キルヒアイス推しの女オタクが作中に転生したので推しの幸せを守るために奔走したいと思います   作:響谷

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帝国暦488年3月21日。皇宮では新年の祝いに勝るとも劣らない盛大な宴が催されていた。

ちょうど2年前のこの日、ラインハルトは爆破テロに巻き込まれて怪我をして、キルヒアイスの肩を借りブラウンシュバイク邸を退去した。もう2年か、とも思うしまだ2年か、とも感じる。寝不足を装って隣に座っているキルヒアイスの肩に頭を預けると、彼は黙って枕になってくれた。

軍事、政治の両大権を手に入れて、この帝国内を実質的に独裁しているのがこのおれ。ローエングラム侯ラインハルト。一心不乱に走り続けて、ここまで来た。ずっとずっとそうやって永遠にどこか遠く、高いところを目指して走り続ける、ような気がしていた。

──そのあとはどうするの?

美しく、やわらかで、でも芯の強いあの人の声が耳の奥で鳴っている。

──そしてそのあとはどうするの?

大好きだけど、少し怖いあの人の、こちらを不安にさせる問い。母というものがいたらきっとこんな感じなのだろうな、と思う。あのときは一顧だにするまでもないと聞き流した問いが、なぜだか今になって浮かび上がってくる。姉上は私の弱さも恐れも卑しさも、すべて見抜いておられるのだ。この闇の淵へと指の一本でも堕ちたなら、姉上は私をお嫌いになるだろうか。なぁキルヒアイス、おまえはどう思う。口に出さない問いを胸の中だけで呟いて、友の肩に額をすり寄せた。甘えるラインハルトの肩に手をやって、やがてキルヒアイスは着きましたよ、と優しく囁いた。

「フロイライン。御身のご生誕の日、心よりお祝い申し上げる」

その白魚の手をとって跪き、儀礼的なキスを贈る。皇帝をお嬢さんと呼び続けることについて、ラインハルトを咎める者はひとりもいなかった。もはやふたりの間のことは夫婦の問題であるし、結婚前と呼び方が変わらない男女というのもあるだろう。暗がりを探す方が難しいというほど煌びやかに飾り立てられた夜の庭園で、ラインハルトの視線を浴びるその少女はくすぐったげにその手を引いてしまった。

「ありがとう。あなたも先週がお誕生日でしたわね? おめでとうございます、ラインハルト様」

なぜパーティーを開かなかったのか、なぜそれを自分に仕切らせてくれなかったのか、という嫌味かとも思ったが隣のキルヒアイスの反応を見るにそういうことでもないらしい。素直に照れたような笑みを浮かべて祝われたり、祝ったりしている目の前の少女を見下ろしてラインハルトは幾度目とも知れない違和感に首を傾げる。自分は恋を知らない。それがどういうものかわからない身でどうこう考えても仕方ないと割り切ってはいる。でも。この女の内面に興味はないし、特に何かを叶えてやる気もないが、恋する女子とはこういうものなのだろうか。これまで畏れや萎縮を感じたことはあっても、親愛以上の強烈な好意というものを向けられたことはない気がする。自分でいうのもなんだが、夫としては、しかも新婚間もない時期としては、自分は論評にすら値しない最悪の男であるはずだ。怒りや不満を向けられてもおかしくないし、そのくらいの覚悟はしていたのだが。なぜだか彼女は今日もおれとキルヒアイスを見比べ安心したように頬を弛ませている。この女の目的は、自分とはまったく別のところにあって、それが知らぬ内に満たされているのではないかと、不安と呼ぶほどでもない引っかかりがラインハルトの中に残るのだ。それがなんだかはわからないが、何か出し抜かれているような気分になるのは愉快じゃない。この違和感はなんだろう、と頭の隅で考えているラインハルトを無視して、キルヒアイスは皇帝と雑談を始める。

「なにかと不自由はございませんか、陛下」

人も物も金も割いて散々好きにさせてやっているではないか、と思うがキルヒアイスは本気で心配そうに訊いている。こいつは優しいから、誰の目から見ても政略上の道具にすぎないこの女を心から気にかけてしまっているようなのだ。

「いいえ、キルヒアイス元帥、不便なんかないわ。ありがとう」

蕩けるように微笑んで彼女は両手を胸の前に合わせている。キルヒアイスに向けるその表情はなかなか可愛らしいと思う。最近は女性といえばフロイライン・マリーンドルフばかり見ていて、その知的なきらめきを女性特有のものと思いがちだが、このエリザベートにそのような輝きはない。貶しているわけではないが、ラインハルトがなんとなくイメージする女の子ってこんなものだろう、という偏見にけっこうな割合で合致するのがこの少女だった。そこまで思慮深いわけではないが馬鹿でもなく、愚かかもしれないが情念に一途。自身の欲が満たされればそれで満足していられるというのは軽蔑に値するが善人の条件の一つではあるだろう。彼女本人を見れば、度胸もあるし、決断力も行動力もなかなかで、嫌うほどラインハルトと反りが合わないわけではない気もする。その生まれのせいでたんに興味が不足しているだけかも知れないが。

「ケスラー司令官はよくしてくれていますか? 彼ならば陛下を不快にさせることはないだろうと、ラインハルト様直々にご指名なさったのですよ」

つい昨日決めたことだが、ケスラーは首都防衛司令官職に加え憲兵総監まで兼ねることになった。多忙を極めるケスラーにこの少女の相手をしている時間などないと思うが、キルヒアイスはどうにかしてラインハルトと皇帝の仲を取り持とうとしている。まぁ、そうでしたの、とこちらを見て微笑んでくるエリザベートに何とも言えない顔をしていると幼馴染に腕を小突かれた。

「まぁ、そうだな」

明らかに気のない返事をするラインハルトを見放さずに、キルヒアイスは根気よく会話を続けていく。ご婦人方の世間話を聞き流すときのように友と皇帝の会話を背景音楽にしようと宇宙の彼方に思考を飛ばしかけたが、すぐに聞き捨てならない台詞が意識に届いてきた。

「ラインハルト様と以前から相談していたのですが、私ジークフリード・キルヒアイス直属の部下を数人警備としてお側に配置させていただきたいのです」

不審がって隣を振り返るが、キルヒアイスはこちらに対する説明をしてこない。彼のことだから何か考えがあるのだろうとはわかるが、おれたちはそんな相談したことなかっただろう。

「はぁ」

「むろん、ケスラー司令官を信任していないわけではございません。ただ陛下はもっとラインハルト様に対してわがままを仰るべきです。その取り次ぎをする際に、ぜひ私を利用していただければと考えた次第なのです」

皇帝も突然の具体的な話に驚いているではないか。まぁ別に害になる話でもないし、キルヒアイスが必要と思うならそうすればいいと思う。オーベルシュタイン辺りはまたキルヒアイスの影響力が増すと眉を顰めるだろうが……。

そこまで思考が至ったとき、ラインハルトは無気力に支配されつつあった視界が唐突に閃いて雷に貫かれたように呼吸を止めた。1光秒以内にある音と光が、莫大な情報量となって脳内に流れ込んでくる。咄嗟に隣にいる幼馴染の裾を掴んで助けを求めると、彼は皇帝の方を向いて話したまま優しく、しかし力強い仕草で一瞬だけラインハルトの手を握り返してきた。

「……キルヒアイス」

笑顔で皇帝との会話を終えたキルヒアイスは、迷子のように心細い気配を纏ったラインハルトを人気のない噴水庭園まで連れ出していた。自分の中にある後ろめたさ、闇としか言いようのない部分を、彼に見抜かれていたのがいたたまれなくてラインハルトはこの場から逃げ出してしまいたかった。

「ラインハルト様」

キルヒアイスは優しくおれの名を呼ぶ。同情や、呆れや、痛ましさや羨望をすべて混ぜたそれを隠した声音で、おれに顔を上げるように言っている。

「私を見てください。ラインハルト様」

そっと掠めるくらいに遠慮がちな指先が頬を撫でていった。宥めるように繊細で、しかし絶大な安心感を与えてくる彼の指先を信じて、ラインハルトは縋るような顔を上げ目の前に佇む友を見つめた。

「キルヒアイス、おれ、おれは、」

「言わなくていいのです。ラインハルト様。あなたがそんな顔をして縋ってくるというだけで、私は私の行動の正しさを確信できる」

いつもとは逆だった。キルヒアイスは今にも砕け散ってしまいそうな砂糖菓子にでも触れるかのように、愛しさの溢れる手つきでラインハルトの髪を耳にかけた。聞こえるのは遠くに響く人々の笑い声と、すぐそばの噴水の音だけだった。

「あなたがオーベルシュタイン上級大将をお止めにならないのは、政治的には正しいことなのだと思います。でも、世界は難しく、複雑に出来ていますから、政治的に正しいことが常にあなたの良心にかなうことだとは限らないのですね」

キルヒアイスの声に、叱るような色はまったくなかった。そんな彼がやはり優しすぎて、ラインハルトはぐしゃりと顔を歪めて友の腕にその手を伸ばしてしまう。

「あなたはまだ、私を手放しにならない。私はあなたに、必要な存在なのでしょう」

「あたりまえだ! あたりまえだ、キルヒアイス……おれを、軽蔑するか? オーベルシュタインを止められない、おれを」

あの少女に退位宣言書を書かせればいい、と最初は簡単に考えていた。そこに辿り着くまでが大変なのであって、皇帝の伴侶の座を手に入れ宰相になってしまえばもはやなんとでもなることだろうと軽く見ていた。だが、オーベルシュタインは正論しか言わないのだ。あなたは旧勢力をまとめて駆逐するのではなく、その権威を継ぎ、緩やかに変革していく道を選んだ。エリザベートはまだ、民心の中心にある。彼女を生かしておいては現在においても未来においてもあなたは裏切り者だと謗られ続けるだろう。強引に皇帝位を追われた彼女を、民衆も未来の歴史家も永劫に哀れみ続ける。年端もいかぬ少女を騙して追い落とした卑怯者への不満は必ずどこかで燻り続け、未来への禍根を残す。盗人ではいけないのだ。あなたは、正統なる後継者でなければならない。()()()()()()()()()()。それしか道はない。ひとりの少女を犠牲の祭壇に捧げるとしても、国内を二分するような大戦を起こすよりはずっと高潔な選択であったはずだ。あなたはあなたを誇っていい、と。

「ラインハルト様……そうご自分をお責めになりますな。私はあなたを主人と崇めた。これからもずっとそうです。あなたに主人である重責を押し付けてきたし、これからもそうなるでしょう。私にあなたを軽蔑する資格などありはしません。私は、あなたに必要とされているうちは、あなたの良心として戦います。あなたができないことをして、あなたが言えないことを言う」

その覚悟を決めた声音に、ラインハルトはアイスブルーの瞳を見開いて息を呑んだ。自分の中の矛盾を、キルヒアイスは認めた上で柔らかくて弱い方を守ってくれると言っている。もう一方の、強く残酷な側面もラインハルトの一部だとわかっているのに、そちらに行ってしまわぬよう引き留める役を務めるから、と情の溢れる微笑みを浮かべている。なんて残酷なんだ、と自分たちの友誼にこんな局面が訪れたことにラインハルトは愕然としていた。それでも、こうするしかない。自分の力ではもう守りきれない自分のもっとも内側にあって幼い心を、彼に預けよう。いつも通り目の前の友に甘えることを一切の思考を挟まずに決めて、ラインハルトは泣き笑いの表情のまま半歩だけキルヒアイスの間合いに近寄った。

「キルヒアイス」

「ラインハルト様」

ラインハルトのすべてを許して、キルヒアイスは主人を抱き締めた。オーベルシュタインとキルヒアイスが名実ともに"政敵"となったのは、この夜のことだった。

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