【完結】都立西方浄土高校女子だらだら部部長にして華麗なるお嬢様崋山危懼子ならびにその他女子部員らの活動記録、あるいはなぜだらだらの日常はあっけなく崩壊したかということに関する簡潔な報告   作:ほいれんで・くー

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最終話 女子だらだら部

「ほら、死亡フラグの予感が的中した!」と命賭が叫んだ。「ラスボスを倒したと思ったら、最後にまたもう一波乱あるっていうのが創作的なお約束ってやつだよぉ! お約束が無批判に踏襲されるなんて悲しいよぉ!」 メイドが言った。「さらに残念なことを言えば、これは創作ではなく、現実ということだ。創作世界におけるお約束には創作的な解決法が用意されているものだが、現実においてはそうもいかない。現実世界は求めても求め得ぬ解決策を求めてそのまま死んでいった者たちの屍で埋め尽くされている。困ったな」 驚愕と狼狽の色を隠せない少女たちに向かって、白衣の女たちは一斉に笑みを浮かべた。部屋の中央で悠然と椅子に腰かけている女が言った。「まさに『一難去ってまた一難』というやつね。でもそんなに心配しなくても良いわ。もうこの『一難』の後にさらに『一難』が来ることなんてあり得ないんだから。あなたたちの終わりのない難事の連続もこれでもうおしまいよ」

 

「あまり興味はありませんが、一応訊いておきましょう」と危懼子が言った。危懼子だけがこの切迫した状況において毅然とした態度を保ち続けていた。「なぜ先ほどマイマイカブリ様に食べられてしまったはずのあなたが、この部屋にぎっしりと詰まっていらっしゃるのかしら」「ああ、きっとそれはねぇ」と、白衣の女が口を開く前に命賭が言った。「カタツムリの生殖方法に関係があると思うよ」 マルタが首を傾げた。「生殖方法? そういえばカタツムリは雌雄同体で、雄の生殖器と雌の生殖器の両方を具えているから、出会った相手と確実に交尾することができるって聞いたことがあるけど、でもそれと何の関係があるの?」「きっと単為(たんい)生殖をしたんだよ」と命賭が答えた。魔女が口を挟んだ。「いえ、それはおかしくない? 雌雄同体だからといって単為生殖ができるわけではないでしょ。単為生殖っていったら、たとえばアブラムシとか、ミジンコとか、そういう生き物の生殖方法であって、カタツムリは雌雄同体であっても単為生殖をして増えることはできないはず」 魔女がなぜこのようなニッチなことを知っているのかといえば、それは彼女がつい最近いろいろな生物の生殖方法に関する本を読んでいたからであった。魔女は15歳の小娘であったが、15歳の小娘らしく色気づく年頃でもあった。

 

「ううん、確かにそのとおりなんだけど」と命賭が言った。「ごくまれにカタツムリも単為生殖をする場合があるらしいの」 命賭は白衣の女たちを見た。どうみても全員がそっくりであった。双子が震えているのが命賭の目に映った。一卵性双生児たちが震えるほど女たちはそっくりであった。「というより、私はその実例を小学校の頃に見たことがあるよ。虫籠の中に一匹だけカタツムリを入れて飼ってたんだけど、ある日ふと見たら小さなカタツムリが何匹か増えていたの。その時は不思議だなぁとしか思わなかったんだけど」 その事実で以てカタツムリが単為生殖を(おこな)い得ると断じることはできないと、命賭は理解していた。別個体から精子を受け取ったカタツムリが捕獲され、後になって産卵をしただけという可能性もある。

 

 白衣の女が言った。「ふふふ……何事も予備は用意しておくべきじゃない? 書類だって必ず複写(コピー)を用意するものだしね。神だって、なにかのはずみで死なないとも限らない。私たちの神様だって、働きすぎて病気になってしまったんだもの。だったら、私だって自己の複製(コピー)を用意しておいた方が良い。それがリスクヘッジというやつよ。ちなみに私が増えたのはあなたが言うとおり、単為生殖をしたからよ」

 

「うーん」とメイドが呻いた。「あまり想像したくない光景だな。この女たちが股の間から卵なりなんなりを産み落とす光景は」「ああっ……!」 突然、白衣の女の一人が苦しげな声をあげた。その女は椅子から崩れ落ちるとしゃがむような姿勢を取った。女は苦しみつつも言った。「う、産まれる……!」 メイドがムッとして言った。「『あまり想像したくない光景』だと、ついさっき言ったばかりじゃないか。産むんじゃない」 だが、メイドの言葉は聞き入れられなかった。

 

 次の瞬間、女の白衣の下から何かが「ごろん」という音を立てて転がり出た。それはピンク色の薄い粘液に覆われた、金色の輝く大きな卵だった。「うげ」と双子が声を発するその間に卵の殻は割れて、中から小さな女が小さな黄金の殻を背負って出てきた。新しく産まれてきた小さな女が言った。「私は生まれました」 卵を産んだ女が言った。「私は生みました」 別の白衣の女が言った。「と、まあ、こんな感じで私たちは増えるのよ。一人が二人を産み、二人が四人を産み、四人が八人を産むって感じで」 しかし、そう言いつつも白衣の女は首を傾げた。「でも、ちょっと増えすぎたかしらね。複製(コピー)を作るだけなら、こんなに数を増やす必要はなかった。少なくとも、あなたたちをやっつけるだけだったらこんなに私たちがいる必要はないわね」 白衣の女たちは一斉に椅子から立ち上がった。敵意が室内に充満した。

 

「とりあえず、いったん逃げましょう」と不穏な雰囲気を感じた危懼子が言った。すぐに撤退の判断を下すことができるからこそ危懼子は一流のお嬢様なのであった。少女たちは頷くと、ドアへと走った。白衣の女は叫んだ。「逃がすものですか!」 女たちは殺到してきた。その時、魔女が杖を構えた。「これでも食らえ!」 その直後、魔女の杖から濃厚な紫色の魔力が放出された。杖の先は床に向いていた。一瞬にして、部屋の床全体が白いこんにゃくと化した。「あ、こんにゃく!」と白衣の女たちが一斉に言った。「私、こんにゃく大好き!」 女たちは床に伏せると、口を開けて舌を伸ばし、歯を立ててこんにゃくを齧り始めた。カタツムリがこんにゃくを好んで食べるという事実を魔女は知らなかったが、時間稼ぎの窮余(きゅうよ)の一策が功を奏したのを見て思わず笑みを浮かべた。「良かった。これでまた杖の先からナタデココが出てきたらどうしようかと思った……」 危懼子が魔女の肩を掴んで引き寄せた。「お手柄でしたわ真蒔子(まじこ)様。ですが(おのれ)の打ち立てた功績の余韻に浸っている時間はありません。さっさと逃げましょう」

 

 少女たちはまた廊下を走った。ネックレスが危懼子に言った。「仕方がありません。あの部屋に入れない以上、初期化をすることはできなくなりました。ですが、やれるだけのことはやっておきましょう。とりあえず、私のバックアップを取ってください」「ほら」 その言葉を聞いて、メイドが危懼子にUSBフラッシュメモリを手渡した。危懼子はネックレスの鎖を首から外すと、殻を手に持ち、その開口部にフラッシュメモリを押し込んだ。ネックレスは沈黙した。「これで良いのかしら?」と危懼子が問うと、ネックレスが声を発した。「ダメですね。このフラッシュメモリ、容量が少なすぎます。しかも中身はドキュメントデータで埋め尽くされていますね。どうやら私のバックアップ用のデバイスではなかったようです」 その言葉を聞いて、走りながら双子が天使の頭を叩いた。「おいコラ」「どうなってるんだ」「ふええ……」 サングラスを失ってから泣いたままでいる天使は、泣きながらフラッシュメモリを見た。そして泣きながら言った。「ああ、これ、違うやつ持って来ちゃったぁ! これ、私の私用(しよう)のフラッシュメモリ! 急いで出てきたから、間違えちゃったみたい……!」「あるあるだねぇ」と命賭が溜息をついた。

 

 ネックレスが声を発した。「なるほど、天使の言うとおりのようです。このドキュメントデータは小説かなにかのようですね」 ネックレスは小説を音読し始めた。「『そこで、僕は、椅子に、縛り上げられた、彼に向って、笑みを浮かべた。初めて、だからといって、心配しなくて、良い。力を、抜いて。薬は、使いたくない。さあ、一つに、なろう。僕のは、大きくて、柔らかいよ。そして、僕は、彼の、剥き出しになった、肛門に……』」 ネックレスはいったん言葉を置いた。そして「うわぁ」と言った。

 

「わー!? やめてぇー!」 天使はそう叫ぶと、素早い手つきでUSBフラッシュメモリを殻から引き抜いた。ネックレスによって一語一語が丁寧に切り離されて音読されたその小説は、明らかに()()()()()()ものだった。天使は泣きながら言った。「違うもん、違うもん……これ、私が書いた小説じゃないもん……友達が『読んで』っていうから、フラッシュメモリに保存しておいただけのデータだもん……」「そうか。そうだな。そういうことはよくあるな。あるあるだな」 メイドが慰めるようにそう言った以外、少女たちは何も言葉を発しなかった。それが彼女たちなりの優しさであった。

 

 危懼子たちは研究所(ラボ)の外に出た。外にはまだ、圧し潰された巨大なマイマイカブリの死骸と、巨大なカタツムリの殻があった。少女たちは闇雲に走った。行先はどこか分からなかったが、とにかく走った。危懼子が叫んだ。「一時撤退! そして捲土重来(けんどちょうらい)からの臥薪嘗胆(がしんしょうたん)ですわ! 逃げさえすれば必ずまた機会はやってきます! 漢の高祖劉邦もそうやって天下を取りましたもの!」

 

 しかし、彼女たちの足は止まった。目の前には、無数の球体が彼女たちの行く手を阻むように転がっていた。それは先ほど研究所(ラボ)の部屋で、白衣の女が産み落とした卵とまったく同じだった。息を呑みつつ、危懼子たちは卵の群れを見ていた。彼女たちの精神は凍り付いていた。ややあって、一斉に卵にひびが入り、中から小さな殻を背負った小さな女たちが出てきた。粘液に覆われた小さな女たちは同時に声をあげた。「私は生まれました」 メイドが毒づいた。「いちいち報告しなくてもよろしい。(かん)(さわ)る」

 

「あ、あそこ!」と命賭が叫んで指をさした。その先には巨大なカタツムリの殻があった。さながら一昔前のパチンコ台のように、殻の開口部から何かがジャラジャラと耳障りな金属音を立てて盛んに飛び出している。それは卵だった。卵の大当たりであった。卵は飛び出したままの勢いをもってゴロゴロと転がり、瞬く間に大地を覆い尽くしていった。

 

 いつの間にか、危懼子たちは卵と小さな女たちに囲まれていた。粘液の、むっとするような生臭いにおいがあたりに充満していた。それにはゲルベゾルテのにおいも多少混入していた。女たちは危懼子たちを無言で眺めている。物言わぬ圧力に少女たちは身を縮ませた。しかし、危懼子だけは堂々と胸を張ってその場に立っていた。

 

「ねえ、真蒔子(まじこ)様」 危懼子は傍らで震えている魔女にそっと声をかけた。「またこんにゃく魔法か何かでこの方々の気を逸らすことはできません?」 魔女は無言で首を左右に振った。危懼子は命賭に声をかけた。「命賭様、あなたはこれまで要所要所で必要な知識を披露してくださいましたが、この状況を打開できる良い考えはございませんか?」「ちょっと思いつかないかなぁ」 いつもどおりの口調で命賭はそう答えたが、その顔はやはり引き攣っていた。危懼子はメイドに声をかけた。「メイドは?」「そうだな。死ぬ気で戦えば一体か二体かはなんとかなるかもしれない」 しかし目の前にいる敵はどんなに少なく見積もっても数千はいた。

 

「双子は?」 危懼子は双子に声をかけた。双子は抱き合っていた。大きな胸と胸が正面衝突し、形を変えていた。桜子が答えた。「牛の子に ふまるな庭の かたつぶり」 薫子が続いた。「(つの)ありとても 身をなたのみそ」 双子は声を揃えて言った。「寂蓮(じゃくれん)法師」 それは「(つの)という武器があるからといって調子に乗るなよカタツムリ風情(ふぜい)が」という、この期に及んで未だに反骨精神を維持している双子なりのメッセージであった。危懼子は無言で天使を見た。天使はぐすぐすと泣き声をあげるだけだった。

 

「シスター・マルタ! あなたはどうですか」 声を励まして、危懼子はマルタに言った。マルタはぼんやりと視線を周囲に巡らせていたが、危懼子の言葉にはっとしたようだった。マルタは怒ったような口調で言った。「『どうですか』もなにも、もうおしまいよこれじゃ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()() ああ、最後に揚げたてのファボルキ(faworki)が食べたかったわ……」 脳内で故郷ポーランドの揚げ菓子ファボルキの味を思い出しているマルタに対して、危懼子はなおも言葉を続けた。危懼子は優しく微笑んでいた。「ポーランドの方々は良い意味で諦めが悪いと聞いていましたが、違いましたのね。シスター・マルタは随分と運命に対して聞き分けが良いようで」

 

 危懼子の烏の濡れ羽色の髪が風に靡いた。危懼子は言った。「私はまだ諦めてはいませんわ。お嬢様という生き物は諦めが悪いように生まれついていますの。『もうどうしようもない、完全に行き詰まり』という状況だからこそ、私は諦めません」 危懼子はまた優しい口調でマルタに言った。「ねえ、シスター・マルタ。人間というのはそういうものではございませんか? もし人間がすぐに諦める存在であったのなら、私たちは今ここでこうして立っている前に、とっくの昔に絶滅していたはずです。私たちの遥か祖先、そう、私たちの一番最初の祖先もきっと、どうしようもない行き詰まりに直面したでしょう。ですが、彼らは諦めなかった。肉体は滅び、彼らの物質的な痕跡がこの世から消え去っても、彼らの諦めの悪さだけはしつこくこの世に残った。『希望』などという大層なものではありません。ただ、『このまま終わりたくはない』という気持ちだけが、人類を生かし続けてきたのです。ですから、私も諦めません。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()() あるいは人々のその気持ちこそ、祈りと言うべきなのかもしれません」

 

 その瞬間、マルタの脳裏にある光景が閃いた。それは昨夜スワンボートの上で彼女が見た夢であった。確かに夢の中で、イエスはマルタに言った。「困った時はお祈りをしなさい。『もうどうしようもない、完全に行き詰まってしまった。祈りも何も通じない』と思った時こそ、お祈りをしなさい。私が信じられなくなった時こそ、あえてお祈りをしなさい……」 マルタの口から、自然と言葉が漏れ出た。「『主よ、信じます。あなたがこの世にきたるべきキリスト、神の御子であると信じております』」 双子が抱き合ったまま補足した。「『ヨハネ福音書』第11章第27節」 マルタの表情は見る見るうちに力を取り戻した。「そうですね、イエス様。()()()()()()()()()()()()()()()()()」 マルタは手を組み、そして祈った。「神様、どうか私たちを助けてください」 祈りはたったの一言だったが、清らかな力に満ちていた。

 

「にゃーお」

 

 それは、マルタの祈りの言葉が終わるのと同時に響きわたった。それは猫の鳴き声だった。至極暢気な、上機嫌な鳴き声だった。声は空から発せられていた。危懼子たちは空を見上げた。また「にゃーお」という声が聞こえた。危懼子たちの周りを取り囲んでいる女たちが、一斉にびくりと体を震わせた。「あっ!」と叫んで、メイドが空のある一点を指さした。それは彼女たちのほぼ真上の空にあった。それは巨大な円盤であった。黒く、厚みのある円盤は、地上に投げかけるそのシルエットからして膨大な質量を感じさせた。

 

 魔女が叫んだ。「なにあれ!? UFO!?」 危懼子が驚いたように言った。「UFOだとしたら……いけません! ついにプロキシマ星系第五惑星人の地球侵攻が始まったのですわ!」 先ほどまでの美しいまでの凛々しさはどこへ消えたのか、危懼子は呆れかえるほど狼狽した。「ああ、人類はおしまいですわ!」

 

 命賭が危懼子に言った。「ううん、あれはUFOじゃないよ。私、あれをどこかで見たことがあるもの。うーん、何だったっけ?」 命賭はしばらく考え込んでいたが、やがてぽんと手を打った。「あっ、そうだ! あれはロボット掃除機(ル〇バ)だよ!」 命賭がそう言っている間にも、空飛ぶ円盤にしか見えないロボット掃除機は高度を下げてきた。やがて、ロボット掃除機は音も立てずに大地に着陸した。

 

 魔女が呆気にとられたように言った。「あ、猫だ」 ロボット掃除機の上には猫が乗っていた。巨大な猫だった。猫は真っ黒だった。僅かに喉の辺りに白い毛が生えている。猫は手で顔を丹念に洗っていた。ひとしきり顔を洗うと、猫はまた「にゃーお」と鳴いた。メイドが感心したように言った。「なるほど、ロボット掃除機(ル〇バ)の上に猫。これはお約束だな。竹に雀、梅に(うぐいす)。獅子に牡丹(ぼたん)と来れば、ロボット掃除機には猫だ」

 

「ああ、神様!」と、それまで泣いてばかりいた天使が嬉しそうな声をあげた。「神様が来てくれた!」「えっ? 神様? 本当に?」とマルタが言うと、それに答えるように巨大な黒猫は「にゃーお」と鳴いた。円盤が宇宙人の母船ではないことを認識して落ち着きを取り戻した危懼子が言った。「そういえば……昨日私は言いましたわね。『神様はどんな姿をしているか』と。一つ、神は人間の姿をしている。二つ、神はそれぞれの生き物の姿をしており、人間には人間の、馬には馬の、ミドリムシにはミドリムシの姿で現れる。三つ、そもそも神は特定の姿形をしていない」

 

「そしてその答えは四だったわけね。『神は猫の姿をしていた』」 マルタがどことなく釈然としない様子で言った。「神はロボット掃除機の上に乗って現れた。まさしく『機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)(Deus ex machina)』ね」 双子が口を開いた。「デウス・エクス・マキナは」「悲劇詩人エウリピデスの得意技」「最後の最後になって神が出現し」「紛糾したすべての問題を一挙に解決する」 マルタがそれに答えた。「そう、舞台装置のクレーンによって神が舞台の上に出現するから、『デウス・エクス・マキナ(機械から出てくる神)』」 そう言いつつ、マルタは果たしてこの「猫の神がロボット掃除機に乗っている」場合にも「Deus ex machina」というラテン語が正確な表現であるのか考えていた。考えていたが、彼女のラテン語の知識では容易に結論が出そうになかったため、彼女は思考を打ち切った。

 

「にゃーお」と黒猫の神が一声鳴くと、ロボット掃除機が前進を開始した。「ひぇえっ!」 カタツムリの殻を背負った女たちは脆くも壊乱した。女たちは「わぁー!」と泣き叫び、髪を振り乱して逃げ散り始めた。しかしロボット掃除機の動きは素早かった。女たちは瞬時にロボット掃除機の吸い込み口の中へと吸い込まれていった。大地を覆い尽くさんばかりに存在していた偽の神の群れは、真なる神の乗り物によって数分も経たずに一人残らず殲滅された。ロボット掃除機は巨大なマイマイカブリの屍も吸い込み、そしてなおも壊れた機械のように卵を吐き出し続けていた巨大な殻をも吸い込んだ。ついでと言わんばかりに、ロボット掃除機は白い研究所(ラボ)も吸い込んでこの地上から消し去った。危懼子たちがここに来るまでに乗ってきた、あの「おサルの電車」も吸い込まれて消えた。

 

 鼓膜と聴覚神経を破壊せんばかりに響いていたバキューム音は、ぷつりと止んだ。ロボット掃除機は危懼子たちの目前で止まっていた。「掃除は終わったようですわね」と危懼子は言った。彼女は頭を巡らせて四方を見た。ロボット掃除機の威力は凄まじいものだった。丘は削れて平坦になり、森は一本残らず樹木を引き抜かれて禿げあがり、川は水を失って干上がっていた。「にゃーお」という鳴き声が上から聞こえてきた。危懼子たちが顔をあげると、そこには黒猫の神がどこか満足そうな顔をしてロボット掃除機の上に鎮座していた。形の良い耳がぴこぴこと動いていた。

 

 天使が泣きながら言った。「ああ、神様……ありがとうございます、ありがとうございます……」 その直後、猫の目から怪光線が発射され、天使に直撃した。光が消えた時には、天使の顔にサングラスがかかっていた。「まったくもう!」と猫が言った。「本当に困ったおチビちゃんたちだこと!」 猫の声は女性の綺麗な声だった。「うわ! 猫が喋った!」と魔女が叫んだ。メイドが腕を組んで言った。「いまさら驚くようなことでもない。神様なんだから喋ってもおかしくはないだろう」

 

 天使は猫に向かって言った。「神様、腎臓の具合はどうですか? まだ療養中だと聞いていましたが……」 黒猫の神は答えた。「もちろん、腎臓は治っていません! しかしそんなことも言っていられないから直接私が出張(でば)ってきたんです! ああ、帰ったらまたあの苦い薬を飲まないと……」 命賭が天使に言った。「神様、腎臓が悪いの?」 天使は頷いた。「うん。ちょっと仕事のし過ぎでね。体を壊しちゃったの。私たち天使が代わりに仕事をするから、しばらく休んでいてほしいと言っていたんだけどなぁ」

 

 黒猫の神は牙を剥き出しにして「シャー!」と言った。「いいえ! 私の腎臓がおかしくなったのは仕事をし過ぎたからではありません! あなたたちおチビちゃんが私に塩分が濃くて脂もたっぷりな美味しい食事を与えたのが原因です! トンカツとか、天ぷらとか……そう、いつか食べたあの(キス)の天ぷらは美味しかった……じゃなくて! そりゃ、私もちょっと調子に乗って『美味い美味い』と食べまくったのは悪かったと思いますけど、少なくとも仕事のせいではありません!」「仕事中毒の人ほどそういうことを言うが」とメイドが言った。命賭は気の毒そうな顔をした。「人間のご飯を猫にあげるのは厳禁だよぉ。すぐに腎臓を悪くしちゃうから」「猫には猫用のペットフードを与えるのが一番だな」とメイドが言った。「栄養バランスがちゃんと考えられている、高いやつだ」

 

「それにしても、よく来てくださいました」と天使が言った。「もう打つ手なしかと思って諦めかけていたんです」 双子が口を開いた。「シスター・マルタのお祈りが届いた」「やはりお祈りの力は偉大」 しかし危懼子の手の中にあるネックレスが言った。「いいえ、そうではありません。私が神様を呼んだのです。研究所から逃げる時、私はダメ(もと)で救難信号を出しました。信号が届くのには早くとも数千万時間後だと思われたので、半ば諦めていましたが。それがどういう具合か分かりませんが、神様に届いたのでしょう」 天使が「へぇー」と間の抜けた声をあげた。「随分と気が利くオルガノンだねぇ。まあ、私だって救難信号を出すことくらいは考えたのよ。でも、どうせ神様は療養中だし、それにこんな10の52乗分の1の小さな世界には誰も助けに来ないと思っていたから、結局出さなかったの。私たち、慢性的な人手不足だしね」

 

「そう考えてしまうのが天使の浅ましさよ、おチビちゃん」と黒猫の神が言った。「私が救難信号を無視するわけがないじゃない。どんなに小さな世界、どんなに小さな存在であっても、私は絶対に無視なんてしないわ。だって、私は神様なんだから。それにね……」 黒猫の神はマルタに顔を向けた。その瞳は満月のように丸かった。「実を言うと、救難信号を受け取る前に私はちゃんとあなたのお祈りをこの耳で聞いていたわ、マルタ。たとえ救難信号が来なかったとしても、私はきっとあなたのお祈りだけで動いていた。あなたのお祈りを聞いて、『これはいかん!』とロボット掃除機を用意している時に、『オルガノン』からの救難信号が届いたのよ」「あれ? なんか時系列がおかしくない?」と魔女が言った。メイドが窘めた。「言うんじゃない。神なんだから、時間も空間も超越しているのだろう」

 

 マルタは何も言わなかった。彼女はただ黒猫の神を見つめていた。黒猫の神はゆっくりと目をつむり、そしてまたゆっくりと開いた。「いまさら私から何か言うことはないわ。あなたはちゃんと大切なことを知っている。()()()()()()()()()()()()()()これからもそれを大切にしなさい」 そのように言う黒猫の声は慈愛に満ちていた。

 

「ロボット掃除機に吸い込まれた女たちはどうなるの?」と魔女が尋ねた。黒猫の神はロボット掃除機を手でぽんぽんと叩いて答えた。「そうね。このおチビちゃんがしでかしたことは紛れもなく重大インシデントだから、それなりに罰を受けてもらいます。ですが、おおもとを(ただ)せば私が不在であることによって生じた過酷な労働環境が原因であることは明らかですから、それなりに情状酌量の余地はあると思います。しばらくは私のトイレの掃除をして過ごしてもらいましょう。幸い、増えに増えたことで人手には困らないようですし。さて……」

 

 黒猫の神はいったん言葉を切ると、ゴロゴロと喉を鳴らした。「これから私は、この世界を元通りにしようと思います。その前に、何か私に対して要求はありますか? ほんのちょっとしたことなら叶えてあげられると思います。あなたたちには大変な苦労をかけましたからね」 天使が神に向かって言った。「またそんなことを言って……仕事が増えますよ! 地上ではほんのちょっとしたことでも上で処理するとなったら仕事が激増するんですからね!」 神は天使を咎めるように言った。「おだまりなさい!」 双子が言った。「織田満里奈斎(おだまりなさい)?」 神は言葉を続けた。「少しくらい仕事が増えたって、それがなんだというんです。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()さあ、それでどうしますか? あまり度を越したものは駄目ですが、大抵の願いごとならばどうにかなります」

 

 少女たちは一斉に危懼子を見た。この場において、彼女たちを代表して何か言うことができるのは危懼子だけであると、言葉に出さなくとも全員が共通に認識していた。なぜなら彼女こそが西方浄土高校の女子だらだら部の部長だからである。

 

「そうですわね……」 しばらく、危懼子は考え込んだ。やがて彼女は言った。「神様が働き者で、私たちを決して見捨てないということを、今回の件を通じて知ることができました。大変価値のあることであったと思います。少なくとも、そこらへんの神学の本よりはよほどためになりました。ですが、私から言わせていただけるならば、神様は少々働きすぎですわね」

 

 黒猫の神は静かに危懼子の言うことを聞いている。危懼子は言葉を続けた。「私の父も母も大変な働き者です。年中無休でフル稼働しております。二人が家にいることはほとんどありません。今でも父と母と顔を合わせるのは年に数日あれば良い方ですもの。ですが、父と母ともっと一緒にいたいとは思いません。父と母の仕事によって私はお嬢様として生きていられるからです。ですが、父と母の死に物狂いの仕事ぶりを見て、私はかえってだらだらすることの重要性を認識しました。そう、まだとても小さい頃から、だいたい幼稚園児くらいの頃から、私は認識しておりました……」

 

 危懼子はなおも話し続けた。「人は仕事をし、能力を発揮することで、人生を充実したものにしていく。ですが、人間というものは、そういつも、いつまでも働いていられるものではありません」 危懼子はいったん言葉を切った。爽やかな風が吹き渡った。黒猫の神の黒い毛がふわりと風に撫でられた。

 

「去年のことです。父が病気になりました。幸い、そう重い病気ではなくすぐに回復したのですが、その時の父は見ていられないくらい憔悴(しょうすい)していました。なにかにつけ物事を大袈裟に考える父は、私へまるで遺言のように『もっとだらだらしておけば良かった』と言いました。『人生の価値は、どれだけ仕事をしたかということだけで測れるものじゃない。()()()()()()()()()()()()()()()()()仕事とだらだらは表裏一体なのに、私はコインの表側だけしか見ていなかったようだ』と父は言ったのです。その時、ようやく私は父と心が通ったような気がしました。私は決心しました。私の人生を賭けて『だらだら』を追求しようと。人間はこれまで、仕事にばかり専念してきました。仕事という面において、人間は卓越した存在になりました。それならば今度は、仕事の裏面であるだらだらを追求しよう。私はそう考えました……」

 

 危懼子は手に持っているネックレスの、その殻の表面を優しく撫でた。「ただ、そのだらだらは普遍的なものでなければなりません。恵まれている者だけがだらだらできて、恵まれていない者はだらだらできない。そんなだらだらはだらだらではありません。私は、全人類がだらだらすることはできないものか、そういっただらだらの形はどんなものであるかと考えました。私はお嬢様で、物質的に恵まれています。世界でも有数の恵まれている者でしょう。こんな私がある日無一文になり、世間的にはお嬢様と言われなくなったとしても、変わらずだらだらできるように、新しいだらだらの形を考えなければならない。『女子だらだら部』を私が創設したのは、そのためでした。私は、私以外の人たちと一緒にだらだらすることで、あるべきだらだらの形を研究したかったのです」

 

 危懼子は小さく溜息をつき、そして言った。「今回の件で、私は私の方針が間違っていなかったことを悟りました。皆様、あの気が狂いそうな状況にあって、けっこう立派にだらだらしておりました。だらだらが人類を救うなどと、そんな宗教家のような大言壮語は致しませんが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()あの土壇場になって私が諦めずにいられたのも、だらだらによって生まれた余裕があったからです。ほんのちょっとした余裕、それさえあれば人は前へと進んでいけます。自分以外の人のためにお祈りをすることだってできるはずです。というわけで……」

 

 危懼子は黒猫の神を見つめて言った。「私たちが『この世界のために』何かを叶えてくれと神様に頼むことはありません。むしろ、この世界のためにではなく、あなたのためにお願いをします。もっとだらだらしてくださいまし。その偉大なる力に見合った分だけ偉大なる仕事をするのもけっこうですが、偉大なる力に見合った偉大なるだらだらをしてくださいまし。強いて言うならば、それが願い事です」

 

 しばらく、危懼子と神は見つめ合った。沈黙があたりに満ちた。それは心地良い沈黙だった。やがて、神が「ふぅー」と溜息をついた。「まさか、おチビちゃんからお説教をされるとはね。わかりました。これからは私もだらだらしようと思います。まあ、仕事がどうしようもなく溜まっているので、それなりにだらだらすることになるでしょうが」

 

 神は右手を危懼子に向かって差し出した。「さあ。私の手にその『オルガノン』を置きなさい。そうすれば世界は元通りになります」 

 

 危懼子はネックレスに向かって言った。「さようなら、黄金のカタツムリ様。あなたもけっこう良い感じのだらだら具合でしたわ」 ネックレスは言った。「さようなら、危懼子さん。私もけっこうだらだらできましたよ。これからもせいぜいだらだらしようと思います。『これから』があるのかどうか分かりませんが。もしかしたら私は証拠物件として押収されて、保管室で永遠に眠ることになるかもしれません。まあそうなったとしても、それはそれでだらだらできるでしょうが」

 

 神が言った。「安心なさい。私に考えがあります。あなたたちは願い事はないと言いましたが、私から一つ贈り物をしてあげましょう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()さあ、こっちにおいで」 危懼子は神のピンク色の柔らかな肉球の上にネックレスを置いた。ネックレスは微光を発した。「えっと……それで、初期化のパスワードはなんでしたっけ?」 黒猫の神はじれったそうに言った。「とっくに知っているでしょう。さっさと思い出しなさい」

 

「あっ、そうか」とネックレスは言った。「たった今、思い出しました」 神が急かすように言った。「早く言いなさい。これ以上時間をかけたらせっかくの良い雰囲気がだいなしになる」

 

 ネックレスは叫んだ。「『はい、おしまい! もう全部おしまいでーす!』」

 

 光があたりに満ち溢れた。「うわ、まぶし!」と危懼子たちは叫んだ。

 

 

☆☆☆

 

 

 崋山危懼子はその日の日直の仕事を終えると、文化部棟の部室へと向かった。そこは薄汚れた文化部棟の中でもさらに薄汚れている二階の一番東側の部室だった。そこは「女子だらだら部」の部屋だった。そこは都立西方浄土高校の中でも特にだらだらしている女子たちの溜まり場であり、昼寝場所であり、駄弁(だべり)場であった。

 

 危懼子は部室のドアを開けて中に入った。まず、目に入ったのは石畳桜子と石畳薫子の双子の姉妹だった。双子はしっかりと抱き合って畳の上に横になっていた。日中、離れ離れで過ごしたことによって、双子は双子生命力(エネルゲイア)を消費しきっていた。双子は抱き合うことによってそれを回復させているのであった。桜子が言った。「現在、55%まで充電完了」 薫子が言った。「完全充電まで残り1時間32分」 それはまことにけっこうなだらだら具合であった。危懼子は満足したように頷いた。

 

 危懼子は視線を転じた。そこには座卓の上に大きな聖書を広げた、マルタ・ドマホフスカがいた。マルタは熱心に聖書を読んでいた。彼女は聖書の一節を読み上げた。「『だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った。()()()()()()()()()()()()()()()()()』」 それは『コリント人への第二の手紙』第5章第17節であった。ことあるごとに「おうちにかえりたい」と言うのを除けば、マルタはなかなか堂に入っただらだら具合であると言えた。危懼子はまた満足したように頷いた。

 

 少し離れたところに、馬場命賭が横になっていた。彼女は寝そべって動物の写真集を眺めていた。それは有名な写真家がつい先日出版した、猫の写真集であった。命賭は熱心に黒猫が映っているページを眺めていた。黒猫はぐでーっと脱力していた。命賭は感に堪えないように言った。「いいねぇ、猫は。やっぱり猫はだらだらしているのが一番だよぉ」 命賭こそはだらだらの精鋭である。危懼子はそのことを小学生の頃から知っていた。危懼子は満足そうに頷いた。

 

「お嬢様、お茶をどうぞ」 うすらでかいメイドがお茶を持ってきた。メイドは白い盆の上にカップとポットを乗せていた。メイドはつい最近、お茶の淹れ方を覚えたのだった。しかし、盆はぐらぐらと揺れていた。少し力み過ぎであるようだった。危懼子はお茶を受け取りながら、メイドはもう少しだらだらした方が良いと思った。

 

「重役出勤ね、崋山危懼子」と声がした。そこには魔女がいた。魔女はゼリーを食べていた。それはこんにゃくゼリーだった。魔女はきちんと正座をしていた。魔女の全身から挑みかかるような気迫が感じられた。危懼子は静かに首を左右に振った。魔女にはまだまだ、だらだらの何たるかを教える必要があると危懼子は思った。

 

 危懼子は部室における自分の定位置についた。彼女はネックレスを外すと、それを机の上に置いた。重いネックレスをいつまでも首にかけているわけにはいかなかった。肩こりにでもなれば、だらだらに支障が出てしまう。午後の柔らかな日差しを受けて、ネックレスは黄金色にキラキラと輝いた。それはあたかも光の海を漂う巻貝のようであった。雲によって日が翳り、雲が流れるに従ってまた日が姿を現した。光を受けて、ネックレスが物を言うように微光を発したように見えた。

 

 しばらく、沈黙が部室の中に満ちた。少女たちは思い思いにだらだらしていた。今日の女子だらだら部の仕上がりは90点といったところであった。

 

 危懼子は微笑んでいた。それは女子だらだら部部長として、見事なだらだらと言えた。

 

 沈黙はちょうど12分と47秒続いた。

 

 危懼子は、待ちかねたように口を開いた。

 

「沈黙にたえられない年頃ですので、そろそろ何か喋ろうと思いますわ」

 

(終わり)




 随分と長い「簡潔な報告」になりましたが、これにて『女子だらだら部』はおしまいです。ありがとうございました。
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