謁見殿は喧騒に包まれていた。多くの武官や文官が慌てふためき右往左往していた。
武官は真偽の確認を兵士たちに急がせ、文官は想像できる被害の大きさに悲鳴をあげる。
廉頗が大きく息を吸って、一喝する。
「喧しいわ、王の御前ぞ!」
その日一番の音が宮殿に響き渡り、悼襄王が耳を塞いで顔を歪める。
「くそ・・・お前が一番うるさいわ・・・」
「ん?何か言いましたかな?陛下」
「何でもないっ!李牧!」
「はっ!」
悼襄王の言葉で一歩前へ出た李牧は、居並ぶ武官、文官の方を向いて話し出した。
「皆さん、これは予想できたことです。我々趙の発展ぶりは凄まじく、他国にとってはもはや看過できない大国となりました。そして昨年の黒羊丘での大勝、今攻めねば彼らには後が無いのです」
「で、では李牧様には策があると・・・?」
文官の一人が落ち着きを取り戻しながら李牧へ尋ねる。李牧はしっかりと目を合わせながら深く頷いた。
「まず、合従軍は纏まることは無いでしょう。それぞれが趙の国境を荒らすようにして、分散して動くはずです。そうでなければ蚩尤殿の良い的になると考えますから」
「た、確かに・・・」
「そこで、我々もまた趙の軍を分散して、各個撃破をしなくてはなりません」
趙の軍の分散。そう聞いた文官達はそれで敵に勝てるのかと不安な表情を浮かべる。逆に武官達は納得したかのように李牧を見る。
武官を代表して慶舎が口を開いた。
「なるほど・・・それで私や紀彗に経験を積ませたのですか」
「そういうことです。では、順番にいきましょう。まずは燕軍の防衛、これは既に青歌の
「青歌の・・・あの方はご病気だったのでは・・・?」
「ふふ、いいえ健勝でいらっしゃいます。次に斉、これは適任がこの場にいますね」
居並ぶ武官を見ながら、李牧が笑う。ずいと一人の男が前へ出てきた。獰猛に笑う劇辛大将軍である。
「なるほどなぁ、それで儂をずっと高い金払って雇っていたわけか・・・かつて落とせなんだ斉、はっはっは!面白いではないか!」
「劇辛将軍、貴方が出れば、斉の兵は皆貴方を恐れ、士気を下げるはずです。お頼みします」
「よかろう、儂も趙の生まれだ。金も貰えれば文句などないわ!あの
劇辛はかつて楽毅と共に斉を押し込み、後城二つの所まで追い込んだ英雄であった。趙の精兵と軍備を持って、斉の前に今一度現れれば斉兵はみんな彼を恐れて戦えなくなる。
それが李牧が長い時を掛けて仕掛けていた、一つ目の策であった。
「次に、魏と韓の連合軍。これを慶舎、貴方へお願いしたい」
「畏まりました・・・ですが、我が軍だけですと足止めが精一杯かと」
戦国最弱の韓はともかく、魏には今、
「残念ながら慶舎、貴方には魏韓連合軍を素早く倒してもらわなければなりません。そこで
「・・・それならば勝てるでしょう。素早くというのは・・・?」
「戦闘をできれば一日で、或いはもっと早く終わらせて貰いたいということです。その為に、私が極秘に開発していた兵器も全てお渡しいたします」
「わかりました。李牧様、私にお任せください」
深々と頭を下げた慶舎を見て、李牧は満足そうに笑う。すぐに表情を切り替えて、次の目的を話し出す。
「そして、楚。これは大軍勢を送っていることがわかっています。それに加えあの項燕大将軍、普通の武将では太刀打ちできません。廉頗将軍、お願い致します」
「ぬっはっは、良かろう。儂が相手をしよう」
これから起ころうとしている大戦の気配に、上機嫌な廉頗が李牧の提案に快諾する。
「廉頗将軍は少し前まで楚にいらっしゃいましたから、内情も他の方よりわかるでしょう」
「ま、あまり詳しい内容は見れんかったがな・・・」
李牧は少し考えた後、慶舎に向かって話す。
「慶舎、連合軍との戦闘が終わり次第、すぐに廉頗将軍の援軍へ回ってください」
「はっ、お任せください」
「ぬう?なんじゃ李牧、儂では勝てぬと?」
「楚には、もう一人大将軍がいますので・・・万が一の備えをしておきませんと」
廉頗はあまり面識のないもう一人の楚の大将軍、媧燐のことを考えて納得する。
「ふむ・・・まあ、良かろう。慶舎、頼むぞ」
「畏まりました」
李牧は他国への対策を順当に立てていき、残るは最強の一国、秦だけになっていた。
「さて、肝心の秦なんですが・・・陛下、今ならば・・・まだ・・・」
「・・・・・・」
悼襄王は悩んでいたが、やがて大きく息を吐き出して話し出した。
「・・・ふぅ、そんな顔で見るでないわ。俺もお前も覚悟を決めておる。そうであろう?」
「は・・・」
「よし、敵は四軍。こちらも同等の戦力を当てねばならん。まずは李牧軍、次に蚩尤犬戎軍、紀彗軍と公孫龍軍・・・最後に
邯鄲の守備軍である扈輒軍を動かす判断に、文官達は大いに慌てだす。
「陛下!なりません!もし敵が邯鄲へ来れば、陛下の身に危険が・・・!」
「わかっておるわ馬鹿め。だが、どこの誰の軍が邯鄲まで来れるのだ?既にすべての国と戦争しておるのに」
「それは・・・別動隊などが動けば・・・!」
「それも全て織り込み済みよ。今の邯鄲は昔とは違う、生半可な兵力では落とせん。扈輒軍を秦に当てる、これは勅命である!」
「畏まり・・・ました・・・」
決意の固い悼襄王の様子を見て、文官達は諦める。そしてその場にいた全ての官僚たちが深々と悼襄王へ頭をさげた。
会議が終わり全ての官僚が慌ただしく動く中、里へ帰り準備をしようとしていた縁壱に李牧が声を掛けた。
「蚩尤殿、宜しいですか?」
「李牧、どうかしたか?」
「ええ、実は蚩尤殿には先に蚩尤犬戎軍がどこを守るのかと、配置についてお話しておきたいと思いまして・・・」
「なるほど・・・李牧。私も家族を守るために覚悟は決めている。前線で戦う」
縁壱の表情を見ながら、李牧は寂しそうに笑った。首を振って答える。
「いいえ蚩尤殿。貴方だけがそのような覚悟をする必要は無いのです。貴方の奥方も、蚩尤族も犬戎族もみんな貴方を心配して、戦う決意を固めています。一人で抱え込まなくて良いのです」
「ですが・・・私が動けば・・・」
複雑そうに悩む縁壱を、李牧は冷静に受け止めた。そして縁壱の為に重要な策を授ける。
「・・・ええ、蚩尤殿が動けばその戦場では勝てる。それもまた事実です・・・蚩尤殿、こういうのはどうでしょうか?まず―――」
趙と秦の間には
そしてその道には、太行山脈と黄河に挟まれる趙の国門と呼ばれる城、
秦軍は総大将、
「報告します!斥候によれば周囲に大軍の気配は無いとのことです!」
「趙め、秦軍三十五万の大軍勢を止める程の軍を用意できなかったか?」
「殿、どうされますか?」
配下達がそれぞれ所見を述べて、王翦に指示を仰ぐ。
「
「え!?」
王翦は列尾城を瞬き一つせず見ながら、何かを考えていた。
魏韓連合軍は趙を南東、黄河から攻めていた。斥候が川岸に布陣する趙軍を捉える。
「総大将は慶舎?・・・ああ、桓騎に負けて蚩尤に泣きついた男か、我が国も舐められたものだ」
連合軍総大将、呉鳳明は水軍を動かして陣形を作っていく。右翼には
「魏に呉鳳明ありと、趙の田舎者どもに教えてやれ」
魏の見慣れない形の船が何百隻も渡河してくる様を、慶舎は座って凝視していた。静かに命令を出していく。
「引き付けろ、敵は我々を軽視している。必ず深く入り込んでくる」
「慶舎殿、我々は?」
「
「了解した」
尭雲と趙峩龍が軍を引き連れ離れていく。魏軍が趙の用意していた囮船に巨大な矢で攻撃を開始している。呆気なく趙の船が次々に沈んでいく。
「攻城弩の改良・・・呉鳳明はやはり天才だった。あの才を戦争にしか使えなかったことだけが汚点か。弾着観測開始。修正終わり次第、各々近い船から榴弾で順に潰せ」
趙軍の後方で、静かに待機していた部隊が動き出した。轟音と共に砲弾が撃ちだされていく、青銅で作られた十二門の大砲が連合軍を狙っていた。
「くっ!?何だあれはっ!?あんな兵器、私は知らんぞ!」
「呉鳳明様!落ち着いてください!対岸に近づいた船が次々に吹き飛んでいます!」
「急報!凱孟将軍の乗っていた船が大破しました!たった一撃当たっただけで、あの大型船が・・・」
今までに聞いたことの無い、龍の咆哮のような轟音とそれに違わぬ破壊力が呉鳳明達の精神をかき乱していた。爪を噛み、次の手を考える呉鳳明。悲鳴を上げるように部下たちに指示した。
「くそ、撤退だ!あの兵器を解析するまでは攻勢には出られぬ!急ぎ国へ帰還する!」
「ははっ!・・・呉鳳明様、韓軍はどうされますか?」
「盾にしろ、役立たずでもそれくらいはできるだろう」
「・・・畏まりました」
命令と共に魏の主力が後退を始める。魏の船と操舵手を借りていた韓軍は、魏兵によって趙軍へと突撃を始めた。韓軍の混乱の声と悲鳴が撤退中の呉鳳明にも聞こえた。
遠くで魏の操舵手たちが韓兵に斬られて河へ落ちていく。操舵手を失い動きの止まった船に、慶舎は一切の躊躇なく砲弾を浴びせていく。
黄色い河が赤く染まっていった。
「呉鳳明様!全軍船を降りました!」
「行くぞ、急ぎ撤退する」
兵を再編成し終えた呉鳳明が魏へ進路を取ろうとしたとき、目の前に趙の旗が見えた。
「な、なぜこちら側に・・・!?はっ!?呉鳳明様!後ろにも!」
「くそ・・・」
前後を尭雲と趙峩龍が挟んでいる、河を見れば慶舎軍が渡河してきていた。呉鳳明は目を瞑って、活路を必死に考える。
「乱戦になればあの龍は火を噴かぬ。正面をぶち抜くぞ。全軍で一気に駆け抜ける」
「はっ!」
破れかぶれに突撃してくる魏軍をみて、尭雲は狂喜乱舞していた。
「ふふふ、ここまで想定通りに動けば軍師冥利に尽きるというものだな、慶舎殿。おい、あれを」
尭雲の言葉に部下が動き出す。荷車を引いた馬が三十頭ほど前へ出て縦一列に並び、魏軍が衝突する前に戦場に何かを敷いていく。呉鳳明は訝し気に思いつつももはや他に道が無かった。
(?・・・何をしている、罠か?・・・だが関係ない。全て圧し潰すまで)
「っ突撃!」
「おおおぉぉぉ!」
魏軍は全身全霊で突撃する、趙軍との距離がどんどん縮まっていった。突然、呉鳳明の身体が浮遊感に襲われる。地面がものすごい勢いで近づいてきて、反射的に受け身を取る。背中を強打して苦悶の声があがった。
「っが!?・・・ぐ、げほっ・・・な、何が・・・?」
周りを見れば後続の騎兵や歩兵が何かに足を取られて動けなくなっている。前が止まってしまったことで、さらに後ろの兵たちも動けなくなっていた。
呉鳳明が兵士の足元をよく見れば、鉄の縄、もしくは鉄の茨のようなものが地面に張り巡らされていた。
「さっき敷いていたのはこれか・・・こんな、こんなもので・・・魏の精兵を・・・」
「便利であろう?有刺鉄線というそうだ。蚩尤様が奥方の為に作られたものを、李牧様が軍事に転用したのだ。まったく、ものは使いようだと思わされるな」
呉鳳明の後ろには尭雲が馬に乗って立っている。巨大な矛が揺らめいていた。
「・・・負けか・・・しかも蚩尤すらださずに・・・蚩尤は何処を守っている?」
「我らも知らぬ。何処にいるか分からぬからこそ、あの方を恐れお前たちは足並みを合わせられぬ。李牧様はそう仰った」
「・・・・・・鬼札が過ぎるな、本当に、本当に嫌になる」
呉鳳明は慶舎が乗ってきた船から降ろされる大砲を見ながら、全てを諦めた。
秦軍は列尾城を呆気なく落としていた。飛信隊の軍師、河了貂は趙の援軍が無かったこと、そしてあまりにも簡単に落ちた国門に疑問を覚えていた。
翌日の朝、呼び出された信と河了貂は楽華隊の蒙恬から列尾城の秘密について聞かされる。
「はぁ!?意図的に弱く作られてる?」
「そうだ、あんまりに簡単に落ちすぎたんだ」
「バカ言え、それは飛信隊と山の民が強すぎただけだろ」
「信、君よくそんなに自信持てるなぁ・・・蚩尤にぼこぼこにされたくせに」
「あっ!?お前っ!言ってはならねえことを・・・!お前もやってみろよ!どうせ負けるから!」
「俺は逃げるよ、逃げられるかわかんないけど・・・」
憤慨して掴みかかろうとする信と逃げ回る蒙恬、逸れだした話を王賁が戻す。
「重要なのは、この城を守ることが難しいということだ」
「・・・じゃあ、どうすんだ?あんまりだらだらしてたら蚩尤がくるぜ?」
「はっ、お前にしては賢い意見だな。実体験は人を成長させるらしい」
「ああ゛!?王賁、お前もかよっ!?」
「兵糧の確保の為に列尾は捨てられぬ。だがここで守りを固めれば蚩尤に消し飛ばされる・・・」
「それで・・・?」
そのまま押し黙ってしまった王賁の代わりに、騰が話し出した。
「取れる手は二つだ。一つは全軍撤退」
「え!?諦めんのか?」
「もう一つは・・・今、それが可能か総大将が確かめに行っている」
王翦は趙第二の大都市、
中でも特徴的なのは望楼に設置された投石機であった。台によって回転できる投石器が城壁に十機以上設置されている。
じっと城郭を見て、王翦は告げる。
「完璧だ。あの城は落とせぬ」
「なっ!?では今回の合従軍は・・・」
「・・・
おもむろに馬から降りた王翦は地図を見ながら軍略を練りだす。
「近くにある小都市の数は?」
「確かかつては九・・・いえ、ここ最近になってかなり増えています。二十城程でしょうか」
配下の話を聞きながら王翦は、鄴の攻略法を思いついた。腕を組み。それが可能かを頭の中で練り上げていく。
最速で馬を飛ばした王翦は、趙に敷かれていた道路の力もあって一日かからずに列尾へ帰還した。その後、秦軍は列尾を捨て全軍で鄴へと向かう。
秦は軍を四つに分けて、小さな城を落としていく。特徴的だったのは、城に住んでいた住民をだれ一人傷つけず鄴へ向かうように仕向けたことである。
住処を失った難民が、イナゴの群れのように鄴へ集まっていく。
「構わん、難民を受け入れよ。民こそが国の要」
「し、しかし既に三万を超す難民が・・・食料も・・・!」
「よい、蔵を開けよ」
鄴を治める趙季伯は全ての難民を城内に受け入れていった。二十数城の難民が鄴の中にひしめいていた。王翦はそれを見て策が成ったと確信した。
「これで仕掛けは終わった。鄴は騰大将軍に任せる」
「承った。他の軍はどこへ?」
「橑陽からの軍を楊端和軍が、我が軍と蒙武軍で李牧を迎え撃つ」
王翦はそう言うと、蒙武軍を引き連れて朱海平原へと軍を動かし始めた。楊端和は来た道を戻り、橑陽を抑えに行く。
朱海平原に立った李牧は、目の前で陣を敷いている、日に照らされる大軍を眩しそうに眺めていた。カイネが傍にやってくる。
「・・・凄まじい軍勢ですね。目の前の軍勢だけで二十万はあるとか」
「ええ、秦にとっては後がありませんから。ここで全力を出し切る気でしょう」
「それは・・・ひどい戦になりそうです・・・」
「カイネ、先に言っておきましょう。この朱海平原での戦いが、過去のどんな戦争よりも激しく、悍ましい死闘になります」
李牧の口から聞こえる恐ろしい予測に、カイネは身を震わせた。震える手を握り締めながら、李牧に質問する。
「李牧様、蚩尤様は何処へ?」
「大丈夫ですカイネ。彼にも大切な仕事は渡していますよ。そう、とても大切な―――」
「大王様!王翦が列尾を放棄したと!」
「っ!?・・・そうか、やはり・・・一筋縄ではいかんな」
秦の都、咸陽の主殿で武官や文官が集まって会議をしている。左丞相、昌文君が口を開いた。
「では、計画通りに昌平君には兵糧部隊を率いてもらわねばなりませぬか・・・くそ」
「仕方ない、此度の戦は文字通り全兵力を費やさねばならん。私の守りは気にするな」
「ですが・・・っ!?」
一番初めに気が付いたのは、玉座の側に待機していた覆面の青年だった。剣を引き抜いて庇うように前へ出る。
「大王様!曲者です!」
「っ!?」
主殿の扉がゆっくりと開いた。豊かな黒髪を後ろに纏め、顔には特有の痣がある。赫灼の瞳が暗闇に輝き、手には異国の赫い剣が握られていた。
玉座の前に、継国縁壱が立っている。