闇が魁夢を包んでいた。意識の淵から浮上する彼の耳朶に、女の声が届く。
「……きろ……起きろ、カイム……」
声は切迫していた。恐怖と焦燥が混じり合った、しかし凛とした響き。魁夢の重い瞼が開かれると、夜の深淵が彼を迎えた。カンテラの橙色い炎が一つ、闇を切り裂いて揺れている。その光の下で、女性が一人、屍たちと対峙していた。
彼女の手には残り少ないスローイングメス。その刃先が、まるで流星のように明滅する。その場にはレイピアが、根元から折られていた。
魁夢の右手は無意識のうちにスコップの柄を握りしめていた。冷たい金属の感触が、現実へと彼を引き戻す。
「も、目標の数は?」魁夢は震えた声で言った。
「ざっと十八」ユリカが答える。「明かりが心許ないから、正確には分からないがね!」
彼女の動きは流水のようだった。背後から迫る死者の攻撃を躱し、回り込みながらメスで頸動脈を切り裂く。そして次の瞬間、そのメスは宙を舞い、別の死者の眉間に深々と突き刺さった。
「私が作戦を立てる」ユリカの声が闇を切った。「お互いに前衛、私が近距離、時に遠距離。君は近中距離。無理をするな。私の援護を頼む。何かあったら左手を使え。以上、作戦開始」
言葉とともに、ユリカは腰の大型メスに手を伸ばす。鋼の歌声が鞘を離れる音が、静寂を震わせた。
「え、ちょっ……」
魁夢はあたふたと彼女の背後に回り込む。心臓の鼓動が太鼓のように響いていた。
「戦意を削げばいい」ユリカは魁夢に言い聞かせる。
しかし、歩み寄る死者の顔を見た時、魁夢の手は止まった。それはかつて女性だった者の面影を残していた。人であったものの残滓が、彼の心を縛る。
「しっかりしろ! 死ぬぞ!」
ユリカの叫びが、魁夢の躊躇を砕いた。彼は後方に大きく身を引く。そして回る。遠心力を右腕に込めて、シャベルを縦に振るった。刃は一直線に弧を描き、屍の頭を叩き割った。
時が止まったようだった。魁夢にとって、それは永遠にも似た一瞬だった。血と肉片に染まった手を彼は呆然と見詰めていた。
「これが、狩り……?」
その時、周辺視野にある違和感が彼を襲った。血に汚れた義手と、手術痕の境界から、つややかな黒い液体が滲み出している。触れてみる。それは温かく、粘性を持っていた。
「きゃあ! カイム! カイムゥゥ!」
振り返ると、悪夢。
ユリカが地面に倒れ、その上に大柄な死者が覆い被さっている。死者の指がユリカの首を押さえつけ、彼女も負けじとメスを屍の脇腹に何度も貫いていた。カンテラの炎が今にも消えそうに揺れている。
数秒。魁夢が目を離していたのは、たった数秒だった。
「ユリカ!」
魁夢は左腕をしかし、その時既に遅かった。死者の親指がユリカの右眼に沈んでいく。
「いやあぁ……」
「なんで……こんな……」
魁夢は動けなかった。手を伸ばせば届く距離にいるのに。ここでやり直せると思っていたのに。彼はただひどく足がすくんだ、ユリカの右眼を潰す光景を見詰める一人の少年でしかなかった。
彼女の声が次第に小さくなっていく。
こんな近くの人さえ守れないんだ。この先だって、ずっと。
ユリカ、ごめんなさい。あなたを守れなかった。
尚夏さん、僕はまだダメなままだった。
ヨスガ、これも貴女の予想づくでしたか?
ふと、疑問が浮かぶ。尚夏って誰だ……?
その時、左腕に激痛が走った。義手を押し除けて現れたのは、元の腕とは程遠い、赤黒い肉の塊だった。
「な、何が……?」
そして魁夢は思い出した。あの夜、噛まれたことを。
「そうか……僕はもう、人間じゃないんだ……」
スコップを逆手に持ち、もはや左腕とは呼べぬそれを構える。
「全員、潰れろ」
まずはユリカを襲う大柄な死者から。顔面を蹴り上げ、露出した左眼にスコップの柄を突き刺す。そして喉笛を左腕で裂いた。いや、裂いたつもりだったが、その死者は大きな弧を描いて前方に飛んでいった。
そこから魁夢は、彼女の周りの死者たちを次々と葬っていく。斬り、潰し、ねじ伏せる。肉が潰れる音、臓物の飛び散る音、肉の感触、むせ返るような匂い。全てが心地よかった。
まるで長い間渇いていた者が水を得たように。ここで永遠に生きていけるような高揚感とともに、最後の死者を肉塊で突き刺し、葬った。
我に返った魁夢が見たのは、虫の息のユリカと、あたり一面の屍の山だった。
「はは……派手に、やったな……それは一体…?」
「喋ってはダメです」
急いでユリカに教わった救急処置を施そうと、彼女のドレスを少し裂く。しかし、深い傷が幾つもあるのを見て、魁夢は息を呑んだ。ユリカは彼の手を払い除け、言った。
「やめろ……私はもうダメだ……背骨も折れているし、内臓も出血している。目も……」
「そ、そんなこと言わないでください」
「これを」
ユリカは魁夢の手に、大型メスを握らせた。
「最後に、助けるという約束を果たしてくれた……ありがとう。イジによろしく……」
ユリカは深い水の底に沈んでいくように、ゆっくりと目を閉じた。カンテラの火が消える。魁夢はメスを握り締めて言った。
「ユリカ、絶対に真実を暴いてみせる。何があっても」
その時、ウンブラの方角から武器を構えた町の男たちがやって来た。包丁、鉈、干し草用のフォーク。その中にイジの姿もあった。魁夢がその場を離れた瞬間、イジはユリカの元へ駆け寄り、声を上げて泣いた。
「君がやったんだね?」
町長も来ていた。静かに涙を浮かべる魁夢を見ると、男は後ろから魁夢の右腕を強く掴んだ。
「さあ、来てもらおうか」
魁夢は静かに頷き、押さえつけられながらウンブラへ向かった。
長期休みに入ってやっと落ち着きました。見てくださっていた方々には本当に申し訳なく思っています……日記にも書きましたが、だいぶ疲れがたまってできない日々が続いておりました……日常生活の方を優先していきたいのでそこはご了承ください…!また読者様とコメント上で会える日を心待ちにしております!感想 質問があればお願いします。評価もよろしくです!
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