李牧は多くの人物と会ってきた。国や時代を動かせる大人物も多かった。
そんな彼ですら、今目の前にいる男の器量を推し量ることができない。
(底が・・・見えない、いったいどれほどの・・・)
じっと李牧を見つめていた縁壱が口を開く。
「足元の悪い山道を、ようこそいらっしゃいました」
「いえ、こちらが勝手に来ただけですので。李牧、と申します」
李牧が挨拶を返すと、縁壱は座卓を脇へずらし、部屋の隅から座布団を取り出して李牧が座れるように置いた。
「どうぞ」
「ありがとうございます、では失礼して・・・」
履物を脱いで、居間へ入る。座布団は厚みがあり、良く沈んだ。羽毛か何かが詰められていると李牧は思った。
「継国縁壱と申します。今は蚩尤と名乗っておりますが」
「ええ、羌象さんからお聞きしております。短い期間で里を大きく発展させた方であると」
「私など、大したことはしておりません。彼女たちが良く頑張ってくれました」
静かに顔を横に振る縁壱。彼は自身の価値を卑下しすぎる悪癖があった。
「確かにそれもあるかもしれません。ですが里にある見慣れぬ技術の数々は全て貴方の発案だと聞きました。それに音に伝わる蚩尤族を全て束ねたことも大したことで無かったとは思えませんよ」
「あれらは私が考えたものではありません。それに蚩尤族を全て束ねられたわけでもないのです」
少しだけ目を伏せる縁壱。
「全員ではない?」
「蚩尤族の中でも、年嵩の者たちは皆離れて行ってしまいました。あの歳で全てを失ってしまった彼女たちはどう生活していくのでしょうか」
そこまで聞いて、李牧は納得する。蚩尤族の話は少しではあるが、知っていた。古い伝統に縛られていた老人たちには、縁壱の新しい生活は受け入れられなかったのだろう。
縁壱が想う、その後悔に李牧は覚えがあった。自嘲気味に笑い、縁壱に語り掛ける。
「・・・どれだけ全力をなしても、尽きぬ悩みはあるものですね。私も、よくわかります」
「・・・真に」
縁壱の人柄をある程度掴むことができたと、李牧は思った。お人好しで責任感が強く、自責の念に駆られやすい。本来ならすぐに破綻してしまうような性格だが、他を圧倒する能力と精神が彼に十分すぎる成果を与えてしまう。
(間違いなく優秀な人物、趙は彼を失ってはいけない。権力や富では縛れないが・・・)
「蚩尤殿、今回私がここへ来た理由なのですが、まずはこれをどうぞ」
李牧は懐から割符を二冊取り出し、床に置いて差し出す。
「これは?」
「この辺りの土地を正式に蚩尤の里として認め、貴方を里の長として認める割符です」
「割符は二枚ありますが?」
「もう一枚は私からの贈り物です。それがあれば趙の都、
「それは、かたじけない。感謝致します」
割符を受け取った縁壱は頭を深々と下げて、李牧へ礼を言った。
「何か、お返しできるものがあればよいのですが」
「いえいえ、十分すぎるほどの物を我々は税として受け取っていますから、蚩尤の小麦と絹は品質が素晴らしいと話題になっていました」
笑顔で縁壱に伝える李牧。実際に、蚩尤の里で作られた絹は非常に品質が高いと言われ、
「税は、義務として納めるものですので・・・それ以外で何かお返しできることはありますか?」
一瞬、李牧は縁壱を趙に仕官してもらえないかと考えたが、すぐに諦めた。彼がこの里を離れて政務などに耽ることは無いだろうと思ったからである。
それにこういう人物は、あの王に仕えることができないだろうとも思った。悼襄王は人格が破綻していることで有名で、享楽に耽り執務をしない人間だった。
「えーと、そうですね・・・ではこの里を案内してもらえないでしょうか?ここには趙の役に立ちそうな技術や品が多くありますので」
「わかりました。そのようなことであれば」
一度浅く礼をした縁壱は呆気なく技術を開示するといった。李牧は自分なら確実に秘匿する技術だろうと思い、それを簡単に見せてしまう縁壱の欲の無さに笑ってしまう。
「では・・・」
「お茶沸きましたー」
李牧が早速質問しようとしたとき、入り口から羌象が入ってくる。手には盆を持っており、湯呑が三つ載っている。土間で立っていたカイネに一つ渡して、羌象が縁壱の隣に座る。
「どうぞ」
「やあ、これはどうもお茶・・・ですか」
「桑の葉だけどね」
羌象が笑いながら二人の前に湯呑を置いた。湯気から香る匂いが、李牧の気を和らげる。李牧はふと自分が思っていた以上に疲れていることに気が付いた。馬陽の戦い、秦の王騎将軍はやはり油断ならない大敵であった。
「うん、美味しいです。ありがとうございます羌象さん」
「どういたしまして、で?お話は終わった?」
「ええ、重要な部分は。今から蚩尤殿に里を案内してもらおうと思っていました」
「なるほど、じゃあ私も行こうかな?」
「お前は賊の始末があるだろうが」
「うにゃっ!?・・・ぁぁあぁ・・・」
羌象がうきうきしながら話していると、後ろにいた幽連が羌象の頭を叩いて引っ張っていく。呻きながら去っていく羌象。連れていかれる羌象を眺めていた縁壱は、羌象が居なくなると李牧のほうへ視線を向ける。
「では、ご案内します」
李牧は夕暮れまで、里を見て回った。里の農具が全て木製や石製ではなく青銅製であったことに驚き、また鍬や鋤の形が普通とは違うことに感心した。
青空の下、桑や梅が緑に萌えて、麦畑は金色に揺れていた。縁壱が今年は豊作だったと言ってはいたが、それでもこの収量はこの時代には考えられないことである。
何よりも、李牧が関心を示したのは水車の構造部品。歯車についてであった。李牧は仕組みを見て、すぐにその重要性に気が付いた。縁壱がこれから小麦を挽く以外にも使うと語る。砥石に脱穀、果ては旋盤など様々な用途について聞く。
(まずい、これは・・・この技術は生活を豊かにするどころではない・・・もしかすると国を幾つも滅ぼしてなお足らない力がある)
縁壱の重要性が、その危険性があまりにも高すぎることを改めて実感する李牧。手放してはならない人材どころではなかった。
彼を手に入れられるなら、三大天の立場も宰相の地位も全て渡しても趙には利益がでる。
逆に信用を失い、他の国に行かれれば趙といわず中華六国全てが早晩滅ぶだろう。
(彼の心を掴むことが、天下を決める・・・!)
水車小屋から出た李牧は、沈む夕日を見ながら縁壱の価値を誰よりも早く理解した。そしてもう一つ、確認すべきことがあると思った。
「・・・大変、面白い時間を過ごさせて頂きました。重ね重ね感謝いたします蚩尤殿」
「いえ、私も李牧殿と知り合えて良かった。今日は里にお泊りください、旅人や商人用の小屋がありますので」
「ありがたく・・・それと最後に、一つだけお願いがあります」
「私でできることでしたら」
「蚩尤殿、貴方はかなり腕が立つとお聞きしております。もし宜しければ、ここで手合わせして頂けないでしょうか?」
李牧は真剣な眼差しで縁壱を見た。もしかりに彼を失うことがあれば、その損失は計り知れない。であるならば、縁壱の武力を測っておくことは必須事項であった。
「わかりました。武器は真剣でしょうか?」
「私はそれで構いません」
「李牧様、危険です!」
躊躇いなく了承する縁壱。カイネが心配して止めるが、李牧はやめる気が無かった。腕が立つことはわかっている、しかし李牧はその上限を未だに測れずにいた。趙の大将軍であった
「では、いつでも」
「ええ・・・」
(・・・まずい、呑まれている)
縁壱は刀を抜かなかった。ただ、少しだけ体を李牧のほうへ傾ける。
たったそれだけで、李牧は攻める手を見つけられなくなってしまった。夕日は李牧の背にあり、逆光にあるのは縁壱である。兵法でいえば圧倒的に優勢、にもかかわらず剣が当たる気がしない。
「・・・っいざ!」
李牧は意を決して剣を抜いた。川の瀬音が涼し気に聴こえ、夜の虫が鳴き始めている。夕日に照らされる縁壱は、変わらず川岸に立っていた。
ゆっくりと間合いを詰める、李牧はあと一歩の距離まで近づいた。下ろしていた剣を少し傾け夕日の光を反射させる。光は縁壱の顔に当たり、眩しそうに縁壱が少し目を伏せた。
李牧が強く、一歩踏み出す。
「はっ!」
掛け声は囮、一拍ずらして剣を振る。同時に左手に隠した石を顔に向かって投げつける。受けづらいよう縁壱の足首を狙った一撃。考えうる最高の手だった。
突如、視界が回った。
「っ!?っが!!」
自分が投げられたとわかったのは、仰向けに転がされてからだった。肺の空気が抜けて、一瞬体から力が抜ける。大きな空が見えた。夕日の光が雲の片側を照らしている。
「李牧様っ!」
カイネの駆け寄る音がする。そちらを見ようと顔を動かせば、首筋に縁壱の刀が当てられていた。真っ黒な刀身が斜陽を受けて鈍く光っている。美しい剣だと、李牧は思った。
「良い太刀筋でした。狙いも良かった」
「はぁ、はぁ・・・なぜ、反応できたのか聞いても?見えなかった、はずなんですが・・・」
李牧は負けたことはわかっていても、負けた理由が見つけられなかった。それなりに腕は立つと自負していた自分がここまで簡単に負けたことに衝撃と悔しさを覚えていた。そんな李牧をみて縁壱は不思議そうに言う。
「?・・・心音を聞けば位置はわかります、空気が揺れれば動きもわかる・・・見える必要が?」
「は?・・・ふ、ふふ。あはははは!」
心底不思議そうな顔をして、意味の分からない理論を語った縁壱。呆気にとられた李牧はその意味を理解した後、笑うしかなくなった。
(技術より、知識より、なお恐ろしいのは彼自身か・・・)
「いやぁー、参りました、まさに完敗です。それほどの腕、一体どこで鍛えられたのか・・・」
「まことにお恥ずかしながら、私は修行というものをしたことがありません」
一瞬、聞き間違えたのかと李牧は思った。そしてそうでないと気が付き、やはり理解できずに改めて訊きなおす。
「・・・?何かの比喩でしょうか?修行もなにもせずに、強くなったと?」
「・・・私は強さに価値があるとは思えないのです。価値はただ、命にこそ。命は、そこにあるだけで何にも代えがたい、そう思います」
「・・・そう・・・ですね」
縁壱の差し出した手を取りながら、李牧は冷や汗が止まらなくなっていた。彼を傑物の類だと思ってはいた、余人と比べがたい才能と人格、そして武力。しかし、ここでようやく縁壱の本質に触れた気がした。
縁壱は、最初から完成した状態でこの世に生まれ落ちている。まさに完璧、一片の瑕もなく曇りも無い。そのうえで、他者を慈しみ愛する心を有している。
(彼は、人の延長線上に存在していない。絶対に、この男を龐煖に会わせてはいけない・・・!)
趙の三大天、龐煖は武を極めることによって人を超えようとしている男だった。対して縁壱は生まれながらに人から逸脱していた。
神のような人と人のような神。両者が出会えば間違いなく趙にとって貴重な人材を失うことになる。李牧は蚩尤の里の情報を制限しなければならないと強く誓った。
「・・・それにしても、蚩尤殿の強さには驚かされました。どうでしょう?蚩尤殿からみて私は強くなれますか?」
特に良い返事を期待した質問ではなかった。李牧の内にある動揺を悟らせまいと、話を変えただけ。しかし、縁壱はすぐに答えを出した。
「・・・呼吸が、少し勿体ないかと思いました。体の力を出し切れていません」
「呼吸・・・ですか?正しい方法を教えてもらうことは?」
「構いません」
「・・・ふふ、蚩尤殿は何でも教えてくれますね」
縁壱にとって、強さも技術も大した価値は無かった。ゆえに訊かれれば惜しみなく与える。
李牧はさもありなんと思いながらも、縁壱から与えられる恩恵を最大限に得ようと考えていた。ただ惜しいのは李牧が多忙であることである。
「本当に、本当に残念ながら、私には仕事がありまして、明朝には里を立たなければなりません。いやぁ口惜しいです」
「また、いらしてください。お待ちしております」
深々と頭を下げる縁壱に、李牧も頭を下げる。そこで李牧は自分の衣服や体が汚れていたことに気が付く。カイネを見ると自分ほどではないが汚れていた。
「ええ、絶対にまた来ます。あ、温泉を引いたと仰っていましたね、我々も入ってもいいですか?」
「もちろんです。夕食はのちほど持っていきます」
「感謝を」
聞きたいことはまだまだ多かったが、今回はここまでにしておこうと李牧は思う。幸いにして蚩尤の里は趙の土地にある。他国が縁壱の存在を知るのはもう少し先になるとみていた。
もちろん懸念点も多い。蚩尤の里は趙にあることはあるが秦、魏の国境にも近かった。今はまだできたばかりで生産力が弱いものの、もう何年もすれば目端の利いた商人たちがこぞって集まるようになる。
当然秦の丞相である呂不韋にも噂が伝わる。その前に既成事実を作っておく必要はあった。
明朝、縁壱に見送られながら里を出た李牧とカイネ。里から離れた二人は得られた情報について話し合う。
「よろしいのですか李牧様?蚩尤殿、見た限り絶対に趙に引き込むべき人材です」
「焦ってはいけませんカイネ。あなたの言う通り、彼は重要な人物です。重要だからこそ慎重にならねばいけません」
「・・・それは、そうですが・・・在野にいるべきお方ではありません」
名残惜しそうにするカイネに李牧は嬉しそうに笑った。初対面の人間には基本的にきつく当たるカイネがここまで評価するほどに、縁壱は大きい。
「あなたも彼を気に入ったようですね」
「優秀な方でした。徳もありましたし、武も素晴らしかったです・・・三大天、相応しいかと」
最後にボソッと傅抵より、と呟いた言葉を李牧は努めて無視して、悩まし気に眉を寄せる。
「・・・難しいですね。実は十分でしょうが、残念ながら趙では名も重要視されます」
趙では、上へ上がるためには家の名前も重要だった。唯一の例外といえるのが三大天の龐煖であったが、彼の場合は秦の六大将軍であった摎を完全な単独で討ち取るという明確な戦果があった。
「何か・・・彼に趙の人間としての功績を与えることができれば・・・あるいは」
口元に手を当てて、考え込む李牧。カイネは自分も役に立とうと、一緒に考え案を出してみる。
「やはり戦争へ参加させるのは難しいでしょうか?」
「それは考えうる限り最悪の一手でしょう。命を奪う行為はさせるべきではありません」
縁壱が戦場に出れば、本気を出せば、屍の山が出来上がることは想像に難くない。しかし本人がそれを嫌がるだろうと、李牧は確信していた。戦果で国に認めさせることは難しい。
「農作物や技術での評価は?」
「それも悪くはありませんが・・・文官になってしまいますと、私たちの影響力の及ばないところで問題が起きるでしょう」
趙の文官達を束ねているのは
「食客として囲い込む手も里を持っているので使えませんし、何より食客では縁が緩すぎます」
春秋戦国時代では、優秀な人材を資金に余裕のある武官や文官が客人として世話をすることがままあった。普段食事の世話をする代わりに、何か問題が起きたとき、手伝ってもらう関係である。縁壱はすでに衣食住の心配が無い身分のため、この手段は使えなかった。
悩んだカイネはあきらめの雰囲気を滲ませつつ話す。
「うーん、今は贈り物で蚩尤様に恩を売っておくくらいでしょうか」
「そうですね、そのくらいしかありませんか・・・カイネ、何がいいと思いますか?」
「えっ!?え、えーと・・・あっ珍しい植物の種とかはどうでしょうか?育てるのが好きそうな方でしたから」
李牧に突然頼られて、顔を赤らめながら必死に考えたカイネ。カイネの出した案に李牧は悪くないと思い、カイネを褒める。
「素晴らしい案ですよカイネ。そうしましょう!植物の種と、あと珍しい動物でも見つかれば雌雄で送りましょう」
「は、はいっ!私もお手伝いします!」
晴れ晴れとした表情の李牧に、踊りだしそうな体を必死に抑えてついていくカイネ。朝の陽射しの中、山道を二人は下っていく。
その二か月後、秦の丞相、呂不韋が趙臣、春平君を攫った。呂不韋は悼襄王に、春平君を返してほしくば李牧を使者として送るように要求した。
紀元前243年始皇四年 趙は秦に李牧を護衛する軍を派遣。 秦と趙は秦の都、
割符 この当時は文書を書いた竹簡を横に割って作っていたらしい、なので一冊と数えています。
趙の官僚制度 情報が全く無い。理由は秦の始皇帝の焚書坑儒で貴重な当時の史料が全て燃えたから。・・・これは人は光ですね()
継国縁壱 「道を究めた者が辿り着く場所はいつも同じだ」・・・?あなた、道を進んでますか?空飛んでない?