始皇十年、合従軍から四年の月日が経った。
蚩尤の里をはじめ趙は未曽有の大成長を遂げており、日々他国へ送られる交易品は趙の国庫を潤していた。
特に趙に影響を与えたのは犬戎と趙人が合同で興した製鉄所であった。途切れることなく吐き出される鋼は、生活用品だけでなく、軍事にも当然ながら使われる。
強力な装備に身を包み、最先端の訓練を施し、最高の馬に乗る趙の兵士達。
今や、趙は中華の中でも最先端を走る大国へと変貌を遂げていた。
「ふふふ、完璧だ・・・」
趙の都、邯鄲で悼襄王が上機嫌に酒を飲みながら、行進している部隊を眺めている。
「李牧様・・・こんな部隊、必要ですか・・・?」
「ま、まあまあ、カイネ。彼らも・・・ほら、士気を上げるのには使えるでしょう」
顔を曇らせながらカイネが李牧へ問いかけると、李牧は絞り出すように返答する。
二人の目の前では、銀色の鎧に身を包んだ美少年だけで構成された部隊が行進している。千人で構成された部隊が、太鼓や笛を持って演奏しながら進んでいる。
「あんな派手な装備、それにこんな音を鳴らしたら敵に位置がバレます。挙句に彼らの身体の細さ・・・剣を振れるのでしょうか?」
「剣、一応腰に付けているみたいですが・・・使えないかもしれませんね」
「はあ、無駄遣いして・・・」
「ですが市民は楽しんでいるようですよ。戦闘に使わない部隊と考えれば、悪くありません」
予想外に好意的な李牧に、不満げな表情をみせるカイネ。見れば確かに大きく派手な演奏に、市民や旅人たちは大いに笑い、喜んでいた。
そんな二人の側へ一人の男が護衛を連れて現れた。
「李牧様」
「おや?慶舎、どうかしましたか?」
「黒羊の件ですが、どうか私に総大将の任を頂けないでしょうか?」
慶舎と呼ばれた男が李牧の前に跪く。慶舎は三大天にすら届くと言われるほどの軍才を有する将である。かつて戦争孤児であったところを李牧に拾われた過去を持ち、李牧を実の父のように慕っていた。
「・・・私はまだ政務ができませんよ?」
「ご冗談を、随分前に謹慎は解かれています」
「ふふ、陛下も廉頗将軍の相手を一人でするのは御免だったそうです」
悼襄王は溜まっていく仕事と廉頗のちょっかいに悲鳴を上げて、李牧の謹慎を実質一年程で解いていた。名目上は謹慎中であるものの、李牧は趙国内を自由に動くことができる。
李牧は顎を撫でながら考える。
「ふむ、相手はあの桓騎ですが・・・それでも行かれますか?」
「は、お任せください」
「わかりました。黒羊の総指揮は任せましょう・・・代わりに総大将はもう少し待ってください」
「有難うございます」
李牧が了承すると、慶舎は少しだけ嬉しそうな足取りで去っていく。カイネが不安そうに李牧を見た。
「あの・・・廉頗様が行かれるはずでは・・・?」
「いえ、廉頗将軍には軍の練兵を始めとした、別の重要任務が入っています」
「ですが・・・」
「もともと、慶舎へお願いするつもりでした。あとは万が一が無いよう、彼の了解を取っておかねば・・・」
李牧は行進する部隊から目を外し、雲一つない空を見上げた。
蚩尤の里、縁壱が自宅の作業場で漆器の上塗りをしている。部屋には完成した漆器が何百と並んでいた。
「おとうさまっ!ははうえがよんでいます。ごはんです」
「ああ、すぐに行こう。
「はいっ!」
喬と呼ばれた小さな幼女が手を挙げて返事を返した。喬は三年前に産まれた縁壱と羌象の子供である。顔立ちは羌象に似ているが、赫い瞳だけは父親譲りの元気溌剌の幼女であった。
喬がそろりそろりと部屋の中を動いて外へ出ようとしている。縁壱は喬を抱きかかえると、きゃっきゃと縁壱の腕の中で喬が喜ぶ。柔らかい赤子の匂いが縁壱の心を癒した。
縁壱が居間へ行くと、羌象が食器を並べていた。懐かしい米の匂いに縁壱の顔が少し綻ぶ。
「ありがとう、象。米は高かったんじゃ・・・」
「全然、これ頂き物ですから。悼襄王の使いの方が送ってくださったんです。部隊ができたお祝いなんですって」
椀に高々と積まれた米を見ながら、羌象は話す。がたりと戸が開いて幽連が返ってきた。森で獣を取っていたらしく、血と特有の獣臭がした。
「あー疲れた。象、外に猪と熊吊るしてるから後で肉を持って行ってくれ」
「お、熊は珍しいねぇ。虎はいなかったの?」
「だいぶ減ったな、もっと奥の方へ移動したらしい」
「連母上、象母上、虎は取りすぎて減っております。専用の保護区を作ると、この前の新聞で大王が申しておりました」
幽連と共に入ってきた幼児が、無表情のまましっかりとした口調で二人の母を諭した。
「え?そうなの?・・・ちぇ、虎革もう一枚くらい取っておけば良かったな・・・」
「つーか天、お前よくあんな文字だらけの紙読めるな・・・」
齢四つにもならないにも関わらず、利発すぎる自分の子供を見て呆れ気味に感心する幽連。
天は縁壱と幽連の子で、長男である。父親譲りの肉体と瞳、母親から貰った地頭の良さがあり、蚩尤の里の人々が跡継ぎとして一瞬で認めてしまうほどの大器を持っていた。
「天、先に体を洗ってきなさい」
「は、父上」
すたすたと姿勢よく天が幽連と共に裏手へ行った。縁壱は二人が来るまで、目を閉じて食事をするのをじっと待っていた。
邯鄲での祭りを見た李牧が里へと帰ってくる。大量の土産を里の人々に配り、その後縁壱の家へと足を進めた。
「邯鄲はどうでしたか?」
「ええ、素晴らしい賑わいでした。蚩尤殿も一度行かれるといいでしょう」
「・・・まだ、子が小さいので・・・」
「ふふ、蚩尤殿は子供が十になってもそう言ってそうですね」
心配そうに外で遊んでいる子供を見ている縁壱を見て、李牧は笑った。一頻り話した後、李牧は久々に三大天としての仕事を依頼することにする。
「蚩尤殿、仕事を受けて頂きたいのです」
「黒羊に、秦が迫っているのは知っています」
「ええ、慶舎に総指揮は頼んでいますが・・・蚩尤殿が子を心配するように、私も彼が心配でして」
李牧は慶舎が高い実力を持っていることは理解していたが、同時に若さゆえに堪え性が無いことを心配していた。李牧の依頼は慶舎、そしてその他の優秀な将を守ることであった。話を聞いた縁壱がすぐに了承する。
「受けましょう。慶舎殿を必ずお守りします」
「有難うございます・・・ああそうだ。蚩尤殿、戦争へは参加しなくて構いません・・・というよりも参加しないで貰いたいのです」
「?・・・理由は?」
「今、趙は優秀な人材を欲しています。この戦は慶舎を一流の将にするためのものです。蚩尤殿の助けが入ってしまえば成長はあり得ませんから・・・」
頬を掻きながら、申し訳なさそうに李牧が伝える。話を聞いて納得した縁壱が深くうなずく。
「では、戦いには一切口も手も出しません。将たちに命の危機が訪れたときのみ動く、ということ宜しいですか?」
「はい、申し訳ありません。戦場では兵士たちが数多く亡くなってしまうでしょうが・・・ぐっと堪えて頂きたい」
「・・・・・・わかりました。でしたら医療部隊だけは準備させて下さい」
「それは勿論です。龐煖にも伝えておきましょう」
李牧はもう一度邯鄲へ向かった。縁壱にとって四年ぶりの戦争になるが、それでも少しばかり縁壱の心は明るかった。自分が相手を殺さなくていいこと、人を治すための医療部隊を指揮できること、なによりも自身の子供の存在が縁壱を奮い立たせた。
(子供たちの為にも、頑張らねば)
黒羊丘から少し離れた離眼城にて、縁壱と慶舎は、今回の援軍である紀彗と会っていた。紀彗は深く礼をして縁壱を迎える。
「援軍を感謝致します。三大天、蚩尤様」
「今回の私はただの付き添いだ。戦闘の指揮は全て慶舎が行う」
その言葉に、紀彗の目が後ろに控えていた慶舎へと向いた。
「では、よろしくお願いいたします慶舎様」
「ああ・・・李牧様が離眼と共に戦えといった理由がわかった。お前からは私と同じ匂いがする」
慶舎は紀彗から感じる気を見て、その器を推し量っていた。
「副将を任せる」
「御意」
慶舎は軍を編成させて、目的の地へと向かった。
黒羊丘の戦いは、慶舎軍四万、紀彗軍三万の趙軍七万に対し、桓騎軍五万、飛信隊八千の秦軍五万八千での対決である。
黒羊丘は土地全域が非常に深い密林で覆われており、視界の見通しが悪い。ただ五つの大きな丘が点在しているため、そこを取ることが出来れば辺り一帯の視界と支配権を獲得することが出来る。特に中央の巨大な丘は、是が非でも取らねばならない程重要な場所であった。
つまり、この戦争の勝敗の鍵は中央の丘の取り合いにある。
全軍が配置につくと、縁壱達も本陣の更に後衛に陣を敷いた。見通しは悪いが、常に伝令役の犬戎、蚩尤族の混成部隊が出入りしており、周囲の情報を集めていた。
「始まったか・・・」
「ああ、左翼で戦闘の気配がする・・・飛信隊だ」
縁壱と龐煖が戦場の方向を見ながら話す。周りでは部下たちが慌ただしく動いていた。
「お前の妻は連れてこなかったのか?」
「子供がいる。母は必要だろう」
「・・・まあ、な」
龐煖は趙が戦っている軍のことを考える。桓騎軍は秦において精強さよりも残虐さで有名な軍である。大将、桓騎は盗賊あがりの武将で落とした城の住民を老若男女問わず一万人、首を斬って殺したことで知られていた。
(慶舎が何もさせずに勝てれば良いが・・・)
「伝えておいてくれと頼まれたが・・・李牧は、最悪黒羊丘を捨てても良いと言っていた」
縁壱が龐煖に李牧からの伝言を伝える。
「?・・・良いのか?」
「必要なのは将たちに経験を積ませること、いざとなれば周辺の住民ごと邯鄲へ逃げてもいいと」
「ふむ・・・わかった」
戦況は初日から目まぐるしく動いた。趙左翼へ攻め込んだ飛信隊は紀彗の腹心、馬呈と劉冬の策によって後退を余儀なくされる。
飛信隊の失態を補うために桓騎は趙右翼へ最大戦力のゼノウ一家を投入。元々攻めていた雷土一家と協力させ、一気に押し込もうとする。
しかし、慶舎はその隙をついて自軍を動かして一気にゼノウ、雷土を包囲。いきなり決着がつくかと思われたが、火兎と呼ばれる笛をゼノウ、雷土が鳴らし、桓騎軍を全速力で撤退させた。退き際に桓騎軍は、慶舎の築いた中央丘の防衛陣を焼き捨てる。
一日目は、最終的に趙が有利に終わった。
二日目、飛信隊が奮起して川岸に敷かれた趙の陣を抜ききる。中央でも桓騎軍の黒桜率いる部隊が紀彗軍を押していたが、紀彗の登場で逆に押し込まれる。最終的に秦、桓騎にとって最高の状態で戦闘が終わった。
三日目、桓騎軍はどう動いても一定の戦果が望める状態にあった。慶舎は桓騎の用兵の息遣いを感じようと、一挙手一投足に注目していた。だが、桓騎はこの日敢えて動かなかった。
四日目、我慢しきれなかった慶舎が動く、突出していた飛信隊に向けて慶舎軍を率いて突撃。だが、それは桓騎に読まれていた。ゼノウが丘の下に降りた慶舎を狙う。慌てて紀彗軍が援護に入った。
慶舎は紀彗軍の助けを得て、何とか包囲殲滅の危機から脱していた。そこへ背後の飛信隊が迫ってくる。飛信隊、信の想定以上の強さに舌を巻く慶舎。
信との一騎打ちで肩を斬られ、敗色が濃厚になったときそれは現れた。斬りあう二人の間に入ってきた縁壱によって信は馬ごと投げ飛ばされた。
「それまで」
「!・・・蚩尤様」
「っ!?・・・あんたは!」
縁壱を見て慶舎は軽く礼をした後、すぐに後退を始めた。信は態勢を立て直しながら、縁壱を見て驚く。
「くそっ!逃げられる!おい、信どうした!?」
「で、田有、今の見たか?」
「あ、ああ・・・あり得ねえ、馬ごと片手で投げたぞ・・・」
飛信隊の面々が驚きや焦りの声をあげるが、縁壱を見るとすぐに押し黙っていく。今までに感じたことの無い、まるで災害を相手にするような本能的恐怖が飛信隊を覆っていた。
その中で、唯一動けたのは信だった。剣を縁壱に向けて慶舎から狙いを変える。
「悪いな羌瘣、ここで倒すぜ」
「っ!?信?・・・くそ、悪いが勝負は預ける」
「はぁ、はぁ・・・ああ・・・退くぞ!」
紀彗の部下、劉冬と戦っていた羌瘣は急いで信の元へと向かう。劉冬は蚩尤が現れ、慶舎がさがれたことを確認して退いていく。
戦場には飛信隊と、縁壱だけが残っていた。縁壱は無表情に信を見た。
「・・・昔、質問したことがあった。覚えているか?」
「ああ、大将軍になってどうするかってやつだろ」
真っすぐに縁壱を見詰め、胸を張る信。縁壱は昔の面影をしっかりと残しつつも、大きく成長した信に感慨深いものを感じていた。
「答えは見つけたか?」
「俺は、大将軍になって中華を統一する。そんで政と一緒に争いの無い世界を作る!」
希望と覚悟の溢れる瞳だった。飛信隊の面々はその宣言を聞いて胸を高鳴らせ、活力を体に漲らせる。信が行くならばきっと彼らは地獄へだって付いていくだろう、そう確信させるほどに信は部下に慕われていた。
縁壱は悲しそうに目を瞑り、深く、深く息をした。自分の道が、信と決して、交わることの無いことを理解したからだった。
「秦が中華を統一しようとも、争いは無くならない」
「へっ、そんなのやってみなくちゃ分からねえだろ?」
「・・・平和とは、人の器が幸せに満ちることだ。幸せは足ることを知ることでしか得られない」
信の頭が疑問符で埋まる。
「・・・?あーもうちょい解りやすく言ってくれよ」
「自分の国で満たされないから、他所の国へ侵攻するのだろう?侵略者ができるのは人の幸せを奪うことだけだ。誰かの器を満たすことは決して出来ない」
辺りを静寂が包んだ。ぎりと信が剣を握り締める音が響いた。
「ちげえ・・・政は王の器だ。あいつなら中華全土の人間を幸せにできる!俺はそれを助けるって、そう約束した!」
「・・・そうか、強いな。きっと・・・全てが終わるまで、信、君は考えを変えないだろう」
信を縛る約束を幻視して、縁壱は嘆息した。雲がかった空を見上げる。
「では、やろうか」
「飛信隊!三大天の蚩尤が目の前にいる!討ち取るぞ!」
信の声に飛信隊が大声で返事をして、武器を持つ手に力を込めた。信が正面から縁壱に斬りかかった。羌瘣は顔を歪ませながらも、後ろから縁壱を狙う。
「何だありゃ・・・イカれてんな」
桓騎はいつまでも戦いを続ける飛信隊に近づいて、高台から様子を見ていた。そこではたった一人で、歴戦のはずの飛信隊全員を赤子のように投げ飛ばす縁壱がいた。
信も羌瘣もただの兵士も、何の関係もなかった。刀すら抜かず、息一つ乱さず、縁壱は八千の部隊を沈黙させていく。
「あれが、三大天蚩尤ですか・・・お頭、逃げましょう。できれば秦の都まで」
「フッ、それも悪くねえが・・・」
ニヤニヤと笑いながら、桓騎は真剣な眼差しで縁壱の動きをじっと観察していた。
縁壱と飛信隊の戦いが終わったのは、日が暮れる頃だった。誰も立ち上がらなくなった戦場で、縁壱は着物に乱れが無いことを確認して帰っていく。
本陣では慶舎が龐煖から治療を受けていた。
「慶舎殿、怪我はどうだ?」
「蚩尤様。先ほどは危機を救っていただき、感謝します。傷はふさがりましたが、龐煖様から戦線への復帰は禁じられました」
「?・・・龐煖殿、完治はさせなかったのか?」
「あれは寿命を削る。できれば自然治癒が望ましい」
縁壱はこの戦争が経験を積ませるためのものだったと思い出す。負けてもいい戦いなら、優先すべきは慶舎の健康であった。
「なら、軍の指揮は・・・」
「私が任されております」
控えていた紀彗が縁壱の前に跪いて口を開いた。後ろで馬呈、劉冬も同じように跪いている。
「蚩尤様、慶舎様だけでなく、劉冬も救っていただき有難うございました」
「ああ、彼も無事だったか・・・良かった。済まないな、全員は守れなくて・・・」
縁壱が今日の戦闘で失われたであろう紀彗兵の謝罪をすると、紀彗達は慌てて止める。
「あ、頭をお上げください!蚩尤様!悪いのは蚩尤様では決して!すべては侵略するものが悪いのです!」
「そうです!私も蚩尤様がいらっしゃらなければ飛信隊の副長に首を持っていかれておりました!感謝こそすれ、謝罪を貰うなど・・・」
紀彗達に縋りつかれてしまい、縁壱は謝罪をやめる。ほっとした紀彗達は今後の戦略について話し出した。縁壱は話を聞いてはいたが、そもそも関わる気が無い。いざとなれば紀彗達を守ろうと宣言して、本陣を後にした。
最終的に四日目は、慶舎が討ち取られそうになるも逃げ切り、逆に中央の丘を趙が奪い取った。趙が圧倒的に有利な状況で戦いが終わったのである。
そして運命の五日目、中央の丘を守る紀彗達へ桓騎軍からの贈り物が届いた。
黒羊丘・・・グーグルマップを使って調べたが、黒羊の場所が解らなかった。どこで戦ったんだこれ?
FTR様、酒井悠人様、誤字脱字報告ありがとうございます。