【完結】都立西方浄土高校女子だらだら部部長にして華麗なるお嬢様崋山危懼子ならびにその他女子部員らの活動記録、あるいはなぜだらだらの日常はあっけなく崩壊したかということに関する簡潔な報告 作:ほいれんで・くー
「確かに大変なことになっているな」とメイドが言った。「カピバラと争ってキャベツを食べるなんて尋常なことではない」 テレビ画面には白衣の女が映っていた。その表情は緊迫感に満ちていた。目の前にあるキャベツの山を決して、ネズミ目テンジクネズミ科に属するカピバラという名の齧歯類に喰われまいという覚悟が見て取れた。しかしカピバラたちの食欲は旺盛なようだった。流石に漢名として「水豚」という名を持つカピバラである。彼らの食事の量は一日で2キログラムから3キログラムに達する。植物だけでそれだけの量を食べるのである。簡単な試算によればカピバラ一匹の食費は月に10万円に達するという。カピバラは画面に映っているものだけで6匹いた。
天使がテレビ画面を見て「ふへっへっへへ!」という天使らしからぬ下卑た笑い声をあげた。「なにあれ、ダサすぎ! キャベツばっかりあんなに貪り食うなんてカッコ悪いわ! そういえばあいつ、飲み会でも乾杯の前に塩キャベツを貪り食ってたな。『健康のために仕方なくキャベツを食べてるのよ』とかなんとか言っていたけど、実のところは根っからのキャベツ好きだったのね、ふへへへへ!」 天使は酔っ払っているようだった。既に天使が飲み干したワンカップ大関は180ミリリットル入りの一合瓶が3本にもなる。白衣の女はキャベツを口いっぱいに含んでいたが、素晴らしい速度で咀嚼して飲み込んだ。そして、画面越しにこちらの方を向き、はっきりとした口調で言った。「そこ、うるさいわよ! キャベツを食べるのがそんなにダサいんですか! 私から言わせてもらえば、キャベツを食べる人をダサいと思うお前の感性の方がダサいです! 全国のキャベツ農家さんに謝りなさい!
「うわ」と、テレビを見ていた危懼子たちは一様に驚きの声をあげた。命賭が言った。「テレビの中の人が話しかけてくるとかホラーだよぉ。陳腐だけど」 メイドが腕を組みつつ頷いた。「恐ろしいことだ。これではテレビを見ながら出演者に罵声を浴びせることができなくなる。私はそんなことをしたことはないが」 マルタがなおもワンカップ大関を飲み続けている天使に向かって言った。「あなた、
危懼子が画面の中の白衣の女に話しかけた。「それで、
白衣の女は急いで立ち上がると、カピバラに対して「コラァッ!」と叫んだ。叫んだ後、女は「いてて……」と言って左脇腹を手で抑えた。そこはカピバラの鼻面が直撃した箇所だった。白衣の女は痛みにもめげずに叫んだ。「カピバラ共! 私はキャベツが必要なんです! ちょっとは私に遠慮しなさい!」 周りにいた小さなカピバラたちはその声に気圧されたのか、のそのそと歩いて距離をとった。キャベツの山を前にしている大きなカピバラは、ちょっとだけ脇へと動いた。どうやらキャベツを分けようという意志を示したようだった。「そうそう、それでよろしい」 白衣の女はこちらへと背を向けるようにしてしゃがむと、またキャベツを食べ始めた。
「あれ? なに、あれ?」とマルタが疑問の声を発した。マルタは画面を指さした。その先には白衣の女の背中があった。女の背中は奇妙に盛り上がっていた。白衣の下に何かを背負っているかのような膨らみがある。ちょうど小学生女児用のランドセルを大人が背負っていたらそれくらいの大きさの膨らみになりそうであった。マルタは白衣の女に呼びかけた。「ねえ、あなたのその背中の膨らみってなんなの?」 メイドが「うーん」と唸った。「
白衣の女はこちらへ振り向いた。口の端からキャベツの葉が飛び出していた。女は大急ぎで咀嚼を終えると
「あっ!」 少女たちは叫んだ。その瞬間、彼女たち全員が強い驚愕の感情を覚えていた。「あ、あれは……」と命賭が声を震わせた。「カタツムリの、殻?」
命賭の言葉のとおりであった。白衣の女はカタツムリの殻を背負っていた。大きな殻であった。大きいというのはカタツムリの殻としては大きいという意味であって、大きさそのものとしては小さめのリュックサックくらいだった。殻は鈍く黄金に輝いており、美しい渦巻き模様を見せていた。ちょうど肩甲骨の間のあたりに黄金の殻は生えるようにして突き出ていた。
女は「ふふふ」と笑った。「どうですか、これ! すごいでしょう! ほら、もっと見てみなさい!」 喜悦にまみれた声で言いながら、女は背中の殻を誇示するように振った。真っ白な尻も揺れ、大きな胸もゆさゆさと揺れた。しかしその光景はまったくエロくなかった。女は現在の自分自身の姿に対して絶対的なまでの自信を覚えているようであったが、第三者から見ればその姿はグロテスクそのものであった。メイドが言った。「なんというか、その……前衛芸術的ではあるな」 危懼子が続けて言った。「いいえ、前衛芸術的ではあるかもしれませんが、どちらかといえば前衛芸術のなり損ないといった感じですわ。たとえば売れない画家が一般受けを狙って、美しい女の裸体にカタツムリの殻を背負わせた絵を描くとしましょう。その絵は『客席に向かって
それまで無言であったネックレスが声を発した。「天使、私の天使よ。画面越しではありますが、まずはあなたと再会できたことを私は喜びます。しかし、その殻はいったい何なのですか? どうもその殻からは、私と同じような力の波動を感じます。いえ、『同じような』というのは正確さに欠ける表現ですね。言い直しましょう。『私とまったく同じ力の波動を』感じます。いったいあなたに何があったのですか?」 カタツムリの殻を背負った全裸の女は、突然「へっくち!」と大きなくしゃみをした。くしゃみの振動を受けて大きな胸がブルブルと震えた。
マルタがすかさず「Sto lat!」と言った。前にも書いたが、それはポーランド語であった。ポーランドでは誰かがくしゃみをした時に「Sto lat!」と言うのである。それは「100年」という意味であり、「100年間ずっと元気でいて」くらいの意味である。しかし天使という人間より遥かに長命な存在に対して、たったの100年が果たして「お大事に」という意味を持ちうるのかは不明であった。メイドが自分の胸をメイド服の上からじっくりと揉みながら言った。「負けるかもしれないな。あの胸はとても柔らかそうだ」 メイドは自分の胸の柔らかさに自信があったが、それが今揺らいでいるのを感じていた。しかし次の瞬間には、天使なのだから胸も人間以上に柔らかくて当然だろうと納得した。メイドは人としての領分を守った思考ができる人間であった。
女はまたくしゃみをした。「さ、寒い……群馬県はやっぱり6月でも寒いわ」 そう言うと女は白衣を纏った。再び白衣の女となった女は、画面越しにこちらをしっかりとした目で見つめた。その目線は明らかに危懼子の首から下がっているネックレスに向けられていた。女は言った。「私の神、私の救世主よ。なんとおいたわしい姿になって……あなたはこの下界を作り変えるための革命者、いえ、下界の新たな神となるはずだった。あなたには充分にその力があったのです。それは今や失われてしまった。ですが、もう心配いりません。これからは私がその役目を果たします。私自身が神となってね!」 よくよく見ると、白衣の女の目は濁っていた。古いブラウン管式テレビの映像でもよく分かるほどにその目は濁っていた。茨城県の霞ケ浦の冬の湖水ほどに濁っていた。それに気づいた命賭が「ひえっ」と声をあげた。「危ないよぉ、この目は。狂気を孕んでいるよぉ」
天使が酒をぐびっと飲み干してから言った。「ほら言ったじゃない、奴は気が変になったって。でもまさか、『神になる』と言いだすとは思わなかったわ。ある意味で精神的な飛躍を遂げたと言えなくもない。飛躍と言っても、地獄の
「ちょっと話が
天使が冷蔵庫を開けた。中はもう空のように思われたが、小さなチルド室にスルメが入っていることに天使は気づいた。天使はスルメを齧りながら酒を飲み、口を開いた。「本来なら、天使と『オルガノン』の卵が融合するなんてことはあり得ないのよ。卵の状態でも『オルガノン』には安全機構が搭載されているからね。でも、マイマイカブリによって『オルガノン』の全能の力が暴走して、それが可能になった。そんなところかしら」
「そのとおりよ、この酔いどれ天使め」と白衣の女が言った。「そんなわけで、今の私はせっせと栄養補給に勤しんでいるわけ。なにせ今の私は半分がカタツムリになっているわけだから、キャベツを食べないといけないのです。カタツムリはキャベツを好みますからね。ここが群馬県で良かった。なにせ群馬県はキャベツの生産量が全都道府県で第二位ですからね。これから私はどんどん成長します。ああ、楽しみです。ようやく私は、自分だけの仕事、自分を解放してくれる仕事、自分自身を積み上げる仕事ができるようになる。楽しみだわ。つまらない日常にはさようならよ。10の52乗にも及ぶ数の下部世界のメンテナンス業務なんてもううんざり」 ちなみに10の52乗のことを漢語では「
「はぁ」と、スルメを手で裂きながら天使が溜息を洩らした。「ねえ、あなた。今のあなた、他の人からどう見えているか、分かってる?」「決まっているじゃない!」 白衣の女は得意満面というふうに答えた。女はまた白衣を脱いだ。天上の世界にしか存在しえないであろう美を有した裸体に、黄金の殻がへばりついている。個々の要素は申し分なく美しいが、その取り合わせは醜怪そのものであった。「見なさい! これが神の肉体よ!」 天使は呆れたように首を振った。「いいえ、あなたは神なんかじゃないわ。
マルタが天使の言葉に同意した。「ええ、悪魔ね。こんな気持ちの悪い神様がいてたまりますか。私以外のポーランド人全員に訊いても『悪魔だ』と断言するわ、きっと」 命賭も頷いた。「悪魔だねぇ。仮にこんな姿の神様がいて、『私はお前たちの神です、今日から私を崇拝しなさい』とか言ってきたら、私はきっと自分だけの宗教を興して宗教戦争を勃発させるよ」 メイドと魔女も無言で首を縦に振った。危懼子が最後に口を開いた。「先ほど天使様が言っていました。『天使は狂ったら悪魔にならざるを得ない』と。そして、残念ながらあなたは狂っているとしか思えません。いえ、仮に狂っていないとしても、今のあなたに神を名乗るだけの資格があるとは到底思えません」 女は危懼子に対して全裸のまま、鋭いながらも濁った視線を返した。「どうして?」 危懼子はネックレスを掲げた。「あなたは、この可哀想な黄金のカタツムリ様をどうするおつもりなのですか。あなたの勝手な都合によってこの世界に生み出され、放り出され、そして哀れにもネックレスになってしまったこの黄金のカタツムリ様に対して、あなたはどう責任をとるのですか? あなたの口からこの件について、一切言及がないのが不思議でならないのですが」 厳密なことをいえば、ネックレスになったことに関して白衣の女の責任は薄いのであるが、その場にいる誰もそのことを指摘しなかった。ネックレスは無言だった。
女はにっこりと笑った。ぞっとする笑みだった。「ああ、ちっぽけながらもどこまでも偉大な『オルガノン』よ。私はあなたを利用しましたが、私はあなたたち『オルガノン』を愛しています。ですが、あなたの犠牲は無駄にはしません。私はあなたのおかげで神になることができました。あなたのことは私の一生の思い出として、いつまでも忘れずに大事にしていきます。あなたは私の生み出す新たな世界の、新たなる神話の一
「これはダメだな」とメイドが言った。「言っていることが完全にズレている」 危懼子が頷きつつ口を開いた。「私のお父様はよくおっしゃいました。『人間、最後まで対話の努力を諦めてはならない。人間、話し合えばきっと相互理解に至ることができる』と。しかしお父様はまたこうもおっしゃいました。『しかし、世の中には「時間の無駄」という言葉もある』と。これは明らかに『時間の無駄』ですわね」
女はぐんと胸を張った。いまやその形の良い大きな乳房は狂気によって膨らんでいた。女は言った。「私は群馬県にいます。今からそのネックレスを私のところへ持ってきてください。それはあなたのような
危懼子は周りの少女たちを見た。全員が決意に満ちた顔をしていた。危懼子もまた、決然たる表情を浮かべてきっぱりと言った。「行きましょう、群馬県へ。あの気が狂った天使が新しく作る世界なんて、ロクなものではないに決まっています」 みんなが同じように頷いた。しかし、そこへあからさまにふにゃふにゃとした声が響いた。「行こ行こ~、グンマへ行こ~」 それは天使の声であった。天使はシートに崩れ落ちていた。明らかに酒の飲みすぎであった。「なんというか、台無しね」と、マルタがげんなりとした口調で言った。
これまで沈黙を保っていたネックレスが言葉を発した。「群馬県の、私が生まれた
メイドが頷いた。「あるあるな展開だな。世界を救うためにヒロインないしはヒーローが消えなければならない。あるいはヒロインないしはヒーローの記憶を代償にしなければならない。まさか私たちの身にこういうことが起きるとは思ってもみなかったが」 ネックレスが言葉を発した。「どうしますか。私の記憶を守るために世界をこのままにしますか? それとも私に構わず世界を元通りにしますか?」
危懼子は言下に即答した。「無論、あなたを初期化しますわ。世界は元通りにならなければなりません」 魔女が「ええ……」と言った。「こういう時、もっと葛藤するとかなんとかした方が良いんじゃないの? お嬢様として」 危懼子は魔女に対して微笑んだ。「やはり
ネックレスは微光を発してそれに同意した。「そのとおりです。私にしてもこの下界で得た記憶は貴重なものです。あなたたちとの交流は私にとって良くも悪くもかけがえのない思い出となりましたから、是非とも残しておきたいのです。そして、それはそこで寝てる天使にとっても同様であるはずです」 危懼子たちは天使を見た。天使は高鼾をかいていた。「天使はすべてが終わった後、今回の件に関する事故報告を作成しなければならないでしょう。その時、私の
「どれどれ」と言ってメイドが天使の体をまさぐった。メイドは天使の体のいろんな部分を揉んだ。「ああん」 天使は悩ましげな声をあげた。やがて、メイドは天使の胸ポケットに手を入れた。「むっ!」とメイドが声をあげた。「どうしたの?」とマルタが声をかけた。「いや、なんでもない。さっきの女の白衣の下が全裸だったから、この天使もひょっとしてと思ったが、ちゃんとブラをつけてた。それよりも、あったぞ」 そう言うとメイドは胸ポケットから、爪切りほどのサイズがある銀色の物体を取り出した。それはUSBフラッシュメモリそのままの見た目だった。ネックレスが言った。「初期化する前にそれを私に差し込んでください。そうして
危懼子が言った。「これで最終決戦に向けて目途が立ったわけですが、最後に残った問題はどうやってここから群馬県まで行くかということです。ここから群馬県までだいたい直線距離で100キロはあります。このスワンボートの速力はだいたい1ノット(時速1,852メートル)から2ノットといったところでしょう。それだと着くのに最短でも28時間くらいはかかることになります。波と風のことを考慮に入れるとさらに時間はかかるでしょう。双子はきっとその間に力尽きますわね……」
「悲報」と前部から声がした。それは桜子の声だった。「もう力尽きそう」と薫子の声が続いた。「ていうか眠い」「眠すぎる」
時刻はすでに23時を回っていた。女子高校生はもうおねむの時間であった。
「大丈夫大丈夫」 夜空から声がした。それは月の声だった。「なんとかなるよ」 月の声は自信に満ちていた。
次の瞬間、ぐっとスワンボートの速力が増した。
(つづく)
次回もお楽しみに!(あと数話で最終回の予定です……たぶん)