キルヒアイス推しの女オタクが作中に転生したので推しの幸せを守るために奔走したいと思います 作:響谷
辺境星域の駐留艦隊に所属していたケスラーがラインハルトからの指名を受けて帝都に呼び戻され、少将から大将に特進し提督の列に加えられたのはつい近日のことだ。同じく唐突に大将の階級を与えられラインハルトの元帥府に招かれたナイトハルト・ミュラーは、軍歴に見劣りする自身が他の提督たちと肩を並べることに恐縮しきりであった。己の能力にはそれなりに自負があるし、見込んでもらったのなら全力を尽くす所存であるが、華々しい活躍で武名を知られている諸提督方からは侮りを受けたりいじめられたりするのではないだろうか。そんな本人の不安をよそに、年長者たちはやたらと先輩風を吹かしたがるし酒を奢りたがった。総じて平均年齢の低いこの宰相府で自分より若い僚友ができたことを全力で楽しんでいる節まである。今夜も海鷲では誰がミュラーの酒代を持つかを賭けて三次元チェス大会が開かれていた。
「なぜ毎回チェスなんだ! おれに不利すぎる!!」
「強くなればよかろう」
「指揮官に必要な素質の一つではある」
真っ先に必要数の白星を確保して勝負から抜けたロイエンタールとメックリンガーが高みの見物を決め込みながら冷静なコメントをしている。相撲がいい、と駄々をこねるビッテンフェルトは現在のところ最下位で、この順位のままゴールインすることは確定的な未来であった。
「おれもダーツがいいな」
「「「いやいやいや」」」
冗談めかしてボヤいたルッツに、総員からツッコミが入る。年齢も出自も得意分野も様々だが、この職場では相当フレンドリーな人間関係が築かれているようだ。毎度固辞しているのに無理やり奢られているミュラーは、若干面食らいながらもその空気に馴染みつつあった。
「よしよし、なんとか3番手か。悪いな諸卿、家内が待っているのでな、あとはゆっくりやってくれたまえ」
ふー、と安堵の息を吐きつつワーレンに勝ち越した盤面の前から立ち上がって、ミッターマイヤーが自分のコートに手を伸ばす。親友の勝ちを見届けた段階でロイエンタールがそれに便乗しお暇しようとするのも恒例で、彼らは自身の分にしては少し多い気がする額をカウンターに置いて帰っていく。ミッターマイヤーは既婚者だからいいにしてもロイエンタールはなんなんだ、やはり待たせている女がいるのか、と声高に悪口を言うビッテンフェルトを宥めつつ独身者たちの宴は続く。
「ファーレンハイト提督は呼ばなくてよろしかったんですか?」
見物客になっているメックリンガー提督に近づいてそう訊いてみると、彼は上品に微笑んでブランデーを傾けていた。
「呼びましたよ。ただ新たに賜った艦隊の編成に時間を取られているようで、また誘ってくれと言っていました」
圧倒的多数を指揮していたとはいえミッターマイヤー提督はさすがで、反乱軍を率いていたファーレンハイト提督の攻勢をいなしつつ補給路を断つ戦法を取ったらしい。そこから泥沼の展開にならなかったのもファーレンハイト提督の冷静な判断の賜物で、双方有能であったからこそ早期に戦闘が終結したのだと宰相殿下も認めているところだ。
門閥貴族が表立って我らに楯突くのはこのシャンタウ星域の反乱が最後になるだろう、とラインハルトは政治的にいちおうの区切りをつけた。ブラウンシュバイクはその所領とそこに駐留する軍との繋がりを物理的に絶たれ孤立している状態だ。大規模な戦闘は終結し、あとは宮廷内において門閥貴族の勢力を駆逐していくだけ。ラインハルトは麾下の提督たちの階級を一つずつ上げ、ローエングラム体制を盤石のものとしつつあった。
「それを言うなら私も多忙なのですが……」
「ケンプ提督は衛星軌道上の警備にあたっていますし、ケスラー提督に至ってはこの時間も執務室にいるのではないでしょうか。彼は帝都防衛司令官の職にもありますし、多忙さにおいては総参謀長殿に並ぶのではありませんか」
ミュラーの控えめな抗議は聞こえなかったことにして、メックリンガーはこの場にいない僚友たちの事情に言及する。ルッツと相矢倉の接戦を演じ始めたワーレンがそうだな、と呟いて観客たちの話題に反応した。
「当座の処置でロイエンタールに任されていた皇宮の警備もケスラーの指揮下に組み込まれるらしい。つまらぬ仕事から卿を解放してやれる、と殿下がそうロイエンタールに仰っていた」
それならおれも聞いた、ケスラーとは相当な男のようだな、と口々に新たな僚友の噂話に興じていく彼らの夜は平穏に更けていく。ようやく辿り着いた咲き誇るべき日溜まりの中で、すでに不穏の芽が顔を出していることに気付いている者はこの場にはひとりもいなかった。
「あまり入れ込まぬことだ」
ミッターヤイヤーと共に席を辞して、仕事のため一度宰相府に戻ったときのことだった。平坦なくせに妙な威圧のある声に呼び止められて、ロイエンタールはその秀麗な顔を顰めつつ開けた回廊に立ち止まった。
「これは総参謀長殿。ご多忙の身で小官に声をかけるとは、これはさぞかし重大な話がおありなのでしょうな」
3月中旬。ケスラーに皇宮警備の仕事を引き継いで、まだ何日も経っていない。ローエングラム麾下の提督たちは全員が1階級昇進したが、この男だけは特別だ。中将から一気に上級大将に昇進しロイエンタール、ミッターマイヤーと肩を並べたオーベルシュタインは諸提督より格上に位置付けられますますラインハルトの影として存在感を増している。
「……あまりケスラーを困らせるようなことはせぬように。柔軟な男ではあるがその職責がいつも彼に寛大であることを許すとは限らぬ」
その忠告の意味に思いを巡らせ眉を寄せていたのも一瞬で、ロイエンタールは即座に相手の言いたいことを理解した。不機嫌を隠しもせず敵意に満ちた表情にその顔を歪め、とんでもなく冷たい笑みをオーベルシュタインへと向ける。
「ほう。卿はその手に持った醜聞でおれを再起不能なまでに叩き潰すことも出来るのに、あえてこの身を案じてくださると。随分と余裕があるではないか」
オーベルシュタインは困ったように眉を下げて、はぁ、と小さなため息を吐いた。そこには反抗期の息子を相手にする親のような情すら滲んでいる。彼にはわからない。このロイエンタールという男がどのような情や覚悟をもって17歳の少女と関係しているのか。だがそれが本物の愛情で、一世一代の大恋愛だったのだとしても、ロイエンタールという稀代の英雄の命と名誉を対価にするには吊り合わないと思うのだ。
「キルヒアイス元帥に並び立てる存在がいるとすればそれは卿らだけだ。今この局面で私が卿を粛清してなんの得があるのか」
宰相府の夜の回廊で、双方の眼が星あかりを映し、火花を散らす。オーベルシュタインは、あるいは心からロイエンタールの身を案じて引き止めていたのかもしれない。しかし何をどう言われたとしても、ロイエンタールの内面にはプライドにやすりをかけられたようなささくれしか残らなかった。誰かの駒になるのはごめんだという反骨精神に薪を焚べられて、目の前の男に対する強烈な対抗意識を自覚する。ケスラーの指揮下に皇宮警備を組み込んだのはオーベルシュタインの采配だ。誰に聞かずともこの瞬間ロイエンタールはそう悟った。皇帝との密会の事実はどこから漏れたのか。推測の域を出ないがおそらく、皇帝の護衛隊長だったオーベルシュタインの犬が絡んでいる。
「それに、卿の罪は間もなく過去のものとなる。過去のあやまち、それも姦通罪などで功臣を処罰するなど愚行の極みというものだ」
鋭く睨め付けてくるロイエンタールの視線をそよ風のように受け流して、オーベルシュタインは無感動に言葉を続けた。どうやってこの澄ました顔の参謀長に噛みつき返してやろうかと猛烈に回転していたロイエンタールの頭が、いっぺんに停止する。過去。この男は今、当たり前のようにそう言ったのか。
「……卿」
そう相手を呼ぶ声に、畏れが混じってしまった。ロイエンタールの瞳に驚愕と戸惑いが浮かぶのを見て、オーベルシュタインはどこか呆れたようにその口端を持ち上げていた。
「主君の妻を寝取るほどの度胸がある男にそのような反応をされるとは心外だ。皇帝位が空かなければローエングラム侯をそこに即けることは叶わぬ、道理であろう」
主君を頂点に導く最短の道を取って、利用できるものは利用し、用が済んだら処分する。オーベルシュタインにとっては当たり前のことなのだろう。まだ10代の少女の恋心につけ込み、伴侶の座を捧げさせ、あまつさえ本人が座る席まで奪おうとする。人の心はないのかと反感を覚えはするが、確かに、オーベルシュタインのやり方がもっとも犠牲が少なく確実で、政治的に正しいということをロイエンタールはその冷たい理性のうちに理解してしまえるのだ。
「あまり入れ込まぬことだ。卿のためにも、彼女のためにも」
彼の声には憎しみも軽蔑もなかった。ただ悼むようにその目を閉じて、オーベルシュタインは忠告を繰り返した。相手の反応など期待していないのか、言うだけ言って踵を返すその後ろ姿を、ロイエンタールは衝動のまま呼び止めてしまいたかった。この時間はなんだったのか。たんに老婆心で声をかけたのか。オーベルシュタインともあろうものが、凡人のように周囲の者へ愛着を持っているというのか。おれの気持ちを慮るくらいなら、平凡極まる自分のことを省みろよ。そうやって怒鳴って肩を掴んで、その痛ましいほどの孤高を引きずり下ろしてやりたかった。しかし同時に、ロイエンタールはオーベルシュタインの己が身を焼くような孤独を好ましく思っていた。それでこそ、と相討つように破滅的な信頼と高揚が全身を貫いて、軟弱な衝動を打ち消していく。おまえはそうやって、痛みを抱いて、自分の命を燃やせばいい。おれもおれで好きに燃え尽きてやる。そうして交わった彼らの影は、夜の中に交差してそのまま離れていった。