死してなお記憶や自我を失わないことらしい。 

 この少女が聞いたこともない技術を持っている理由が分かった。何度も何度も人生を繰り返して知識と経験を積み重ね、別の世界の未来で手に入れた技術をも使っているのだろう。

 そこまで考えて、宇宙にばら撒かれた砂粒のようなヒントが繋がり記憶が引きずり出された。

 

「――――!! お前、お前……! 雪くんを殺した……!!」

 悪意を持って雪の人生を破壊し、悪の道に引きずり込んだ男がいたはずだ。

 細かく千切られた絵ほどに僅かにしか浮かばない記憶だが、この悪意は魂が覚えている。

 

「ああ、前のアレはただのチンピラだった。感傷的で、暴力的で、冷酷さもなく、異能と言えばただ血が凍るだけ。明らかな失敗作だ」

 

「お前が雪くんの人生を壊したんだ!」

 はっきりとこの生物こそ敵だと分かった。殺しても意味がないと分かっていても、衝動抑えられず立ち上がり――――蛇のように這い寄っていた触手に身体を縛られ椅子に戻された。

 

「違うな。どれだけ堕ちても本質は変わらない。天災の使命は人の身に堕ちたとしても悪意として宿り広がる。悪とは何か? 答えてみろ」

 

「人を傷つけることだ!」

 法治国家なのだから、法を破ればそれは悪だが、この国ではシェファは法を破ってはいない。

 それでも彼女は自身を悪と認識しており、それは樹埜も同様だ。悪とは、自分勝手に人をいたずらに傷付けることを指すのだ。

 だが、答えた瞬間にそれは間違いだと本能的に悟った。

 

「よく聞け。悪とは、願いを叶える力のことだ」

 

「願い……?」

 

「始めのうちは、かわいいものだ。親に褒められたい、あれがほしい、好きになってもらいたい。……やがて、『他の誰かを踏みつけてでも』『たとえ奪うことになっても』『そのために欺こうとも』となっていく。誰もが持っている力だ。人だけじゃない、どんな生き物も持っている。私も持っている」

 過ぎた願いは身を滅ぼすとは古今東西よくある話だ。それは願いを追い求めるあまり、周囲の人間や己の身すらも顧みなくなるからだ。そして人は悪になる。 

 

「動物の世界で、その力が弱いものはただ死に、強きものは全てを手に入れる。悪とはみなされない。お前たち人間だけが、生きとし生けるもの全てに宿るその力の行き着く先を、悪と決めただけ。ただただ、自然で純粋な願いを叶える力なのにな。覚えていないか? 『あの魂』の願いを叶える力の強さを!」

 

「……――――!」

 心臓を動かす核となるエネルギー、永遠に燃え何度も生まれ変わる魂の記憶。

 大雪を降らせ何度も戦争を起こし、果てには聖人の生誕すらも捻じ曲げようとした。

 貧しい生まれから国を恨み、革命を起こして王族を皆殺しにし悪の国を作り上げた。

 何故か地獄の記憶を持って生まれ、宿っていた異能を使いこの星に大紅蓮地獄を呼び出し死の星にした。

 裏社会の抗争を激化させ、国家間の緊張を煽り違法薬物を蔓延させて日本を崩壊させた。

 

 前の『雪』だけではない。次から次へと浮かんでは消える、悪意による滅びの記憶。 

 ああ、嘘はついていないのだろう。それはもう分かっている。大切なのはそこではない。

 なぜそんな記憶を持っているのだろう。そんな記憶があるということは、前の自分は、その前の自分は、その前も前も――――。

 

「違う……違う違う……僕は……女王様に会えたから……」

 その『事実』を認めてしまったら、もはや人の身では数えることすらかなわない時間だけ自分は呪われていたことになる。

 前の自分はなんだったっけ、女性だった気がする。いいやその前は男だった。子供の内に死んだのだったか。不思議と老いて自然と死んだ記憶はない。

 自分が自分でなくなっていく。子供なのか、大人なのか、男なのか女なのかも分からなくなる。

 

「壊れゆく弱き魂よ。死をも乗り越え世界を旅する者を超越者と呼ぶ。継ぎ続ければ己を失う。お前にはその資格はない」

 

(身体が……動かない……)

 触手による拘束など無くとも、蛇に睨まれたカエルのように動けなかった。

 この大きな体を動かすのに最適化された魂が、噴出して暴れる記憶によって何度も形を変えて、まともに身体を動かせない。

 アムリタの言っていた意識と記憶の転送によって生じる症状だ。願いの林檎を食べずに死を跨いで記憶を手にしたせいだ。

 前の世界のことを忘れてしまえば動かせる。現にそれが自然な形だと言わんばかりに、あってはいけない記憶は浮かんだ端から消えていく。

 やがて身体の不和は収まったが、心臓を止めたくなるほどの痛みだけは消えてくれなかった。

 

「何度……私たちの仲を引き裂けば気が済むの……?」

 

「引き裂いた、か。それはあまりにも曇った運命の見方だな。天災に愛された人間がまともな人生を送れると思うか?」

 

「やめて!!」

 

「お前はあの災害のせいで破滅に向かうのだ」

 堕ちた災害が荒れ狂い滅びを振りまく様を見た記憶があるのならば、破滅していないはずがないのだ。

 どの世界でも、現に今も。シェファが生まれていなければ。そうでなくとも、シェファと関わってさえいなければ。

 こんなことにはなっていなかったのに――――その結論に至る前に思考を断っていたのに、アムリタに残酷な真実を引きずり出されてしまった。 

 分かっていたはずだ。災害の化身を愛してしまったせい、愛されてしまったせいなのは。この永遠の命を持つ生物のせいにしてしまいたかったのに、わざとらしいほどに嘘発見器は無言で真実を告げていた。

 

「呪いを解いてやろうか? お前を破滅させ続けるあの災害との縁を断ち切りたいだろう?」

 

「余計なお世話だ!!」

 完全な逆上だった。椅子を蹴飛ばして机をひっくり返し、手足の動かない少女へと向かう。

 半ば予想はしていたが、握りしめた拳が届く前に触手に締め上げられた。

 今度は先ほどのように優しくはなく、辛うじて息が出来る程度の力で首を絞められている。

 触手の先端には穴が空いており、銃口のように樹埜の額に突き付けられた。

 ように、という希望的観測はやめるべきだ。間違いなく、アムリタが操作すればあそこから銃弾が発射されるだろう。

 

「『出会わなければよかった』。そう言え。お前が心からそう口にするだけで、儚いよすがは断たれ呪いは消える」

 

「ぐ、うっ、ううっ……」

 

「さぁ、言え!!」

 

「――――!」

 パティの魂の輪廻の中で籌樹埜は、客観的に見ても最も優れた才覚を持っていた。その才は、この時の為にあったのかもしれない。

 今にも息絶えそうな程の重圧の中で、樹埜の頭は激しく回転し、疑問の理由を探していた。

 

 なぜ私を殺さなかった?

 

 それが一番の疑問だ。

 語っていないだけで、アムリタは天災の力を手に入れたがっているというのが真実だろう。

 そうだとすれば、自分は最も邪魔な存在のはずだ。だからこそ樹埜のことを出会う前から知っていたのだろう。

 邪魔なら殺せばいい。人を一人消しても、その事実を無かったことに出来るくらいの力はあるはずだ。連れ出したことを怒っているようだが、それを止めることだって出来たはず。

 殺す機会はいくらでもあったはずだ。

 

 堕ちた『雪』は愛を受け取ってしまったために、天災でなくなってしまった。

 

(嫉妬だ……!)

 自分の物にならない大災害が、取るに足らない存在に振り回されているという事実が気にくわないのだ。

 いいや、それだけでは理由になっていない。縁を断ち切らせたい理由になっても、殺さなかった理由にならない。

 

 雷を愛する生物などいないように、津波に恋する人間などいないように、天災は、ただ破壊を撒き散らす。

 受け取るのは恐怖、畏怖、憎悪、重なる負の感情。だからこそ人は、自分たちではどうしようもない天災を、時には神として崇めた。

 何度生まれ変わっても雪の化身と出会い愛を交わす自分は、最も邪魔な存在のはず。なぜアムリタはどの世界でも自分を殺さなかったのか。

 

 殺したとして、次の世界では? その次は?

 いたちごっこはどこまでも終わらない。

 

(殺すだけじゃだめなんだ……)

 アムリタが本気で天災の力を手に入れたいのならば、ヴァーリィバルフとパティの間に生まれた愛を永遠に修復不可能な程に破壊し、縁を断ち切らなければならないのだ。

 邪魔だからこそ、絶対に断ち切りたかったのだ。ただ殺すだけではなく、分かちがたく絡み合った魂のえにしを断ち切りたかったのだろう。

 

 出会わなければよかった。

 

 その言葉が絶対に必要なのだ。

 それも、脅して言わせるのでも、脳に電極を刺して無理やり言わせるのでもなく、心からそう願い口にしなければ意味がないのだろう。

 今になって、その言葉を口にすれば解放されるとそそのかした理由も分かる。

 確かに樹埜はようやくシェファをこの世界で最も憎むべき悪だと認識し、絶対安静だと見てわかるシェファを無理やり立たせ、引っ張り回した。

 これ以上ないくらい明らかで、そして恐らくは初めて訪れた縁を断ち切る機会。

 今ならば、嘘偽りなくその言葉を言えると判断したのだろう。

 ああ、言えるさ。心から。

 

「もしも……願いが……叶うなら……」

 

「そうだ、言え!!」

 

(女王様……)

 思い出すのは天災の証を全て捨てて人の姿になってしまった女王の姿だった。

 自分だってそうだ。今だからこそ分かる。積み上げた財産や生まれ持ったものを全て捨て去ることがどれほどの苦痛か知っている。

 手に入れるために、捨てるのだ。他のどんなことよりも、自分にとって価値のあるもののために。

 

「何度生まれ変わってもまた逢いたい。何度だって!」

 地位も金も力も何もかもを捨ててでも、ただ一緒にいたい、また何度でも逢いたいと言ってくれた。

 どれだけ生きたとしても、それより価値のあるものなんてきっと見つからない。 

 呪いではなく奇跡なのだと胸を張れ。愛されて良かった。

 

「もういい。死ね」

 

「!!」

 撃たれる――――本能的な直感に従いアムリタの身体を蹴って拘束から逃れると同時に弾丸が発射された。

 ぎりぎりで回避できたのはいいが、ただ人を殺すには過剰な数と威力の弾丸はダイニングの壁に大穴を空けていた。

 

「この世界で一番美しいものを見た! でもそれは、お前の見た物とは違う! この先も、その先の世界でもそれを見るのは私だけだ! 何が永遠の命だ! ざまあみろ!」

 

「黙れ!」

 凶暴な弾丸が次から次へと発射されるのを転がって避ける。何かの創作物語で見たおぼろげな記憶を頼りに机を盾にしたが、1秒もしないうちに木っ端みじんになってしまった。 

 みっともなく地面を転がりながら懐から取り出したのは先刻シェファが持っていた銃だ。もちろん今まで銃を撃ったことなどない――――触手に薙ぎ払われ樹埜の身体が壁に叩きつけられた。

 

「げほッ、うっ……」

 元々古い屋敷だった上に何度も撃たれていたからか、樹埜は壁を突き破り外に放り出されていた。

 降り注ぐ雪の中で胃液を吐いている樹埜の元へ、触手を地に突き刺して歩くアムリタが迫ってくる。

 その禍々しい姿は、彼女もまた天から堕ちたもう一つの災いであるかのよう。世界を支配し、人々の運命を好きなように狂わせて罰を受けることもない。

 

「もう飽きるほど見てきた。容姿の優劣や性格の善し悪しあれど、お前は普通の人間だ。運命を変えられん。超越者たる私を殺せない。引き金を引けたとしても、致命傷にならない。当たるかどうかすら……撃ってみろ」

 触手の銃口をこちらに突きつけながらも、アムリタはこちらを試すように挑発してきた。

 そうだ、きっと今までの自分だったら引き金を引けなかっただろう。だが自分はこの道を選んだ。

 世界最悪の犯罪者としての道を選び、何が起ころうと責任を持って生きろと言われたのだ。 

 今更躊躇など――――

 

「え?」

 カチン、と銃から音がしてアムリタがせせら笑った。

 アムリタの額に向けて躊躇せず引き金を引いたまでは良かった。 

 だが、弾丸は既にシェファによって撃ち尽くされていたのだ。

 

「じゃあな、人間。次の世界もせいぜい呪われろ」

 確実な死が1秒後に迫っている。責任を持って生き延びるどころか、数秒後には細切れ肉になっている。

 やたらとゆっくりと見える、血が噴き出す光景――――アムリタの腹から氷の剣が飛び出し、発射されようとしていた弾丸は敵意に反応するようにアムリタの後方に向けて撃たれた。

 

「シェファ!!」

 ハチの巣にされて倒れ行くシェファを何とか抱きとめる。

 肌や髪が真っ白なってしまっただけでなく、顔に呪いのように黒い紋様が表れていて、血に濡れた口から牙が覗いている。

 変身ではなく、本来の自分の姿に戻っているのだ。恐ろしいことに。

 

「アパラージタ……まさか……」 

 血を吐きながら何事かを呟いたアムリタが裂けた腹を中心に凍り付いていく。

 

(なに……これ……)

 言ってしまえば、シェファが手から出した雪玉や今降っている雪と同じ、彼女の異能から生まれるものであるはず。

 だが、その氷の剣から感じるのは、いっそ神々しいほどの神聖さだった。

 遍く生命への平等な死という、生物が決して手にしてはならない神域の力だ。

 凝縮されて顕現した滅び。神があらゆる生命に定めた避らぬ試練。

 何かが間違って『雪』が命を持ってしまったがゆえに生まれた大災害の象徴がアムリタの身体を滅ぼしていく。

 

「ジャーメイン」 

 堂々たる、という言葉以外の表現が見つからない程に堂々とした声だった。

 身体中に穴が空いているのに、痛みも苦しみも感じさせない威厳に満ちた言葉をシェファが発している。

 

「我が女王……お戻りになられたか……私は、私は……」

 

「思えば……貴様ほど永く私に仕えた者はおらぬ。おかげで私は、生きる意味を見つけられた」

 それは恨み言や罵詈雑言ではなく、気が遠くなるほどの奉公を労う言葉だった。

 もはや立てないほどに衰弱し、数十発の弾丸を受けていることを微塵も感じさせない女王の絶対性。

 詔に形式があるように、権威に溢れたその言葉は故に次に続く文言を狂いなく想像させた。

 全てが無に帰すことを感じたのか、氷の像へと変わっていくアムリタが爬虫類のように感情の少ない目に涙を浮かべた。

 

「大儀であった」

 パリン――――樹埜の魂に取りついていたもう一つの呪いが解けたことを象徴するような音。

 凍り付いたアムリタは砕け散って塵となり、風に吹かれて影も形もなくなってしまった。

 

「シェファ……! 今、救急車を――――」

 氷のように冷たいのに熱いとすら感じる血を流している。

 今にも消えゆく命を抱え、なんとか紡いだ言葉が遮られる。

 

「ジュノ。それは『正しい選択』ではない」

 死にかけながらも言葉少なに告げた言葉が樹埜を戒める。

 助かってほしい。なんとかまだ生きてほしい。いけないことだと分かっていても、あのクローンをなんとか利用してこの先も春夏秋冬一緒に生きていきたい。

 

 役に立たない者は死ねばいい。異質なものはいなくなれ。シェファが作り上げたこの国のルールは簡単で、それ故に悪意に満ちている。

 そのルールを作りあげた張本人なのに、社会にとって役立たずで異質だった樹埜を誰よりも肯定してくれているという強烈な矛盾。

 この矛盾の根源は、自分さえよければいいというところに行き着く。この星で一番の願いを叶える力を手にした者は、原理原則すらも捻じ曲げる。

 だからこそ悪なのだ。たとえ自分を肯定してくれる世界でただ一人の人間だとしても!

 

「あなたは……死ななくてはならない……」 

 ああ、なんだこれは。

 生まれてくるべきではなかったと嘆く天災に、全ての命は生まれるべきだと言った記憶があるのに。

 結局自分の感情如何で善も悪も決めてしまっている。

 正しい選択とはなんだ。今だけの話ではないか。法も破ってかつての自分の言葉すらも捨てて、もう何もかも滅茶苦茶だ。

 自己嫌悪に苛まれ零れた涙を受け止めて、シェファは満足そうに笑っていた。

 

「君と同じ世界にはもう生まれない。いつか私はただの雪に戻るよ。二度と逢うこともない」

 それがあるべき姿だ。雪はただの災害に戻り、おもむくままに滅びをもたらす。

 自分はただの人間として、時に笑い時に悲しみ生を全うする。呪いも縁も消えてなくなる。

 出逢ってしまったがために互いに不幸にしていたのだ。立場が逆でも同じことを言っていただろう。

 だが、世界はもう二人を引き離さないようになっている。

 

「ううん。また逢うよ。私も地獄に堕ちるから」

 シェファの命はすぐに消え、間違いなく地獄に堕ちるだろう。

 そして樹埜も遠からず避けられない死に襲われ、世界中を混乱させた罪で地獄に堕ちるだろう。

 この世界の仕組みがそうなっている限り、必ずまた出逢う。きっとそのために、今日は自らの手で全てをぶっ壊したのだ。

 たったいま心に固く誓ったはずの決意が揺らいだか、そんな簡単なことも忘れていたシェファの赤い目に涙が浮かぶ。

 

「その先も、そのまた先も、ずっとずっと、あなたを見つけに行くから」

 何度生まれ変わっても永遠に呪われる毒入りの愛だって構わない。

 向かう先でまた逢えるのなら、その甘い微笑みを取り戻せるのなら――――命が消える。世界最大の悪が、とうとう終わる。

 どうか自分だけに聞かせてほしい、最期の言葉を。

 

「地獄で君を待っている」

 

「何度だって、解かしてあげる」

 愛されれば解けて消えてしまう貴方は雪。

 降る雪に花は咲けず、廻る季節のように互いに追い続ける。

 

 まるで連作の絵画のよう。雪の中で、女王に小さな身体を抱えられて見送られて、最後にまた雪の中で、女王の小さな身体を抱えて見送る。

 巡り巡る業は果敢ないという言葉も霞むほどの永い時間をかけて永劫回帰を示して初めに戻る。

 

 また雪が溶けていく。そういうものだ、雪はいつしか溶けて花が咲く。

 ならばその役目はいつだって、この先も永遠に自分でありたい。

 

 

 

********************************************

 

 

 永劫回帰のその先へ。

 

 

 

 第三章 おわり

 

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