【完結】都立西方浄土高校女子だらだら部部長にして華麗なるお嬢様崋山危懼子ならびにその他女子部員らの活動記録、あるいはなぜだらだらの日常はあっけなく崩壊したかということに関する簡潔な報告 作:ほいれんで・くー
文化部棟の地下一階は薄暗かった。当然である。地下は薄暗いものと相場が決まっている。地下という言葉だけで人は多様な「暗いイメージ」を想起し得るのである。ドストエフスキーの『地下生活者の手記』はその代表例である。「地下」という言葉がタイトルに含まれているだけで、見る人は「これは何か容易ならざる作品であろう」と想像してしまう。かのフランスの文豪アンドレ・ジッドは同作品を「ドストエフスキーの全作品を読み解く上での鍵である」とかなんとか言ったらしいが、おそらくはジッドも「地下」という単語だけで彼らしい陰気ながらも聡明なその洞察力が瞬時に働き、「こいつはすげぇ傑作だ」と感じたに違いない。例によって根拠はないが。ハーラン・エリスンの短編「クロウトウン」もまた地下世界をモチーフにした傑作である。地下はこれほどまでに魅力的なのだ。地下出版、地下活動、地下アイドル……
「地下といえば、私にとっては映画『地下水道』(Kanał)なのよ」とマルタが廊下を歩きながら言った。「1956年のポーランドの映画で、監督はアンジェイ・ワイダ。1944年のワルシャワ蜂起を舞台にした作品で、ナチスによって地下水道に追い詰められたポーランド国内軍兵士たちが……」 しかし、話しているうちに興が乗ってきたのであろうか、マルタの日本語は途中からポーランド語になってしまった。当然のことながら女子だらだら部においてポーランド語を理解できる者はマルタ以外にはいない。それでもマルタの声は美しかった。言葉の意味は分からずとも、その響きから何かしらの美、真実、崇高さ、ひたむきさを感じることは可能である。命賭はしみじみと言った。「シスター・マルタのポーランド語は歌のように綺麗だねぇ……」
危懼子はマルタが熱心にポーランド語で話しているのを聞き流しながら、ごく軽い口調で言った。「1956年の映画といったら他に何がありましたっけ?」 双子が答えた。「溝口健二の遺作、『赤線地帯』」「でも私たちは女子高校生だから『赤線』の意味を知らない」「知らないったら知らない」「しーらない」 危懼子がさらに促した。「他には?」 桜子が言った。「ルネ・クレマンの『居酒屋』」 薫子が付け足した。「ルネ・クレマンは『太陽がいっぱい』の監督でもある」 双子に対してメイドが感心したようにうんうんと頷いた。「ほほう、双子は映画に詳しいな!」 危懼子がメイドに釘を刺した。「メイド。この双子、たまにかなりいい加減なことを言いますので注意した方が良いですわ」 双子は危懼子に不満そうな顔をしたが、何も言わなかった。事実、双子は「赤線地帯」も「居酒屋」も実際に観たことがなかったのである。
文化部棟の地下一階の廊下は薄暗く、ごみごみとしていた。この「ごみごみ」の「ごみ」という言葉には、辞書によると「
自分がいつの間にかポーランド語を話していたことに気づき、そして沈黙していたマルタは、おずおずと視線をあたりに巡らせた。ドアにはそれぞれプレートが下がっていた。それぞれの部活の名前を印字したものであった。声に出してマルタはそれらを読み上げた。「
「さあ、着いたぞ。ここだ」 メイドが言った。女子だらだら部の五人とメイドは、いつの間にか目的地に辿り着いていた。そのドアは可愛らしい手書きの丸文字で「手芸部」と書いてあるプレートが下がっていた。メイドが鍵を取り出して鍵穴に差し込み、回し、鍵を引き抜いて、ドアを開けた。嫌な音を立ててドアが開いた。食べ過ぎたウシガエルの
手芸部の部室は狭かった。6畳から8畳ほどの広さしかない。スチール製の無骨な作業机と椅子のセットが三つあり、ガラス戸棚が壁に沿って立っていた。戸棚の中には手芸に必要な様々な道具が収められていた。メイドが言った。「私はメイドであるから、本来ならばここにいらっしゃった方々全員にお茶をお出しするべきなのだが、見てのとおりここにはティーカップどころか電気湯沸かし器すらない。いずれ揃えるつもりだが、今日のところは勘弁してくれ」 危懼子は
メイドが言った。「そうだ。この部屋ではあまり大きな声をあげないで欲しい。隣の住民から苦情が来るからな」 命賭が首を傾げた。「隣の住民? 誰なの?」 メイドは答えた。「『モグラ研究部』の部員だ。モグラの研究をしている。先輩の話によれば、部室の床を掘って土に埋まっているらしい。モグラの気持ちになりきるためだそうだ。部員は一人しかいない。女子であることは確からしいが、詳しいことは何も分からない。この部屋で大きな音を立てたり大きな声をあげたりすると、床下を『コンコン』と叩いて苦情を入れてくる。どうやらこちらの床下にまで
「なんて無礼なモグラですこと!」 危懼子がいかにも憤然とした様子で言った。彼女は久しぶりに憤怒を露わにする機会を得たためか、その声は大きかった。「そもそも苦情を入れるのに床下から『コンコン』と叩くなどというのは無礼極まることですわ! 苦情があるならあるでちゃんとドアをノックして、しかるべき口上を述べてから苦情を申し入れるのが
「しーっ! お嬢様、大きな声を出してはいけない!」とメイドが危懼子に言った直後であった。床下から「コンコン」という音がした。双子は飛び上がった。音がしたのはちょうど彼女たちが立っているところの真下だった。ぎょっとして全員が黙っている間にも、「コンコン」の音はなおも続いた。次第に「コンコン」は一定のリズムを持ち始めた。双子は足元から響く音にじっと聞き入っていたが、やがて二人で顔を見合わせて言った。「これは、モールス信号」「サミュエル・フィンレイ・ブリース・モールス発明の、モールス信号」 マルタが言った。「なんて言ってるの?」 双子はしばらくじっと聞いていた。そして口を開いた。「『ハアハア』」「『キミタチ』」「『キヨウハ』」「『ナニイロノ』」「『ハ゜ンツハイテルノ』」 双子は声を合わせて言った。「はぁはぁ、君たち今日は何色のパンツ履いてるの、だって」
「私はパンツを履いていないしブラもつけてないからその質問には答えられないな。さあ、お喋りはここまでにしよう。お嬢様、その黄金の殻を私に渡してくれ。ささっとアクセサリーにしてしまうから。下校時間が迫っている」 メイドはそう言って危懼子に向かって手を伸ばした。危懼子は言った。「あなたの腕前を疑うわけではありませんが、本当にアクセサリーにできるのでしょうね? この黄金の殻、いちおう神を自称するカタツムリの殻なのですが」
黄金の殻が言った。「自称ではなく、神です。ですが心配は無用です。このメイドの方には自信があるようですし、それに私にもまだ力が、そう、全盛期の頃の私の力を原子力発電に例えれば、今の私は手回しラジオのダイナモくらいの力しかありませんが、それでもけっこう彼女を助けることはできると思います。私もさっさとアクセサリーになってあなたたちに身につけてもらいたいですし」 危懼子は頷くと、お嬢様らしい優雅な仕草でもって黄金の殻をメイドに渡した。「それでは、お願いしますわ」 黄金の殻を受け取ったメイドはその意外な重さに一瞬だけ顔をしかめたが、すぐにいつもの自信たっぷりな顔をして言った。「お任せあれ、お嬢様。さあ黄金の殻よ、覚悟は良いか。これからお前は生まれ変わるのだ、私の手によって。では始めよう」
メイドの机の上には金属加工用の様々な道具が置いてあった。ケガキ針、各種金属用のタガネ、ドリル、電動ドリル、ハンドグラインダー、ペンチ、ラジオペンチ、鎖、サンドペーパー各種。「ぐふふ……腕が鳴るぞぉ……」 メイドは舌なめずりをした。メイドはいかにもやる気満々だった。メイドは保護メガネをかけ、保護マスクをした。その目は
マルタが言った。「『忍び抜いた人たちはさいわいであると、わたしたちは思う。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いている。また、主が彼になさったことの結末を見て、主がいかに慈愛とあわれみとに富んだかたであるかが、わかるはずである』」 双子は補足するように言った。「『ヤコブの手紙』第5章第11節」 命賭がしみじみと言った。「ヨブは確かに忍耐強かったねぇ」
突然、ギュイーンという凄まじい回転音がした。それは電動ドリルの回転音であった。ドリルの音が断続的に狭い手芸部の部室の中で響き、その合間合間にメイドと黄金の殻の声が聞こえてきた。「良いぞ、良いぞ! 新たな手ごたえを感じる! これぞまさにゴッドハンド・メイドだ! いま私はうまいことを言った!」「あっ、あっ、あっ……!」 ギュイーン、ギュギュギュ、ギュイ、ギューン、ギュイーン。「あっ、いかん。ちょっと間違えたかな」「あっ、あっ、あっ……!」 ギュイーン、ギュギュギュ……
コンコンと床が鳴った。双子が驚いて飛び上がった。マルタが言った。「またなの? 確かにこのドリルの音は凄まじいものがあるけど」 コンコンという音が連続している。命賭が双子に尋ねた。「今度はなんて言ってるの?」 双子が答えた。「『ハアハア』」「『ソノト゛リルテ゛』」「『ホ゛クノコトモ』」「『ト゛リト゛リシテ』」「『ツヨクツヨク』」「はぁはぁ、そのドリルで
命賭が言った。「フランスのフィルム・ノワールなんかでありそうだよね、ドリルでドリドリするやつ」 「たとえば?」とマルタが尋ねた。「ほら、敵対組織の人間を拷問する時に電動ドリルを使うんだよ。椅子に縛り付けてさ、床にはブルーシートを敷いて、それで尋問するの。尋問する側としては相手から答えを引き出すことはあまり期待していなくて、惨たらしく殺すことだけを考えてるの。ひとしきり尋問した後、おもむろに電動ドリルを起動させて、椅子に縛り付けられた人間の膝にドリルをぶち込む。ドリルは膝裏まで貫通して
メイドは鼻歌を歌っていた。作業は順調なようだった。「ふふーんふーん、ふんふーん」 それはバッハの「ゴルトベルク変奏曲BWV988」だった。双子が言った。「ゴルトベルク変奏曲BWV988は」「ハンニバル・レクターが好きな曲」 またドリルが鳴った。また床下から「コンコン」という音がした。マルタが言った。「今度はなんて言ってるの?」 双子は集中力を発揮して音を聞きとろうとした。ややあって、双子は言った。「『ヤエムク゛ラ』」「『シゲレルヤト゛ノ』」「『サヒ゛シキニ』」「ヒトコソミエネ」「ト゛リルキニケリ」「
マルタは言った。「なに? どういう意味なの? さっぱり分からないわ」 危懼子が説明した。「『
「できたぞ!」とメイドが大きな声をあげた。「会心の出来だ!」 黄金の殻が疲れ切ったような声を発した。「なんとか耐え抜きました。恐怖そのものと断言できる数分間でした」 双子が言った。「マイマイカブリにしゃぶられるのと」「どっちがつらかった?」 黄金の殻は言った。「それは断然マイマイカブリの方が……」「さあ、お嬢様! さっそく首にかけてみてくれ!」 メイドによって黄金の殻の言葉は無理やり中断させられた。「ほら!」 メイドは満面の笑みを浮かべて危懼子にそれを手渡した。
それはネックレスだった。殻の開口部に器用に穴が開けてあり、そこに金属製の鎖が通っている。ネックレスはずっしりと重たかった。
危懼子はネックレスを様々な角度から眺めた。「なるほど、悪くない手腕ですわね。多少鎖が安っぽいですが、その安っぽさが却って黄金の殻の
「なるほど、私の脳内で『そこじゃない、そこじゃない!』と叫んでいたのはお前だったのか。まあそんなことはどうでもいい。さあ、さっそく首から下げてみてくれ、お嬢様」とメイドは言った。危懼子は鎖の輪を広げ、それを首にかけた。危懼子は叫んだ。「
命賭が心配そうに言った。「大丈夫? 危懼子ちゃん? 重かったら私が代わるよ?」 危懼子は首を振った。「いいえ、命賭様。ご心配には及びませんわ。これくらいの重みならば充分に耐えられます。なにせ私は
危懼子は腕時計を見た。そろそろ下校時間であった。「時間ですわね。今日はこれで部活動をおしまいにして帰ることにいたしましょう。皆様、部室へ……」「ちょっと待ってくれ、お嬢様」とメイドが口を挟んだ。「なんでしょう? あっ、そういえばあなたに渡すお礼について考えるのを忘れて……」 危懼子がそのように答えると、メイドは神妙な顔をして首を左右に振った。「いや、お礼などはいらない。私は手芸部として、やりたいことをやらせてもらっただけだからな。むしろこちらが感謝したいくらいだ。お嬢様に私が言いたいのは、お礼のことではなく、メイドとしてのこれからの私の身の処し方についてだ」 命賭は「ああー」と言った。「
メイドは命賭に対して静かに首を振り、やんわりと否定の意を示した。「それもあるが、私はもっと根本的なことに気が付いた。私は今日メイドとして生まれ変わったが、実際のところメイドとしてどのように生きていけば良いかまだ何も分からない。お茶の淹れ方も掃除の仕方も、お嬢様のお召し替えのお手伝いの仕方も、電話の受け答えもExcelの使い方も分からない」 マルタが言った。「メイドがExcelの使い方を知っている必要はないんじゃない?」「必要だよぉ。これからの人類はみんなExcelの使い方を知らないといけないよぉ」 命賭の言葉に双子も続いた。「得意げな顔でセル結合をするメイド」「即刻解雇間違いなし」 「解雇」という言葉を聞いてメイドはびくりと体を震わせた。ノーブラの大きな胸も服の下でびくりと震えた。
「だから、その……」 言いよどむメイドに対して、危懼子は柔らかな笑みを浮かべて言った。「私のもとでメイドとしての修行がしたい、ということですわね?」 メイドは首肯した。「そうだ。私にはもっと修行が必要だ。是非、あなたのもとで、そう、理想的なお嬢様であるあなたのもとで修行をさせてもらいたい。許してもらえるだろうか?」
ほんの数秒間だけ、沈黙が危懼子とメイドの間に舞い降りた。そして危懼子は凛として言った。「細かな労働契約については今晩、一緒に家に帰ってから話し合いましょう」 その言葉を聞いてすぐさまメイドは晴れやかな顔をした。「ありがとう!」 マルタが心配そうに言った。「でも、あなたの御両親やあなたの家族にはなんて説明するの?」 メイドは答えた。「心配いらない。私の両親も姉妹たちも、そもそも私にあまり興味がない。興味がないというか、私は目立たない
「それでは、帰ることにいたしましょう」「部室に荷物を取りに行かなきゃ」 六人の少女は手芸部室を出て一階へと向かった。「拷問研究部」のドアの向こうから電動ドリルの回転音がし、絹を裂くような悲鳴が聞こえてきたが、六人はいまや帰ることで頭がいっぱいで気にしなかった。
六人は階段を上り、廊下を歩いた。「禁じられた遊び 愛のロマンス」はもう聞こえてこなかった。
事件は突然起こった。
「うわ!?」 最初に電灯の消えた薄暗い部屋に入った命賭が素っ頓狂な声をあげた。「どうしたんですの、命賭様?」 危懼子はそのように尋ねたが、命賭は何も言わない。しきりに部室の畳を足で踏んでいる。「えっ……まさか、そんな……でもこの感触は間違いなく……」と命賭は呆然とした顔で呟いていた。
「命賭、どうしたの?」「
「畳がこんにゃくになってる!」
(つづく)
次回をお楽しみに!