⑤
「俺を見ろよ」
そいつは黒板の前にいた。同じ学校の同じ制服。無表情で一切合切無きこととするようなツラ。僕は聞こえないふりをした。
「どうした?知らん顔をするなよ。気づいてんのは分かってるんだ」チョークを僕の胸元に投げつけ近づいて来る。僕はチョークを拾い黒板に戻そうとした。
そいつは僕の行為でますます苛立ったのだろう。許してくれなかった。近づいて僕の制服をつかんだかと思えば、僕は一瞬画面が暗くなり、その場に倒れこんだ。もう片方の手で殴ったのだ。
1番上のボタンをあけ、着崩した彼の制服姿はよりいっそう僕を恐怖させた。
「そうやって僕を虐めるのだろう?僕が気に食わなくてどうしようもないんだろ?ならば殺してくれ。殴って気が済むなら思い切り殴ってくれ」
「いいや、今日はこのくらいでいい。弱いのがひねくれたようなお前は、ずっと俺に虐げられてるがいいさ。」
「いいか、お前は俺、俺は俺だ。俺の力だ。忘れるな」
一瞬目の前がかすんだかと思えば、ゆっくりと目をつぶるように周りが赤黒くなっていった。
───目を開けると僕は診療所の病床にいた。夢をみていたのだろうか。月明かりが妙に美しく感じる。隣の部屋を開けるとユリカとイジが寝息を立てていた。僕は左手の創部を撫でる。冷えている所為だろうか、少し痛かった。
───少し街から離れると此処の全体像が一望できる。ユリカとイジが住んでいる城下へ続く坂と階段。長く螺旋状に続く道はまるで毒蛇がとぐろを巻いているようだった。その毒蛇をなぞれば、大きな橋の先に大聖堂のような角張った建物。
ユリカ曰くあれが「城」だそうだ。金装飾の城の側面からは、反比例するように毒々しい色の水がとめどなく流れていた。
少し情報を得た。ここは「ウンブラ」というノクテムの城下に位置する地域であること。感染源がもしかしたらこの町なのではないかということである。少なくとも地域住民の大半はそうは思っていないようだが。
最近は城から調査員と言われる人々が数人、定期的に訪れるようになった。
魁夢も見たことがある。聖句の様なものが大量に施された厚手の革手袋にロングコート、本当に見えているのか怪しいゴーグルに嘴の様な木製の仮面をみにつけた格好。それは、まるでこの地自体が汚いものだと言っているようだった。
その調査員たちが訪れる度に住民は家にこもらざるを得なかった。もし下手なまねをしたらどうなるか分からない。しかしユリカとイジだけは違かった。自分より高身長の人に向かい胸ぐらをつかみながら抗議していた。
「冗談じゃあない!ここでは井戸水を使っている。下流じゃなくて上流を調べろ!住民が怖がるじゃあないか!」
ついには取っ組み合いになり、イジが仲裁に入るも殴られ、取っ組み合いに拍車がかかり、満を持して魁夢が出てきては宥め、調査員らが渋々帰ってゆくというルーチンが一連の流れであった。
2人は、ある場所に向かっている。イジはなにかあった時のために留守番中だ。道行く所々、心做しか草が少しうねっている気がする。いや、たしかにうねっている。魁夢は少し身震いしながら、森の奥の今にも倒壊しそうな建物を見つけた。
「ユリカさんユリカさん、なんだか大きな塔があります。あれはなんですか?」
魁夢はその大きな建物を指さしながら歩みを進めた。ユリカのレイピアとメスの入ったポーチが軽く鳴っている。
「ああ、あれは過去の遺産だそうだ。あくまで行商から聞いた土産話に過ぎないが、彼処には罹患者よりもはるかにタチが悪い奴らがいるみたいで、無事ではすまないらしい。いやはや、身ぐるみ剥がされたら怖いから私は行かないね」
「そ、そうですか」
魁夢は、彼女なら無事どころか、倒した者たちから奪った耳を首から下げて帰って来そうな勢いである。
「お、そうこう言っている間に目的地だ」
魁夢は前を見ると、見覚えのある場所にいた。
───あの共同墓地だ。魁夢らは、失った左手を探しに、「喪服の女」の手がかりを探すためにここまで来た。
「……大丈夫そうか?」
ユリカは魁夢の真正面に立ち背中をさする。彼女の首元にある小瓶のネックレス。その中に医学書の切れ端が入っていた。
「大丈夫です。覚悟は出来てます」
そういった魁夢の握るシャベルは震えていた。
「そうか、それじゃあ行くか」
ユリカは自身のスカートに手をかけたかと思うと、するすると上に捲り始めた。思春期真っ只中の魁夢にはとても目のやり場に困る状態だ。
「え、え? クオーリアってそうやって倒すんですか…?」
頬を赤らめながらそわそわし出す魁夢。ちょうどいい物陰の動く草むらに自ら入ろうとしたのをユリカが必死に止めた。
「違う違う! 戻ってきてよ! こんなことイジにもしてないわ! ほら、ここにあるだろ?」
魁夢の行動で少し恥ずかしくなった彼女は魁夢に負けず劣らず頬を赤く染め、右の大腿部を見せた。するとそこにはスローイングナイフが複数入っているではないか。
「知ってると思うが、イジは手先が器用だからね。こういうのも作ってくれるんだ。ほら、ここにも」
と、ドレスのベルト部分のポーチに納めてあるナイフを見せた。こちらは柄が付いている大型のメスのようなナイフが4本ほどあった。
「そ、そういうことだったんですね。そういう趣味かと思いました」
「君は私のことをなんて思ってるんだ……やるなら私ならもっといい方法を考えるぞ」
開始から数時間後、暫く探していたが、目当てのものは見つからなかった。
「あと一時間以内に帰らないとだね。余裕だろうけど用心しながら帰ろう」
「はい」
「な、なぁにこの世の終わりみたいな顔をしてるんだい。私も悲しくなるじゃあないか。左手だって君のことを探してるさ。暗くなりそうだからしゃあないよ」
ユリカは魁夢の背中を強く叩いた。俯いていた魁夢はなにかに気がついた。
近づいてくる、音。
「ユリカさん! こっち!」
「え!ちょっ……」
ユリカの反応よりも魁夢はユリカの手を先に、それでいて半ば強引に引き、墓石の裏に隠れた。
爆発音。その音の主は建物側から来たようだ。2人は、墓石の陰から恐る恐るその姿を見た。それは細いワイヤーのようなものの先に1つの大きな鋭い爪のようなものを3つ背中に携えている。その1本1本か職種のように動いているように見えるのは気の所為か。
「な、なんだいあいつは……」
癖毛で、茶色の髪を後ろに結わえた、トレンチコートの女性に見える。パイロットゴーグルを首にかけていたような気がした。3つの爪から炎が出始め、それがどんどん大きくなり仕舞いには大きな音を立てていった。物陰に隠れていた2人は、この状況が少し不味いことに気がついた。墓石の裏から走り出した瞬間、森から出てきた音の主は爪からまるでエンジンのようなものを点火し、爆音で空へと去っていった。一方、ユリカと魁夢は物凄い音と共に爆風で後方に吹き飛ばされた。頭を強く打った。
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