イオは長い夢をみている   作:荒井三塔空

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ここで、生きて、いける気がする。

 

 

 どれほど歩いただろうか。魁夢は暗い穴の中を進んでいる。先頭には鉤爪の女が、背後には杖を危なっかしく振り回す少女がいる。その少女は杖をつきながら、時折「チッ、チッ」と舌打ちをしていた。魁夢はいつ襲われるかもしれないという恐怖に、今すぐ死んでしまいたいほど怯えている。ただ運を天に任せ、ついて行かねば何をされるか分からないという恐怖を噛み締めながら前に進んだ。

 

 出発する寸前、混乱した頭の魁夢に、鉤爪の彼女はトレンチコートを投げ渡してきた。さすがにシーツは非常識すぎたのだろうか。しかし、コートを脱いだ彼女も——パイロットゴーグルに晒、ワイドパンツと——なかなか際どい格好だったので、魁夢は頬を赤らめる他なかった。

 

 しばらくは明かり一つない長い道を、彼女の義肢の音だけ響かせながら歩いていた。外套を羽織っていても洞穴の中は白い息が出るほど寒く、これが恐怖から来る震えなのか、寒さによる振戦なのか分からないまま、魁夢は震え続けていた。先頭を行く鉤爪の女は、指の爪ほどに短くなった紙巻きたばこを地面に落とし、踏み消した。彼女の足から、機械とゴムを擦り合わせたような音が聞こえる。

 

 魁夢の中で、聞きたいこと、知りたいことが怒涛のように溢れ出る。しかし彼が訊く前に、女が口を開いた。

 

 「お前、名前は?」

 

 「は、はい。ぼ、ぼぼぼくの名前は魁夢。永魁夢です……」

 

 「カイム?女みたいな見た目してるのに、随分男らしい名前じゃないか」

 

 「す、すみません……名前負けしてますよね……はは……」

 

 いつも突き詰められるのは、名前と容姿の差異によるものだ。聞き飽きた質問だったが、魁夢にとってはどうにも慣れない。俯く魁夢に、彼女はおもむろに言った。

 

 「まあ、かく言う私も名前がないから何も言えないな。はっはっは」

 

 魁夢は、彼女が少し大袈裟に笑ってみせていると感じた。

 

 「あの……ぼ、僕はどこに連れて行かれるんですか?」

 

 「ん?お前に会いたい奴がいる。無論そいつが、お前と私たちに『テスト』と称して無理難題を押し付けた張本人だ。クオーリアくらい面倒な奴だ。まあ時期に会えるさ」

 

 「クオーリア……ウンブラでは屍とも呼ばれていました」

 

 「そういうのって誰が付けたんだろうな。噂ってのは怖いよなあ。渾名もそんな風に付けられるのかねえ。何はともあれ、奴らは音と強い光に寄ってくる。あれが獣みたいに食えるんだったらいつでも来いなんだが、元は人間ってのが玉に瑕だな」

 

 「どうして僕を……た、助けたんですか?」

 

 魁夢は別の質問を投げかけた。すると彼女は——

 

 「簡単だ。お前は被検体だった。それと同時に、私たちの情報提供者だ」

 

 今しがた、平静に、沈着に、淡々と、とんでもないことを口にした気がした。それもまた不思議ではないだろう。納得せざるを得ない。魁夢が「以前いた世界」とは異なる、非常識が常識として通用している世界なのだから。

 

 「なぜ、なぜ村の人たちはこんなことを?」

 

 「どちらの意味でも取れるが、それでも簡単だと推測する。お前は余所者。それがあんな僻地で暮らしてみろ。たちまち良からぬ噂が広まるに決まっている。どうせ、感染源はあいつだ、みたいな虚言を新聞社にでも流したんだろう。もう一つの意味だとしても、先にも言った通り、お前は実験体。何の実験目的か分からないが、地下に閉じ込めてどれだけ食べなければ変異するか、或いは協力者はいるのか。どちらとも取れるが、私にも分かりかねる。証拠がない。ただ分かるのは、お前が何か情報を持っているということだ」

 

 魁夢は頭を抱えた。

 

 「ぼ、僕は……実験台……?」

 

 魁夢は、上手く飲み込めないこの状況が、輪をかけて謎が深まっていくのを感じた。

 

 背後からくすくすと笑い声が聞こえる。薄らとある記憶の中に、嫌なものがある。夢なのかすら分からない。ただ言えることは、その内容が恐ろしく、酷く筆舌に尽くしがたいものであったことだ。

 

 魁夢は——人を食った。

 

 真実は定かではないが、どうか夢であってほしいと、心の中で思った。

 

 地上階の床に大きく開けられた穴。「10番」と呼ばれている彼女は、おもむろにそこに掛けられた梯子を降りていった。

 

 「チッチッ……ほら、お前も行けよ。ぐずぐずすんな」

 

 自身を「16番」と名乗っていた彼女が、杖の先で魁夢の背中を小突いた。彼は改めて、杖の少女の背格好が気になった。魁夢よりも少し低い身長。まだ子供のように見える。頭には目の部分まで隠れるほど雑に包帯が巻かれ、服装は血塗れのブラウスとスカート。肩には黒いサッシュのようなものが掛けられ、ブラウスの両肩には彼女の肘部までの長さのペリースが巻かれていた。盲目なのにしっかりしている子だと、魁夢は感じた。

 

 長い通路を抜けた先は、二階まで吹き抜けになっている広大なアトリウムだった。そこには松明やランタンが無造作に置かれ、吊り下げられている。また、どこからともなく焚いているのだろうか、きつい香の匂いが魁夢の鼻を刺した。大勢の人が屋台を並べ、魁夢らを見た途端、皆が物陰に隠れ、そこから恐る恐る見つめていた。

 

 「こ、ここは一体……」

 

 魁夢が目を見開いていると、彼女が振り向き目を輝かせながら——

 

 「すごいだろ。元々は人工的に作られたものだったようだ。それを私が掘って拡充した。いやあ、大変だった。生体義肢がなければ何日かかっていたことか」

 

 腰に手を当てながら自慢げに語っていると、背後からギチギチと音を立てながら、気怠げな声が近づいてきた。

 

 「……遅すぎです。何分待たせれば気が済むんですか。支配人、カンカンですよ」

 

 メイド服を着た、手足が金属で覆われた少女。まるで鎧をまとっているようだった。

 

 「すまないな。テストは合格だ」

 

 「こいつ、すごい動きしてたよ!尋問も終わり!」

 

 「じ、尋問…?」

 

 思えば、なぜこのような逃げ場のない場所に連行されたのか。それだけで合点がいった。もっと早く気づくべきだった。

 

 彼女は魁夢に背を向けたまま両手を広げ、鉤爪を生物のように動かした。爪の隙間から時折覗く赤い瞳のようなそれは、生物に似た何かであるのは確かだった。その鉤爪は、後ろの初見の人間を観察するかのように赤く揺らめく。

 

 魁夢はひっと、か細い声を上げた。それを見て、鉤爪の彼女は意味深な笑みを浮かべた。

 

 「名前はないと言っていたが、みなからこう呼ばれている。申し遅れたな。私は10番。お前を歓迎する。ようこそ、カイム」

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