キルヒアイス推しの女オタクが作中に転生したので推しの幸せを守るために奔走したいと思います 作:響谷
「自由惑星同盟が妙な提案をしてきた」
不愉快というより、不可解が勝るような表情でラインハルトは革張りの背にもたれていた。4月上旬。帝都はすでに春の陽気を迎えつつある。窓から射し込む眩しいほどの光を反射して、若き宰相の金髪が音もなく煌めく。ラインハルト自身が輝いているように見えるこの光景を、キルヒアイスは10年前と変わらず愛していた。
「友好親善使節を歓迎する式典は同盟首都ハイネセンで催したい、ですか」
「イゼルローン駐留艦隊のヤン・ウェンリーを通した非公式の申し出だが、彼を窓口にすることの欠点をおれは考慮し損ねていたな……」
書面を見下ろしその内容を瞬時に要約した腹心に頷いて、ラインハルトは拗ねたようにその唇をわずかに尖らせた。ふふ、と思わず微笑んで口もとに手をやったキルヒアイスが、主君の苦悩を言い当てる。
「強く出られないのでしょう? ラインハルト様はヤン大将がお好きですから」
まったくその通りなのでなんの反論もできず、ラインハルトはぐぬぬ、と悔しげに頭を抱えてしまった。
「どうにかしてやつをおれの配下にできんものか。あれと戦うのは、それは甘美な高揚をもたらすし何物にも変え難い愉悦ではあるのだが。すべてを懸けて雌雄を決する戦いをしてみたいと、そう願いもするのだが」
そのギリシャ彫刻のような美貌を本人は気にも止めず、ぐるぐると豪奢な金髪を片手で掻き回している。日に日に戦いの必要性が遠ざかっていく中で、ラインハルトはもはやその人材収集癖にしか正当な欲求をぶつけられないでいる。
「優れた才能を配下に収め使ってみたいと望むのは覇道を征く者の本能だ! あのような者、同盟の腐った為政者どもの好きにさせておくにはあまりに惜しい! どうせならおれのものになればいいのに!」
幼い頃から共にある幼なじみの前でしかこのような率直なわがままは言えない。その傲慢さを許して、好きに言わせておいてあげようと決めているキルヒアイスは柔らかく苦笑いを返しながら確かに、と内心独り言ちていた。確かに、ヤン提督が身近におられればこの、太陽が人格を得て覇気の赴くまま周囲を焼き焦がしているようなお方でも、平時に居場所が得られるかもしれない。自分は結局、平和者主義者であり事勿れ主義者なのだ。ラインハルトを見ているとそう思い知らされる。何かを希求し命を懸ける戦いの中でこそもっとも輝くこの方に、それでも静かな安寧を享受してもらいたいと願うのは不遜なことだろうか。これは近いうちに結論を出さなければいけない事態になるだろうな、と理解しつつ、キルヒアイスは自身の中の命題を一度保留にした。
「帝国と同盟が全面的な講和を結べば、我々の戦うべき敵は秩序の破壊者となります。宇宙海賊や麻薬カルテル、両国の国交正常化に反対する者、さまざまな相手が考えられますがその中で両国が軍事的に協力するという事態もじゅうぶんにあり得ましょう」
楽観的な見通しを述べるキルヒアイスの気遣いに乗って、ラインハルトはとりあえずその方針を目指すことに決めた。
「ヤン・ウェンリーに対する指揮権を握れるような事態になれば、それはさぞ心躍るだろうな……」
目下のところの問題はそれだ、とラインハルトは顎でキルヒアイスの手元にある書面を指し示す。4月2日付けで、ヤン・ウェンリーからキルヒアイスに、という形式をとって送られてきた文書。内容は要約した通りで、親善使節を務めるキルヒアイス自身に許可を求めるものであった。
「おれは民主主義というものの仕組みをよく知らんが、こういうことは一提督に決定権があるものなのか?」
不機嫌そうに眉を顰めるラインハルトを見遣って、キルヒアイスは生真面目に首を振った。
「ないでしょうね。ヤン提督は名前を貸しているだけに過ぎません。その思惑がどこにあるかはわかりませんが、ヤン提督こそが帝国、ひいてはラインハルト様に対してもっとも信頼を得られる個人であると把握している点、同盟政府も冷静だと思われます」
キルヒアイスの柔らかい声音で発される、しかし辛辣な感想にラインハルトは皮肉げな笑みを浮かべた。
「ヤン個人は無茶を言って申し訳ないと丁重に謝罪を加えてきている。イゼルローンでの式典の準備も整えておく、ともな。政府からの正式な申し入れではなく私信の形をとっている以上、ヤンがどう文言を書き加えようと権限を逸脱したことにはならんわけだ」
法を逸脱したイレギュラーな交渉に同盟の腐敗は見て取れても、所詮は他国の事情だ。我々が決めるべきはこの提案を承諾すべきかどうか。それを正確に把握しているふたりは要点の確認に入っていく。
「歴史的に見ても、イゼルローンがもっとも適切な式典会場であるとおれは思う。しかし講和条約の内容が確定するまで軍事的に、かつ政治的にイゼルローン要塞はその扱いが非常に微妙なものになるという同盟側の指摘ももっともなのだ」
その目に冷厳な、為政者としての光を浮かべてラインハルトは手を組んだ。ふぅ……と憂鬱なため息を吐いて、彼はとんとんとそのすらりとした指で自らの手の甲を叩き始める。
「だが、おれはやはりイゼルローンにしたいな。使節に艦隊はつけない。丸腰のおまえを同盟首都にまで送り出す気にはなれん。警戒を招くことになるとわかりきっているのに、よくもこのような提案をしてきたものだ」
ラインハルトには公私混同という概念がない。公が私であり、私が公である人だ。親友の身を案ずる自身の都合を恥ずかしげもなく口にするし、そういうところをオーベルシュタインに疎まれているのだろうな、とキルヒアイスは口もとに慈愛の笑みを浮かべた。
「私はこの申し出、受けてよろしいと考えます」
「なぜだ?」
「おそらく同盟政府は、いえ、同盟市民は、我々を信用できないでいるのです。彼らにとって我々は、大した正当性もなく150年にも渡り侵略戦争を仕掛けてきた征服者でしかありませんから」
む、と子どもっぽく言葉に詰まって、ラインハルトは数秒視線を泳がせていたがやがて諦めたようにそうだな、と小さく呟きを溢した。
「一方的な世界観を押し付けて我々は同盟に対し国としての主権を認めてきませんでした。イゼルローンのような最前線で和平交渉をしたとしても、市民の大部分は安心できないのでしょう」
「……なるほど」
「である以上、こちらから信頼をお示しになるべきです。形式上はこちらが提案した講和でもありますから」
あちらの国では、実情はどうあれ、意思決定権は市民にある。市民が支持するなら、帝国に対する逆侵攻を再び企むことだってあるかも知れない。彼らに信用されなければ一時的な平和だってままならないのだ。
「……キルヒアイス。おまえは正しい。こんなことならおまえを全権委任使節に任命するんじゃなかった」
「ラインハルト様」
わずかに叱るような響きで名前を呼ばれて、ラインハルトは諦めたように肩を竦めた。
「わかっている。捨て駒にしていい部下なんかひとりだっていないさ。おまえがそう言うならオーベルシュタインにも意見を聞きたい、やつを呼んでくれ」
叱りながらも、ラインハルトが自分の身を案じて悩んでくれたことがキルヒアイスには嬉しかった。彼が自分を特別扱いしていることを危険だとはわかっていても、この幸福感を手放す勇気など到底持てるはずがないのだ。彼の傍らに居続けるために必要な試練なら、敵国の首都にだってどこにだって乗り込んでやろう。主君の命令にはい、と慇懃に敬礼して、キルヒアイスは宰相の執務室を辞した。彼はやはり最後まで自らの覚悟と有用性を示すことでしか、自らの立場を擁護する術を思いつかなかった。
「まったく、面倒な時期にイゼルローン司令官の席を押し付けられたもんだなぁ」
ユリアンの淹れてくれる紅茶を受け取りながら、ヤンは首都星ハイネセンから送られてくる新聞を何種か開いていた。
「『同盟史上初、他国との和平交渉へ』、『ゴールデンバウム王朝崩壊か』、『トリューニヒト議長、講和条約の草案作成を指示』……なんというか、驚きです。150年も続いた戦争なのにこんなに呆気なく終わらせることができるんですね」
本能的に違和感が勝っているのか、ユリアンは小首を傾げながら眉を寄せている。ヤンの思慮深さというか、ものごとの見方を穿ちすぎる性格の悪さが移ってしまったのではないか。保護者はやや苦笑しながらふうふうと紅茶に息を吹きかけた。
「平和に至る道をもっとも困難なものにするのは、いったい何者だと思う? ユリアン」
なぞかけめいたヤンの問いに、ユリアンは備え付けのソファーへと腰を下ろしながら真面目な答えを口にする。
「それは、戦争を望む者……ではないでしょうか。憂国騎士団や、昨今では地球教という新興宗教が主戦論の中心にいたはずです」
「地球教なんて、よく知っているね、ユリアン。私よりよほど勉強熱心だよ」
唐突に褒められてわずかにその頰を染めたユリアンが、はぐらかさないでくださいと早口に呟きながらヤンの眺めていた新聞のうちひとつを拡大した。
「小さいですけど、新聞も報じています。いろんなところに広告だって出てきますよ」
生意気にも謙遜してみせる少年がかわいくて、ヤンはつい頰が弛んでしまう。この子にはもっともっと大きくなってほしいとそう望むから、その歳に見合わないような世知辛い話を聞かせてしまうのかもしれない。ヤンはふと、亜麻色の髪の少年に甘えている自分をそう振り返った。彼はいつかきっと、自分を超えて大きくなるだろう。だから私の考えることを、出来る限り伝えておきたくなるのだ。
「それはね、主戦論者というのは厄介さ。でも彼らは自らの精神的な充足を求めているのであって実利的な話をしているのではない。私がもっとも険しい障害だと感じるのは、戦争によって実利を得ている連中なんだ」
その目を上げたユリアンは、打てば響く明快さをもって返答を口に登らせる。
「それは、軍需産業によって生活を成り立たせている人々や政治家のことでしょうか。確かにそのような人たちには、別の生業を見つけてもらわなくてはなりません」
「それもあるね。ただ今回の場合は、一歩引いた視点で、それも国家単位で同じことが言えるんだ」
国家単位。その顎に手を当てて、ユリアンは数秒考え込み、やがてハッと顔を上げてヤンを凝視した。
「フェザーン! 提督が仰りたいのは、帝国と同盟が交戦中である場合のみ国家と同等の力を持つフェザーンの権益が現在侵されつつある、ということですか!」
満足な対話が成立する被保護者に微笑んで、ヤンは宇宙の深淵を宿したような瞳を紅茶の水面へと伏せた。
「うん。だからたぶん、私たちは違和感を持つんだよ。最初は同盟内の主戦派に一蹴されて終わりだろうと思った。今回の講和の申し入れのことだけどね」
ひと口、適切な温度になった紅茶を啜ってヤンはほっとしたようにその眉を下げた。
「だが予想に反して同盟内部、特にトリューニヒトや報道機関は講和に乗り気だ。議会の決を待たずに私に交渉の仲介をさせるくらいにはね。今のところフェザーンに表立った動きはない。彼らは宇宙の、片側のみの交易を担う立場になることに、妥協を見出したんだろうか……」
ふぅ、とどこか遠くを見て息を吐くヤンの懸念を、ユリアンは以後何度も思い返すことになるが、このときの彼らには未だ預かり知らぬことである。