趙の都である邯鄲は、約百五十年前に都と定められた歴史ある都市である。
その後、五十年は持ち堪えるが秦の名将、白起によって歴史に名を残す長平の大敗北を喫す。
趙の最大の問題は、王に恵まれなかったことであろうか。
名君、武霊王の最期は子に包囲され餓死。餓死させた恵文王は父親ほど戦が上手くなかった。次代、孝成王は長平での忌々しい敗北を引き起こした。
邯鄲へ着いた縁壱達は、李牧の案内で宮殿の一室へと入った。三大天としての布告をするための事務処理を行う部屋である。壁に並ぶ竹簡の山が、執務の忙しさを現しているように見えた。
「では、これで大丈夫です。わざわざご足労ありがとうございました」
「構いません、あとは武官への顔見せでよろしいでしょうか?」
執務を終えた李牧は、縁壱へ頭を下げる。縁壱も頭を下げた後、次の予定を訊いた。
「ええ、ささやかながら酒宴を開きますのでご案内します」
「武官だけ、でしょうか?王や文官への挨拶はいいのですか?」
「・・・そうですね、話しておきましょうか。現在の趙王はかなり気質に問題がありまして、また文官の長である
「王の話は風の噂程度に、聞いたことが」
李牧は自身の仕える王の醜聞が、蚩尤の里へまで広がっていることに苦笑いを浮かべるしか無かった。
(悼襄王の噂はすでにそこまで広がっていましたか・・・)
「ですので、蚩尤殿が会ってもあまり良いことはありません。できるだけ早く宴会場へ行ったほうが良いでしょう」
「わかりました」
李牧は縁壱を連れ立って宮殿の外に用意した宴会場へ向かう。部屋を出て廊下を歩いていると、カイネが走り寄ってくる。その切羽詰まった表情に、李牧は早々に嫌な汗を掻いた。
「悼襄王が、呼んでます」
「・・・今は桃泉殿のはずでは?」
「あのくそ、いえ郭開が珍しい服装の男がいるとか何とか言っているのが聞こえました」
「蚩尤殿を呼び出そうと?」
「恐らく、王の不興を買わせて、李牧様に汚点を作ろうとしているのかと・・・」
カイネは苦しそうな顔で縁壱を見た。思わず李牧は天を仰いでしまう。
謁見殿は煌びやかな装飾で彩られ、奥の一段高い場所に玉座が設けられていた。脇には文官達が並んでおり、玉座の隣に大臣、郭開が立っている。
玉座にだらりと座る悼襄王。脇の従者に甕を持たせ盃をあおっている。血の気の引いた青白い顔で、にやにやと笑っていた。
「ずいぶんと遅かったなあ李牧よ、待ちくたびれたぞ」
「申し訳ありません、準備に手間取っておりました。王の御前に汚れた格好で出るわけにはいかなかったもので」
「・・・まあよいわ、春平君を取り戻した功績に免じて遅参は許してやろう。それで?」
「それで、と言いますと?」
李牧の頭へ盃がぶつかった、泥のような酒が頭を濡らす。後ろで跪いていたカイネが殺気立つのがわかった。
「馬鹿が、さっさと新しい三大天の蚩尤とやらを出せ。牢へ入れられたいか?」
「・・・は」
くすくすと従者たちが笑う声がする。李牧がカイネへ合図を送ると、カイネが立ち上がって縁壱を呼びに行った。
(なんとか・・・切り抜けなければ・・・)
しばらくして、縁壱が入ってくる音が聞こえた。悼襄王の興味を引かないように、縁壱は用意した服に着替え、刀もカイネに預けていた。
「蚩尤と申します」
頭を下げたまま入ってきた縁壱が言うと、悼襄王は面白くなさそうに郭開を見た。
「おい、この男が新しい三大天か?お前から聞いた話と違うではないか。奇天烈珍妙な姿をしていると言ったのはお前であろう」
「は、間違いなくこの男だとは思われますが・・・」
郭開は縁壱の髪と顔の痣を見ながら、悼襄王へ弁明する。
「おそらくは李牧殿が隠したのでしょう。先ほど時間がかかったのはその所為かと」
「ちっ、おい李牧よ。今の話は真か?その男の本当の格好を見せてみせよ」
苛立ちを隠せず、李牧を睨む悼襄王。李牧はこれまでの幸運をすべて失う覚悟をした。
(あの刀や、着物というものを見れば欲しがるに決まっている。だがそれは蚩尤の里との決別を意味しかねない・・・)
「恐れながら・・・」
「?・・・おい、なんだ貴様、ちっ不敬者が・・・李牧!蚩尤とかいう田舎者に作法すら教えておらんのか!」
「っ!?」
突然怒りだした悼襄王に慌てて縁壱の方を見る。頭を下げていたはずの縁壱が、立ったままじっと悼襄王を見ていた。
「し、蚩尤殿!いけません。王を許しが無ければ直接見ることは不敬と・・・蚩尤殿?」
李牧の言葉にも一切耳を貸さず、縁壱は悼襄王を見る。我慢できなくなった悼襄王が衛兵を呼ぼうとしたとき、縁壱が呟いた。
「慢性の・・・金属水銀・・・ヒ素もあるのか・・・」
「蚩尤殿・・・?」
「悼襄王殿、肌が乾燥しますか?」
「は?・・・何を、言っておる?」
縁壱の瞳は、悼襄王の身体を診ていた。突然の質問に悼襄王は不敬も何もかも一瞬忘れる。
「尿に血が混ざることは?腹痛や下痢、強い不快感は?」
「・・・・?」
「貴様!王に向かって何という口の利き方をしておる!誰かおらんか、不敬者ぞ!捕らえよ!」
戸惑う悼襄王の代わりに、激高した郭開が叫ぶ。ばたばたと戸の外で走り回る音がした。
「悼襄王殿、私は病弱だと聞いておりました。ですが、そうでは無かった。毒です」
「貴様っ!衛兵、早くせよ!」
がたんと扉が開いて二人の巨漢が入ってくる。巨漢は二人とも赤い甲冑を身に纏っていた。
「衛兵は来ぬぞ、我らの私兵が止めている」
「なっ、ぎょ、
「ふっ約束の日だ、我らはずっとこのときを待っておった」
「?・・・何の話をして」
「我らが殿の遺言だ。赤雲に乗った軍神の化身が邯鄲に至るとき、全身全霊を持って助力せよ。・・・我らはただ従うのみ」
二人の巨漢は名を、尭雲と
ただ事で無い事態に、ようやく悼襄王の脳が動き出す。縁壱の傍まで来ていた尭雲へ質問する。
「赤雲、軍神・・・?」
「
「・・・いや知っている。黄帝と戦った神であろう?名は確か・・・蚩尤」
悼襄王が縁壱を見た。訝し気にしながら更に尭雲に問いただす。
「この男が軍神だと・・・?」
「間違いありませぬ。我らは李牧殿から話を訊いた時から、蚩尤様を調べておりました」
「・・・それで?この者に味方して俺を狙うのか?」
深い闇を湛えた瞳で、悼襄王は謁見殿にいる男たちを見る。
「それは蚩尤様次第でございます」
悼襄王の視線を意にも介さず、尭雲は答えた。突然、知らない男達から傅かれ、様付けで呼ばれて混乱していた縁壱に、李牧が声を掛ける。
「蚩尤殿、よくわかりませんがこれは好機です。蚩尤殿がされたいことはありますか?」
「・・・では、悼襄王殿を治療させてもらいたい」
「何?・・・ふふっ蚩尤、お前は俺を治せると?」
馬鹿にしたように鼻で笑う悼襄王を、真剣に見詰める縁壱。
「難しいでしょう。有効な薬がありません、自然な体外排出に委ねざるを得ない」
「・・・?まどっろこしい、治せるのか、治せないのかはっきりせよ!」
「完治は難しい。ですが、治療すれば今よりは確実に良くなります」
淀みなく紡がれる希望の言葉に、下を向き、指を噛む悼襄王。
「俺は・・・幼いころよりずっと病に侵されている・・・信じられんな」
「それにしては、肉体が健康すぎます。長い間病に臥せった人はもっと痩せています」
縁壱の言葉に、顎に手を当てて考え出す悼襄王。その瞳には微かな光があった。郭開は考え出した悼襄王を見て、いよいよ焦りだした。
「陛下!このような素性の知れぬ者の言うことを聞いてはなりませぬ!」
「わかっておるわ・・・だが、俺を治せるというのであればやらせてみるのも良かろう?」
「なりませぬぞ!治療と称して何を盛られるか!」
「
素直に治療方針をぺらぺら答えだした縁壱を、悼襄王は興味深そうに見た。
「気を静める?俺がイカれているからか?ああ、気にするな。皆そういっておるし、俺もそう思っておるわ」
かかと笑う悼襄王に、無表情のまま縁壱が返す。
「水銀の中毒症状に人格の攻撃的な変化があります。悼襄王殿、自身の異常に自覚があるのであれば、本当の意味で狂ってはいないということです」
「・・・・・・そうか」
「陛下!そもそも水銀は不老長寿の万能薬でございます!あの男は嘘を並べ立てて騙そうとしているのです!」
「と、言っておるが?」
「水銀、丹砂は猛毒です、それとヒ素、雄黄も。確か・・・周来、いや
「ああ、周官は聞いたことがあるな、偉大なる周公旦の記した儒教の経典だったか・・・くくく、郭開、次はお前の番だぞ?」
追い詰められだした郭開は、なりふり構わず情に訴えかけ始めた。
「陛下!私は大臣として、陛下が幼少の頃より今まで、誠心誠意お仕えして参りました。私が陛下に損になるようなことしましょうか?いや、決して致しません!」
「ふむ・・・」
郭開の熱弁に、頬杖をついて思案する悼襄王。縁壱は補足の説明を始めた。
「それと、悼襄王殿。毒は長い時を掛けて、少しづつ身体へ入っています。もし治療するのであれば、一度王宮からは離れたほうが良いかと」
「む・・・俺から桃泉殿と快楽を奪う気か?」
「桃泉殿が何かは存じ上げませんが・・・どこから毒が入ったのかわかりません」
ずいと身を乗り出した悼襄王は、縁壱へと質問する。
「蚩尤、原因は何だと考える?」
「・・・かなり長期間に渡って、人為的に調整された量が入っているように見受けられます」
「なるほど・・・郭開、お前とは確かにずいぶんと長い間共に過ごしたな・・・」
懐かしそうに、歪な笑顔で悼襄王が笑った。額から大汗を垂らしながら郭開は自身が疑われていることに気が付く。
「陛下・・・まさか、私をお疑いに?あのような下賤の者を信じるというのですか!?」
「まあ、確かに素性は知れぬが・・・あの藺相如の配下が味方しておるぞ?」
「うぐ・・・それは、その・・・陛下、私を罰すると・・・?」
悼襄王は玉座に深く座り直し縁壱と郭開を交互に見る。目を閉じて、じっと数十秒ほど考えた。
「いや、罰しはしない。だが、蚩尤の言うことが嘘である証拠も無い。蚩尤、治療が効果をみせるまでどれ程かかる?」
「されば、三か月ほど頂きたいです」
悩まし気に眉を歪めた悼襄王は、深く息を吐いた。
「俺に・・・天が与えてくれたものは、桃泉殿と美しい少年達だけだ・・・俺の身体に天は・・・」
ぼうっと天井を見ながら呟く悼襄王。縁壱は悲しそうに彼を見た。本当に美しいものを彼は知らないのだと思った。
「悼襄王殿、天は貴方へ命を与えています。・・・命とは、ただ在るだけで美しい。不老とまではいきませぬが、長寿はお約束致しましょう」
「・・・・・・良かろう。何処へなりとも連れてゆくがよい。その代わり、少しでも悪化すればお前を処刑する」
「構いません」
一切の躊躇なく、縁壱は承諾した。隣で李牧が慌てて縁壱を説得しようと小声で話しかけるが、縁壱は努めて無視をした。
縁壱にとって目の前の男は趙の最高権力者でも、暴虐非道な暗君でも無かった。
ただの患者であった。
郭開を始めとした大臣達はその後も騒いだが、尭雲が一喝して黙らせる。事後処理は尭雲一派が引き受けることになった。
悼襄王は療養のため、蚩尤の里へ移動する。
「風呂が狭い、部屋がぼろすぎる。蚩尤!どうにかせよ」
「まことに残念ながら、建て替えるための人と資金が足りないので無理です」
「・・・李牧っ!国庫からありったけ持ってこい!ここは王の居場所だぞ!こんなみすぼらしい場所へ住めるか!」
縁壱が作った料理を食べながら、悼襄王が叫ぶ。彼にあてがわれた建物は、広さこそそれなりだが急いで作られたため、宮殿に比べて遥かに貧相だった。
「は、急いで王に相応しい住居を建てさせます。もうしばらくお待ちください」
「急がせろ、雪前に間に合わなかったら死刑にするぞ。蚩尤、まだ食える。寄越せ」
「揚げ物は油分が多いので駄目です」
「・・・ちっ」
食事を終えた悼襄王が、私室へ戻っていく。おそらくは温泉へ向かうのだろう。李牧は去っていく悼襄王を見ながら、縁壱に話しかけた。
「自らの・・・浅慮さには、誠に恥じ入るばかりです・・・私は、王を既に・・・」
「健全な精神は健康な肉体にしか宿らないものです。日々の小さな苦痛は、悼襄王殿をゆっくりと蝕んでおりました」
「ええ、きっとそうだったのでしょう・・・蚩尤殿、国を代表してお礼申し上げる。感謝を」
頭を床につけて、李牧は縁壱に礼をする。知らず知らずのうちに国難の原因を自らが仕える王へ擦り付けていたことに気づき、李牧は自身の悪徳を痛感していた。
「私は、ただ医師としての務めを果たしたにすぎません」
「ふふ、だからこそ私は礼をするのです。趙の者は皆、あの方を王としてしか見ていなかった。ですが貴方だけは、一人の人間として見ていた」
救われてばかりだ。李牧は口の中でそう呟いた。頭をあげ、晴れやかな顔で縁壱に今後の予定を告げる。
「蚩尤殿、私はしばらく邯鄲にいます。この期に
「・・・一度に多くの官僚を免職させて、国政は回るのでしょうか?」
「そうですね・・・邯鄲の地下牢には多くの優秀な国士たちが捕まっています。彼らを外へ出すことができれば・・・」
顎に手を当てて考える李牧を見て、縁壱は何かを思いついた。
「ああ、なら私が悼襄王殿に頼んでおきましょう」
「よろしいのですか?」
「ええ、ちかごろ悼襄王殿は料理に夢中なので、何か新しい料理と引き換えにすれば恩赦くらいは出してくれるかと」
「それはまた、なんというか・・・蚩尤殿、重ね重ね感謝を」
未だに気性の激しい悼襄王ではあったが、縁壱の治療と蚩尤の里の穏やかな空気が少しづつ王の症状を改善させていた。同時に、王の滞在地となった蚩尤の里は、国家主導の下の整備が進む。
今まで、里の規模の関係でできていなかった産業や研究が、急速に発展しだしていた。
白起と長平の戦い
史実では二十万人が生き埋めになったと言われているが実際はもっと少ないと思う。ただし生き埋めで少なくない人が死んだのは事実で、今でも長平の村々では白起の首という饅頭を作っている。(怖い)
桃泉殿
原作で悼襄王が入っていたでっかいお風呂。
藺相如
完璧という言葉の語源になったことで有名な人。本物は未来予知できないが度胸が凄い。
山海経
戦国時代からあった最古の地理書。空想的な絵物語だったが絵はすでに喪失。
周官(後に周礼)
周の王族、周公旦の書いたといわれる本。なんか色々書いてある。
昔と今で名前が違うらしい、教えてくれた神坂様へ感謝。
五毒
周礼に書いてある、鴆毒の作り方に載っている毒物。体にとっても悪い。水銀、ヒ素も入ってる。
蚩尤
山海経に載っている軍神の名前。黄帝と戦ったが、日照りの神様の力で負けた。あ、ふーん・・・
揚げ物
この時代にはない、はず・・・
悼襄王の病気について
この二次創作で一番悩んだ部分。
最初は何の病なのかを真剣に調べていたが、この王様咳もしなけりゃ、吐血もしない。体は肉が付いてて健康そうだし、性欲もありそう。その上息子の耳を噛み千切れるくらい元気ときている。
そこで毒なのでは?と思った。
因みに最後の毒殺も、毒の成分がわからなかった。あの毒なんなんだ・・・?
きっと私は世界で一番悼襄王の診断を頑張った人だと思う。
ヨッサン様、誤字脱字報告ありがとうございました。全話修正をしています。あんなミス恥ずかしい・・・