キルヒアイス推しの女オタクが作中に転生したので推しの幸せを守るために奔走したいと思います 作:響谷
帝国暦488年1月。皇帝の挙式に次いで新年の行事が多数執り行われる。ラインハルト独裁体制下での質素倹約と、女帝が象徴する旧体制の豪華絢爛の折衷型とも言うべき様式でさまざまな社交場が設けられた。
「皇帝陛下にはご機嫌麗しく。さすが年頃と言いますか、日々お美しくおなりですなぁ」
帝国でも有数の名門マリーンドルフ家の当主、マリーンドルフ伯が屈託のない調子で笑う。彼の隣に並んで皇帝に礼を示しているヒルデガルド嬢の方が、世間一般には皇帝より美女と評されるはずだ。それでもエリザベートは微塵も卑屈さを見せずふわりと笑って女になったからかしら、なんて軽口を叩く。
エリザベートの立場は非常に微妙なものだった。ラインハルトに忠誠を誓う臣下たちは腫れ物を扱うような目で見て近寄らないし、ブラウンシュバイク公をはじめとする旧体制に連なる者たちにとっては恋に狂った裏切り者だ。社交の場に出るのは義務であったがそれほど楽しい場になるはずもない。それでも若い娘に同情しつつ気を遣い、または皇帝の地位に阿って相手をしてくれる貴族はそれなりにいた。
「皇帝陛下。不肖の我が身にこのような場への出席をお許しいただき、感謝の申しようもございません」
敬礼しつつこちらに身体を向けるのはメルカッツ提督。ふと気になって彼が出席するのかを確認したところ招かれていないことが発覚したので、マリーに相談して招待状を出しておいたのだ。確か作中では頑固で融通がきかない性格、ゆえに出世が遅れているが実力と戦歴を見ればとうに元帥になっていておかしくない人物とされていた。皇帝という志尊の頂きに対する忠誠心はかなり強いと記憶している。
「そんなこと、気になさらないで。来てくださって嬉しいわ。提督は遠慮してしまうんじゃないかと心配していたの」
内戦が起こらないのであれば彼は帝国に残ってくれる、はずである。しかしそうなると今後への影響が気掛かりだ。彼は簒奪者ラインハルトの下にいるより、同盟に行ってまったく違う価値観と行動原理を持っている人々に触れた方が幸せなのではないだろうか……などといろいろ考えてしまい、つい顔を見ておこうとわがままを言ってしまったのだ。
「皇帝陛下直々のお招きとあれば戦場からも駆けつけましょう。ときに陛下、連日の祝賀会にお疲れではございませんか。僭越ながら小官はお若い御身が無理をなさっておられないかそればかりが心配で」
「さよう、身辺にもさまざまな変化がおありでしたからな。何事も無理は禁物です」
まるで父親がふたり並んでいるみたいだ。メルカッツ提督とマリーンドルフ伯が頷き合ってひたすら純粋に心配してくるのをエリザベートはくすくすと笑っていなしていく。皇帝の地位に目が眩んでおべっかばかり並べ立てる連中に囲まれているより、じゅうぶんに思慮深く賢明であることがわかっている彼らと話している方がずっとストレスは少なかった。
「殿下。陛下のもとにおられなくてよろしいんですの?」
皇帝への挨拶を済ませたヒルダは、2階のバルコニーから会場を見下ろしているラインハルトに声をかけていた。先帝が崩御した瞬間から情勢を観察し、展開を読んでいたマリーンドルフ家は数ある帝国貴族の中でもいち早くラインハルトの下に参じた。先帝の孫娘ではなく、いずれ頂点を極めるだろうラインハルトに直接忠誠を誓うと初対面から明言したために、ヒルダはラインハルトの信頼を得て主席秘書官を任される立場になっている。
「……ふ。あなたらしくもない問いだな。我々に夫婦としての実態などないことはとうにご存じだろうに」
冷然とした笑みで応えるラインハルトに、ヒルダは微かに眉を下げた。ため息を堪えるような主席秘書官の表情にその内面を読み取って、ラインハルトはいささか申し訳なさそうな微笑みを向ける。
「同情を向けておられるのかな。あなたは女性だ、割り切れないこともあるということか」
困ったように笑いつつも相手の言葉を否定しないで、ヒルダはラインハルトと同じように眼下に広がる景色を見下ろした。いくつもの部屋にまたがる会場の中心にあたるこの部屋では、上等な燕尾服に身を包んだ幾人もの給仕が豪奢に着飾った貴族たちの間を忙しなく動き回っていた。
「私は、恋を知りません。けれど何かをひたむきに求めたのなら、手に入れるものがあってもいいと思いますの。彼女はまだあまりにも若い。さすがにこのように近くで見てしまいますと、考えるものがありますわね」
むろん、ヒルダにもわかっている。他の誰よりわかっているかもしれない。ひとりの少女を踏み台にしてラインハルトは新体制を求めるし、それを助けることこそがもっとも理に適うことだ。帝国250億の民の繁栄と安寧のために1人2人を切り捨てて進める道があるのならヒルダは迷いなくその道を選ぶ。ただヒルデガルド・フォン・マリーンドルフという女性は、オーベルシュタインほど自覚的に心を捨てているわけではなかった。
「あなたの父君もそのように感じておいでなのかな。よく皇帝の相手をしてくれている。彼女も慰められているようだし、あなた方には感謝しなければならないな」
半分は本心であったろう。エリザベートのことは愛してもいないし気にかけてもいないが、一時的とはいえ皇帝という立場を与えた以上癇癪を起こされても困る。まったくエリザベート個人を想うことのない相手の態度に苦笑いを溢して、それからヒルダはその顔に真剣さを湛えた。
「その父のことで少しご相談が。いえ、父が受けた相談のご相談と言うべきですか」
「ふむ? 何かな」
「先程、メルカッツ提督がどこか覚悟を決めたような表情で父に溢したとのことなのです。門閥貴族の反乱に加わるように、妻子を盾にとって脅されている。今夜が皇帝陛下に見える最後の機会になるだろう、と」
ヒルダの言葉に、ラインハルトはすっとその目を眇めて下劣な手段を取る敵に対する軽蔑を露わにした。何を言わずとも相手を震え上がらせることができるほど冷たい気配を滲ませて、独り言めいた罵倒がその口から飛び出していく。
「下衆が」
隣に秘書官がいることを思い出してすぐに罵詈雑言の続きを引っ込ませると、彼は少年のような表情で疑問を口にした。
「だが、なぜメルカッツは私に訴えてこないのだ? 今夜を最後に姿を消す気でいるなど、よほど追い詰められているのだろう? そのような不当な脅しを受けているなら然るべき場所に助けを求めるのが筋というものだろうに」
他人の心の機微にはどうにも疎いところがあるラインハルトを見てとって、ヒルダはわずかに微笑みつつ聡明な光を宿す瞳を主に向けた。
「もし殿下が上級大将の階級であられた時、姉君やキルヒアイス提督を人質に取られたら如何なさいますか? 日頃から姉のおかげで出世したと侮られている状態で、たとえば先帝陛下に助けを求めたりできたでしょうか?」
「……。できないな……」
姉上やキルヒアイスを危険に晒す敵を直接倒しに行く、と答えるラインハルトに頷いて、ヒルダは眼下に見える渦中の人に目をやった。
「メルカッツ提督は武人であられますから……私事で周囲に助けを求めることを恥とお感じになられるのでしょう。しかしこちらから手を差し伸べるなら別です。メルカッツ提督のような方を門閥貴族に渡してはなりません」
ヒルダの言わんとすることを理解して、ラインハルトは早急にメルカッツを窮状から救うことを約束した。側に控えていたオーベルシュタインの配下に然るべく処置するよう耳打ちを済ませると、それにしても、と金髪の宰相は首を傾げる。
「メルカッツはよくもマリーンドルフ伯に溢してくれたものだ。伯の誠実な人柄ゆえかな」
社交辞令以上の感心を含めてそう言うラインハルトに恐縮を示しつつ、ヒルダは悪戯っぽくその肩を竦めた。ラインハルトが宮廷を主戦場と定めてから、マリーンドルフ伯は娘によく社交場に引っ張り出されるようになった。本人はともかく、ヒルダについてはこれらを確信犯でやっている。
「父はあのようにぼんやりして見えますからさまざまな人にさまざまなことを打ち明けられやすいのです。そういう意味では、社交界というのは父に向いた戦場なのかも知れません」
その目を見開いて、やがて得心したようにラインハルトは足下の会場を見回した。ラインハルト麾下からはフォンの称号を持つオーベルシュタイン、ロイエンタールの両名が主に本来の戦場と兼ねてこの宮廷闘争に挑んでいる。今夜もそれぞれに貴族たちの相手を務めているのが見えるが、彼らに比べるとマリーンドルフ伯のこれまでの戦果は群を抜いていた。
「我々は下級貴族と平民が起こした派閥であるゆえに、どうしても得意分野というものには偏りが出る。早い段階であなた方父娘を味方に得られたのは望外の幸運であったな」
人畜無害そうな顔をして相槌を打っているかの伯爵と、迸る才知にその目を煌めかせている娘を見比べて、ラインハルトは静かに瞬きをしながら満足気な笑みを浮かべた。