蚩尤族、五百の軍が橑陽へ入る。犬戎は事前に伝えられていた情報を元に、山城の麓へ軍を展開していた。布陣した犬戎軍は総勢五万を超える。
犬戎軍は平野に大量の騎兵を布陣させ、縁壱達の侵攻を阻む構えを示す。
その中央を、蚩尤族は直進した。五百しかいない歩兵部隊に嗤っていた犬戎は、その突破力に舌を巻く事になる。彼女たち一人一人が、軍の将軍に匹敵するような力を秘めていた。
「数は多いけど、一人一人は大した事ないよっ!」
波のように次々と向かってくる犬戎を、峰打ち用の刀でなぎ倒しながら羌象が叫ぶ。突き出される槍を見ずに躱しながら、幽連が応えた。
「とはいえあまり時間を掛けてもいられないだろ。一気に城まで走るぞ」
「いやーやっぱり久しぶりに暴れられると気分が良いねぇ。ここ最近、盗賊も来なかったし」
「あんだけ発展したら流石にな」
蚩尤達は一切足を止める事なく進んでいく。突然視界が広がった。大量の歩兵が槍衾を作り、道をふさいでいる。舜水樹は縁壱に伝える。
「蚩尤様、ゴバの軍です」
「三兄弟の一人か?」
舜水樹が無言でうなずく。犬戎王ロゾには、強力な部下が三人いた。ゴバ、ブネン、トアクの三兄弟である。
丁度縁壱達はゴバの歩兵隊と、トアクの騎兵隊に前後で挟まれている状態であった。
「蚩尤様、五百でこの槍衾を抜けるのは難しいかと・・・」
三兄弟最強のゴバ率いる歩兵隊は、まさしく精鋭である。兵士一人一人の練度が高いことが、犬戎と付き合いのある舜水樹にはすぐに分かった。
敵陣の只中にありながら、舜水樹は冷静に周囲を観察し、陣形の綻びを見つけた。
「右手に微かに穴があります。右から迂回すれば城へ抜けられます」
「必要ない」
舜水樹は、縁壱の前の敵が吹き飛んでいくのを見た。叫び声をあげながら突撃する兵士たちが、突如気を失って倒れていく。
(まるで嵐・・・誰も傷どころか近づくことさえ・・・)
ゴバ率いる歩兵隊の中央に大穴ができていく。後ろから襲う騎兵も、穴を埋めようと動く歩兵も、誰も彼らに間に合わなかった。
「抜けた!縁壱様、予定通りに」
「ああ、すぐに終わらせる」
城への道を開いた縁壱達は、軍を二つに分けた。平野にいる犬戎達が城へ入ってくるのを防ぐ足止め部隊と、奥へ進みロゾを倒す部隊。
ただ、実際に奥へ進むのは、縁壱と舜水樹だけである。戦力差をできるだけ拮抗させるためであったが、それでもなお力の差は大きく偏っていた。
先へ進む縁壱と舜水樹の前に、城の防衛隊が現れた。犬戎達は皆、決死の表情で縁壱を見詰めている。
奥から弓兵を引き連れた一人の男が現れた。
「ブネン。兄弟の中でも最もたちが悪い男です」
凶将ブネン、悪名高き犬戎の一族の中でも一際残忍な性格の男。
『行け』
ブネンの命に従って、縁壱の四方八方から隠れていた兵士たちが飛び出てくる。縁壱が彼らに対応しようとしたその瞬間、ブネンはもう一度口を開いた。
『やれ』
「っ!?」
周囲を囲んでいた弓兵が、味方ごと縁壱を狙った。突然の凶行に驚いた縁壱は、慌てて兵士たちをすり抜けて全ての矢を打ち払う。
『は・・・?』
あまりにも人間離れした動きに言葉を失うブネン。同時に死を覚悟して飛び込んでいた犬戎達も何が起きたのかわからず呆然とする。
『ほう・・・』
そしてもう一人、遠くからその様子を観察していた男がいた。
「・・・なぜ仲間を狙う?」
『ちっ・・・化け物め、お前ら!行け、殺せ!』
ブネンは兵士を嗾け、後退しようとした。馬に乗って後ろを振り返ると先ほどまで正面にいたはずの男が目の前に立っている。
心臓が強く脈打って、言い知れぬ恐怖に顔を青ざめさせる。
『ま、待ってく』
ブネンの意識はそこで途絶えた。ブネンが馬から落ちるのを見て、近くにいた犬戎達は攻撃を止める。そこには将軍を倒された怒りなどは欠片もなく、ただ安堵だけが見えた。
「舜水樹殿、彼らに武器を捨てるように言ってくれ」
「畏まりました」
舜水樹が喋りかけると、犬戎は武器を捨て投降した。決死の覚悟をもって飛び込んできた犬戎達に、縁壱が質問する。
「矢で射られると知っていたのか?」
『命令は絶対だ・・・従わなければ家族が死ぬ』
「・・・そうか、なら私が貴殿等の家族を助けよう」
『?・・・なぜ我らを助け、家族まで?』
犬戎達は縁壱の行動が理解できず、訝し気にしていた。縁壱は何故そんな質問をされたのか解らず、不思議そうに答える。
「誰かを助けるのに、理由が必要か?」
『・・・我らが、敵であってもか?』
「誰であろうと、関係は無い」
『・・・・・・』
驚きに言葉を出せない犬戎達。彼らの考え方に、そんな価値観は無かった。まるで初めて太陽を見たかのように、縁壱を見る。
「ロゾは何処にいる?」
『・・・王は西塔へ移動していた』
「感謝する」
『まて』
走りだそうとした縁壱を犬戎達が呼び止めた。
『我々の命を救ってくれたこと、感謝する』
「気にするな」
嬉しそうに口角をあげて縁壱は西の塔へ走り出した。
城への入り口を塞いでいた羌象は、ゴバと戦っていた。暴風のようなゴバの剣戟を余裕で躱して、反撃する。
「遅い、あんたそれで将軍名乗ってんの?」
『ぐっ!・・・おお!』
「甘いっ、おらっ!」
『っ!?』
挑発されたと感じたゴバが大ぶりの一撃を放つ。羌象が本気で刀を振るうとゴバの剣が折れた。慌ててもう一本で攻撃しようとして、そちらも折られていることに気が付く。
『か、怪物・・・』
「あ・・・あんた今私のこと変な風に言ったでしょ?」
ゴバは圧倒的な実力差を前に、思わず後ろへ下がってしまう。助けを求めるようにトアクの方を見れば、幽連の下で顔を踏まれて気絶するトアクが見えた。
手加減に手加減を重ねられ、こちらは全力で殺す気、それでもまだ一人も相手を倒せていない。その事実がゴバが積み重ねてきた自信をぼろぼろにしていく。
『ありえない・・・あり得ない!』
「うわ、ちょっと破片投げないでよ」
嫌そうな顔で、ゴバが苦し紛れに投げた折れた剣を弾く羌象。そのとき、羌象の背中に突然言いようのない不安が噴き出た。
慌てて後ろを振り向き、近くで戦っていた羌瘣に声を掛ける。
「瘣!私は縁壱様の所に行くから、ここは任せた!」
「え?でも・・・」
「お願い!すっごく嫌な感じがする・・・」
「・・・わかった」
普段は絶対に見れない鬼気迫る顔で頼み込む羌象に羌瘣は了承する。
縁壱が西塔の頂上にたどり着くと、塔の高台にロゾとその護衛部隊、そして小さな子供たちがいた。護衛は一人に付き一人の子供を持って、塔の頂上全体に散らばるように配置されていた。
護衛達から向けられた刃に子供はみなおびえ切った顔で恐怖している。
縁壱は自身の頭に血が上っていくのを感じた。怯える子供の表情が、昔の記憶を刺激する。
「何をしている」
『なに・・・俺もただで王の座を明け渡す気はない。蚩尤、お前は強すぎる、余りにもな。それで戦い方を変えることにした』
「その子供たちは・・・」
『お前の前で武器を捨てた臆病者共の子供だ。敵を助けるお優しい蚩尤よ、どうするかね?』
縁壱は刀に力を込める。黒い刀身が赫く染まり、縁壱の姿が消え、近くにいた兵士たちが倒れていく。消えた縁壱を見て笑うロゾは、縁壱にもわかる言葉で声を掛けた。
「ぶっはっはっは、早いなぁ、まるで見えん。蚩尤!東の塔を見よ!」
縁壱が動きを止めて東を向く。反対側の塔の頂上でも、同じように子供が首を掴まれていた。
「蚩尤、王の前ぞ。武器を捨てよ、避ければ子供を殺す」
「蚩尤様、いけません。あの子供はどちらにせよ殺されます。ロゾを斬ってください」
舜水樹が傍で囁く。縁壱は目を閉じて、手から力を抜いた。日輪刀が音を立てて地面に落ちた。
『先に動きを止めさせる。矢で四肢を狙え、上手く当てたものはあの女たちから好きなものを選ばせてやる』
ロゾの命令で弓に矢が番えられる。ぎりと引き絞られた矢が縁壱目掛けて放たれた。舜水樹は縁壱の盾になろうとするが、縁壱から逆に後ろに引き下げられた。
「蚩尤様っ!」
叫んだ舜水樹は、縁壱に後ろから覆いかぶさって矢を体で受ける犬戎達を見た。自分が彼らに守られたことに気が付いた縁壱が慌てて叫ぶ。
「何をっ・・・!何故ここへ来た!?」
『ぬは、はは、いの、ちを借りを・・・し、蚩尤さま、わ、我が子をどう・・・か・』
矢を胸に受けていた男は、それっきり動かなくなった。ロゾの苛立つ声が上から聞こえる。
『ちっ・・・下らんマネを・・・蚩尤!動けば子は殺すぞ。さっさと矢を受けよ』
目の前で父親を失った子供が、大泣きしながら父の名前を呼ぶのが聞こえた。
縁壱の視界が、赫く染まる。
舜水樹は縁壱から零れる気配が、黒く濁っていくのを見た。泥のように黒く、闇のように深い。舜水樹の身体が抑えきれぬほど程震えだした。
(こ、これは・・・まるで・・・)
恐ろしい気配はロゾもまた感じ取っていた。震えて矢を上手く番えられない兵士たちを怒鳴って急がせる。それでもまだ、東塔の人質がロゾの心に余裕を持たせていた。
(問題ない・・・奴がどれほどの怪物であっても・・・東塔まで一瞬で移動することは、できぬ)
ロゾは東の塔を見る。そして信じられないものを見た。人質を持った部下が刀を振り回す一人の女に制圧されていた。塔の先端ぎりぎりに立った羌象が大声で叫んだ。
「縁壱様、こっちは大丈夫ですっ!」
見知った声に縁壱から漏れていた狂気がほんの少しだけ治まった。
『おのれ!蚩尤が消えたら人質を殺せ!』
保険を失ったロゾが吠えるように怒鳴った。周りの部下たちも縁壱から目を離さぬようにしながら子供を掴む。
音もなく起き上がった縁壱がロゾの部下の一人を見て、話しかける。
「貴殿、誰が王か?」
『・・・ロゾ様だ』
「王とは、なんだ?」
突然の質問に困惑する部下の代わりに高台からロゾが答えた。
『王とは全てを支配する者だ。人質があるだけで動けぬ貴様では王には成れぬ。蚩尤よ、黙って矢を受けよ』
縁壱が一瞬、ロゾへと視線を向ける。そしてもう一度、部下の方へ顔を向けた。
「貴殿、誰が王か?」
「?・・・ロ」
ごとり、と何かが落ちる音がした。部下が目をやれば、ロゾの首が下へ転がり落ちていた。頂上でロゾの身体から血が噴き出しているのが見える。
縁壱が口を開く。
「誰が王か?」
「・・・蚩尤様だ」
ロゾの部下たちは武器を捨てた。
縁壱が支配した犬戎達は、橑陽から立ち退くことになる。これは蚩尤の傍で生活したいと、犬戎たち自身が申し出たことであった。秦への守りが薄くなると文官達は反対したが、悼襄王が許可を出したことで話が進む。
蚩尤の里付近の土地を持つ領主と交渉し、橑陽と交換させることで犬戎達が住むことのできる土地を確保した。
「蚩尤、ご苦労だったな」
「いえ、悼襄王殿には感謝を」
「気にするな、どうせ転封はしようと思っておった。良い機会であったわ」
ふははと笑う悼襄王に頭を下げて縁壱は退出する。宮殿から出ると見慣れぬ年配の大男が良い笑顔で立っていた。
「ぬはは、成程。これは傑物じゃな。蚩尤殿!儂の名は廉頗!同じ三大天として良しなに頼むぞ!」
鼓膜がはちきれそうな大声で話す廉頗に、縁壱は目を白黒させた。
「ふむ、手合わせでもと思ったが・・・なんぞ機嫌が悪そうじゃな。またの機会にするか。ではな蚩尤殿!」
「・・・」
ばしばしと肩を叩いてから去っていく廉頗。暫くすると王宮内で悼襄王の怒鳴る声と廉頗の笑う声がしていた。
縁壱が宮殿を後にして、階段を降りていると羌象と幽連が居た。どちらも少し愁いを帯びた顔をしていた。羌象が心配そうに話しかけた。
「縁壱様?大丈夫ですか?」
「・・・ああ、大丈夫だよ」
「ちっともそうには見えませんが・・・あの、縁壱様を庇った人たちなんですが」
「・・・彼らは、きちんと弔ってあげないと」
「それは勿論です!実はその子供たちが縁壱様に稽古をつけて貰いたいと言ってきていまして」
「わかった。ちゃんと面倒をみてあげよう」
それっきり、縁壱は黙ってしまう。沈黙の中、三人は蚩尤の里へ歩いた。堪らなくなって羌象が口を開く。
「あ、あの!縁壱様!何か嫌なことや困ったことがあったら、遠慮なく仰ってください!私たちがお聞きします」
「私も聞くぜ。・・・あー縁壱・・・・・・戦争させて、悪かったよ・・・」
こんなに落ち込むとは、幽連は続く言葉を飲み込んだ。李牧にも話して置かなければと、幽連と羌象は心の中で思う。
縁壱は目を伏せて首を振った。
「いや、きっとこれがこの世界の普通なのだろう。私の方が間違っている・・・」
「そんなこと・・・」
それは違う、とは羌象には言えなかった。戦国の世で命はあまりにも軽い。世界は縁壱に対して残酷だった。
だがそれでも、羌象と幽連は縁壱の道が完全に間違ったものだとは、どうしても思えなかった。
犬戎達は土地を貰い、蚩尤族から知識を得ると恐ろしい程の速度でその生活を改めていった。蚩尤の里を守るように城を築く計画を立て、防衛戦の構築を日夜進める。
城の一つを着工し始めたころ、秦から衝撃的な情報が入ってきた。合従軍の敗北と、李牧重傷の知らせである。
「じゃあね。象姉」
「・・・良いの?私たちと戦うことになるかもよ?」
「うん、それでも。私は信の傍にいたい」
合従軍の敗北を聞いた羌瘣は、蚩尤の里から去ることした。飛信隊の副隊長としての務めを果たすために秦へ帰還する。
その数日後、李牧が趙へと帰還した。
「まことに、申し訳ございません」
「・・・なぜ負けた?勝てると息巻いておったではないか」
腕を包帯で巻いた李牧が地に頭をつけて悼襄王へ謝罪する。悼襄王は頬杖をついて敗因を尋ねた。
「二つあります。西の山民族が秦と友好関係にあったこと。そして、私が秦王の器を見誤っていたこと」
「ふむ・・・」
悼襄王は指を組んで考え込む。ちらと縁壱を見る。
「まあ、秦の麃公を策に嵌めて討ち取った戦果があるにはあるが、それでもこの失態は大きい」
「は、この首を落とされても文句は言えないほどの失態、陛下の御心のままに」
居並ぶ将達が少しざわめく、李牧を心配そうに見つめるものや、悼襄王が最悪の選択をしないように祈っているものが居た。
「功罪を鑑みて、謹慎が妥当であろう。李牧!お前はどこかの村か里でしばらく過ごせ。政務への口出しは罷りならん!」
「っ!?・・・はっ!」
悼襄王は縁壱と目を合わせた後、奥へと下がっていく。謁見殿から出た李牧は傍に来た縁壱と話をする。
「李牧殿、怪我の具合は?」
「問題ありませんよ、蚩尤殿から頂いていた薬草は良く効きますね」
「良かった。またお渡しいたします。それにしても、随分と激戦だったのですね」
「ええ、私が怪我をしたのは麃公将軍との戦いでした。完璧に策に嵌めて孤立させたにも関わらず、右腕を折られてしまいました。やはり秦という国は強い」
「私が・・・」
「ふふ、縁壱殿を侵攻には参加させられません。それに縁壱殿から習った呼吸が無ければあの時討ち取られていたのは私でした。何から何まで感謝しております」
「・・・李牧殿が無事でよかったです」
心の底からほっとしている縁壱。李牧は帰り際に早馬を飛ばしてきた羌象から訊いた話を思い出す。
「私もつらい仕事を押し付けてしまって申し訳ありませんでした」
「いえ、国を守るためには仕方ありません。また何かあれば言ってください」
「・・・ええ、わかりました」
少し暗い雰囲気になってしまったことを感じた縁壱が話を切り替える。
「それはそうと李牧殿、謹慎中はぜひこちらへいらして下さい。悼襄王殿から許可もいただいているので、この機会に私が知っていることをお教え致します」
「そ、それは非常に有難いです!ぜひ!」
嬉しそうに身を乗り出す李牧を見て、縁壱は笑う。
それから李牧は蚩尤の里で側近、犬戎達と共に縁壱の集中授業を受けることになる。
「遺伝・・・なるほどこの知識を使うことで品種改良が・・・!」
「李牧様、この化学というのは一体どういうことなのでしょうか・・・?なぜ水が他の物に?」
「カイネ、信じがたい話ですが、水とは二種類の元素で作られた物質だそうです、上手く変化を起こすことで・・・」
「蚩尤様!世界が丸いというのは本当ですか!?あまりにも荒唐無稽です!」
乾いた綿が水を吸い込むように、李牧たちは知識を吸収していく。里は発展し、すでにその規模は町と遜色ないほどに大きくなっていた。
合従軍の後、趙は四年というつかの間の平和を享受する。
+0様、イスファハーン様、MAXIM様、誤字脱字報告ありがとうございました。
感想も全て読んでいます。皆様ありがとうございます。