継国キングダム    作:パプリカ23

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対等

 ごくりと、生唾を飲み込む音が響く。最初に口を開けたのは経験の多い昌文君だった。

 

「し、蚩尤殿・・・いつ、ここへ?」

 

 縁壱は何も言わずに歩き出す。ひたひたと一歩ずつ玉座へ近づいていく。

 

「く、蚩尤殿!話し合いを!・・・大王様!」

「・・・蚩尤。私は、天下を統一しなければならない・・・平和の為に・・・」

 

 ふと、縁壱は足を止め、ちらと辺りを見回した。最後に玉座へ視線を戻し、口を開く。

 

「今、この瞬間にも戦争で人が死んでいる・・・問答をしている暇が、あるのか?」

 

 刃が揺らめいて、近くにいた文官の一人が倒れる。昌文君は弾けるように大声をあげた。

 

「であえ!曲者だ!大王を狙う暗殺者がいるぞ!大王様こちらへ!・・・漂!頼んだぞ!」

「・・・・・・」

 

 何も言わずに覆面の青年が縁壱の前に立ちはだかる。縁壱は青年の呼吸が蚩尤のものに近いことに気が付いた。

 

「呼吸か・・・誰に教わった?」

「・・・・・・」

 

 扉から兵士たちがなだれ込んでくる。縁壱が一瞬それに気を取られた隙をついて、青年は剣を振りかぶった。

 

 

 

 昌文君は数人の供を連れて走っていた。汗を流しながら、非常時の逃走経路を進む。

 

「はあ、はあ、大王様、もう少しです。昌文君の軍・・はぁ・・さえ、辿り着けば、秦は必ず・・・勝てます故」

「ああ、わかっている」

「馬が、はぁ・・・馬が用意してあります・・・」

「皆まで言うな、わかって、っが!?―――」

「?・・・大王様?大王様!?」 

 

 昌文君が後ろを振り返ると、縁壱が立っていた。配下は全て倒れこみ、残るは昌文君だけであった。怒りに震える昌文君が鬼のような形相で縁壱を睨む。

 

「おのれ・・・蚩尤!大王様を・・・!」

「殺しはしない。生きたまま連れて来ればいいと言われている」

 

 縁壱は李牧から、咸陽では誰も殺さなくて良いと言われていた。ただ圧倒的な力を示して秦王を攫って来れば良い、縁壱にとってそれは何よりも楽な仕事だった。

 

「くそ・・・せめて一太刀だけでも・・・うおぉっ!――ぐっ!」

 

 昌文君が振りかぶるが、それよりも早く縁壱は昌文君を壁に投げ飛ばした。衝撃音と共に昌文君が沈黙して、ぱらぱらと天井から埃が落ちてくる。ふと縁壱の鋭敏な感覚が足音と怒号を捉えた。

 

 宮殿からの援軍要請を受けた咸陽中の兵士たちが縁壱を狙って集まって来ていた。皆目を血走らせ、縁壱の首を狙っている。

 

 縁壱は一つ溜息を吐くと、刀を翻して走り出した。

 

 

 

 少しして、都の防備が壊滅したという情報を抱えた鳩が咸陽から前線に向かって放たれた。

 

 

 

 

 

 趙、邯鄲には各地の戦果を告げる伝令が、明るい顔をして悼襄王へ報告をしていた。

 

 悼襄王は自然と浮かぶ笑みを隠せずに、にやにやと笑いながら報告を聞いている。

 

「報告!魏韓連合軍を慶舎様が完膚なきまでに打ち倒しました!」

「うははは!勝ったか!慶舎には褒美をやらねばな。それで今はどうしておる?」

「は、慶舎様は軍を編成し、藺家十傑のお二人と共に楚への援軍として向かっております!」

 

 悼襄王は策が上手く進んでいることに何度も頷く。

 

「うむうむ。これで楚は問題なかろうな。他の場所は?」

「今現在解っておりますのは燕と斉です。どちらも緒戦を快勝で終わらせ追撃戦へと移行しております」

 

 あれ程の脅威だった六国連合が既に二国まで減っていることに悼襄王は呵々大笑する。

 

「はっはっは!見たか!これが趙の力よ、よしっ!宴だ!祭りだ、儀式をするぞ!()を呼べ!」

「は・・・?王太子様ですか・・・?」

「うむ、当り前であろう?このめでたい日にはきちんと祝わねばな、親衛隊も全軍用意させよ!」

 

 上機嫌に準備を進めていく悼襄王に、一人の文官が勇気を出して口を挟む。

 

「で、ですが陛下・・・・今は戦時中であります・・・」

「わかっておる、わかっておるわ。だが、何も分からぬ民は合従軍に恐怖しておる。民を安心させるのも王の務めであろう?」

「・・・確かに、解りました。それでは祭りの準備を・・・」

「違う!宴で祭りで、儀式の準備だ!がはは、戦勝を願っての最重要の儀式だぞ!歌え!踊れ!さあさあ出陣だ!うはははは!」

「は、はぁ・・・」

 

 邯鄲では兵士や官僚たちが慌ただしく動き始め、用意を進めていく。なぜか始まる宴や祭りの準備に、戦争に怯えていた民達も次第に顔色を取り戻していった。

 

 

 

 

 

 秦国の大将軍、(とう)は趙の第二都市、(ぎょう)の前に苦戦していた。

 

「近づけぬか・・・」

「は、申し訳ありません。投石が激しく、あれ以上部隊を前に出すことが出来ませんでした」

 

 鄴の城壁に設置してある投石器は、秦の軍が鄴を完全に包囲することを防いでいた。凄まじい飛距離を有する投石器の前に、秦軍は離れた位置から都市を封鎖する他、手が無かった。

 

「石の弾がきれませんな・・・あれほどの石をどうやって手に入れたのか・・・」

「さてな、予め準備をしておったか。李牧、やはり侮れぬ・・・近づけぬものは仕方があるまい、包囲網を広げ逃げ出すものがいないようにせよ」

「は!勿論です!」

 

 騰は鄴を睨みながら、兵糧が尽きるのをじっと待つ。数万の難民が中にいる、あの規模の都市であっても必ず食料が逼迫しているはずであった。

 

「あと少しのはずだ。間違いなく・・・」

 

 

 

 

 

 一方、騰とは逆に来た道を戻っていた楊端和(ようたんわ)軍は、橑陽(りょうよう)を南下してきた公孫龍軍と争っていた。二軍の戦闘を見ながら、秦軍の将、(へき)は山の民の強さに慄く。

 

「つ、強い!・・・あらゆる局面で山の民が圧倒している!」

 

 戦闘は一方的なものになっていた。山の民一人一人の戦闘力の高さが、趙軍の最先端の防具を優越している。

 

 壁は彼らを仲間に引き入れた秦王の先見性の高さと器の大きさに改めて感服していた。

 

(このままいけば・・・鄴への援軍阻止はおろか、列尾を守ることすら・・・!)

「我々一万の援軍が加わらずとも、山の民だけで・・・」

 

 希望に目を輝かせる壁とは対照的に、楊端和は訝し気に髪をかきあげた。

 

「いや・・・敵の動きが単調すぎる。何か狙っているかも知れぬ。流れ次第では頼むぞ、壁将軍」

「っ!・・・はっ!」

 

 美しい楊端和の横顔に、一瞬壁が見惚れながらも返事をする。

 

 

 その時、秦軍の左翼の兵士が恐ろしい速度で向かってくる軍を見た。

 

「な、なんだありゃ・・・!?」

「へ、壁様に!早く伝令を!」

 

 だが、伝令が届くよりも早く秦軍に、趙軍の最強の矛、蚩尤犬戎軍が雪崩のように襲い掛かった。

 

「と、とまらな!」

「誰か!奴らの動きを止めぎゅっ!」

「ひ、ひぃぃいい!化け物だぁ!」

 

 秦軍も山の民も関係なく、ただ純粋な暴力の塊に飲み込まれていく。そこ手加減など一切なく、一方的な殺戮だけがあった。

 

 先頭を走る羌象が声を荒げる。

 

「全員何もさせずに吹っ飛ばせ!手加減などして怪我でもしてみろ!私がぶち殺すぞ!」

「おうっ!」

 

 見る見るうちに秦軍の左翼が溶けていく。自軍を引きつぶしていく蚩尤犬戎軍を見た楊端和は険しい顔をしながらバジオウに向かって話しかける。

 

『あれはまずい・・・止めるぞ、バジオウ』

『は!』

「壁将軍!しばらく公孫龍を任せる」

「はは!お任せください!」

 

 楊端和の精鋭が動き出す。二つの軍は秦軍左翼の根元で衝突した。楊端和は向かってくる幾人かの犬戎を多少苦戦しがらも斬り殺す。同胞を殺され、怒り狂った犬戎達が襲い掛かろうとするのを、羌象が止めた。

 

「やめろ!そいつは私がやる」

「・・・お前が将か」

「羌象。貴方が楊端和?噂通りの美人さんね」

「なるほどな、妹から聞いたか・・・私もお前のことは聞いている」

 

 羌象が下馬して剣を振ると、楊端和も馬から降りて双剣を構える。隣にいたバジオウはさり気なく援護できる位置に行こうとしていたが、ニヤついて立っている幽連を見て足を止めた。

 

「何その仮面?地元じゃカッコいいのか?」

『ちっ強そうだな・・・』

 

 それ以上の言葉は無く、幽連とバジオウ、お互いの剣がぶつかる。

 

 単純な膂力では少しだけバジオウが上だった、だがそれを補って余りある圧倒的な技がバジオウの肌に傷をつける。

 

(この女、端和様並みに早い!俺が一撃撃つ間に三回は攻撃を・・・!)

「おいおい、お前確か二番目に強いんだろ?・・・がっかりだな・・・」

 

 あからさまに落胆した顔をする幽連に、バジオウはできるだけ冷静に攻撃をいなしていく。

 

 

 

 太陽の位置が少しだけ動いた頃、バジオウの全身は傷だらけになっていた。対して幽連は衣服に乱れこそあれど。傷は無い。

 

 バジオウの心に逸る気持ちが生まれる。

 

(この女でここまで強いなら、端和様が戦っている相手は・・・まずい・・・やるか)

『・・・悪いな、今から本気でいく』

「あん?・・・っと!」

 

 バジオウの発した言葉に幽連が疑問符を浮かべた瞬間、顔のすぐ横を剣が通り過ぎた。思わず少し距離を取る幽連に向かって、バジオウはもはや言葉ですらない唸り声をあげながら襲い掛かった。

 

「おいおい・・・まじかよ!まるで獣じゃねえか!?」

 

 昔に戻ったバジオウの剣戟は、幽連の技よりも速かった。ぴりと幽連の頬が薄く斬れる。ほんの少し揺らいだその隙にバジオウが剣を思い切り幽連に当てる。

 

「ぐっ!」

 

 幽連はかろうじて受けてはいたが、あまりの衝撃に吹き飛ばされる。態勢を立て直した幽連が前を向いたとき、バジオウがとどめの一撃を加えんと剣を振りかぶっていた。

 

「おら」

『ぐっ!?』

 

 振りかぶられた剣を呆気なく受け流した幽連が、バジオウの右足を斬ると、彼は体の支えがきかずに倒れこんだ。

 

 何が起きたのか解らずに混乱するバジオウを、にやにやとあくどい笑みを浮かべた幽連が見下ろしていた。

 

「くっくっく、ああ、呆れる。どんだけ私が獣の相手してきたと思ってんだ、まだ人間風に戦ってたほうがやりづらかったぜ」

「ワ、ワザト、負ケタ振リヲ・・・!?」

「獣風情が人間様に勝てるかよ。寝てろ」

 

 幽連は倒れこんだバジオウの頭に一撃を加えて戦闘不能にする。羌象の方へ顔をやれば、彼女たちの戦闘も佳境に差し掛かっていた。

 

「はぁ・・・はぁ・・・強いな」

「んーだめだめ。全っ然だめ!足りないんだよね、貴方」

 

 身体に幾つかの傷を受けつつも余裕綽々の羌象が、楊端和を見ながら言う。楊端和の剣は既に一本折られており、体中に傷をつけられていた。

 

「はぁ、はぁ・・・何が・・・足りないんだ?」

「んー?うふふ・・・愛よ!愛が足りない!」

「っ!戯言を!」

 

 楊端和の全力の一撃を、簡単に受け止める羌象。

 

「まあでも、あんまり話してる時間も無いか。終わらせようよ」

「・・・ああ、そうだな」

 

 刹那、楊端和は羌象の剣を持った右手を左手で抑え、残った力を振り絞って剣を羌象に向かって滑らせる。自分の左手ごと羌象を斬ろうとした。

 

 ぐるんと視界が回る、気が付いたと楊端和は地面に倒れていた。

 

 肺の空気が抜ける音がして、夕日の差し込む快晴が目に染みた。

 

 言いようもない感情が楊端和の心を駆け巡る。数秒程、呆然と空を眺めていた。

 

「ああ・・・負けたのか・・・」

「降参してくれると嬉しいんだけど?」

 

 楊端和は目を瞑って、心の中で政に謝った。目を開け、口を開く。

 

 

 

 

 橑陽での戦闘が終わった。

 

 公孫龍は山の民と秦軍兵士達を連れて、列尾城へと入った。これにより、食料を送っていた輜重兵の進行が妨げられ、秦の主力は趙の中に閉じ込められることになる。

 

 

 

 

 

 最も多くの兵力が密集していた朱海平原は、まさに地獄絵図であった。

 

 何としてでも国を守らんと誓う趙兵達が、今この時しか勝ち目がないと知っている秦兵たちが、お互いの血で血を洗いながら殺しあっている。

 

 その中で、最も激しかったのは蒙武軍と扈輒(こちょう)軍の正面衝突の場であった。攻め手の蒙武が自ら先頭に立って扈輒軍を押し込んでいく。

 

 扈輒は側近である三公を使い何とか侵攻を止めようとしていた。伝令が扈輒の元へやってくる。

 

「報告!三公の岳白様が、蒙武との一騎打ちに敗れました・・・蒙武が止まりません!」

「そうか・・・龍白に時間を稼がせろ、虎白と龍白の息子達は退かせておけ」

「っ!・・・ははっ!」

 

 扈輒は自軍が蒙武の圧倒的な火力の前に敗れ去っていくのをただじっと見ていた。龍白軍が間に入ったが、しばらくすると崩れ去った。

 

 がららと、巨大な戦槌をもった巨漢が本陣の前へ出てきた。力強い眼光が扈輒を刺し貫くように見つめていた。

 

「お前の部下は、なかなか強かったぞ」

「・・・当然だ」

 

 扈輒は椅子から立ち上がると蒙武の前に立つ。周りを見れば蒙武軍の主力精鋭部隊が囲んでいる。ほんの少し離れた位置で蒙恬が自分の部隊と蒙武軍を指揮して趙の援軍を近づけないようにしていた。

 

 剣を引き抜きながら扈輒は蒙武へ話しかけた。

 

「私の部下は良くやってくれた。蒙武、お前の軍の誰よりもな」

「?・・・強かったのは事実だが、俺がここに立っている以上、良くやったわけではない」

 

 蒙武が扈輒を見ながら否定する。周りの側近たちも扈輒の言葉の意味を掴みかねていた。

 

「いや、良くやったとも。ここにお前とその精鋭が居ることがその証拠だ・・・適度に苦戦させ、戦死して、この場に集めた」

「?」

 

 その言葉の意味に、すぐに気が付けたのは蒙恬だけだった。急いで父を守ろうと近寄る。

 

「父上っ!お逃げください!罠です!」

「遅い」

 

 扈輒が留め金を外し、鎧が音を立てて落ちていく。扈輒の身体に巻いた見慣れぬ筒から、大量の火花が散っていた。

 

 鼓膜を吹き飛ばすような轟音が一瞬響き、視界が真っ白に染まる。耳鳴りが激しすぎて周囲の様子が掴めない。

 

 生暖かい液体が、体の表面を流れるのを感じる。すぐに血だと気づいて確認しようとするが、目を開けているのかさえ解らず、仕方なく手で触って確かめる。大きな鎧を着た男が自分に覆いかぶさっていることに気が付く、鼓動が早くなり強く脈打つ。

 

 目が慣れる、蒙恬は自分が蒙武に覆いかぶされて守られている光景を見た。蒙武は意識がなく、倒れこんでいる。

 

「は・・・父上?」

 

 ゆっくりと起き上がると、趙の本陣は跡形もなく吹き飛んで、辺りに見知った側近たちのものであったろう肉片が散らばっていた。

 

 蒙恬の泣き叫ぶ声が戦場に響いた。

 

 朱海平原の戦いは、十日もしないうちに佳境を迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 その次の日の朝、王翦軍の本陣に信と羌瘣は来ていた。

 

 蒙武が戦死したことについて、そしてそれ以上の重大な報告があると王翦から言われていたからだった。本陣では、多くの武将が集まり王翦が来るのを待っていた。やがて物音がして王翦が天幕に入ってくる。

 

「待たせた、軍議を始める」

「・・・蒙武将軍の戦死以上の報告って?」

 

 最初に訊いたのは信だった。

 

 信には相手の罠で蒙恬を庇って死んだ蒙武以上に、衝撃的な話があるとは思えなかった。

 

「・・・まず、楊端和が敗北した。列尾が封鎖され我々は閉じ込められた」

「なっ!?・・・じゃあまさか!蚩尤は橑陽に!?」

「いや違う・・・・・・」

 

 否定した後、しばらく黙り込む王翦を見て、焦れた信が口を開く。

 

「まだ蚩尤は出てないのか?」

「咸陽から、鳩がきた。蚩尤が咸陽を襲い、用意していた防備が全て抜かれた。咸陽は現在壊滅状態にある」

「は・・・?」

 

 衝撃的過ぎた内容を受け止めきれずに信が口を開けたまま呆然とする。他の武将も多かれ少なかれ信と同じように呆然としていた。

 

「じゃ、じゃあ・・・政は?」

「・・・・・・」

「じょ、冗談じゃねえぞ!さっさと帰らねえと!戦争なんかやってる場合じゃ――」

「いや、戦争は継続する」

 

 王翦は断固とした口調で信の言葉を遮った。信は頭に血が上っていき、自身の血管がはちきれる音が聴こえた。

 

「ふざけんな!政があぶねえなら助けに行くのが俺たち臣下だろうがっ!」

「我々は、ここで趙を倒す以外に勝つ道は無い」

「政が!・・・王がいてこその・・・・」

 

 そこで信は王翦の噂を思い出した。

 

(確かこいつ・・・自分が王様になりたいって言って、閑職に追いやられてた・・・)

「お前まさか、政を見捨てて・・・!」

 

 王翦は信の方を肯定も否定もせずに見ていた。羌瘣がさりげなく信を止めようとする、周りは王翦の部下に囲まれていた。

 

 唯一の対抗馬になりうる蒙武は戦死してしまっている。

 

(くそ、最悪だ・・・信だけでも逃がせるか?)

「王翦の言うとおりだ。ここで勝って李牧を討つ以外に我らに道は無い」

 

 天幕の外から声が聞こえ、男が二人入ってくる。昌平君とその配下、豹司牙であった。

 

「なっ!?昌平君!?何でここに・・・」

「私の護衛だ」

 

 奥からもう一人現れた。

 

 王翦とその側近たちが一斉に跪く。輝く鎧を身に纏った秦王、嬴政その人である。

 

「政?」

「信、戦場で会うのは蕞以来だな」

「な、なんで?どうやって・・・」

「列尾に公孫龍達が入ったの同時に、山脈を抜けて橑陽を抜いた」

「え?・・・は?」

 

 混乱から抜け出せない信をみて、ふっと政が笑う。

 

 政は居並ぶ武将達を一人一人眺めた後、口を開いた。

 

「桓騎軍を使って合従軍を起こさせた!持っている全軍を出陣させた!影武者を使い蚩尤を誘き出した!全ては蚩尤を咸陽へ閉じ込める策だ!」

 

 一息に言いきった政が、日の登り始めた空を見据えながら叫ぶ。

 

「今!趙最強の手駒、蚩尤は咸陽にいる!人質を持っている以上移動速度は落ちる!今日この日に、我々は李牧を討ち!趙を滅ぼす!」

 

 朝日は政の朝露に濡れた鎧をきらきらと輝かせる。武将一人一人の表情に活気が漲っていく。

 

「じゃあ、漂は・・・咸陽は?」

「心配ない、蚩尤が無抵抗の市民を虐殺できないことは確認済みだ」

 

 すとんと信の中で何かがはまる音がした。目の奥に炎が揺らぐ。信は政の顔を正面から見た。

 

「そうか・・・なら、政。ここが天下を決める場所ってことか?」

 

 ふふと政が笑った。拳を信に向かって突き出す。

 

「そうだ。信戦うぞ」

「っ!・・・おう!」

 

 ごつんと打ち鳴らす音が、本陣に良く響く。

 

 

 

 戦場に並んでいた秦兵達の前に政が、馬に乗って現れた。その威厳に、風格に秦兵は言葉忘れて見入っている。政の口から発せられる、遠くまで伸びるような声が秦兵全員を震わせた。

 

「秦王、嬴政である!我々には後がない!鬼神と名高き蚩尤は遠からず秦を襲うであろう!」

 

 秦兵の顔つきが恐怖に染まっていく。蚩尤の恐怖を一番理解しているのは秦の兵士たちである。

 

「だが!我らの策によって蚩尤は今動けぬ!今が最後の、そして最大の好機である!」

 

 生唾を飲み込んでいく、滴る汗が落ちるのも気にせずに皆が嬴政を見ていた。

 

「我々は!中華最強たる秦である!今日!今この時こそ、決戦の時!戦え、秦の子らよっ!」

 

 地を切り裂くような怒号が響いた。大地が揺れて、地鳴りが轟く。

 

 

 

 

 

 秦軍のただ事ではない様子に趙の兵士の一人が転ぶ。趙兵は完全に呑まれてしまっていた。

 

 カイネは恐怖に震えながら、李牧に問いかける。

 

「な、なぜ・・・秦王がここへ?」

「・・・おそらく、私の策を読んで咸陽から抜けたのでしょう」

「では蚩尤様は!?」

「影武者か何かを掴まされていれば、しばらくはこれないはずです・・・やられましたね」

 

 悩まし気に顔を俯かせる李牧。震える手でカイネが裾を掴んだ。

 

「い、一度退きましょう。邯鄲まで撤退できれば・・・時間さえ稼げば、蚩尤様が・・・」

「それはなりません」

「・・・え?」

 

 カイネは何故否定されたのかわからず、きょとんとして李牧の方を見た。周りにいた舜水樹や馬南慈たちも不思議そうに見ている。

 

「カイネ、我々は蚩尤殿に頼りすぎているのです・・・いつもいつも守ってもらってばかりでは、余りにも情けないではありませんか・・・」

「そ、そのようなことを言っている場合では!・・・っひゃ!李牧様!?」

 

 なおも言い募ろうとしたカイネを李牧が抱きしめた。カイネの顔が一瞬で赤く染まり、後ろの方で傅抵が叫んで馬南慈に黙らされていた。

 

「言ったでしょう?カイネ、この朱海平原こそが死闘の場だと」

「は・・・はひ?」

 

 李牧から解放されても赤い顔のまま呆然としているカイネ。役に立たなくなったカイネの代わりに舜水樹が口を開く。

 

「もしや李牧様・・・分かっていて蚩尤様を?」

「ふふふ、別に全てがわかっていたわけではありません。成功すれば、最も楽に勝てる策でした・・・ただ、読まれるとも思っていましたよ」

 

 流石は昌平君ですね、と呟く李牧に、舜水樹は続ける。

 

「ですが、このままではどうやっても勝てません。仮に今すぐに蚩尤犬戎軍が来たとしても、あの士気の敵を討つのは・・・」

「ええ、勝てません。覚醒した兵士程恐ろしいものはありません・・・私は合従軍の折に、秦の蕞でそれを痛い程味わいましたから」

「では・・・」

「道は一つしかないのです。全ての趙兵を秦兵と同じくらいに覚醒させる」

「・・・李牧様が士気をお上げに?」

 

 難しい顔をした舜水樹が、李牧へ問いかけた。李牧は大声で笑いだした。

 

「あっはっは、まさか!私がやっても秦には絶対に勝てません!」

 

 我慢できなくなったカイネが李牧に詰め寄って、声を荒げる。

 

「・・・っ!李牧様、私は李牧様の為なら死ねますが、この戦争は無茶です!だって―――っ!?」

 

 続けようとしたカイネの耳が何かの音を拾った。太鼓と笛の音、軽快な音楽は少しづつ大きくなってくる。カイネには、いや趙の民には聞き覚えのある音楽だった。

 

「まさか・・・」

「・・・ふふ、士気を上げるのには使える。そう言ったでしょう?」

 

 信じられないカイネが、諸将たちが李牧を見詰める。李牧は薄く笑って告げた。

 

 

 

「さあ、皆さま御出迎えの準備を。我らが王の御成りです」

 

 







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