【プロローグ】
ある放課後、屋上で少年が口を切った。
「思うんだけどさ」
「どうしたの」
少女は問うた。
「[いい加減]って、少し文が違うだけで全く違う意味になるのってなんでだろうね。違和感が過ぎる」
「うーんなんでだろう。結構そう言う文章あるよね。考えた昔々の人を尋ねることもなかなか難しいだろうからなんとも言えないな」
2人はとしばらく熟慮した。暫くすると少女の方が勢いよく顔を上げた。肩まで伸ばした髪が風で小さく揺れる。
「あ、こういうことじゃないかな?」
「なにかわかった?」
少女は言いかけたが、屋上から景色を見ると一度口をつぐんだかと思えば、ため息をつくように言った。
「……やっぱりなんでもない。こんなこと無意味だよ。全部駄目。駄目駄目だ」
校庭を見下ろすと、学校から生徒が散り散りに帰っていくのが見える。
「え…? それってどういう……」
少女はこちらを向き、夕焼けに染まった赤い眼差しでこう伝えた。
「だから君も目を覚ませ。目を覚ます時間だよ。夜明けだ」
「夜明け…? なんの事?」
少女は、少年の胸先三寸まで近づき優しく、少し悲しげに言い放った。
「新しい世界にようこそ、カイ君」
①
その日の朝は、どことなく懐かしく清々しく、日の差し込んだ窓から見えるのはこの上なく晴れやかな青天井だった。白を基調とした壁や家具は、まるで病院の集中治療室の類だった。彼の胸には心電図の電極、腕には針が刺されており、天井に液体が入っている袋がある。そこから栄養が送られている様だった。何らかの治療を受けているようだった。その傍らでいつか観た医療ドラマでみたそれのように綺麗な一本線が表示された、エイシストールのアラーム鳴り響く心電図があった。電源が切れているのだろうかと彼は思った。その隣で同じくけたたましく鳴り響く心電図のように際限なく捲し立てる女性がいた。
「ちょっと、あなた聞いてるの?」
情報の整理ができずにいた。なぜなら、つい先までの記憶が鮮明だからだ。まだ夢を見ているのだろうか。
「ごっごめんなさい! 頭の整理が追いつかなくて……聞いてません、でした……」
「聞いてませんでしただぁ!? だぁーかぁーらぁー! あなたは死んで、ここはあの世だって言ってるの! あなたは、死、ん、だ! 分かる!?」
女性は彼の枕元にある床頭台をどんと叩き、何かに取りつかれたかのような形相でこちらを睨みつけた。今にも胸倉を掴んできそうな勢だった。
「あの、とても信じられません……だ、だって今僕が寝ている場所はい、いかにも病院で使ってる物のような気がします。まるで集中治療室みたい。えっと、僕は病院にに運ばれたんですか? 死んだ? 第一、第一その服装は看護師さんの服にしてはあまりにも変……こ、古風だと思います!」
その白衣は、フリルやスカート、ナース帽に至るまで、まるで一昔前の外国のそれのようだった。
「こっ、これは……上に命令された制服で……あ! あなたそうやって人の揚げ足取って楽しんでるのね! やっば! あんたの事も何か言ってやる!」
手を振り回しながら地団駄をふむ看護師のような何か。年齢は自分よりも歳上だろうか。大人びた顔つきとは真逆の言動で魁夢に怒声を浴びせる。彼女の横に編み込んだ金色の長い髪が激しく揺れ動く。
魁夢は寝ぼけている頭をどうにかさせようと必死に状況の整理を行った。尤も、虚しい結果に終わったが。
「ええ…?ええと……と、とにかく落ち着いてください…! でないと僕も落ち着けないので……」
彼、永 魁夢(ながらえ かいむ)は後頭部を髪ゴムで縛ってある。その長尾が少し揺らぎながら説得する。彼は昔から人と話すのは苦手である。尤も、女性と話すのはもっと苦手である。とはいえこれは例外中の例外。取り乱す女性は初めて出会った。
彼はおぼつかない、それでいて相手を宥めるような語り口で彼は言った。まるで未知の生物と対峙しているような、人生最大の使命のような気がした。
「したい、したい質問が星の数ほど、ぐらいあります……ま、まず、あなたは誰ですか?ここはあの世だとして、し、死因…? はなんなのでしょうか?先程も言いましたが、なぜ僕は死んでいるのに生きているのですか?」
ナース服の彼女は「ふううぅぅ」と剛健な溜息を数回ついたかと思うと、白衣のポケットからハンカチーフを手に取り、流涎を拭き取った。
客観的に見て、どちらが患者に見えるのだろう。
「……取り乱して失礼したわね。いいわよ貴方がそういう風に見えてるのなら……自己紹介がまだだった。私の名前はヨスガ。テンジョウ ヨスガ。今回あなたの事実上の死を報告するため、かつあなたの今後の未来の相談役として上から配属された。あなたたちが言うところの天使みたいなものよ。気軽にヨスガと呼んでくれて構わないわ。」
けたたましく鳴るアラームを止めるボタン、それを叩くように押しながら彼女は言った。
余計理解出来なくなった。魁夢は、きっとこの看護師はなにか僕をからかっているのだ。若しくは自身を看護師の類だと思っている異常者に違いない。彼女は何を宣っているのだろう。
しかし彼女の頭上には、天使である裏付けになる光輪のようなものが何も吊られている様子もなく浮いていた。ただ、漫画やアニメで見たようなものとは違く、少しドロリと溶解しているようで雫がとめどなく落ちている。その落ちた雫が髪に馴染み、絵の具のような艶の金色の髪となっていた。
自身のことをヨスガと言った彼女は、魁夢のベッドの床頭台の上にあった辞書のように分厚い書類を手に取り読み上げる。書類には大量の付箋が瓦のように貼られていた。彼女はしばらく試行錯誤しながら書類を斜め読む。
「あ、あの……ヨスガさん、大丈夫ですか…?」
「ハッ…!コホン、失礼したわね。ええとどこまで話したっけ……そうだ、昔ある天使が禁忌を冒した。それから再発防止策が出されて、その天使は追放。なぁんてことがあったからダブルチェックも兼ねて死因の確認をさせてもらうようになったの。インフォームド・コンセントみたいなものよっと……」
そこには魁夢の生前の情報が記載されてるのだろう。
「ふーん……一応……確認してもいいかしら?名前と年齢は?」
「ひゃ、ひゃい!な、永 魁夢[ながらえかいむ]です。16歳……です……」
「魁夢君、あなた本当に男の子?」
ヨスガは魁夢の顔まで乗り出し、彼の長くなっている前髪をかきあげた。
「は、はい……やっぱりそうなりますよね。あはは……」
魁夢は苦笑いを浮かべ頭を掻きながら俯いた。そう言われるのも無理はない、彼は中性的な顔立ちをしている上、件の髪が同じくらい前髪にも、片目が隠れるくらいのびているのだから。細身体型、大人しい性格の所為か、よく女性と間違えられてしまうのだから。
「そう、それは失礼したわね。話を続けるわ。身長160センチメートル、体重49キログラム、合ってるわね?」
「はい……」
ヨスガの容赦のない質問責めに、あえかな彼がどんどんか細くなってゆく声で答えた。
「BMIは……なるほどね。ええっと死因死因……あった。あなたは[屋上から落下後、循環血液量減少性ショックで死亡]したみたいよ。ふーん……転落死では無いのね。なかなか珍しい死に方したわねあなた……」
魁夢は少しばつが悪そうに窓の方を見た。此処の青空はとても青く見える。
「さて、死因もわかったことだし早速あなたの今ここに居るワケを掻い摘んで教えるわね」
矢継ぎ早にヨスガは言う。
「あなたは少し若く死にすぎた。そのため、あなたには別の世界での生を与えようと思うの」
「あの、元の世界ではなく、ですか…?」
「申し訳ないけどそこは我慢して欲しいわ。人間で生まれ変わる方が難しいんだから。あと、現世よりも危険が伴う場所だってことは肝に銘じておいて」
彼女が書類をたたんだ時も魁夢は未だ俯いていた。
死とは因果なのだ。運命なのだ。その因果を無くしてくれるというのなら嬉しい限りだ。
それに、もしかして、もしかして違う世界であるのなら、またいつか「彼女」に会えるだろうか? しかしそうじゃないのなら? 答えが決まらない魁夢に、ヨスガは彼の手に触れ言った。
「もちろん、あなたが決めること。あなたがこのまま天国へ行きたいというのならそれでもいいし、どちらでも構わないわ。質問は?」
先程の怒り狂った看護師擬きの顔は消え、悠然と言う看護師の顔つきになっていた。魁夢は、怖かった。なぜこの人はヒステリックに喚き散らしたかと思えば、急に落ち着いた優しい口調になったりできるのだろう。
彼は震えながら、細い手を上に挙げた。
「えぇと……し、質問よろしいでしょうか?」
「どうぞ。なに?」
「別の世界とは一体どのような場所ですか?」
「さっきも言った通り、とても危険な世界よ。元の世界とは比べ物にならないくらいのね。なんでも、原因不明の疫病が流行っているとか。まあでもあなたなら大丈夫そうね」
何をどう思って大丈夫なのだろう。なにか根拠はあるのだろうか。
「あの、その[禁忌を冒し追放された天使]、とはどんな方なんですか?」
「うーん……天使としての秩序に背いた、と言えば納得してくれるかしら? 少なくとも私はあいつを許さない。我々や市民の生活を脅かし、上への反逆、あまつさえ私の仕事を増やすなど……今にあのアマ……」
彼女がぶつぶつと独りごちながら爪を噛み始めた。光輪の液体がだらだらと、先程よりも多く流れている気がする。まずいと思った魁夢は、焦り気味にもうひとつの質問をする。
「あ、あ! あと、その世界で、えと、人間はいますよね? 違う言語だった場合不便で仕方が無いのですが……」
「ん、ああ。人間しかいないから大丈夫よ。その心配はいらないわ。こちら側であなたの記憶を一部改編して、向こうの世界の言語は何不自由無く話せるようにしておくから安心してね」
ヨスガが爪を噛むのを辞め魁夢はほっとしたのも束の間、魁夢の枕元にあるナースコールを押し、
「準備しておいて」、とそれ越しに言った。
「え、ちょっと待ってください! まだ僕何も……」
「ん? ああ、大丈夫、準備するだけよ」、と彼女は言うが、その時の目が笑っていなかったのを覚えている。
「質問は終わりかしら? 終わりなら私からもうひとつ質問させてもらうわ」
彼女が再び魁夢の顔に近づき、微笑みながら問うた。
「あなた、プロポフォールって知ってるかしら?」
「な、何を……言ってるん……です?」
魁夢がふと気づいた。体に力が入らないのだ。それと同時に、先程起きたばかりなのにただならぬ眠気を感じる。そういえば、起きた際に彼女が輸液を交換していた気がする。まさか、と思った時にはもう遅かった。眼瞼が次第に降りていく。
「分類名は、全身麻酔剤。あなたの腕に送られてるのは何かしらね?」
最後に見えたのは心電図のボタンを複雑に押しながら何かを言うヨスガの姿だった。
「Semper ad meliora」
この度、私のお話を読んでくださり誠にありがとうございます。荒井三塔空(みとく)と申します。まだ右も左もわからぬ新参者ではございますが、何卒よろしくお願い致します。少しだけ温めていた小説です。墓まで持っていくのも癪なので投稿しました。是非評価、感想をしていただければ幸いです。改めてよろしくお願い致します。
「イオは長い夢をみている」についてどう思われますか?
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