イオは長い夢をみている   作:荒井三塔空

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ずっと、ここで暮らせる気がした。

 

縁日の薄明かり。

夏、花火、夜祭、神社。

夏、花火、夜祭、神社。

 

時折、お囃子。

 

花火、花火、花火、花火。

 

今、丁度大きな、炎の華が。

 

 軋む階段を降りるにつれ、食欲をそそる芳ばしい香りが鼻をかすめた。階段を降りてすぐ右に食卓、その奥に厨房があり、そこで、華奢な魁夢とは反比例した体躯、筋骨隆々の男が馬鈴薯の皮を剥いていた。

 

 「イ、イジ、おはようございます」

 

 魁夢がそう言うと、イジはこちらを見て「おう」、と低い声で言い作業を再開した。

 

 「そ、それじゃあ僕は、あ、朝の稽古に行ってきます……」

 

 魁夢は少しばつが悪いように、階段の反対側にある裏口まで足早に向かっていった。

 

 「おい」

 

 「ひゃい!」

 

 急に呼び止められた魁夢は、後ろにとめた髪が逆立つほどに驚いた。

 驚いた魁夢とら裏腹に、冷静なイジは机の上にあるものに指をさしながら「ん」、と言った。

 それは珍妙なものだったが、魁夢の腕の長さと同じくらいの、金属の腕骨だった。骨幹部から骨端までのみ骨幹部には固定するベルトが付けられており、骨の所々に小さな鈎が付いていた。

 

 「あ、ありがとうございます!」

 

 彼は眉を少し上げ、作業に再度取り掛かった。

 魁夢のシャベルはイジの特注品だった。元は彼の得物だったが、魁夢に譲られた。

 右に偏った重心。それに合わせて振るえば独特の変則的な動きができる。魁夢はそれが気に入っていた。

 左手を失っても、自分には家族ができたのだ。あの時、彼女たちが助けてくれなければ自身はどうなっていたのだろう。

 目を覚ました時、左腕はすでに縫合されていた。

ユリカは返り血を浴びたガウンのままベッドに突っ伏し、イジは寝ずの番をしていたのを覚えている。

感染の心配がなくなるまで鎖に繋がれたが、決して突き放されることはなかった。

 街の人達は、皆、陰気だった。人々の嘲笑と幻肢痛が魁夢を苛んだ。それでも、食事を運ぶイジの手は大きく温かく、稽古に誘うユリカの声は優しかった。

 

 「家族」

 

 そう感じたは、きっとこの時が人生で初めてだった。

 

 「右手だけの戦闘も板に付いてきたんじゃないかい? ほら、水」

 

 休憩中、ユリカは魁夢の右隣に座り、水を渡してきた。

 

 「あ、ありがとうございます」

 

 魁夢は少し水を飲んだ後、ユリカが話しかけてきた。この世界の水は汚染されており、飲むには特別な薬草を発酵させたものと合わせて飲む必要がある。

 

 「イジはあんな感じで仏頂面だけど、ああ見えてカイムと仲良くなりたいんだ」

 

 「とても優しい方だと思います。ただ、何を考えているのか分からなくて。体も僕より大きいので余計……」

 

 魁夢は苦笑いをしながら水を飲んだ。ユリカはアッハッハと笑った。

 

 「分かるよ。私も最初は薄っ気味悪い野郎だなと思ったさ。今でも彼は不器用だと思う。最初こそ君のことを女だと思ってたもんな! まあ、私も然りだが。いやはや、女医として有るまじき事だと思ったよ」

 

 ユリカは尚も笑い続ける。少し日が照りつけ、裏庭全体が明るくなった。

 

 「ユリカはイジとどうやって出会ったのです?」

 

 「ん? 労働者階級の彼と私が何故であったか、って事か」

 

 「え!? いえいえ、全くそんな事は思ってないですって! たっ唯……な、馴れ初めを知りたくて……」

 

 ユリカはそれを見てクスクス笑っていた。

 

 「いやいや、わかってるよ、君がそんな事を考えない事くらい。君の住んでいた場所では階級が無かったんだろ? ごめんよ揶揄ったんだ」

 

 「えぇ!? もう! いくら僕が面白いからって…!」

 

 魁夢がこんなに打ち解けることが出来たのは、聞くまでも無くユリカのおかげだろう。ユリカは魁夢の事をよく揶揄うが、それが彼は嬉しかった。

 

 「アハハ、ごめんって。でも羨ましいよ、格差がない世界は」

 

 ユリカは少し悲しい顔をしながら、明るくなってくる空を屋根の隙間から見上げていた。

 

 「君にはまだ教えてなかったな。彼との出会いを」

 

 

 ④

 

 

 そこには、無我夢中でゴミ山を漁っている少女がいた。

 少女は、自分でも何をしているのか分からない。ただ、傷んでいるかどうかも分からない野菜くずやパンを口に入れて飲み込む、そんな毎日を続けていた。最早食べ物かも分からないものを漁りながら、背中に背負っている擦り切れた医学書を読み、惰性で生きていた。その、父親から最期に貰った医学書と文字の羅列は、やせ細った彼女には重すぎた。みすぼらしい風貌で路地裏に座り込み本を読んでいる様に人々は憫笑した。通りがかりに殴られ蹴られる事すらあった。

 ユリカは、それでも、折れなかった。今思うと、正気を失っていたのかもしれない。

 ある建設途中の救貧院の前を通り過ぎようとした時、建物の上の方から怒声が聞こえた。そこで数人の大人の中に自身と同じくらいの歳の子供が混じっていた。その男は頬に大きな紫斑を作りながら黙々とレンガを運んでおり、上の建設途中の部分に行く度に、髭を蓄えた如何にもな大男に怒号を浴びせられ、何度か拳で殴られるということを繰り返し行っていた。

 彼がもう一度レンガを取りに下へ降りた時、少女と目が合った。少年の目は、今まで見てきた者の目とは違う。彼女は彼を気味悪く思った。少女にとっては憐憫の目こそが日常だった。少年はしばらく彼女を見ていると、また上から怒鳴り声が聞こえ、急いで建物に入っていった。

 建設中の建物の裏路地で本を読んでいると足音が近づいてくるのが見えた。あの少年が走りながらこちらに向かって来るではないか。身の危険を感じた彼女は間髪入れずに本を閉じ、その背を少年の鼻に目掛けて力一杯振りかぶった。少年は鼻血を出しながら彼女の腕の下を滑り込みながら転倒した。満足気な彼女は、大の字のままぐったりしている不届き者の顔を拝んだが、同時に申し訳なさで頬を染めた。彼の手には、2人分のパンとスキレットが握られていたのだから。

 

 「どうだい? それから私は色々あって、イジが暮らしてる孤児院に、妹という体で住まわせてもらって、工場で働きながら医学の勉強をしていたよ。それで才能を買われて家と女医という職を貰った、てな感じだね。質問は?」

 

 「え、えぇと……どこから訊いていいものか……」

 

 「なんでも訊いて構わないぞ! お金は取らないからな」

 

 ユリカは腕を組みながら自慢げだった。

 

 「ほ、本でイジを殴り飛ばした……」

 

 「ああ、あれは本当だよ。人相の悪い奴がこっちに向かってきたら誰だって怖いでしょう? 大事な医学書だったけど、レイプされるよりかはマシだから死ぬ気で振り上げたよ。あはは」

 

 そう言いながら彼女は赤くなりながら笑った。魁夢が後ろを見ると、窓から見える台所で、イジも無表情の儘で頬を染めていた。

 

 「あまり想像がつきませんね」

 

 赤く染った二人を見て、魁夢も少し笑った。

 

 「あ、あの、ご両親はどうして亡くなられたのです?」

 

 「自殺」

 

 「え……」

 

 「屍の脅威を最初に知らせたのは医師である私の父だ。何度、ペテン師だ、世迷言だと言われた父はそれでも諦めなかった。母もそれを信じ支えた。そんな父が10歳の誕生日に医学書をくれた。[知識を身に付けろ、知識は誰にも盗られない]って言ってね。数日経って、1人の罹患者が出た。父は正しかった。しかしあいつらは、父こそが病を広めた諸悪の根源と口々に言い、殺人者扱いされて死んだ。母も後追いでな。ウンブラて頭の良い奴はあまり歓迎されない。なぁに、昔の話さね」

 

 罪悪感で俯いていた魁夢に、ユリカは肩を強く掴んだ。

 

 「知識を大事にしろよ」

 

 魁夢が少し頷くと、ユリカは彼の背中を強く叩きながら言った。

 

 「よし! 稽古の続きだ! この後の飯は絶対うまいぞ! あ、飯が終わったら、イジを殴った医学書でも見せようか?」

 

 「は、はい! 是非!」

 

 魁夢は少しずつ、前に進んでいる。そう感じた時の空も魁夢も、まだ、青かった。




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