眠る君に花かんむりを   作:K-Knot

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Fallen Snowflake
Eternal Recurrence


 

 

 1960年代に行われたその実験は、今になって思えば結果を誰もが分かっていたような気がする。

 もしかしてそうなのではないか――――賢い学者や研究者たちは薄々とその残酷な真理を察していながらも確証なく言葉にすることが出来ず、実験に頼ったのだ。

 

 『 』も参加したその動物実験の名は、【ユニバース】と言った。

 知りたかったのだ。『 』も知りたかった。神の愛ですらも満たされない人間の行方について。

 

 ユニバースの実験内容はシンプルだった。

 食料も十分、土地も広大で疫病も災害もなく、天敵もいない理想的な環境に雌雄4対のマウスを放り込み結末を見届ける。

 楽園に住む生物はどのような結末を迎えるか観察するという実験だった。

 

 予想通り最初は順調に増えていった。だがマウスはどういう訳か、広さも十分にあるはずなのに群れを形成した。そうなると当然身体の強さや性格で格差が生まれる。やがて群れ同士の縄張り争いまでも起こるようになった。

 繰り返すが、何もしなければ何も起こらず健康に生きていける環境であるにも関わらず、自分達から争いを作り出したのだ。

 

 そして群れから弾かれたマウスが出てくるようになった。彼らは戦わないし争わない。群れから追放されたマウスの中にはメスもいた。

 そこで問題が発生した。自分のために戦わないオスは当然子供のためにも戦わない。追放されたメスのマウスは子を守るために徐々に攻撃的な性格になっていった。苛烈になりすぎて己の子を殺す個体も現れ始めた。

 

 群れに所属するオスはメスを選ばず種付けをする。群れにいたメスにも、群れから追放された世界で生まれたメスにも同様に子孫を残した。

 だが、群れから追放された世界で生まれたメスは遺伝子をしっかりと引継ぎ、攻撃的なメスと戦わないオスばかりが増えるようになった。

 

 一方で、天敵も災害もなく、食料も水も無制限にある環境の中で徐々に巣に籠りただじっとしているだけのマウスが増え出した。

 ある意味で楽園を享受している個体で、誰もがそうすればいいのにと思うような生き方をしているマウスだ。

 群れや子のために争わないオスと攻撃的なメスが増えてきた中で、平均寿命を越えて生き残ったのは彼らだった。

 

 引きこもりなので争いで死ぬことは無い。だが当然子孫を残すことも出来ない。

 いつしかマウスの数は減少を始め、実験開始から1780日後に全てのマウスが死亡した。

 

 楽園を追放された『 』にとっては分かり切った結末だった。 

 そしてこの実験結果は人間にも当てはまることを悟っていた。

 

 この世界は、アダムとイヴが追放されたときはどこまでも広く、肥沃な大地は彼らの子孫の子孫まで飢えることなく食べていける程に動植物に満たされていたから。

 神はそれでも人を愛していたのだ。楽園から追放したとしても、彼らが生きていけるように世界を創っていたはずなのに、現実はどうだ。

 人間は楽園で生きるのに向いていなかったのだ。

 

 だが全知全能の神は、それすらも分かっていた。

 疫災火災風雨に雷、大雪、地震、津波、隕石。ままならぬ世に更に降りかかる災害。 

 たかが100年も生きられない人間はまさかそれすらも神の愛だとは未来永劫気が付かないだろう。

 

 滅びが身近になければ生物は自ら滅びるように出来ている。  

 だからこそ神は世に天災を与える。

 人が絶えぬように、消えてなくならないように。

 死への恐怖を忘れるあまり、死に近づき過ぎぬように。

 

 命を持って生まれた神の力の欠片に触れた時の衝撃を今でも思い出せる。

 物質的なモノは何もかも手に入れてきた『 』が唯一手にしたことのなかった神の力。

 なんとしても手に入れたかった。

 

 

 

 

 

Eternal Recurrence

 

 

 

 

 

 地獄というのはよく出来た『システム』だ。人に生れ落ちる定めを持った魂の再利用。誤ってしまったのならば反省を促す。

 そこで気が付くならばよし、気が付かないのならば、あるいは人として生きられない程に歪んでしまっているのなら悪魔として地獄で利用する。

 神は実にうまいことこの世界を創った――――とある超越者は言った。

 

 本当にそうだろうか。

 

 もしも私が世界を創るなら、そもそも悪人などが生まれないように人間を設計する。罪が存在しない世界を創る。

 生まれるはずが無かったものが生まれたりするいい加減な世界、くそったれな世界。

 神だって結構ミスをする。だがこの世界はそのミスもそういうものだとしてすべて受け入れる。

 災害が命を持って人として生まれてしまっても、受け入れる。

 だからこそこんな世界を作った神は全知全能なのだろう。

 

「くそっ、くそ! なぜ、なぜ失敗する……!」

 新たに生まれ変わった『 』が暗い室内で木づちを振るい鑿に打ち付ける。

 『シェファ』は最高の状態だった。ヴァーリィバルフが忌み嫌って分離させた人食いの本能も地獄で吸収し、しかもコントロールしていた。

 異能の力も取り戻し、疑似的な転生を体験させることで前世の記憶も取り戻していた。しかも神剣アパラージタまでも顕現させられるようになっていたのだ。

 女王ヴァーリィバルフ、天災の権化の復活はもう目の前だった。

 

「ふざけるな、ふざけるな!!」

 鑿で削られた木が徐々に人の形になっていく。呪詛を振りまきながら前の世界の記憶を振り返る。

 養父としてシェファを拾ったはいいが、彼女が16の時に裏切られて殺された。だが、そこに怒りはなかった。

 むしろ、悪の魂の発露にほくそ笑んでいた。再びその世界に生まれ、シェファが行っていた悪政を知った時は喜んだものだ。

 これまでで一番復活に近いと。世界最高の医者として彼女の命を握り、ほとんど支配下に置くことが出来た。

 上下関係が崩れることを危惧したシェファは『 』の手足を封じるよう命じたが、元々『 』にとって手足などおまけのようなもので、あってもなくてもどうでもいいものだった。

 あと少し、ほんの少しだったのに。

 

「なぜ負けた!!」

 人は変わる。人を最も変えるのは敗北だ。

 シェファに殺された事に対しては何も思っていない。災害とはそういうものだ。今までも何度だってあった。

 だが『 』は愚かで、何もなく、すぐに死ぬただの人間に負けたのだ。

 どれだけ時間をかけて近づいても、最後の最後に手からすり抜ける。まるで神の意志が『 』を堕ちた災害から遠ざけようとしているようだ。

 思えば神の意志は、かつてヴァーリィバルフをそそのかして釈迦仏の生誕を無かったことにしようとした『 』の悪意から世界の運命を守った。 

 降臨を邪魔させないように運命が動いた。

 

「釈迦! イエスキリスト!! ムハンマド!! なぜ世界の運命は奴らを守る!? 私に蹂躙されるだけの世界をなぜ!!」

 『 』が彫っていたのは木彫りの仏の像だった。怒りに任せて木づちを振るっているのに極めて精巧に出来たその仏像は、本来であれば心を空にして彫るべきものだ。

 怒り、恨み、憎しみが溢れて止まらない。何度も殺そうとした。誕生を無かったことにしようとした。聖なる歴史を捻じ曲げようとした。

 全て世界の意志によって守られてしまった。たかが100年も生きられない存在が神に守られ、永遠に生きる『 』の全てはいつしか歴史の彼方に洗い流される。

 彼らは朽ち果ててもその火は世界に広がるのに、『 』の悪意は世界の終わりと共に消える。

 

「世界は私を赦しはしない……」

 酸欠になりかけた『 』がよろよろと歩いて外に出る。

 青々とした空に煌々と太陽が輝いている。どこまでも生い茂る木々、まばらな人々が魚や獣をさばいている。

 ぽつぽつと見える家々の窓には硝子すらもなく、人々はまともな靴すらも履いていない。

 前の世界と変わらないのは蒼々と天高く座す富士の山のみ。

 

 紀元前5世紀。ここは縄文時代の日本だった。

 

 

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 『雪』と同じ世界に『 』が生まれることが出来る理由は単純で、魂を追いかけているからだ。

 だが、今回は何かが違った。あの世界で『 』に撃たれて死んだ魂は砕け散り、まさしく雪のようにあらゆる世界線に降り注いだ。

 魂が砕け散る様など初めて見た。散らばった欠片は元いた世界にも降っていったが、それを追いかける気にはなれなかった。あの世界で『 』は確かに樹埜に負けたのだから。

 砕け散った魂の中で一番大きな欠片は、いつか見たヴァーリィバルフの魂と同じ輝きを放っていた。

 まるで光に誘われる虫のようにその魂を追いかけて、生まれたと思えば文字すらも発達していないほどの過去だった。

 

「腹が減ったな。パンを食べたい。紅茶が飲みたい」

 昼の内に釣っておいた魚を暗い室内でもそもそと食べながら外を覗くと大雨だった。

 傘すらも発明されていないから、雨の日は外に出歩くのにも苦労する。

 これほどまでに不便な時代は久々に来た。『雪』の魂は完全にランダムな世界・時代に飛んでいく。

 産業革命以降に人口爆発が起きることもあってか、確率的に『雪』が生まれる時代は1800年以降が多かった。

 

「まだ生まれていないか……」

 あの魂がこの世界に生まれれば感覚で分かるが、全く同じ日・同じ場所に生まれることは出来ない。

 どうしても誤差が生まれてしまう。そもそもが狙った時代と場所に意志をもって生まれることが出来ること自体が奇跡なのだから甘んじて受け入れるしかない。

 生まれるその日を待つしかない。

 

「もっと食料を取ってくるべきだったな」

 ぐぅ、となる腹をさすると乳房に手が触れた。今回は女に生まれた。

 別にどちらでもいいといえばいいが、『 』はもう子を持つ気などさらさらないからどちらかと言えば男の身体で生まれた方が良かった。

 この時代は生理一つとっても苦労するし、半原始人の男に襲われたら女の力では反撃も難しい。とはいえ、武器は作ってはいるのだが。

 

「完全栄養補給カプセルがあれば……」

 これから2600年ほど未来で便利な栄養剤が発明される。一粒飲めば、不眠不休・飲まず食わずで一カ月動けるという代物だ。

 食欲睡眠欲が消えてしまうのは一長一短だが、便利だった。これだけ生きてもまだそんな欲求がある。

 

「願いの林檎を口にしても、私は依然として生物のまま……。哀れなり」

 頭に浮かんでは消える自虐をぶつぶつと口から吐き出し、雨音にかき消す。

 横になり、何をするでもなく蜘蛛の巣の張った天井を見ていると激しい雨の音を裂くような激しい足音が聞こえた。

 それはここ数十年なかった来客を告げる音だった。

 

「ああ、いた! よかった!」

 

「……何か用か?」

 名前も知らない男が無遠慮に入ってきた。そっと武器を身に寄せて言葉を返す。

 面識はあるが互いに名も知らないはずなのに、こんな夜中に一体何をしに来たのだろう。

 

「頼む、来てくれ! あんたの助けが必要なんだ!」

 

「…………」

 不老不死に気づいた者からは一人火の鳥野郎と罵られ、人間ではないと気づいた者からは妖怪と言われた。

 そんな『 』が困っている人間から助けを求められて応じるのは、数で言えば数千万年ぶりのことだった。

 魂の形を一番変える出来事はいつだって、心に突き刺さる敗北だった。

 

 

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 大嵐となってしまった中、男に連れられて村の中で一番大きな家に案内された。

 部屋の中心では顔色の悪い少女が熱にうなされて苦しんでおり、その周囲で祈祷師の婆が半分発狂しながら祈りを捧げていた。

 婆と言っても、既にこの身体の『 』よりもかなり年下なのだが。

 

「キサカが悪霊に憑かれてしまったんだ」

 

「へぇ。ほう」

 キサカと呼ばれた7,8歳の少女はこの時代では中々お目にかかれない美少女だった。家族以外の人間も家に集まり悲しんでいる理由はそこにあるのだろう。

 悪霊に憑かれたというが、何かしらの病原菌でも拾ってしまったのだろう。こんな祈祷師がいくら祈ろうが踊ろうが病気は消えてなくなってくれたりしない。

 

「あんた……あんた、婆さんの婆さんの代から丘の上で暮らしていたって。それが本当ならこんな悪霊でも払い除ける方法を知っているんじゃないのか?」

 

「なんて調子のいい……今まで私を排斥してきたくせに」

 願いの林檎の『不老不死』には2つの効果があった。

 一つは、意識の不滅。何度肉体が朽ちようと意識も記憶も持ち越したまま生まれ変わることが出来る。

 二つ目が、肉体の不滅。だいたい20代~30代前半ほどで老化が止まってしまい、病気や怪我などの外的要因がない限りは100年でも1000年でも若いまま生きられるのだ。

 もちろん同じ場所で暮らし続ければ『 』が老いないことに周囲の人間も気が付き始める。不気味に思い始める。それを分かっていたから、村人とは関わってこなかったし、彼らも『 』をほとんど無視していた。

 

「頼む! 助けてやってくれ! この村で一番の可愛い子供なんだ!!」

 

「……。どけよ、邪魔だ」

 火を持って踊っていた祈祷師を外に蹴り出しキサカの様子を見る。

 顔色が悪く、呼吸が早くガチガチと歯を鳴らして小さく痙攣し続けている。正体を見破らなければ悪霊に憑かれたと思うのも無理はない。

 

「口を開けてみろ」

 

「う~っ……」

 キサカの意識はあるようだが、うまく口を開けられない。指を突っ込んで無理やり口を開かせようとしても、首筋がこわばり口を閉じようとしてしまう。

 ああ、これはもしかして――――キサカの腕に化膿した切り傷を見つけた。

 

「おい、この腕の傷はなんだ?」

 

「さぁ……木で切ったりしたかな」

 

(破傷風か)

 キサカの代わりに男が答えた。医学が発展した時代だとしても、誰の身にも降りかかる不運で、処置が遅れれば死ぬこともある。

 ワクチンなどあるはずもないこの時代ならば尚更だ。

 

「もしかして、何が起きているのか分かっているのか?」

 

「分かる」

 

「どうにかする方法を知っているのか?」

 

「知っている。治るかどうかは分からんがな」 

 

「頼む! 頼むお願いだ! キサカを助けてくれ!!」 

 治る、という言葉の意味は分からなかったようだが男もキサカの両親も床に額を付けて懇願してきた。 

 そんなもんどうでもいい、と吐き捨てるのは簡単だが、そうなるといよいよこの村では暮らせなくなるだろう。

 

(くそ、原始人どもめ)

 面倒くさい引っ越しのことを考えて舌打ちをする。

 何もなければ死なないとは言うものの、何かがあれば死ぬ。それに備えて青カビを集めて作ったペニシリンもある。 

 硝酸もアルコールもあるし、山の中をあちこちをほじくり返してプラチナも見つけた。ごく基本的な薬ならば時間をかければ作れる。

 青カビを集めている時はすごい顔で見てきて避けてきたくせに。プラチナだって見つけたと言葉にするのは簡単だが、たったひとかけらのプラチナを手にするのにも30年以上かかった。

 それだけの時間をかけたのは決して彼らの為ではない――――それでも『 』は彼らの願いを聞き入れ、キサカにペニシリンを投与した。

 助かろうが助かるまいが心底どうでも良かったが、『 』の心変わりを世界は受け入れたかのように、キサカは破傷風の魔の手から解放されていった。

 

 

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 夢を見た。

 夢だから、本当の事かどうかは分からない。

 前の世界で『 』がシェファに殺され、シェファも死んだ後に樹埜が取った行動だった。

 

 誰もいなくなった屋敷で、樹埜は培養槽に入っていたクローンを取り出して引き取り、エクソダスに紛れて育てていたのだ。

 そこには前の世界の『 』の身体であるアムリタまでいた。なんともあの娘らしい行動だ。

 ただの器であるクローンを見捨てられなかったのだろう。

 

 医学的法的に見て生きた人間だとしても、『 』には見えていたのに。魂が入っていなかったことは見えていたのに。

 クローンたちがそのまま死ぬことを許せなかったばかりに、培養槽の外に出し魂を入れてしまった。

 

 知恵の実を口にした人間への罰。

 男は地を耕して食物を得ねばならず、女は出産妊娠の苦しみを定められた。

 それを無視して命を生み出すのは、たかだか人の身では許されぬ罪。

 もはや今となってはその行く末もわからないが、地獄に堕ちるだろう。

 

 

「預言者様! 預言者様!!」

 

「……! ん……?」

 丘の上で温かい太陽に照らされ、こっくりこっくりと首を揺らしながら眠っていたら村人に起こされた。

 彼が手にしていたのは魚と肉、そして野菜だった。

 

「こちらに置いておきます、預言者様」

 キサカを救ったことで、村の変わり者から村一番の物知りと村人に認識されるようになった。

 毒を持った魚の捌き方を指導したり、野菜の育て方を教えたり、雲模様から明日の天気を伝えたりしているうちにいつしか『 』は預言者と呼ばれるようになっていた。

 高度な知識を持っているだけなのだが、彼らにしてみれば世界の全てとこの先に起こることを知った預言者に見えるらしい。確かに未来に何が起こるかは知っているが。

 

「ん……ああ」

 変人扱いされるよりも勝手に崇め奉られて食料を持ってきてもらう方が楽なのでほっといているが、とても虚しい気分だ。

 ああ、この世界でもまた、空虚な王座に押し込められる。

 

「どれだけ経っても、預言者様はお変わりないのですね。キサカと同い年のようにも見える」

 あの夜から10年が経った。当然歳を取らない『 』を置き去りにして時間は流れ、キサカは予想通りに村一番の美人に育っていた。 

 そういえば、いつからか村を代表して食料を持ってくるようになったこの男も最初は小さな少年だったのに、今では立派な大人だ。

 

「……いつかキサカも子を持つんだろうな」

 小高い丘の上に『 』の家があるため村が一望できる。キサカが川で貝を獲っているが若い男にちやほやされて楽しげだ。

 

「いやぁ、いやぁ~~俺だったらいいんですがねぇ」

 

「馬鹿を言え。もういい、行け」

 

「へへっ。また明日、預言者様」

 預言者だなんだと好きなように呼べばいいが、流石に誰がいつ子を持つかまでは知らない。

 とはいえそれはもうそう遠くない日に起きそうだ。仮にも命を救った少女ともなれば、どのような子を持つか少しは気になる。

 多少美しかろうが強かろうが、最早ほとんど人間への興味を失っていた『 』だったが、キサカが預言者となった自分の元へ我が子を抱いて連れてくる日を密かに楽しみにしていた。

 

 

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 そしてその日は、キサカの命を救ってから12年後に訪れた。

 またしても嵐の夜だった。村の老婆たちがキサカの家に向かっていたのは知っていたので、明日の朝には子の顔を見れると思っていたのに、『 』の家に飛び込んできたのは助けを求める村人たちだった。

 『 』の目に入ったのは、大きなお腹を抱えて血だまりの中で死にかけているキサカの姿だった。

 

「なんだこれは……」

 

「助けてください預言者様! 私たちではこの子を取り上げられません!」

 

「なぜ早く呼ばなかった!!」

 苛立ち紛れに老婆たちを怒鳴りつけるが、医療が発展しても出産は母子共に命を落とす可能性のある一大イベントなのだ。 

 なぜ呼ばなかったのかではなく、自分から動くべきだった。誰かのために自ら動くなんて何百万年もしていなかったから忘れてしまっていた。

 レントゲンもないため分からないが、結果としてキサカは帝王切開が必要だったのだ。しかし、この時代では帝王切開など出来ない。

 何よりも致命的なのが、キサカが既に助からないほどに出血をしていることだろう。彼女の血液型など知らないし、今から調べて輸血用の道具を作るのは間に合わない。

 

「キサカ、聞こえるか」

 

「預言者様……」

 

「お前は死ぬ。腹の子も死ぬだろう」

 

「…………」

 息も絶え絶えのキサカの周囲で『 』の言葉を聞いた者たちが嘆きの声をあげる。

 だが、キサカ自身は既に自身の運命を受け入れているのか静かに頷いた。

 

「だが、ひょっとすれば腹の子だけは救えるかもしれない」

 

「子供を……お願いします……」

 その言葉を最後にキサカは息絶えた。脈の途絶えた首に触れ怒りとも悲しみともつかない感情に心を侵食される。

 嫌になる。紀元前であろうと、遥かに文明が発達した世界であろうと命を生み出す母の考えることはみな同じ。

 だから嫌いなんだ。どれだけ悲劇を繰り返しても進化しない愚かな人間が。

 

「湯を持ってこい。ありったけだ」

 

「なぜですか?」

 

「説明してる時間があると思うか? 急げ!!」

 何よりも嫌なのは無に帰すことだ。ここで腹の子も死んだのならばあの日キサカを助けた意味がない。

 なんとしても生かしてやる――――煮沸消毒した刃物をキサカの腹に突き立てる。

 

「なにをしているんですか!?」

 

「黙れ! キサカは死んだ!! 生まれてくる命が消えぬことを祈れ!」

 

「やめてください、こうなったら子供も助かりません!」

 老婆の金切り声が耳をつんざく。それがこの時代の常識なのだから、この老婆は自分が間違っているだなんて想像すらしていないだろう。

 

「出ていけ! 不潔なんだ貴様ら!!」

 静まり返った部屋で手術とも呼べない原始的な切開を続ける。

 医者だったこともあった。人の身体にメスを入れた回数などもはや数える気にもならない。

 だがそれでも彼女は幼い頃から知っている少女で、命を救ったことすらもあるのだ。

 そんな子の遺体に刃物を入れて臓器をかき分け子宮を割いていく。鏡など見なくても、自分が修羅の顔をしていることが分かった。

 さぁ母の命を奪った鬼子と対面だ。一体どんな顔をしているやら。

 

「――――!? 重ッ!?」

 抱き上げた赤子はいたって普通の見た目をしていた。身体の欠損もないし、特別大きい訳でもない。

 だが、異様としか言えないほどに重たかったのだ。体感で普通の赤ん坊の3~4倍の体重がある。

 己が生まれたことを示すように、将来の日ノ下開山であることを叫ぶかのように、その産声が『 』の身体をびりびりと揺らす。

 

「超人体質か……」

 ミオスタチン関連筋肉肥大、通称『超人体質』と呼ばれる数千万人に1人の特異体質。

 筋肉が猛スピードで成長する体質だが、筋肥大による代謝も尋常ではなく普通の人間の数倍のカロリーを必要とする。

 簡単に言えば、普通の人間よりもずっと重たく力持ちである代わりに普通の人間よりもずっと大食いなのだ。

 

「預言者様! 生まれたのですか!」

 

「ああ」

 超人は何人も見たことがあるし、特別な人間だっていくらだって出会ってきた。

 別に超人体質の人間だけではない。毒への耐性を持つ人間。完全記憶能力を持つ人間。眠らない人間。骨が金属で出来ている人間。そして、天災をその身に宿した人間。

 例を挙げればキリがない。だが、特別な人間をこの手でとり上げるのは初めてだった。

 どうも特別な人間を好んで集めているうちに、そういう運命に好かれてしまったらしい。

 

「預言者様……その子の名前は……」

 

「名前だと? 父親に決めさせろ」

 

「熊に襲われて死んでまして……」

 そういえばすぐそばの山で人食いの熊が出たとか騒いでいた。

 村人が喰われたところであまり興味がなかったので聞き流していたが、まさかキサカの夫が殺されていたとは。

 

「どうか、預言者様。その子に名前を授けてくだされ」

 

「……この子の名は」

 常人の数倍のカロリーが必要であるため、超人体質を持って生まれた子供は飽食の時代でも地域によってはまともに成長できない。

 普通の子供でも病気一つで死ぬこんな時代であればなおさらだ。だが、うまく育てばこの赤子は世界最強の戦士になる。

 

「ヤマト」

 母の乳もなしに生きていけるかは賭けだが、どうせ次の『雪』が生まれるまでの暇つぶし、それもいいだろう。

 日本の守り神となれと願いを込めて、ヤマトと名付けたその赤ん坊は『 』の元ですくすくと育っていった。

 

 

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 女王との謁見も四度目なので、流石にジャーメインもこのヒマラヤの山道を通ることに慣れ始めていた。

 あの力を手に入れる日を想像すると心が高揚し片道8時間かかるこの道も苦ではなくなる。

 とはいえ、いくら精神力で誤魔化しても世界有数の厳しい山だ。山の中腹で腰を降ろして水を飲んでいると、何者かが山道を登ってきた。

 

「…………」

 こちらをちらりと見たその人間は、男か女かすらも見た目では分からなかった。

 鼻の下から口が裂け、常に唾液を垂らしており、肌という肌から灰色の毛を伸ばして最早人種の判別すらも出来ない。

 

(見事な獣人だ)

 それぞれが『口蓋裂』と『多毛症』と名の付いた病気を併発した人間だ。

 遥か未来でも化け物と言われる見た目だ、こんな時代では普通の国でまともに生きていくことすらも出来ないのだろう。

 となればこの獣人が向かう先は決まっている。

 

「氷の国はそっちではない。死ぬぞ」

 

「なら……どこにある……」

 可能な限り低い声を出そうとしていることが分かるようなしゃがれ声だが、女の声をしていた。

 恐らくは生まれてから一度も女性としての扱いを受けたことも、男から言い寄られたこともないのだろう。

 こちらへの警戒心を隠そうともせず剣に手をかけている。特別な人間は好きだ。だが、見た目が特別なだけの人間は別に興味はない。

 そんな考えが空気から伝わったのか、休憩を終えて氷の国へと向かい始めたジャーメインに獣人は黙ってついてきた。

 

 

 果たして氷の国は獣人の想像どおりだっただろうか。

 国に入ってすぐに目にしたはずだ。人より脚の関節が少ない人間が何一つ自分に恥じることなく歩き、身体中が火傷で爛れている人間が笑っている姿を。

 氷の城に入って気が付いたはずだ。王の間で玉座に向かって跪いてる戦士の中にほとんどまともな人間がいないことに。

 額に第三の目を持つ男。シャム双生児の姉妹。多腕症の少年。巨人症の少女。

 雪の一族は化け物の一族。そう呼ばれ恐れられたが、実際は他の国では生きていけない弱者達の集まりだった。

 

「名は?」

 女王ヴァーリィバルフが言葉を口にしただけで冷気が氷の城に満ちていきセコイアの玉座が凍り付いていく。

 化け物化け物と言われ続けてきたであろう獣人の少女も、本物の化け物を前に寒さと畏れから震えるばかり。

 

「ナラシンハ」

 女王の問いかけからたっぷり数十秒たってようやく獣人は名乗った。

 その名を受けてヴァーリィバルフは静かに頷いた。悪魔に己の魂を捧げているかのような光景だ。

 

「水を持て」

 

「一滴も零すな。全て飲み干せ」

 六本腕の戦士、ワンダリンデが大小さまざまな宝石に彩られた聖なる金の盃に湯を注いでいく。

 宝石の光を乱反射する透き通った水はただの水などではないことを示すかのようだ。

 

「それはヒマラヤの雪解け水だ」

 言い換えればこの水は雪の女王の一部。それを口にするということはこの国の民となり女王の僕となることを意味する。

 ただ名を口にしただけで亡命を受け入れられたことに気が付いたのか、ナラシンハは顔を上げた。

 

「なぜ私を――――」

 ナラシンハが疑問を言い切る前に、ヴァーリィバルフは山羊の被り物を脱いでいた。

 真っ白な髪と肌に浮かび上がる赤目と血染めの唇。人食いの証である牙と獣の角。顔も手足も神々の呪いと祝福を同時に受けて、のたうつ戦紋に蝕まれている。

 氷の結晶で造られた透明な冠を戴いた女王は三千世界を巡って化け物をかき集めてもなお頂点に立つ、本物の化け物だった。

 

「ナラシンハ。私に仕え、私のために生き、私のために死ぬがよい」

 山羊の頭を再び被ったヴァーリィバルフが玉座から立ち、王の間から去って行く。

 冷たい緊張が消えていく。亡命を受け入れる様子を見ていたジャーメインの口から大きく白い息が漏れた。

 ああ、あの力だ。何度も自分の全てを奪い去っていった天の災いの力。

 それが言葉を口にしている。生きている。会話が出来るなら意志疎通が出来るということ。生きているならば欲があるということ。

 意思疎通が出来て欲があるのならば、いつか必ず支配が出来る。

 

「ほら、立てよ。家まで案内してやっから」

 雪解け水を口にして跪いたまま動けなかったナラシンハをワンダリンデが立たせた。

 ナラシンハの瞳からは世界への恨みと絶望は消え、ただただ女王の絶対性への畏敬だけが残っていた。

 

「へっへっへ。いい毛並みだな~。俺さ、髪がくるくるだから羨ましいぜ」

 

「私に触るな! 身体中から生えているんだぞ……」

 新しい言い方をすればセクハラをしたワンダリンデの手をナラシンハが引っ掻いた。

 王の間でそんなことをしても、ヴァーリィバルフの腹心であるワンダリンデを責める者はいない。

 

「毛が生えてるくらいなんだってんだよ。俺なんか腕が余分に4本も生えてんだぞ」

 ワンダリンデはその腕のせいでまともに服も着れないため、ヒマラヤに住んでいるというのに基本的に上半身裸だ。

 彼も彼でまともな人生は送っていない。生まれた瞬間に親に捨てられ、物心着いた頃には生まれ育ったカピラヴァストゥを追われ、その先でようやくヴァーリィバルフに拾われたのだ。

 それなのにむしろ自分の異形を誇っているかのようだ。

 

「お前のいた国じゃ知らんが、この国じゃ魅力的な女に声をかけることは違法じゃねえんだ。な! ゲルド!」

 

「…………」

 岩で出来た甲冑に身を包んだゲルドは何も答えない。

 この巨人が女であることを知っているのはヴァーリィバルフと氷の国を嗅ぎまわっているジャーメインだけだろう。

 

「ちぇっ。相変わらず静かなヤローだな」

 

「何が魅力的な女だ! 私もお前も女王も――――」

 柱のような大剣がナラシンハの足元に叩きつけられた。飛び退ったナラシンハの首が六本の剣に囲われる。

 その不敬を口にする前にゲルドとワンダリンデが剣を抜いたのだ。

 

「俺はいい。ゲルドもいい。バケモンがバケモンにバケモンと言いたきゃ言えよ。だがその先は言うな。女王ヴァーリィバルフはこの世で最も強く最も気高く最も美しい」

 

「…………。分かった」

 

「もう自分を蔑むな。誇れ! この世で最も強く気高く美しい女王が、俺たちの主であることを!」

 氷の国に法はない。身分もない。天災にとって全ては平等。 

 ヴァーリィバルフだけが頂点で他のどんな力も神の力の前に無意味となる。

 この時代において、世界で最も平等な国が化け物の国というのは人間にしてはよく出来た皮肉だとジャーメインは嗤った。

 

 

 

********************************************

 

 

 怪人巨人獣人奇人。

 国を追われたものたちは氷の国を目指した。

 全てを破壊する天災は彼らを、弱者達を受け入れていた。

 

 国を襲うならばヴァーリィバルフにとって部下などいらなかったはずだ。

 大吹雪を発生させればそれで終わりなのだから余程天災らしい。

 より純粋な天つ災いで在りたかったのならば、女王である必要はなかったのだ。

 雪を降らせたとしてもわざわざ雪の一族だけは体内に取り込ませた雪解け水を通じて冷気から守っていた。

 

 なんのために?

 氷の国が彼らの居場所であるためだ。

 

 そう、最初から。

 雪の女王は弱い者達に優しかったのだ。

 

 優しさと悪は矛盾しないとするならば、全てに平等という前提が必要な天災たる資格は、パティに出会わずともいつか失われていたのだろう。

 

「今更気が付くか……」

 最近ジャーメインだったころの事をよく思い出す。昔のことを思い出してばかりなのはきっと停滞しているからだろう。

 永遠の命を持つのならば常に前進していなければ退屈に精神を破壊されるというのに。

 もう一体完成した木彫りの仏像に息を吹きかけ木くずを飛ばす。気が付けば随分と沢山彫ったものだ。

 修行中の僧がより高次元の精神を手に入れるために般若心経を一心不乱に写経したり、仏像を彫るのを嘲笑っていたものだが、この身体に生まれた頃に比べればかなり精神的に安定した気がする。

 別にこのおかげで精神が安定したのだとも思わないし、日々基本暇なので手慰みに彫っているだけだ。最新作はかなりの出来だ。

 将来かなりの値が付くだろうなと思ったが、よく考えてみたら時代的におかしい作品なのでオーパーツ扱いされるか闇に葬られるだろう。

 

「よっこらしょ」

 外に這い出て岩の上に座る。今日も今日とて村は平和で富士山には笠雲がかかっている。

 いつの間にか村の規模も大きくなっていた。『 』のおかげでこの時代にしては発展した田畑の周りで子供たちが走り回っている。

 数えていないが取り上げた子供の数はもう100は越えたと思う。

 

(…………)

 子を取り上げた母親が死んでも、自分の姿は変わらない。

 子供たちが大人になり家族を持つようになっても20歳の見た目のまま。

 これまでも、これからも、いつまでも自分は見送る側――――指先で鼻の頭をかいて物思いに耽っていると何やら騒がしい声が聞こえた。

 

「預言者様! 預言者様!」

 

「なんだ、騒々しい」

 

「ヤマトが帰ってきました! すごいの持って!!」

 

「まったく……どこに行っていたんだ?」

 キサカから取り上げて、超人となるように気を使って育てて15年の時が流れていた。

 そういう年頃だと言われれば、それはそうだとしか言えないが、この頃ヤマトは村の外に出ていって帰ってこない日も多い。

 すごいのってなんだろう、そうのん気に思っていたら本当に『すごいの』を連れてきた。

 

「あッ! 預言者様! 見てくださいこいつを!」

 身長210cm体重230kgという子供の落書きのような体格をした少年、ヤマトが背負っていた『それ』を目の前に降ろした。

 ズズゥン、と比喩ではなく地面が揺れる。ヤマトが持ってきたのは熊の死体だった。

 

「でっっ……こいつ……。人食いの……」 

 目測の体長4m、体重は1000kg前後のこの人食い熊は長い間村の悩みの種だった。

 まさかヒグマだったとは。もうこの時代の関東にはツキノワグマしか生息していないものだと思っていた。 

 北の方から流れ着いてきた化け熊なのかもしれない。

 完全に死んでいるが、人食い熊に目立った外傷はない。

 

「そう! 山で見つけたから心臓ぶん殴って首を折ってやったんです!」

 

(……父の仇を取ったのか)

 ヤマトには父母の話はしていないが、山に入って熊と相撲を取り親の仇を取るなんてまさしく神話の世界の話だ。

 ヴァーリィバルフも生まれていない今この瞬間では間違いなく世界最強の男だろう。

 

「お前ら! 今日のメシは熊の肉だ!!」

 ヤマトの声が村中に響き渡り歓声があちこちから聞こえる。

 願って付けた名の通り、日本を守る猛き戦士になったことを心の中で静かに喜ぶ。

 

「もちろん預言者様には一番うまいところ食べてもらいますから!」

 村の男20人が集まってようやく人食い熊を持ち上げて持って行った。

 しかし、これほどの剛力を見るのはいつぶりだろうか。あの時とは身体が違うから感覚も違うかもしれないが、実際に会ったことのある雷電為右衛門よりもヤマトの方が遥かに大きい。

 その上まだ15歳ということは更に大きくなる可能性もあるのだ。

 

「ヤマト、持っていけ」

 

「なんですか、これは」

 いつかヤマトが大人になった時に渡そうと思っていた剣を渡す。

 『 』がこの時代に生まれてから作ったのは薬だけではない。0から鍛冶場を作り上げ、そこで農具を作ったり自分で使う鍋なんかも作ったりしていた。

 刀鍛冶だったこともあるため、ヤマトの成人の祝いの日のために一本打っておいたのだ。

 

「その辺の木でも斬ってみろ」

 

「よっしゃ!」

 そう言われたら100人が100人横に刀を振るものだと思う。 

 だが生まれながらに天与の剛力を持った者は違う。この世の物質の硬さに対する捉え方が違う。

 刀を大上段に構えたヤマトの脊柱起立筋が金属のように固まり、広背筋が爆発するかのように膨らんだ。

 そうじゃない――――そういう前にヤマトは木を『縦』に斬ってしまった。あんぐりと口を開く『 』の前で雷に打たれたかのように真っ二つになった木が倒れた。

 

「すごい! すごい切れ味だ! これはなんという名の剣なのですか?」

 

「名前? そうさな……天羽々斬」

 

「アメノハバキリ……?」

 

「頭が八つある巨大な蛇を斬った剣の名だよ」

 自分でそんな名前を付けてしまうなんて。『 』は自虐的な気分になり静かに笑った。伝説の蛇殺しの剣を打っていたなんてお笑い種だ。

 刀鍛冶であった時間も数字にすれば2000年以上あるため、間違いなく世界最高の刀鍛冶なのだから神話の剣の名を付けたって誰からも文句は言われないはず。

 だが、よりによって天羽々斬と口にしてしまうとは。

 

「さすが預言者様……なんでも知っている」

 

「まぁ、大抵のことはな」

 

「俺より強い人間はどこにいますか? 力比べがしたいんです! 熊でもダメだった!」

 

「ヤマトより? うーん……野見宿禰かな」

 日本最古の相撲取りの名をあげたのは口から出まかせではなく、実際に野見宿禰を見たことがあるからだ。

 出雲で生まれるあの時代最強の力士は、世界で見ても類まれなる強さをしていた。

 

「どこにいるんですか!? 会いに行きますよ!」

 

「今から500年も先に生まれる人間だ」

 

「…………。村の爺さん婆さんが……」

 

「ん?」

 

「あなたは天からの遣いだって……」

 疑うのでも聞き返すのでもなく、信じた上で更に言葉を重ねてきた。

 『 』の不老不死を実際に見てそういう反応をする人間もこれまでにいた。

 

「……間違ってはいないよ」

 天から遣わされたのではなく、追放されたのだが。

 1から全てを説明してやってもいいが、これまでの『 』の経験を話すとなればこの世界の終わりまでかかってしまう。

 

 そんなことよりもこの頃ヤマトがどこに行っているのかが気になっていた。

 大体の謎は時間が解決してくれるものだと知る『 』はヤマトを問い詰めたりなどはしなかった。

 果たして『 』の思った通り、ある日突然ヤマトは血まみれの姿で答えを連れ帰ってきた。

 

「預言者様! この子を助けてあげてください!!」

 

「なんだ!?」

 ドデかいハリネズミかと思ったら身体中に矢が刺さったヤマトが山道から下ってきた。

 その腕には足を怪我した少女を抱いている。

 

「お前の方が酷い怪我だ」

 

「俺なら大丈夫です! これくらい……いってぇ!!」

 かえしがついているかもしれない矢をヤマトが無理やり引っこ抜く。

 更にいくらか出血したが、筋肉の密度があまりにも高すぎるためかどれも致命傷にはなっていないようだ。

 

「この娘はなんだ」

 

「隣村の子です。矢が当たってしまって……かわいそうに……」

 

(大げさだな)

 確かに少女の足が大きく切れているものの、見たところ直撃ではなく掠めていっただけのようだ。

 気を失っているのは出血と痛みによるものだろうか。これくらいならば作り置きしてある軟膏を塗って止血すれば明日にも歩けるようになる。

 

「おいお前ら! 山賊が山にいる! 戦士集めてひっ捕らえて来い!!」

 

「…………」

 ヤマトから見ればどんぐりのような大きさの村の戦士たちが怒鳴られてようやく武器を手に取り集まり出した。

 普段から野を駆け山を登る野生児のヤマトが怪我をしていること自体は珍しいことではない。

 まだこの時代の日本で対人用には発展していないはずの武器を持った山賊がいることの方が問題なのだ。

 ヤマトが引っこ抜いた矢をそっと手に取って観察してみると、文字が書いてあった。

 

(上古漢語……渡来人か?)

 まだ正式に日本と国交がないはずの国の字が矢に墨で書かれていた。

 春秋戦国時代まっただ中である中国大陸の血で血を洗う戦いに追われた民族か。あるいは悪意を持って支配に来た戦士たちか。

 大陸から来たとするならば日本海を越えて富士山を大きく迂回しなければこの地に来れないため、かなり不自然な偶然だ。

 

「待て、行くな。お前たちではおそらく勝てない。村の守りを固めろ」

 使っている武器ひとつとっても文明の差が歴然と出ている。『 』が作った遥かに高度な武器ならばあるが、村を守れるほどの数はない。

 気を失った少女を抱え、丘の上にある『 』の竪穴式住居に向かう。家の隣に造った工房には作りかけのボウガンがある。こんな日が来るならば暇つぶしに大して必要ない武器など作らず、シンプルな剣と弓矢の量産体制を整えておけばよかった。

 

「ヤマト」

 

「はい」

 この時代にしては清潔な布で止血を施されたヤマトが正座してこちらをじっと見てくる。

 何を言われるか分かっていて、それを受け入れようとしているのだろう。

 

「お前、この娘と会うためによく留守にしていたのか」

 

「はい……ごめんなさい。この村を守らなきゃいけないのに……」

 

「ふん。別にいいさ。そんなことは命じてないしな……」

 よく大きな獣を狩っては持ち帰ってきていたがそれだけではなかったのだろう。

 どこで出会ったか、隣村のこの娘と知り合い『 』に内緒で逢瀬を重ねていたのだ。別に怒ってはいない。年頃なのだしそういうものだろう。

 家が吹き飛ぶかと思うほどの夜泣きに毎晩起こされ、腹が空いたと四六時中暴れる赤子を抱いてあやした日々が今はもう遥かに遠い。

 物思いに耽っていると怪我の処置が済んだ少女が目を覚ました。

 

「ウズメ!」

 

(ウズメ?)

 もうバレてしまっているからか、『 』の視線を気にすることもなくヤマトがウズメを抱きしめている。

 ヤマトの母の名はキサカだった。枳佐加比売命(キサカヒメノミコト)、とかつて読んだ書物に出てきた名前が浮かぶ。

 

「ウズメ……アマノウズメノミコトか?」

 

「え……? はい、そうです……。あの、ありがとうございました。あなたが預言者様……ヤマトから話は聞いていました」

 痛みをこらえて姿勢を正したウズメ改め天宇受売命が頭を下げて床に額を付ける。

 別に頭を下げなくていい、そんな言葉も出ないほどに『 』は衝撃を受けており、その脳内で必死にかつて読んだ日本神話の書物――――古事記を思い出していた。 

 

(ヤマト……お前は猿田彦だったのか)

 高天原に生まれたキサカヒメノミコトの息子、サルタヒコノオオカミはアマノウズメノミコトと結ばれた。 

 神話は神話、多少の事実は混じっていたとしてもそのほとんどは創られた内容だと思っていた。

 だが、本当の歴史だったとするのならば『 』が生まれたことでかなり歴史を捻じ曲げてしまっている。

 本来なら生きるべき人間が死に、あるべき名は消え、それでも。

 

(…………)

 それでもなお運命の伴侶と出逢っている。

 分かっている、そういうものなのだろう。自分がどう歴史を変えようが神の意志のままにあるべき姿へと戻っていく。

 様々な姿をした地獄からの使者たちが『 』の捻じ曲げた歴史を本来の形にしようと動き回っているのだ。

 こちらからは悪魔に干渉できず、悪魔も『 』には不気味なほどに関わってこないのでもう長いこと無視しているが、今でもたまに悪魔が空を飛んでいるのを見る。 

 なんでこんなところに渡来人が、と思ったがあるいは悪魔が導いてきたのかもしれない。この日のために。

 

「ウズメ、今は山は危ないけれど……必ず俺がお前の村まで送ってやるからな」

 ヤマトとウズメが見つめ合うその目は恋をする者の目だ。瞳に映るのはただ一人だけ。

 つい最近までほんの子供だったのにもう大人になってしまった。愛する想いの強さも運命のどうしようもなさも嫌になるほど知っている。

 今更ここで歴史を捻じ曲げる気はないし、そこで世界の運命に逆らって変な業を背負うつもりもない。

 

「送るだけでいいのか」

 

「え?」

 

「送り届けて、戻ってくるのか? そしてまた山の中で会うつもりか? 危ないんだろう?」

 怒っている訳でも責めている訳でもないことは表情や声色から伝わっているようだ。

 本当に言いたいことを引き出そうとしていることが分かったのか、ヤマトは覚悟を決めた顔をしてこちらに向き直った。

 

「預言者様。この村以上に俺の命を懸けて守りたいものが出来たのです」

 予想していた言葉を受けて止めて、ゆっくりとまばたきをしてから部屋を見回す。 

 身体が特別大きいヤマトのために縫いあげた服、牛馬よりも食べるヤマトのための特別製の食器。

 二人の怪我が回復するまでの間に荷物をまとめなくては。

 

「ウズメ。子が生まれる時はヤマトに私を呼びに行かせるんだ」

 

「そ……! そんなの、まだずっと先の話です!」

 まだ半分子供の彼らにとってはそういう感覚なのかもしれないが、『 』にとっては違う。

 それが5年後でも10年後でも呼吸ひとつする時間と大して変わりない。

 

「ヤマト、分かったな。必ず私がお前たちの子を取り上げる」

 

「はい……必ず! その子にとって、きっとこれ以上ない祝福です!」

 

「楽しみにしているよ」

 15年以上一緒に過ごしていた同居人が出ていく寂しさをごまかすために俯いて目の下を掻く。

 ヤマトとウズメの子を取り上げて、その子が大人になってまた子を宿すのか。

 その前に二人が老いて死ぬのか。まだずっと先の話、けれど自分にとっては必ず訪れる未来。

 さよならだけが人生だとはよく言ったものだ。

 

 もう二度と、誰も愛さないと誓ったのに。

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