キルヒアイス推しの女オタクが作中に転生したので推しの幸せを守るために奔走したいと思います   作:響谷

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人気のなくなる日を選んでいたらこんなに遅くなってしまった。義理の父母の墓を訪ねながら、アンネローゼは灰色の雲が薄く陽射しを遮る周囲に顔を上げる。

本当はこんなことになる前に宮廷に上がって、義理の妹に挨拶をしておくべきだったのだ。これでは顔を合わせたとき、お見舞いから申しあげなくてはいけない。ラインハルトは私が宮廷にいるところを見たくないのか、これまで陛下に謁見することを一度も許してくれなかった。同じ家に住んでいるはずなのに、弟は1週間ほど前から寝食のためにすら帰ってこない。あの子が何か、私に対して罪悪感を持って隠し事をしているのはわかっている。怒らない、とは言わないけれど顔を見せてほしい。ジークもしばらく帰ってこないと聞いているし、その一事だけでも弟が心配だ。自分には、弟たちの進む道を批評する権利などない。お仕事の話は、しなくていいわ。ただ、若くて、前に進むことしか知らないあの子たちにとって、私の隣がほんの僅かでも羽を休めることのできる場所であれたなら。そう願うことは、大人になった私たちに難しいことなのかしら。

地上に舞い降りた女神のように空っぽの棺の上に刻まれた碑銘を撫でて、アンネローゼは立ち上がった。ブラウンシュバイク公夫妻の墓は立派だ。皇帝の父母であり、摂政の地位にあるまま亡くなったためその名誉が公に穢されることはない。短い階段を降り、広々とした墓地を抜けて自分をここまで送り届けた地上車のもとに戻る。自動で開いたドアを潜って、スカートの裾を持ち上げながら席に着いた。隣に座る侍女と、正面に並ぶ2名の護衛の気配を漠然と感じたまま顔を上げる。それと同時に、車は帝都郊外の景色の中を滑り出した。目の前に座る男の顔を見た途端、アンネローゼはその身を恐怖に固めた。自分を送り届けた男とは、別の顔をしている。本能的に自らの傍らを振り返って侍女の姿を確認すると、彼女は座席にその身を委ねながら寝息を立てていた。

「ご安心を。2、3時間で目が覚めます」

正面に座る男に平然と声をかけられて、アンネローゼはゆっくりと彼の方に視線を戻す。仕立てのいいスーツを着ているのは同じだけれど、よく見れば護衛特有の軍人らしい体格をしていない。どこか砕けた態度で鷹揚にその脚を組み、男は商談相手との打ち合わせにやってきたような雰囲気で開いていた懐中時計を胸の内ポケットに仕舞った。

「お迎えに上がりました。グリューネワルト伯爵夫人」

取ってつけたように自らの胸に手を当てて、その男は浅くお辞儀をする。どうすればここから逃げられるのか、反射的に思考を巡らしてそれからすぐに絶望する。運転手を含めれば相手は男が3人、こちらは自分と熟睡中の侍女が1人。ジークならこんなとき、やはり仲間を庇いながら窮地を抜け出せたのかしら。なんの抵抗もできない自分の弱さを憎むのは、これが人生で2度目の経験だった。

「……どなた」

「フェザーン高等弁務官、ニコラス・ボルテックと申します。以後お見知り置きを」

表面上は慇懃とも言えるかもしれないが、根本的にアンネローゼを対等だと思っていないのはその態度から明らかだった。高等弁務官とは、その国の代表のようなものではなかったかしら。だとしたらこれは、フェザーンによるローエングラム侯への明らかな敵対行為。この状況は、国の存亡や戦争の是非を決する重大な場面ではないの。隣に座る侍女・ペトラの肩を抱き寄せながら、アンネローゼは相手を睨みつけた。

「私をどうする気なのです。弟は、あなた方が考えるほど浅はかでも愚かでもなくてよ」

震えはなかった。本当に自分の存在が弟たちの足枷になるのなら、そのときは自死でもなんでもしてやればいい。そう雄弁に語るアンネローゼの視線を浴びながら、ええ、とボルテックと名乗るその男は微かに微笑んだ。

「お寂しいでしょう。弟君は帰ってこられないし、キルヒアイス元帥は挨拶もなく同盟首都へと発ってしまった。やはり罪の意識が拭えないのでしょうね」

やれやれ、と同情するようにその眉を下げ肩を竦める男の言葉に、アンネローゼはぴくりと瞼を震わせる。聞いてはいけない、とわかっているのに、知りたくてたまらなかった。

「罪の……意識」

「お可哀想な皇帝陛下。幼い頃から憧れた相手にそのお命を狙われるとは……あなたも彼女を憐れむがゆえにこうして父母の墓を参るのでしょう? かの夫妻だって、あなたの弟たる宰相殿下に殺されたのに。とんでもない欺瞞とはお思いになりませんか」

その目を険しくして、アンネローゼはペトラの肩をぎゅっと握った。これは悪魔の言葉だ。耳を貸してはいけないのだ。宮廷にだって悪魔はいくらでもいた。自分だけは弟を疑ったりしてはならないはずだ。

「弟の政治的な判断を、私はとやかく言いません。あの子は既にこの帝国を双肩に宿す身、私などには推し量れぬこともありましょう」

はっきりと拒絶を示すアンネローゼの言葉に、ボルテックはほう、とまた微笑みを深くした。

「そうですね。あなたは弟君の柔らかな心を、キルヒアイス提督が守ってくれると信じておられる。彼はどうやら、その責務を放棄したようですが」

アンネローゼが動揺を示したのは、この時だった。その身を震わせて、即座に相手を焼き殺さんばかりに睨みつける。ジークの忠誠にケチをつけるなんて、この者はよほどの恐れ知らずらしい。

「ご存じないようだから教えて差し上げますが、皇帝陛下は現在生死不明です。彼女を守護する役割の誰かは、よほどの無能者か、またはその職に嫌気が差したのでしょう」

その目を見開いて、アンネローゼは嘘よ、と唇を震わせた。この者は嘘を言って、私たちの仲を裂こうとしている。ジークは必ず守ると言ってくれた。陛下の御身を、あの子の心を。その身分を目的に結婚して、年端もいかない少女を使い捨てるような行為をラインハルトに許さないと、そう約束してくれたはず。

「あなたとの約束を破ってしまった。だから出立の挨拶にも来なかったのでしょうね。それとも無茶を押し付けてくるあなたが面倒になったのでしょうか? 皇帝は誰が見ても用済みの粗大ゴミ。優しいだけのあなたの相手をするのは、克己心溢れる若者には堪えるでしょう」

「やめなさい」

アンネローゼの声は、怒りに震えていた。自分を侮るのは構わない。だが、女が女としての生き方しか選べないことを、その結果を、用済みだの粗大ゴミだのと蔑む権利が男にあるとでもいうのか。陛下の境遇は想像することしかできないが、少なくとも自由に隣の家の男の子と友だちになることは出来なかったはずだ。望まれ、定められた人生の中で、たった一つ願った恋だけを手に入れて、静かに宮廷に囚われている。報われるべきだ。守られるべきだ。ジークはそれを、理解していた。

「証拠でもお有りになるの。陛下は風邪をお召しになっていると発表されているわ」

冷たい炎を身に纏っているアンネローゼを見つめて、ボルテックはもちろん、と微笑んだ。

「ですが今、あなたに対してそのカードを切る必要を認めません。あなたをフェザーンにお招きするには、ただこう言えばいい」

知らない道を辿って、刻々と下に落ちていく事実を示す目盛りように街路樹の影が過ぎ去っていく。ボルテックと名乗る男はただ、契約を決定付ける台詞を銀行員のように淡々と述べるだけだった。

「あなたが自ら命を絶ったときは、そのペトラ・フォン・アインホルンが天国の門扉まで主人のお供をすることになります。彼女にもご同行いただくのは、我々の心遣いということですね」

ぐ、と唇を噛んで、アンネローゼは侍女の身体を引き寄せた。状況に対する選択肢は、彼女には最初から存在しなかった。

「そのような顔をなさらなくても良いと思いますが。我々はあなたをキルヒアイス元帥のもとまで送り届けようとしているだけなのですから」

つまり私は、フェザーン経由で同盟国内に運ばれるのか。ラインハルトがそのような事態を許すはずがない。彼らは、明らかに戦争を起こそうとしている。両国の数億人の人命と流血がかかっているのだ。この企みを、みすみす看過する理由はない。だが……。手のひらに感じる侍女の体温は、アンネローゼに拙速な結論を選ばせるのを躊躇させた。ペトラの命がかかっている。助けが来ることを期待して、少しの間だけ待つということは許されないだろうか。

「キルヒアイス元帥に直接お訊きになればよろしいでしょう。なぜあなたらしくもなく皇帝を見捨てたか、とね」

ジークは私に挨拶もなく長い旅程に着いてしまった。いつもの彼ならあり得ないことだ。弟は1週間以上家に帰ってこない。何か良くないことが起きているのは、本当のことだろう。こんな見ず知らずの男に事情を吹き込まれるくらいなら、彼に直接訊いてみたい。そういう欲求があったのも、また確かであった。諦めたように目を伏せるアンネローゼを見届けて、ボルテックは脚を組み直し車窓の外に視線をやった。

「そう長い旅程でもありません。フェザーンの輸送船は宇宙一の速さですから」

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