冬の夜気が肌を刺す。ボロボロの外套を纏った女が、パイロットゴーグルを装着しながら数キロ先のノクテムを見据えていた。
「いつ頃始める?」
「……私はいつでも構いません。それにしても冬はこたえますね」
メイド服の女がギチギチと音を立てながら手を回す。機械仕掛けの関節が軋む音だった。
「なんでもいいからはやく終わらせよーよ! お腹空いちゃった!」
杖を持った小柄な少女が、頭から目まで巻かれた包帯を揺らしながら言う。その手には、やや曲がった杖が握られていた。
「そうだな、そろそろ始めるか。というより、夕飯は少し前に食べたばかりだろう、16番」
「そうだっけ? 忘れちゃった!」
10番は小さく溜息をつき、頭を掻きながら首を横に振った。
「気を取り直さなければ。作戦内容は復唱できるな、31番?」
「……10番さんが16番さんを抱えて飛行、私も後に続く。壁を越え、最も警戒が薄いであろう町長宅の隠し扉を探し、閉じ込められている稀少な個体と戦利品を奪取して帰還。取れるものは何でも取る。穴を開けるのはあくまで切り札。静かに、穏便に、ですよね」
31番と呼ばれた彼女は、屈伸をしながら答えた。機械の軋む音が夜の静寂に響く。
「そういえば、お前も飛べるんだったな。さすが機械もの」
「……それはあなたも同じようなものでしょう、『もの混ざり』の10番さん?」
「はは、違いない」
10番は外套の裏に隠した三本の大きな鉤爪を動かしながら笑った。
「飛ばす? またお空飛ばしてもらえるの? わあい!」
「お前も会議の時、一緒にいただろう。まったく……」
「会議? 何言ってるか分かんなかった。寝てる方が好きだもーん!」
16番は布越しに満面の笑みを浮かべている。10番は少し微笑んで彼女の頭を優しく撫でた。それから真剣な眼差しになり、言い放つ。
「それじゃあ、始めるか」
「……静かに、穏便に、ですからね」31番が水を差す。
「わぁってるよ……ったく……これより作戦行動を開始する。みんな、ご安全に。以上、行動開始」
10番がそう告げ、16番を抱えた。彼女のコートの内側が赤く発光し、冬の夜空を裂くように飛び出す。風を追うように、31番の背中も閃光を散らした。
その夜、ノクテムの空は3人によって明るかった。
⑥
あれから何日経っただろう。魁夢は町長の家で簡易裁判にかけられた。
町長の家の食卓で。不気味な剥製や絵画が並ぶ、悪趣味な空間。その中央で、自分だけが”生きた剥製”のように跪いていたことを、彼は覚えている。
ユリカは——魁夢の恩師は——幸いにも一命を取り留めた。しかし大腸が潰れ、左眼がえぐれ、腰椎が大きく損傷していた。もう歩行は出来ないかもしれない。出産も。
ウンブラにまた一人、罹患者と疑わしき女性が暴れ、拘束された。そして魁夢は余所者。ユリカに対する殺人未遂、及び町中に病を撒いた容疑者として扱われていた。変形した左腕がそれを物語っている、と。
人々から怒号を浴びせられ、後ろから蹴り飛ばす者もいた。仕方のないことだ。助けてくれた家主を、あのような姿にしてしまったのだから。
ただ一人、イジだけは魁夢の味方でいてくれた。彼は机を叩いて言った。
「カイムは優しく謙虚な子だ。そんなことをする子じゃない。大体、お前たちはこんな子供に向かって恥ずかしくないのか。見ただろう、あのクオーリアの山を。彼は彼女を——私の妻を守った。彼は無実だ。それ以外に何があると言えよう」
イジがあれほど喋ったのを見たのは、後にも先にもその時しかないだろう。彼の説得も虚しく、魁夢は城に引き渡されることになった。いつになるかは分からないが。
町長の家の昇降口を開けると、地下へ続く長い階段があった。そこを降りると、カビとドブの臭いが混ざり合う汚水が流れ出る場所に着いた。まるで大廊下のように開けた空間。床は格子を挟んで下水が流れ、壁際にはおびただしい数の牢が並んでいる。
「入れ。迎えが来るまで待っていろ」
町長とやらが直々に案内してくれた室内は狭隘で、石積と石畳以外には何もない部屋だった。出入口は鉄格子になっており、簡単に開きそうにない。魁夢は逆らえばどうなるか分かっていたので、大人しく牢に入った。身ぐるみを剥がされ、右手には枷がはめられ、縛られていた髪はほどけて乱れきっていた。
「ぼ、僕は処刑されるんですか?」
傷だらけで裸の魁夢は恐る恐る口を開いた。
「気安く口をきくな、余所者。第一、それを決めるのは私ではない……私にはこの道しかないのだから……」
そう言うと、男は元来た道を去っていった。コツ、コツという足音と、汚水の流れる音だけが残った。
魁夢は急いで辺りを見回した。よく見ると、ここに収容されている人は複数いるらしい。皆、絶望した表情を浮かべ、向かいにいる一人はうずくまってピクリとも動かない。
それでも、あれだけ不信感を抱いていた城の連中に引き渡すとは。そんなことを考えるだけでも、焦燥感と怒りがこみ上げた。とてつもない空腹感にも襲われる。どうにかなってしまいそうだった。
数日が経った。左腕の創部は、たまに蠢く肉の刃物のせいでずたずたになっていた。これでは屍の病どころか、他の感染症にかかって死んでしまう。
——それ、競走だ。どっちが勝つかねえ。もっとも俺が勝つんだけどな。
「……誰?」
魁夢は顔を上げた。返事はない。代わりに、頭の奥で笑い声が弾けた。
「言っただろう?お前は俺、俺は俺だ。お前を生かすも殺すも俺次第。何はともあれ、体の調子は大丈夫か?腹は減ったか?減っただろう。どうだい、ひとつ俺に委ねるというのは。今に面白おかしいぜ」
「左手がこんな状態なのに、大丈夫なわけないでしょ?第一、何日か前に知り合ったばかりの相手には無理な話だよ」
声はカッカッカと笑った。
「薄情だなあ。助けると言っているんだよ。少しだけだ。後はお前に返すと言っているんだ。お互いを知るいい機会じゃないか」
「う、うるさい。お腹なんて減ってない。このくらい我慢できる」
魁夢の腹は、そんなことをお構いなしに鳴り続ける。
「どうする?どの道、ここで野垂れ死にするのは酷だろう?なあ、協力するのも大切だぜ」
これは度重なるストレスによる幻聴だ——魁夢はそう思った。だが、空腹の彼にはまともな思考などできなかった。
「いいよ、どうでもいい……え?なん……」
そう言い切る前に、魁夢の視界は朧気になり、意識が遠のいていった。
大変長らくおまたせしました。私の勝手な都合で投稿を怠ってしまったことを本当に申し訳なく思っております。何かございましたらコメントの方によろしくお願い致します。評価もしていただけたら嬉しいです。
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