【完結】都立西方浄土高校女子だらだら部部長にして華麗なるお嬢様崋山危懼子ならびにその他女子部員らの活動記録、あるいはなぜだらだらの日常はあっけなく崩壊したかということに関する簡潔な報告   作:ほいれんで・くー

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第21話 ティタノマキアーの終焉

「ここでぼーっと突っ立って天使様 vs 気が狂った天使様の戦いを観戦しても良いのですが」と危懼子が言った。「しかしそんなことをする必要はありません。天使様が時間を稼いでくださるのですから、私たちはその間にさっさと私たちの目的を果たせば良いのです。この白い研究所(ラボ)に入って、黄金のカタツムリ様の『初期化』をしてしまいましょう」 メイドが頷いた。「お嬢様の言うとおりだな。初期化さえしてしまえばこの崩壊した日常も元通りになる。そうだろう?」 ネックレスが微光を発した。「そうです。それに、私の記憶(メモリー)のバックアップも取らなければなりません。おそらくそれには少し時間がかかるでしょう。わざわざのんびりと戦いを眺めているのは時間の無駄です」 少女たちは対峙している二人の天使をおいて、研究所(ラボ)に向かって歩き出そうとした。

 

 全裸になった白衣の女が口を開いた。「いいえ、そうはさせません。あなたたちにはここにいてもらいます」 女はパチンと指を鳴らした。いや、鳴らそうとした。だが指は「スカッ」という擦過(さっか)音を立てただけであった。「はっ!」 天使がそれを見て鼻で笑った。「かっこわる!」 女は決まりの悪そうな顔をしたが、すぐに表情を取り繕うと、今度は大きな声で叫んだ。「私の忠良なる群馬県民たちよ! 出てきなさい!」 その声があたり一帯に響き渡ると、何処(いずこ)からか群馬県民たちがぞろぞろと湧いて出てきた。彼らは50人ほどいた。いずれも浮かない顔をしていた。

 

 群馬県民たちは手に手に竹槍を持っていて、危懼子たちを取り囲むと、その焼き固めた黒い穂先を向けて威圧してきた。人品卑しからぬ紳士風の男性の群馬県民が、至極気の毒そうな顔をして危懼子たちに言った。「どうもすみませんね。私たちも本当はこんなことをしたくはないのですが、しかし神様に逆らうことはどうしてもできなくて……」 危懼子が答えた。「いいえ、謝ることはございませんわ、おじ様。悪いのはあの露出癖のある気が狂った天使様ですから。仕方がありません。こうなってはここで戦いを見る他ありませんわ」

 

「そうそう、そこで私の応援をしてて」と、ファイティングポーズを崩さないまま天使が言った。「ちゃちゃっと片付けちゃうからさ」 魔女が口を開いた。「さっきもマルタが同じことを訊いたけどさ、あなた本当に勝てるの? あなたは二日酔いだし、それに私、天使の戦闘能力って実はあまり高くないって聞いたことがあるわ。天使って人間相手にレスリングで負けたことがあるらしいじゃない」 マルタが言った。「『ヤコブはひとりあとに残ったが、ひとりの人が、夜明けまで彼と組打ちした』」 双子が補足した。「『創世記』第32章第24節」 マルタはさらに言った。「『ところでその人はヤコブに勝てないのを見て、ヤコブのもものつがいにさわったので、ヤコブのもものつがいが、その人と組打ちするあいだにはずれた』」 双子がさらに補足した。「『創世記』第32章第25節」 魔女が首を傾げた。「『もものつがいがはずれた』ってどういうこと?」 マルタが答えた。「ここで言う『つがい』とは『関節』のこと。ヤコブと戦ったその人はどうしてもヤコブに勝てなかったから、不思議な力を使ってヤコブの(もも)の関節を外したのよ」 魔女が呆れたような顔をした。「それってなんかズルくない?」

 

 天使が口を開いた。「ああ、いわゆる『ヤコブと天使の戦い』ね。旧約聖書でも特に有名な箇所で、レンブラントとか、ドラクロワとか、レオン・ボナとか、アレクサンドル・ルイ・ルロワールとかがそのモチーフで絵を描いているわ。でもあれって天使からしてみると『ちょっと待って』って言いたくなるのよ。だって、旧約聖書『創世記』ではヤコブと戦ったのは天使だとどこにも書いていないからね」「そうなの?」と命賭が言った。マルタが言った。「ええ、そうよ。『創世記』でヤコブが戦ったのは天使ではなくて、実は神様だったの。組み打ちをしている最中にヤコブはそのことを悟った。だから彼は相手に向かって『わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません』と言ったのよ」 双子が補足した。「『創世記』第32章第26節」 マルタは続けて言った。「神様なのだから、自分を祝福してくれると思ったのね。ちょうどヤコブは双子の兄のエサウとの戦いを控えていたから、なおさら神様からの祝福を欲していたのかもしれない」

 

「それがどうしてヤコブと戦ったのが天使ということになったのよ?」と魔女が尋ねた。マルタは答えた。「『創世記』の中だとヤコブの対戦相手は神様だったんだけど、他の旧約聖書の一書である『ホセア書』では、ヤコブは天使と戦ったと述べられているの。『彼は天の使と争って勝ち、泣いてこれにあわれみを求めた』」 双子がまた補足した。「『ホセア書』第12章第4節」 マルタは言った。「『ホセア書』のその箇所、よく読むと『天の使』と『神』とがなんだか混同されているというか、同じような意味で書かれている印象も受けるんだけど、とにかくヤコブは天使と戦ったということになった。それが後世、絵画のモチーフになって、人口に膾炙していったという感じじゃないかしら。詳しいことは西洋美術史の専門的な議論を参照しないと分からないけどね」

 

「まあ、ヤコブが戦った相手については、究極的なことを言うとどうでも良いのよ」と天使が言った。「ヤコブは戦いの結果、神から祝福を与えられた。それが大事。でも、もっと重要なことが聖書には書いてある」「それはなんですの?」と危懼子が尋ねると、天使は答えた。「神、あるいは天使は、ヤコブを無力化するために関節技を使った。つまり、天使の得意技は関節技ってことなの!」

 

 そう言うなり、天使はダッシュをして全裸の女へと距離を詰め、走ったままの勢いで女の顔面にパンチを食らわせた。魔女が呆れたように言った。「関節技じゃなくて、パンチじゃない!」 メイドが言った。「いや、やはりまずはパンチだろう。最初に拳による打撃で相手の体力を奪い、そうやって弱らせてから関節技へと持ち込む。相手がまだ元気な時は関節技をかけても脱出される可能性が高いし、反撃を受けてこちらが怪我をするかもしれない」 メイドの言っていることは正しい。たとえば警察においても暴れている犯人を制圧する際は最初に打撃を加えることになっている。プロはいきなり関節技に持ち込むことなどしない。

 

「ふん」 パンチを食らった女は、しかし平然としていた。天使はさらに両腕によるパンチを顔面へと送り込んだが、それはまったく効いていなかった。衝撃で女の大きな胸がぶるぶると揺れ、異様な色気を振りまいたが、それだけだった。「馬鹿な!?」と天使は叫んだ。女はにやりと笑って言った。「あなたのご自慢のパンチはその程度の威力なの、天使Σ(シグマ)305号? そんなんじゃカピバラ一匹倒せやしないわ。それとも二日酔いのせいで拳が鈍っているのかしら?」 嘲りの言葉を受けて天使は激昂した。「強がるんじゃないわ! あんたみたいな研究職のインドア派が、殴られてノーダメージでいられるわけがない!」 女は笑みを浮かべつつ答えた。「さあ、それはどうかしら? それなら、もっと試してみる?」 女は胸を張った。形の良い大きな胸がぐんと存在感を誇示した。その双丘はあたかも「打ってこい」と言っているかのようだった。「喰らえ!」 そう叫ぶなり、天使はパンチの猛撃を繰り出した。それはいわゆる「ラッシュ」というものだった。裸の女の上半身に、天使による無数の打撃が降り注いでいく。それでも、女は微動だにしなかった。

 

 十数秒ほど続いた豪雨の如きラッシュは、やがて止んだ。天使は荒い呼吸をしていた。「はぁ、はぁ……」という天使の息が、離れたところに立っている危懼子たちにも聞こえてきた。「禁煙しないと……」 天使はそう言った。この重大局面において喫煙の害が顕在化するとは天使にしても思ってもみなかったことであった。「ふんっ!」 次の瞬間、女が天使の脳天に向かってチョップを振り下ろした。チョップは天使に直撃した。「ぐべらっ!」と天使は叫んでその場に(うずくま)った。しかし天使はすぐに立ち上がるとバックステップをし、距離を取った。天使は汗を拭いつつ言った。「(クソ)が! なぜ効かない!?」「ああー、多分だけどねぇ」と命賭が言った。「相手が軟体動物だからじゃないかなぁ」

 

 命賭の言葉を聞いて女は薄く笑った。「そのとおりよ。私は『オルガノン』と一体化した。つまり、今の私はカタツムリのような、軟体動物と同じ体質になっている。この柔らかな肉体はありとあらゆる打撃を無効化する。隕石が直撃しようが、ダンプカーが衝突しようが、今の私はそれによってダメージを受けることはない。もちろん、あんたの蚊の放屁のようなパンチもね」 そう言うと、女は色っぽくポーズを取った。巨大な胸部が強調され、強烈なまでの色気が発散された。純真な群馬県民たちが「きゃあ、エロい!」と叫んで目を背けた。目を背けつつ、彼らはちらちらと視線を向けていた。女は自信に満ち満ちた表情で言った。「見なさい、この輝くばかりの神の肉体を! あらゆる衝撃を無効化する、どこまでもしなやかで強靭な聖霊の器を!」「バトル漫画でよくある展開だねぇ」と命賭が感心したように言った。「いくら体が柔らかくなっていても、いっさいの打撃が通用しないなんてことはあり得ないと思うけど、まあそういうバトル漫画的な法則によればそういうことになるよねぇ」

 

「それでは、天使様にはまったく打つ手なしということになりますの?」と危懼子が言った。天使は首を左右に振った。「いえ、そんなことはないわ。パンチが効かないなら効かないなりにやりようはある。そう、私には関節技があるからね」「いや、しかし」 ここでメイドが疑問の声をあげた。「打撃が効かないくらい体が柔らかいということは、関節技も効果がないということになるのではないか? イカやタコには関節がないし」「あ、そうかも」と天使は言った。「やばい、本当に打つ手なし?」 天使の額に冷や汗が流れた。そんな天使を見て、女は笑った。「そうよ。今の私には関節技も無効! ほら、見てみなさい。今の私はこんなにぐにゃぐにゃ! あのうんざりするほどしつこい肩こりとも無縁の存在よ!」 女は右腕の肘を曲げた。肘は可動域を越えて曲がっていき、やがて右手の指先がわきの下へと到達した。「うわ、気持ち悪い!」とマルタが叫んだ。メイドが腕を組んだ。「うーん、あれでは関節技は効かないだろうな」

 

「さあ、どうするの、天使Σ(シグマ)305号。どうするの? アルコール漬けになったその脳髄でじっくり考えてみなさい」 女はぐにゃぐにゃと体を動かし、様々なヨガのポーズを取り始めた。背中の大きな殻がいかにも邪魔そうであった。天使は思考を巡らせた。「パンチも関節技も効かない……でも、なにかしら弱点はあるはずよ。所詮、相手はカタツムリなんだから」 天使は危懼子たちの方へ顔を向けた。「ねえ、あなたたち。なんかアイデアはない?」

 

 危懼子が答えた。「そうですわね。まあ、最初に思いつくことといったら塩ですわね。カタツムリは浸透圧の関係で塩に弱い」 女は笑った。「塩に弱い。はたしてそうかしら?」 女はいつの間にか小瓶の食卓塩を手にしていた。女はそれを体に振りかけた。女の体にはいっさい変化がなかった。「私はカタツムリでもあれば、神でもある。神に塩が効くものですか」「まあ、そういうことになるだろうな」とメイドが言った。「私の父はガーデニングが趣味で、カタツムリ退治の方法についてかつて語っていたが、それによるとカタツムリにはコーヒーやニンニクがよく効くらしい」 女が答えた。「あら。私、コーヒーもニンニクも大好きよ。今朝はキャベツのサラダとカフェオレとガーリックトーストを食べたし」「ダメそうだな」とメイドは言った。

 

 双子が口を開いた。桜子が言った。「やっぱり、害虫には農薬」 薫子が言った。「カタツムリに効く農薬は、リン酸第二鉄を主成分にするものと」「エチレンジアミン四酢酸(しさくさん)鉄ナトリウムを主成分にする農薬」「なんでそんなことを知ってるの……?」 マルタは呆れたような口調でそう言った。双子が答えた。「昨日、化学の資料集で読んだ」 しかし女は笑うだけだった。「神に農薬ごときが効くものですか。もっと頭を働かせなさい、頭を! その大きな頭は飾りですか!」「なんかムカついてきたわ」と魔女が言った。「でも他に考えられることはないし……」 危懼子がネックレスに向かって問いかけた。「ねえ、黄金のカタツムリ様。あなたが死を覚悟した瞬間というのはありますか?」「そうですね……」とネックレスは薄く点滅しつつ考えた。「最近では、マイマイカブリに遭遇した時と、あとはメイドによって殻にドリルで穴をあけられた時ですね。特に殻にドリルをぶち込まれた時が一番死の恐怖を覚えました。殻こそ私の本体と言えるので」

 

「そうか!」と天使は叫んだ。天使は女の背中へ視線をやった。そこには日の光を反射してキラキラと輝く大きな黄金の殻があった。天使はまた駆け出した。瞬く間に距離を詰めると、天使は女に足払いをかけた。「きゃあ!」という声をあげて女は地面にうつ伏せに倒れた。天使は叫んだ。「いくら肉体そのものが優れていても、肉体を運用する体術をあんたは鍛えていない。そこが第一の狙い目! そして……」 天使は女のふっくらとした白い尻の上にどんと腰を下ろした。次に、両足で女の脇腹を挟んで逃げられないようにした。女に柔道の心得(こころえ)があったのならば、あるいは脱出することはできたかもしれない。だが、女にはどうすることもできなかった。

 

 天使はパンチを殻に向かって繰り出した。「第二の狙い目は、この殻よ!」 その直後、「ゴンッ」という鈍い音が響いた。「いてぇ!」と天使は叫んだが、それにもめげずに天使はまたパンチを繰り出した。「あ、コラ! や、やめなさい! やめろ!」 女はここに来て初めて狼狽した声を出した。天使は言った。「カタツムリにとって、殻は身を守る砦であるのと同時に、隠しようのない弱点でもある。いくら体が柔らかくても、殻を柔らかくすることはできないわ!」

 

 天使はラッシュを繰り出した。無数のパンチが殻に向かって降り注ぐ。人間が殴ったならば、たとえそれがヘビー級プロボクサーであったとしても、女の殻には効果がなかっただろう。しかし、パンチをしているのは天使であった。天使は天使であるがゆえに二日酔いであってもやはり強いのである。「勝負あったかな」と命賭が言った。「あれじゃもう脱出不可能でしょ」 殻は台風(中心気圧955hPa)のように猛烈な打撃を連続で受けて、グラグラと揺れた。そして、ついに殻にクラック(ひび)が入った。天使はラッシュをやめた。「はぁ、はぁ……」と天使は荒い呼吸をしていた。「禁煙しなきゃ……」 煙草の害のせいで天使は今一つ攻めきれないでいた。天使は呼吸を整えた。そして、自分の下でもがいている女に向かって言った。「どう? 降参する? このままだとあなた、殻が破壊されて内臓(モツ)を大地にぶちまけることになるわよ!」

 

「ぐ、ぐぬぬ……しかたないわね」と女は呻いた。「こうなったら、最終手段(ラスト・リゾート)よ!」 女がぶるりと体を震わせた。「な、なに!? なにをしようっていうの!?」 ぶるぶると震える女の体の上で、天使は驚きの声をあげた。「ぼんっ」という軽い爆発音がして、女の頭に何かが生えた。それはカタツムリの触角だった。「えっ?」 天使が疑問の声をあげている間に、女の体が膨らんだ。女は膨らみ続けた。パン生地がイースト菌によって発酵して膨らむように、女の体は巨大な体積を空間上に獲得し始めた。天使はなおも女の尻の上に乗っていたが、やがて体表面にぬるぬるとした粘液が分泌されるようになると、「うわっ!」という声と共に滑り落ちた。女は巨大化を続けた。「危ない!」 危懼子たちは身の危険を感じてその場から走った。群馬県民たちは「うわー!」と泣き叫んで竹槍を投げ捨てると、その場から逃げ散った。

 

 一分も経たずに、女は巨大なカタツムリになっていた。先ほど危懼子たちが列車から見た建造中の聖像よりも大きかった。高さは50メートルほどもあった。初代ゴジラ並みの大きさである。クラックの入った黄金の殻は元通りになっており、粘液によって湿り気を帯びた白い軟体(なんたい)は地面にしっかりと張り付いていた。軟体には巨大な乳房があった。形の良い、張りのある、白い巨大な乳房であった。それだけがかつての女の姿を想起させるものであった。触角の先には人間のそれと同じような目玉があった。目玉は赤黒く血走っていた。「うわぁ!」 命賭が叫んだ。「こんなところでこんな『お約束』に遭遇するなんて思ってもみなかったよぉ! 追い詰められた悪役が巨大化するなんて、戦隊ヒーロー番組そのものだよぉ!」 メイドが頭をかいた。「困ったな。私たちには合体変形する巨大ロボはないぞ。どうしたものかな」

 

「私はなった。偉大なるものに」と、巨大なカタツムリが厳かな口調で言った。「私はなった。『有って有る者』に」 双子が言った。「『出エジプト記』第3章第14節」 巨大なカタツムリはなおも言った。「さて、どうしてくれようかしら。踏み潰してやろうかしら。それとも粘液で溺れ死にさせてやろうかしら。あなたたち矮小なるものは神の偉大さに驚倒し、その顔を神に対する(おそ)れによって強張らせたまま死ぬことになる」

 

 しかし、天使は動じなかった。「追い詰められたからといって巨大化するなんて貧困極まる発想ね、天使Λ(ラムダ)174号」 天使は胸ポケットからシガレットケースを取り出し、煙草に火をつけて一服した。「でも、大きなものはいずれ滅びるものよ。そして、大きなものだからといって偉大であるわけではない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。私たち天使は小さなもの、取るに足らないものを慈しみ、愛し、手助けするために神によって生み出された。それを忘れてしまったあなたは、もはや天使ではない。悪魔よ」

 

「なんかすごく良いことを言っている気がするけど、でもどうするの?」とマルタが言った。「もう体術もパンチも効かないんじゃない?」「あはは!」 天使は笑った。「大丈夫よ。巨大化することなんて、天使にとってわけないことなんだから。今度は私が巨大化すれば良いの。そうね、相手は50メートルくらいの大きさだから、私は200メートルくらいになれば良いかしら。そしたら相手はただの大きなカタツムリに過ぎない。また殻をボコボコにぶん殴ってやるわ」

 

 その時、巨大なカタツムリの目からピンク色の怪光線が発射された。「あっ!」 光線は天使のサングラスに直撃し、粉々に破壊した。危懼子たちはあっけにとられたように天使を見た。天使はしばらく口をぽかんとあけていたが、やがて顔を歪ませた。目に大粒の涙が浮かび、唇がわなないた。「わ、私のサングラス……サングラスがぁ……」 天使は泣き始めた。「サングラスが壊れちゃったよぉ……うぇーん!」 幼稚園児のように泣き叫ぶ天使に向かって、巨大なカタツムリが勝ち誇ったように言った。「馬鹿な奴ね、天使Σ(シグマ)305号。あんたが私の弱点を知っているように、私もあんたの弱点を知っている。あんたの弱点はサングラスよ。保安職の天使が素顔を晒すことを病的なまでに恐れているのは周知の事実なんだから」

 

「えっと、これって、もしかして大ピンチ?」と命賭が言った。「もしかしなくても大ピンチよ!」と魔女が言った。双子が天使の肩を優しく撫でながら言った。「大丈夫?」「巨大化できる?」「ていうかさっさと巨大化しろ」「むり、むりぃ! むりだよぉ!」 天使は激しく首を左右に振るだけだった。「私が代わりのサングラスを用意しましょう」とネックレスが声を発した。瞬時に天使の顔に新しいサングラスがかかった。「やった!」 途端に天使はしゃっきりとしたが、その直後、また発射された光線によってサングラスは破壊された。「うえぇーん!」 天使はまた泣き崩れた。「これじゃいたちごっこだ」とメイドが言った。マルタはぼんやりと、「そういえば『いたちごっこ』ってどんな遊びなのかしら」と心の中で考えていた。巨大なカタツムリが危懼子に向かって触角を伸ばし、その先端にある目玉をぎょろつかせて言った。「さあ、そのネックレスを渡しなさい。そうしたら殺さないであげましょう。あなたたちは私の作る『マカローン・ネーソイ』で、ぬいぐるみのにおいを確認する検品係にしてあげる。名誉な役目よ? 永遠にゲルベゾルテの良いにおいを嗅いで過ごすんだから」

 

「拒否しますわ!」と危懼子が巨大なカタツムリに言った。「私、自分の品位を貶めてまで生きていたいとは思いませんの。あなたのような邪悪な存在の言いなりになるよりは、死んだ方がマシですわ」 危懼子の言葉に、他の少女たちも頷いた。「あーあ」と巨大なカタツムリが言った。「若者特有の物の言い方ね、『死んだ方がマシ』だなんて。そんなことは口が裂けても言うものじゃないわ。命を大切にしなさい、命を。命っていうのはそれだけで尊いものなのだから。だからこそ、使い甲斐があるんだけどね。でも、そうね。あなたたちがそう望むのならば仕方ない。それじゃあ、遠慮なくあなたたちを踏み潰すことにするわ。そこで泣き崩れている天使Σ(シグマ)305号と一緒にね!」 巨大なカタツムリがむっつりと前進した。危懼子たちは目を閉じた。

 

「ちょっと待った!」という声がした。雄々しい声であった。危懼子たちは目を開いた。「何? 誰なの?」とマルタが言った。危懼子たちはあたりを見回した。しかし声の主は見つからなかった。「ここだ!」と声がした。それは下の方から響いていた。「邪悪なるカタツムリの神よ、お前の悪行もここでおしまいだ!」 ようやく、危懼子たちは声の主を見つけた。それは地面にいた。細長く、青黒いものが地面で声をあげていた。「虫?」とマルタが言った。「あ、マイマイカブリだ! 可愛いなぁ」と命賭が言った。

 

 命賭の言葉どおり、それはマイマイカブリであった。大きさは15センチほどもあった。マイマイカブリは横溢する戦意に任せて体をぶんぶんと振り回した。「キモッ! ですわ!」と危懼子が声を漏らした。マイマイカブリは叫んだ。「『憎みても余りあるカタツムリの神よ、身につけたあらゆる武芸を思い出せ! 今こそお前が槍の使い手として、また果敢なる戦士としての面目を示さねばならぬ時なのだ! もはや逃げ隠れはならぬ!』 そう、おしまい! もう全部おしまいでーす!」 双子が言った。「なんかこれ」「デジャブ」

 

 マルタがマイマイカブリに言った。「でも、どうしてここにマイマイカブリがいるの?」 マイマイカブリは答えた。「私たちマイマイカブリは『この世界そのものの防衛機構』! 外部からの侵入者を排除することが私たちの役目である! 高次精神体を自称しこの世界を食害するカタツムリを排除する存在として、私たちは世界の中に秩序づけられている! さながら人体における免疫機能と同じだな!」 ネックレスが言った。「ああ、私が西方浄土高校に転送された直後に出会ったあのマイマイカブリも、私にまったく同じことを言っていましたね。あなたたちがやって来る前に、彼は私にそう言って自己紹介しました」 マイマイカブリはぶんぶんと首を振った。「そうだ! 西方浄土高校で名誉の戦死を遂げたW-1309号も同じである! そして私はX-2455号である!」 X-2455号なるマイマイカブリは巨大なカタツムリに向かって叫んだ。「そう、おしまい! もう全部おしまいでーす!」

 

「はっ!」と巨大なカタツムリは鼻で笑った。いや、巨大なカタツムリに鼻はないため、それは「鼻で笑った」というよりも「鼻で笑ったような」という表現をとったほうがより適切であるが、とにかく巨大なカタツムリは鼻で笑った。「なにが『この世界そのものの防衛機構』よ。笑わせないで。そんなちゃちな体と(キバ)で神である私を排除するなんて、冗談にもなってないわ」「それはどうかな?」とX-2455号は不敵な笑みを浮かべた。いや、マイマイカブリには表情筋がないため、厳密には「笑みを浮かべた」という表現は適切ではないのだが、とにかく彼は不敵な笑みを浮かべた。「私は確かに小さい。お前に比べたらさながら日光白根山(にっこうしらねさん)(群馬県最高峰、2,578メートル)と路傍の小石くらいの差がある。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()() それを思い知らせてやる!」 X-2455号は触角を振り上げ、そして叫んだ。「おーい、みんな! 出番だぞ!」

 

 その言葉の直後であった。大地が鳴動した。危懼子たちが周囲に視線をやると、無数の小さな黒い影が四方から寄り集まってくるところであった。さながらそれは黒い津波であった。それはマイマイカブリの群れであった。「ぎゃあ!」と魔女が悲鳴をあげてメイドに抱きついた。「キモイよぉ!」 確かにキモイ光景であったが、また同時に一種の荘厳さも感じられる光景であった。双子が言った。「なんというか」「最終決戦って感じ」

 

「かかれ!」とX-2455号が叫んだ。彼らは一斉に攻撃を開始した。彼らは巨大なカタツムリに殺到し、次々と飛び掛かってその軟肉(やわにく)に牙を突き立て始めた。消化液を分泌し、肉を溶かし、それを啜り取ろうとしている。巨大なカタツムリの体の下半分が瞬く間にマイマイカブリに覆われて真っ黒になった。だが、巨大なカタツムリにはまったく効果がなかった。「こそばゆいわ!」 巨大なカタツムリは膨大な量の粘液を分泌し、体に張り付くマイマイカブリたちを洗い流した。攻撃を加えていたマイマイカブリたちは一斉に溺死したが、また新手が突撃を開始した。まるで旅順要塞を攻撃する第三軍のようであった。命賭が言った。「何かの本で読んだんだけど、マイマイカブリはたまにカタツムリに負けることがあるんだって。カタツムリが大きすぎると負けるみたい」 マルタは渋い顔をした。「だとしたら、マイマイカブリたちが負けるのに充分なほどに大きいわね、このカタツムリは」

 

「ぐぬぬ」とX-2455号は悔しそうな声で言った。「しかし私たちは負けるわけにはいかない。ここで負けたら世界はどうなる? 私たちが最後の砦なのだ! みんな、奮起しろ!」 マイマイカブリたちは無益な突撃を繰り返した。その時、じっと目をつぶって思案に耽っていた危懼子が、ネックレスに向かって何かを耳打ちした。いや、ネックレスに耳はないためその表現は適切ではないのだが、とにかく耳打ちした。「はい。なるほど。ふむ」 ネックレスは相槌を打った。「しかし、私に仇怨(きゅうえん)を忘れよと言うのですか?」「そうですわ」と危懼子が言った。ネックレスは微光を発した。「では、そうしましょう。私としてもこのまま負けるのは不本意ですし」 そう言うと、ネックレスはマイマイカブリX-2455号に光線を送った。それはテレパシーの一種であった。メッセージを受け取ったX-2455号は「そうか!」と凛々しい声で叫んだ。彼はまた号令を発した。「おい、全員集合だ!」

 

 ぞぞぞという潮騒のような音を立てて、X-2455号のもとにマイマイカブリたちが集まってきた。「今度は何をするのかしら?」 疑問の声を発するマルタを余所(よそ)に、マイマイカブリたちは組み体操を始めた。機械の如き精密な動きで、マイマイカブリたちは互いの体を支え、構造を為し、空へ空とへと組み上がっていく。その頂点にはX-2455号がいた。やがて、高さが50メートルほどに達した時、ネックレスからひときわ強い光が発せられた。その光の眩しさに少女たちは「わあ!」と声をあげた。光が消えると、そこには巨大な一匹のマイマイカブリが堂々たる体躯を示して大地に屹立(きつりつ)していた。双子が言った。「大きいものには大きいものを」「当然の(ことわり)」 メイドが言った。「そうか、マイマイカブリが巨大化するのにネックレスが力を貸したんだな」 命賭が感に堪えないように言った。「かつての敵と共闘! 燃える展開だねぇ」

 

「ヒェッ!」と巨大なカタツムリが悲鳴を上げた。巨大なカタツムリは乳房を揺らし、方向を転じてその場から逃げようとした。カタツムリとしての本能が彼女に「カタツムリはマイマイカブリには敵わない」ことを告げたのであった。今まで絶対的な優位にいると確信していた分だけ、その時彼女が覚えた驚愕と狼狽の感情は甚だしいものであった。しかし、マイマイカブリの動きは素早かった。彼は巨大なカタツムリをその発達した前脚で捕まえ、絹のように滑らかなその軟体部に大顎で噛みついた。「ガブリ」と音を立てて大顎がカタツムリに突き立てられた。体液が迸り出た。「ガブられました」と巨大なカタツムリが言った。双子が口を開いた。「なんかこの光景」「デジャブ」

 

 食らいつかれた巨大なカタツムリは身動きをしなかった。「随分とまあ、無抵抗に食べられますこと」と呆れたような声で危懼子が言った。巨大なカタツムリが答えた。「一応粘液を出して抵抗しています。現状それが唯一の抵抗手段です」「そうですか」 危懼子は同情しなかった。彼女はお嬢様であるがゆえに寛仁大度(かんじんたいど)であったが、やはり巨大なカタツムリはどんなに甘く見ても同情に値しない存在であった。

 

 巨大であるがゆえにマイマイカブリの食事スピードは速かった。猛烈な勢いでマイマイカブリは肉を貪った。巨大なカタツムリは言った。「ああ、もう五分の四は食べられてしまいました」 マイマイカブリが言った。「もう五分の四は食べました」 いまだに巨大なカタツムリが声を出せるのは奇跡的であったが、しかし彼女は神であるから当然と言えるかもしれない。

 

「美味し、美味し!」 マイマイカブリは今や勝利を確信していた。肉の美味さと、自己の存在意義を果たせるという高揚感が合わさって、彼は酒の海に酔うような感覚を覚えていた。彼は高らかに叫んだ。「はい、おしまい。もう全部おしまいでーす!」

 

 その次の瞬間だった。空から何か巨大なものが降ってきた。それは巨大な「たま」であった。より正確に言うなら、それはアメフトのボールであった。通常のアメフトボールのおよそ1.5万倍もの大きさがあった。かなり前に述べたが、通常のアメフトボールの大きさはだいたい直径28センチ、長い方の外周はだいたい71センチ、短い方の外周はだいたい52センチである。これを1.5万倍にした大きさのアメフトボールが、マイマイカブリに直撃した。「あっ!」 少女たちは叫んだ。今まさに巨大なカタツムリの最後の軟肉(やわにく)の一切れに消化液を注入せんとしていたマイマイカブリを、巨大アメフトボールは完全に圧し潰した。巨大アメフトボールはマイマイカブリを圧し潰した後、不規則な軌道を描いてどこかへと飛び去って行った。

 

「そうか。そういえば今日の群馬県の天気は晴れ、ときどき『たま』だったな」とメイドが言った。双子が呟くように言った。「たまに降る」「たまがあるのが」「玉に(きず)

 

「私は……し、死ぬのか……!?」 マイマイカブリは呻いた。彼は己の死を確信していた。彼は生に恋々(れんれん)とするような性格をしていなかった。彼は生まれながらの戦士であった。その英雄的な生の締めくくりに相応しく、気高く誇示するように大顎を開いて、威厳に満ちた声で彼は言った。「つひに行く……」 そこまで言ってから再び彼は沈黙した。「あっ、辞世の句を残そうとしてる!」と命賭が言った。危懼子がぴりっとした口調で言った。「傾聴!」

 

「つひに行く……」 再びマイマイカブリは言った。「道とはかねて……聞きしかど……昨日今日とは、思はざりしを……」 マルタは双子を見た。双子は悲しそうな顔をして言った。「パクリだ」「在原業平のパクリだ」「辞世の句をまたパクった」 二人は残念そうに首を振った。「しかし虫であるゆえ仕方ない」 あるいはマイマイカブリは死に際して必ず在原業平のその歌を引くものであるのかもしれないが、この件に関しては昆虫学者の更なる研究を()つほかない。

 

「がっくり」 双子の言葉が終わると同時に、マイマイカブリはうなだれ、絶命した。この世界を守るために死力を尽くして戦い、そして儚くも命を散らしたマイマイカブリを弔うかのように、清浄にして涼やかな風があたりに吹き渡った。風を受けて、緑濃き草木が弔意を示すようにひれ伏した。耳に痛いほどの静寂が満ちていた。マイマイカブリも、今や軟体部分を完全に失って殻だけになった巨大なカタツムリも、何も言わなかった。危懼子が口を開いた。「終わったのかしら」 命賭が頷いた。「終わったみたいだね」 メイドが腕を組み、厳粛な面持ちをして言った。「なんだか寂しいな」「巨人たちの戦い(ティタノマキアー)の終焉ね」 マルタはそう言って十字を切った。「南無大師遍照金剛」と双子が言った。双子は真言宗であった。

 

「あれ? そういえば光が出なかったね」と命賭が言った。ネックレスが言った。「実は彼が死んだ直後に光が発散されたのですが、即座に私が吸収しておきました。これ以上世界がおかしくなっても困りますので」「なんというか、ここにきて急に有能になってない? ありがたいけど」と命賭は言った。

 

 危懼子は白い研究所(ラボ)へと目をやった。「さあ、もう敵はいなくなりました。はやくあそこへ行って、黄金のカタツムリ様の初期化を済ませましょう」 少女たちは頷いた。彼女たちは歩き始めた。いまだにしくしくと泣いている天使を双子が両脇から抱え上げた。天使はマイマイカブリと巨大なカタツムリが戦っている間、ずっと泣いていたのであった。彼女たちは研究所(ラボ)の中に入った。

 

 研究所の中は薄暗かった。そこは一本の廊下だった。廊下の先にガラスのスライドドアがあった。ネックレスが危懼子に言った。「私の記憶(メモリー)のバックアップをとることを忘れないでください」「ええ」と危懼子が答えた。「デバイスならちゃんと持っているぞ」とメイドが言った。メイドは手に持っている銀色のUSBフラッシュメモリを示した。「なんていうか、大冒険だったわね」と魔女が感慨深そうに言った。魔女は言葉を続けた。「でも終わってみればあっという間だったというか。ねえ、みんな。全部終わったら何をしたい? 私はお風呂に入りたいわ。お風呂に入って、髪を洗って……」「しーっ! 真蒔子(まじこ)様、しーっ!」 思わず危懼子は魔女を(たしな)めた。魔女のその物言いは明らかに不吉であった。「いわゆる死亡フラグというやつだな」とメイドが言った。「だが、そんな漫画やアニメのようなことが現実に起きるわけがない」「その言葉も一種の死亡フラグなんだけどなぁ」と命賭が言った。メイドはスライドドアの開閉スイッチを押した。ドアが「プシュッ」という音を立てて開いた。少女たちは部屋に踏み込んだ。

 

「暗いな」とメイドは言った。彼女は電灯のスイッチを押した。電気がつくと、室内の様子が明らかになった。部屋は広く、機材と水槽と机と椅子がぎっしりと並べられていた。

 

「えっ?」

 

 部屋の中に、白衣の女がいた。見飽きるほど見慣れた顔であった。その背中は盛り上がっていた。白衣の女は一人ではなかった。白衣の女は複数いた。全員が椅子に腰かけていた。白衣の女たちは部屋に入ってきた危懼子らに、一斉に視線を向けた。

 

(つづく)




次回、最終回です。お楽しみに!
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