【完結】都立西方浄土高校女子だらだら部部長にして華麗なるお嬢様崋山危懼子ならびにその他女子部員らの活動記録、あるいはなぜだらだらの日常はあっけなく崩壊したかということに関する簡潔な報告 作:ほいれんで・くー
「すみません、取り乱しました。しかし私は神なので何も問題ありません」
ひとしきり岩の上で狂態を演じた後、黄金のカタツムリは唐突に落ち着きを取り戻した。その落ち着きぶりが「神」にふさわしいものであるかは神を知らぬ五人の少女たちにとって判然としなかったが、ともかくも落ち着いたことは無条件に良いことであるとは言えた。落ち着きは余裕を意味し、余裕はだらだらを約束するからである。
だが、カタツムリの黄金の殻は午後の柔らかな日差しを受けてキラキラと輝いていた。それがまったく、どうにも、危懼子の
だから彼女は、そのことを黄金のカタツムリに告げることにした。多少、言葉をお嬢様的に上品に整えたうえで。なぜなら相手は自称とはいえ神だからである。
「黄金のカタツムリ様。たいそうご立派な殻を背負っていらっしゃいますが、その中にはいったい何が入っていますの? 後学のために是非お教えいただきたいですわ」
カタツムリが返答する前に、双子が声を上げた。それは何かを朗誦するような声であった。透き通った美しく高い声にはそこはかとない哀調が感じられた。
「わたしは いままで うっかりして ゐたけれど わたしの せなかの からの なかには かなしみが いっぱい つまって ゐるではないか」と桜子が言った。それは詩だった。続けて薫子が言った。「わたしは もう いきて ゐられません」 双子は手を合わせ、指を絡ませ合い、声を合わせて続けた。「わたしは なんと いう ふしあわせな ものでしょう。わたしの せなかの からの なかには かなしみが いっぱい つまって ゐるのです」
「それ、長くなりそう?」と、双子のフリーダムな振る舞いに少なからずげんなりとしたマルタが訊いた。しかし、そのように言ったマルタではあったが、その詩そのものはけっこう良いなと思った。ポーランドは悲しみの国である。悲しみを抱いて生きるからこそポーランドとポーランドの民は強い。悲しみを歌う詩は無条件に良い。
「これは新美南吉の詩だよぉ」 命賭が説明した。「新美南吉は日本の有名な作家だよ。もうかなり前(1943年)に死んじゃったけど。『ごんぎつね』とかが有名だよ。小学校の教科書には必ず載ってる。でも私、新美南吉はけっこう闇属性だと思ってるんだよね」 マルタが尋ねた。「闇属性?」「だって『ごんぎつね』ってそういう話じゃん。ごんの贖罪はごん自身の生命を無意味な死に捧げることでようやく完遂されるっていう……児童向けの話で贖罪とそれが最終的にもたらすものについてテーマに据えるっていうのはやっぱり闇属性じゃないかなぁ」 マルタは言った。「私『ごんぎつね』については知らないからコメントは差し控えるけど、似たような話は我が祖国にもあるわ、それは……」
しかし、マルタの話は他の部員に無視された。彼女がポーランド語で話し始めたからである。彼女の日本語能力は例の難解極まる「TOPJ実用日本語運用能力試験」で「上級A」を取得できるほど大変高度なものであったが、残念なことに彼女は祖国について語る時はなぜか日本語ではなくポーランド語が口から出てくるのである。これはマルタにとって非常にやっかいな習癖であった。例えばクラスの誰かがマルタと友達になろうとして「ねえ、ポーランドのこと教えて! マルタさんはどんな町に住んでいたの?」と訊くとする。するとマルタはここぞとばかりに嬉々としてその麗しき碧眼を輝かせ、愛する祖国ポーランドの話、わけても彼女の出身地であるヴィエルコポルスカ県のポズナンの話をしようとするのだが、それは日本語ではなくポーランド語で話されるために、日本の愚かな高校生にはまったく理解できないのであった。彼女としてもこの習癖はどうにかしなければならないと思っていたが、やはりどうにもならないので、来日以来ずっと彼女を苦しめているホームシックはさらに加速するのであった。
桜子と薫子の双子はなおも「でんでんむしのかなしみ」を続けていた。それはクライマックスに差し掛かっていた。桜子が言った。「かなしみは だれでも もって ゐるのだ わたしばかりでは ないのだ。わたしは わたしの かなしみを こらえて いきなきゃ ならない」 薫子が締めくくった。「そしてこのデンデンムシはもう嘆くのをやめたのであります」 感極まった双子はいきなり抱き合って涙を流し始めた。二人の柔らかい胸は潰れて絡み合っていた。涙は透き通っていて美しかったが、その光景はどこか滑稽だった。あるいは双子という存在そのものがどこか滑稽であるがゆえにその光景は滑稽であるのかもしれなかった。
命賭も目に涙を浮かべつつ拍手した。「素晴らしい! 双子に拍手!」 マルタもポーランド語で何かを喋りつつ、拍手をした。「
黄金のカタツムリも拍手をしようとした。しかし彼にあるのは触角だけだった。拍手の代わりに、彼は触角を高速で伸ばしたり縮めたりした。「うわっ、キモッ! ですわ!」と危懼子が声を漏らした。黄金のカタツムリはそれにめげずに声を発した。キモッ!と言われるのには慣れていた。
「なるほど、人間の想像力・創造力は素晴らしいものがありますね。感動的な詩でした。しかし、それも所詮は人間が私たちカタツムリに感情を仮託した単なる韻文に過ぎません。実際のところ、私たちカタツムリは悲しみを殻に詰め込んでいるわけではありません。もし悲しみがぎっしりと殻に詰まっているとしたら、私たちはみんな鬱病一歩手前にまで追い詰められてしまいます。ですが、そう、あなた方人間たちはご存じではないでしょうが、カタツムリはけっこう能天気な性格をしているんですよ。そうそう、実際のところ殻の中には何が入っているのか。まあきっと既にお察しのことでしょうが、だいたい内臓とか、内臓とか、あとはそう、内臓とかが詰め込まれています。平凡ですね。ですが生き物の体構造なんて大抵は無数の平凡と平凡の組み合わせです。しかしその組み合わせが精密にして霊妙であるからこそ生命の神秘などと言われるわけですが」
「それはそうでしょうね」と危懼子が腕組みをしながら言った。「それでは、なぜ単なる内臓を収める機能しか持たないはずのカタツムリの殻が、あなたの場合に限って黄金に輝いているのですか?」
カタツムリは即座に答えた。
「なぜなら私が神だからです。私は神ですから、この殻の中には全知全能が収められているのです。私の殻が黄金であるのは、全知全能のパワーによって輝いているからなのです。お分かりですか? お分かりですよね。人間の知能だってカタツムリと同じくらいにはあるはずですし」
「ほえー」と命賭がどこか間の抜けた声を発した。「へぇー」と危懼子が声を漏らした。双子は沈黙していた。双子は疲れていた。「カタツムリが神様なわけないでしょう、キリスト教的に考えて」と、いつの間にか日本語に戻っていたマルタが言った。
「信じられないんですか? 私が神であることが」と黄金のカタツムリは言った。危懼子が答えた。「そりゃそうですわよ。あなた、ちょっと人間の立場になって考えて御覧なさい。渋谷のセンター街かどこかで、素っ裸の男が
黄金のカタツムリはムッとしたようだった。「それは違いますね、その男は自分が神であると詐称している、あるいは何らかの精神的な疾患によって自身が神であると信じ込んでいる。それに対して、私は本当に神です。この殻にしても金色の塗料スプレーで塗装したりした類のものではありません。私がこの世に生まれた時から身につけていて、せっせとコンクリ壁を齧ってカルシウムを得て、大きく大きく育ててきた大事な殻なのです」
「この世に生まれた?」とマルタが言った。「神様っていうのは、この世を生み出すものではあっても、この世に生まれるなんてことはないんじゃないかしら。ほら、『はじめに神は天と地とを創造された』」 双子が補足した。「『創世記』」と桜子。「第一章第一節」と薫子。「補足するまでもなくこれは有名」「
「いや、私は確かにこの世に生まれました。神としてこの世に生まれたんです。私はここから遠く離れた場所で生まれました。そこは……」
黄金のカタツムリは話を続けようとしたが、命賭がそれを遮った。「うわっ、この子、身の上話を始めたよぉ! 身の上話ってたいてい長くなるんだよぉ! アニメとかゲームとかに出てくる死にかけのライバルキャラとか敵の幹部とか、ドストエフスキーの小説の登場人物とか」 マルタが命賭に続いてカタツムリに問いを発した。「それ、長くなりそう?」 マルタは命賭の「ドストエフスキー」という言葉に恐れを抱いていた。それは確かに長い。カタツムリの身の上話がロシア文学並みに長いのは耐え難い。
カタツムリは触角をぶん回した。多少不快であるようだ。「長いですよ」 マルタは隈のある目でしばらくじっとカタツムリを見つめたが、やがて何かを思いついたのか手をぽんと打って言った。「そうだ、もしあなたが本当に全知全能であるならば、その力を使って私たちの脳内に直接あなたの身の上話を注入すればいいじゃない。その方が手間がかからないし。動画をダウンロードするようなものよ。ねえ、できるでしょう? あなたが本当に神ならば」 そのような発想をするマルタも間違いなく現代っ子の一人であった。
黄金のカタツムリは厳粛な声を発した。「神を試してはいけませんよ」 マルタはその言葉を聞いてさっと赤面した。そして呟くように言った。「イエスは彼に言われた、『主なるあなたの神を試みてはならないとまた書いてある』 ごめんなさい。あなたはたぶん、いえきっと、私の信じる神様ではないでしょうけど、私は私の信じる教えを破るようなことを言ってしまった。ごめんなさい」 桜子が言った。「今のは『マタイ福音書』」 薫子が言った。「四章八節。これも有名」
「それにね、シスター・マルタ」と危懼子が横から口を開いた。「なんでもかんでも手っ取り早く情報を得ようとするのは、伝統と栄光ある『女子だらだら部』の本義に
黄金のカタツムリはまた触角を激しく出し入れした。感謝の念を伝えているようだった。危懼子はやはり内心で「キモッ!」と思ったが、笑みを浮かべてそれをスルーした。その笑みはぎこちなかった。
「ありがとう。では続きを話します。私はここから遠く離れた場所で生まれました。そこはこことは違い、緑が溢れていて、空気が澄んでおり、まことに住み良い場所でした。その土地は確か
カタツムリは双子を無視して話を続けた。「そのような大地の片隅にひっそりと隠れるように建っていた白く清潔な建物の中の一室、その中をさらに何区画かに区切って作られたブースの中の水槽で、私はこの世に生れ出でました。生まれたての私が初めて見た人間は白衣を纏っていました。それは若い女でした。女は小さな小さな私と私の殻を虫眼鏡で見て、狂喜と狂気がない交ぜになったかのような恐ろしい咆哮を上げました。『ついに救世主が生まれました! この世に神がふたたび生まれたのです!』 女は確かにそのように叫びました。生まれて初めて私が遭遇した知的生命体が私を見て私を『神』と定義したので、私は私のことを神と信じている次第です」
「なんかの研究者だったのかなぁ」と命賭は言った。「群馬県の、どっかの研究所かもしれないね。そこでカタツムリの品種改良をしていたのかもしれない。で、その後はどうなったの?」
「私はしばらくその研究所の中で育ちました。食べ物はたっぷり与えられました。私は満たされていて幸せでした。なにより良かったことは、私に全知全能の力が与えられていたことです。私は即座に人間の言語を理解し、人間の脳内に直接言葉を送ることができるようになりました。言葉を操る。これこそ全知全能の証です。でしょ?」
「『初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった』」 マルタがそう言うと、双子が即座に補足した。「『ヨハネ福音書』」「第一章第一節から第五節。超有名」
「私の生誕の瞬間に立ち会ったあの若い女性についても言葉を通じてすぐに知ることができました。彼女は自らのことを『天使』と名乗りました。おそらく偽名でしょうが、まあ私にとっては実際に天使でした。神を世話するのが天使であると定義できるなら、彼女は毎日神である私の食事を用意し、霧吹きで潤いをもたらし、室温と湿度を調整し、金塊を舐めさせ、排泄物の処理までしてくれたのですから」
黄金のカタツムリはよどみなく話を続けた。「天使は私にしばしば警告めいたことを言いました。『この世には神の敵がいます』と。『ひとつの敵でも厄介なのに、神であるあなたの敵は三種類もいるのです』 怖い顔をして天使は私に言いました。『一つは、小学生です。特に低学年から中学年の小学生が危ない。あなたを見つけたら小学生たちはあなたの神聖なる肉体のいろんなところを無遠慮に
五人の女子はそれぞれがそれぞれのだらだらスタイルで黄金のカタツムリの話を熱心に聞いていた。危懼子は腕を組んで目を閉じていた。マッカーサーってどんなサングラスをかけていたっけ? ああ、そうだ。確かレイバンのサングラスだ。そんなことを世界史の教師が数日前に言っていた気がする。「俺も休日はサングラスをかけてる。強くなった気がしてなかなか良いぞ」と教師は軽口をたたいていた。だが、危懼子が想像する限り、教師がサングラスをかけた姿は香港あたりのチンピラマフィアそのものだった。一方、命賭はメモをとっていた。メモとペンは彼女のファーザーが銀座伊東屋で買ってくれたものだった。命賭の字は細かく、綺麗だった。双子は抱き合っていた。「でんでんむしのかなしみ」を朗誦したせいでいよいよ双子
「それで、三つ目の敵はいったい何なの?」と危懼子が尋ねた。黄金のカタツムリはしばらくぐるぐるとその場を回った。キモイ動きだった。危懼子は「そのキモムーブをやめろ!」と怒鳴りつけようかと思ったが、なんとか我慢した。
そして彼は言った。「天使は言いました。『三つ目の敵は、これも二つ目の敵と同様に黒々としているのですが、虫です。無視できない虫です。あ、このギャグけっこう面白いな……虫は、コウチュウ目オサムシ科オサムシ亜科に分類される、『マイマイカブリ』です。学名はDamaster blaptoides。まあラテン語なんてどうでも良いです。それよりもよく気をつけてください。なにせこの虫は、神であるあなたを唯一捕食できる存在ですから』そう言うと彼女は図鑑を私の前で広げて、写真を見せてくれました。ああ、なんとおぞましいその姿! 私はそのマイマイカブリの写真を見て生まれて初めて恐怖を覚えました」
マルタが言った。「神でも恐怖はするのね」 カタツムリは答えた。「無論、します。なぜなら私は全知全能だからです。恐怖するというのも能力の一つですから、当然私は恐怖します。恐怖もしますし、脱糞もしますし、生殖活動もします。あらゆることができるゆえに私は神なのです」 双子が会話に割り込んだ。「私たちは高校生の女の子」と桜子。「自分たちで言うのもなんだが、けっこう美しい」と薫子。「美しい女子高校生は恐怖をしない」「脱糞もしない」「勉強もしない」「あらゆることをしないゆえに私たちは人間と言える」 双子は沈黙した。命賭が「アイロニカルだねぇ」と言った。
黄金のカタツムリは話を続けた。「そう、私は恐怖しました。あの黒々とした虫こそはまさに私の天敵、私を神の座から引きずり落とす堕天使、反逆者、不遜なる革命家……」 そこまで言って、突然黄金のカタツムリは言葉を中断した。よく見ると彼はプルプルと震えていた。
十秒後、カタツムリは突如としてシャウトした。
「思い出したーっ! はい、おしまい! もう全部おしまいでーす!」
彼は触角を激しく動かし、爆速で岩の上を這いずり回り始めた。
「ええっ!? いったいどうしたんですの?」 唖然とした五人の大きく見開かれた目が黄金のカタツムリに向けられている中で、危懼子がそのように問いかけた直後であった。
樹上から死にかけのカラスが発する鳴き声もかくやというほどの恐ろしい響きを持つ、不可解な声が聞こえてきた。
「そう、おしまい! もう全部おしまいでーす!」
次の瞬間、何かが木の上から岩の上にぼとりと落ちてきた。細長い瓢箪状の体、ほっそりとした脚部、艶消しブラックの体表、長い触角。大きさは成人男性が手のひらをいっぱいに広げたくらいはあるだろうか。でかい。それは、今や動きをとめた黄金のカタツムリの前に正対し、堂々とその
そんな雰囲気を物ともせず、命賭がいつものほわほわした声で言った。
「あ、マイマイカブリ。めずらしー。かわいいなぁ」
命賭は動物であるならば何でも好きな
マイマイカブリは横溢する戦意に任せて体をぶんぶんと振り回した。「キモッ!ですわ!」と危懼子が声を漏らした。マイマイカブリは叫んだ。
「『憎みても余りあるカタツムリの神よ、身につけたあらゆる武芸を思い出せ! 今こそお前が槍の使い手として、また果敢なる戦士としての面目を示さねばならぬ時なのだ! もはや逃げ隠れはならぬ!』 そう、おしまい! もう全部おしまいでーす!」
双子が即座に注釈を入れた。「『イーリアス』」と桜子。「第二十二歌、二百六十行から二百七十二行」と薫子。「これも割と有名」
「日本の虫は『イーリアス』を引用するんだ……へぇー……教養があるなぁ……」 マルタはもはやツッコミを入れる気力すら萎え果てていた。彼女はおうちに帰りたかった。
(つづく)
次回をお楽しみに!