キルヒアイス推しの女オタクが作中に転生したので推しの幸せを守るために奔走したいと思います 作:響谷
帝都の軍刑務所に収監されていたミッターマイヤー少将がロイエンタール少将と、彼の依頼を受けたライキルに救出されたという話はアンスバッハから聞き出した。お父さまの機嫌が悪いけれど何かあったの? としつこく食い下がると15の箱入り娘には何ほどのことも出来なかろう、と諦めたように一部始終を教えてくれたのだ。
「それで? ブラウンシュバイク家のご令嬢が如何な所以があってこのような場所にお訪ねになられたのかな?」
そしてこっそりやってきてしまいました。銀河英雄伝説の主人公、ラインハルトのお宅に凸である。
恐怖すら呼び覚ますほど美しいその造形に冷たい視線を寄越されると流石に萎縮してしまう。それはまぁ、わたしは彼にとっては仇のようなものだ。祖父であるフリードリヒ4世に最愛の姉を奪われ、父であるブラウンシュバイク公とは権力を争う仲。友好的である理由がない。特にわたしが女子であるからには自立した意思の存在など考えもしないのだろう。どんな飛び道具が寄越されたのかと警戒するのは当然のことだ。
「ラインハルト様。そのような尋ね方をされては彼女もお困りでしょう」
そしてきました最推し。だめ。尊い。生きてる。語彙が消失するほどありがたい。柔和な表情の中に滲む意志の強さと鋭さがいっそ蠱惑的なほど人の目を惹きつける。本当に燃えるような赤毛で、アニメとかで見たときよりオレンジがかっている。胸の中に多幸感が溢れてきて涙すら浮かんできてしまうが、わたしはどうにかしてラインハルトに取り入らなければならないのだ。目的を忘れてはならない。上手くいけばキルヒアイスとも少しくらいは時間を共有できるようになるかもだし、ここは耐えるところよエリザベート。
「お許しください、フロイライン。私どもの下宿はご覧のとおり貴人のもてなしには向いておりません。紅茶くらいならお出しできますが」
「お気になさらないで。わたしも長居してはいけないの、無理を言って送らせたから」
どうにか余裕をもって微笑み返して、唯一同行してきた侍女(マリーという)にコートを預ける。最高級の襟巻きをわたしの首もとから取り外して傍に控えるマリーを一瞥し、キルヒアイスに促された椅子に腰を落とす。ラインハルトは未だに敵意あふれる視線を向けてくるが、それでもキルヒアイスの抑えが効いているらしい。どうにかわずかに目を眇めるだけでわたしの着席を許してくれた。
「今回の件、お聞きしました。ミューゼル大将閣下は、討伐軍の無法行為を世間に公表なさるおつもりだとか」
「……そうだとして、それがあなたとどのような関わりがあるのかな? それをお聞きしないことには私としてもお答えしかねる」
ますますその目を眇めて、ラインハルトは冷たい声で言い放つ。もしかしたら年端もいかぬ娘を使った色仕掛けによる懐柔を警戒しているのかもしれない。それはそれで、確かに門閥貴族のやりそうなことだった。
「ミューゼル大将。今回の件を公表なさいませ。わたしは、閣下の活動を支援させていただきたいと申し上げに来たのです」
ラインハルトは眉を寄せ、キルヒアイスですらその目を丸くした。何を言っているんだこの小娘は、という視線を赤毛の側近にやるラインハルトと、わかりません……とやはり視線で返すキルヒアイスの関係はとても眼福だった。
「……フロイライン・ブラウンシュバイク。それはあなたの父君を窮状に追いやる行為だと理解しておいでか。何を目的としての申し出か」
怪訝そうに、しかし威圧感を減じさせないまま黄金の睫毛を瞬かせて彼は訊いてくる。その視線には問答無用で射竦められてしまうけれど、勇気を奮い立たさなければ。この口述試験は最初の関門だ。緊張で手がべとべとだし、おかしなことを口走りそう。どこまで正直に話すか、事前に線引きを決めてここに来た自分へと感謝してしまった。
「わたしは、フレーゲル男爵を父から引き離したいのです。ご存知かと思いますが、彼は未だ嫡男を設けていない父に後継者の如く扱われていますでしょう。このまま何もしなければ、わたしはあの男と結婚させられる。それだけは絶対にいやなのです」
予想外の動機だったのか、ラインハルトはその目を瞬かせた。助けを求めるようにキルヒアイスを見上げて、また微かに首を振られていた。
「今回閣下には、事件の責任を問う際、ブラウンシュバイク公とフレーゲル男爵を同格の主犯として挙げていただきます。……それだけの、お願いなのです」
ラインハルトはその鼻にしわを寄せた。鼻にしわを寄せてすらギリシャ彫刻のような美しさがあるってどういうことなの。最初からそういう作品だったみたいなんだけれど。キルヒアイスがこの幼なじみを天使だと思うのも無理ないのだわ。
「……そしてあなたの父君はあなたの従兄弟をトカゲの尻尾切りに使う。なるほどあなたの仰るとおりにすればフレーゲル男爵はすべての責任を負わされ社交界から追放されるでしょうな」
さすが、などとは思わない。こんな小娘の考えひとつ、息をするように見抜くだろう。相手はラインハルト・フォン・ミューゼルなのだから。
彼の推測通り、わたしはここでひとり邪魔者を消す。障害物をひとつずつ排除して、最終的にラインハルト陣営と門閥貴族が手を組める状態にする。そうすればきっと、あの内戦を未然に防げるはず。
「あなたの動機も、目的も理解した。しかしそうすることで私になんの得がある?この際歯に絹着せるのはやめるが、それではブラウンシュバイク公本人への責任追及が出来なくなるではないか。私はあなたの父君と、その力の及ぶすべてに対しことを構える覚悟であるというのに」
直接的な宣戦布告だった。エリザベートと、エリザベートの世界を作っているすべてを踏みつけて壊して奪う気でいる。大いなる目的がなかったら、ここで心が折れていたに違いない。
「ミューゼル大将にお尋ねします。あなたは最終的に、国内を二分しての内戦を起こすのが望みなのですか?」
ぱちん、と暖炉の薪がはねる音がした。キルヒアイスが緊張した目で主君を見下ろしているのがわかる。ラインハルトの青いはずの瞳は、衝撃と、不快感と、それから熾烈なほどの炎に呑まれていた。
「わたしなどよりわかっているでしょう。そんなことになればどれほどの流血がなされるか。どのような大義をもってしても、それは許されることではないと思います」
彼は猛烈に気分を害されたようだった。しかし15歳の少女に殴りかかるのはその矜持が許さないのだろう、どうにかして怒りを腹の中だけに留めてすんでのところで自身を抑え込んでいた。
「あなたがそれを言うか。たった一握りの、頂点に生まれながら、弱者を虐げひたすら搾取してきた側が、現体制を維持するためにそれらしきことを言うことの残酷さが、フロイラインには未だお分かりになられぬらしい」
まったく、ごもっとも。逆の立場であれば死ぬほど腹が立っただろうとわたしも思う。キルヒアイスははらはらしながらいつ間に入ろうかと思案顔をしている。彼の心労も如何程か、本当に大変だっただろうな色々と。
「わたしは現体制を維持するためにそう申しているわけではありません。わたしは将来、あなたを皇帝位に迎えてもよいとすら思っているのですから」
自分の立場を彼に示すには、こうするしかなかった。愕然とその唇を震わせるラインハルトと、突如殺気だった気配を隠せなくなったキルヒアイスに、エリザベートはそれぞれ微笑みを向けた。
「ブラウンシュバイク公を味方と思えとは言いません。ですがわたしを味方と思っていただくことはできないかしら? 権力には興味がないの、ただ、好きな殿方と一緒になりたいと願うのはどんな女の子にも許されるはずでしょう?」
「あの娘。どう思う」
黒塗りのリムジンが下宿前を滑り出していくのを窓から眺めて、ラインハルトは端的に口にした。見送りから戻ってきた側近が、すぐに彼の隣に立つ。
「今ひとつ読めませんね、腹の内が。15歳の女の子とはあそこまで大人びているものでしょうか」
「ふん、大人なものか。だが、嫌いな男を身の周りから排除するため父を裏切り敵と内通するとは。恐ろしい女であるとは認めてやってもよい」
志尊の頂きまでの道程に、近道などないのだろうが。それでもこのときの彼らには、切り捨ててしまうには惜しい駒が手の内に転がり込んできたように感じられた。