キルヒアイス推しの女オタクが作中に転生したので推しの幸せを守るために奔走したいと思います   作:響谷

25 / 45
24

ケスラーは忸怩たる思いを味わっていた。貴族たちの既得権益が失われぬままである現在、帝都において死角はいくらでも存在したのだ。

ブラウンシュバイク公が事故死(むろん公式の見解に則った表現である)して以降、立場を表明せずにいた貴族たちも次々とローエングラム侯に帰順して宮廷内の闘争は一応の決着を見た。しかし根絶やしにするのではなく取り込むという方法を取った弊害は、確実にケスラーの職務に支障をもたらす。有力貴族の所有する敷地内に憲兵隊の武力を背景として強制捜査でも行なってもみたまえ。せっかくマリーンドルフ伯やオーベルシュタイン、ロイエンタールなどが勝ち取ってきた方々の信頼をぶち壊してしまうではないか。それでも交渉や駆け引き、たまには脅迫も用いてケスラーは出来うる限りの捜査を行った。事態は皇帝の生死不明という前代未聞のものだ。比喩ではなく物理で自分の首が飛んでもまったく不思議でないのに、戒告だけで済まされたのは候の重用の表れなのか。

事態の急変を報告された時、ケスラーはオーベルシュタインまたはローエングラム侯の陰謀を疑った。しかしいくら調べてもブラウンシュバイク公爵家墓地で皇帝の足取りは途絶えており行方不明としか結論しようがなく、100人ほどまとめて蒸発しているのに死体はただの一つも上がってこない。これがローエングラム陣営の短絡的な陰謀ならば皇帝の遺体は上がっていた方が政治的に都合が良いはずだ。その死が明らかにならなければ後継者(当然ローエングラム侯を指す)を立てるまでに複雑な手順が必要になるし、臣下も民も先帝への忠誠心を捨てきれない。

であればこれは侯が下手人の暗躍を故意に見逃して巡らせたなんらかの策略の一端なのか? この疑念についても実際に捜査にあたる中で、ケスラーは「まだ早い」という結論を出すに至っていた。即ち、旧貴族が未だ一定の力を保持し、結合部を失っただけの状態である今このときに皇帝を意図的に自陣営の庇護下から逃すというのは危険度が高すぎる、と肌で感じたのだ。そんなことをしては、せっかく苦労して避けた内乱が今度こそ現実のものとなって押し寄せてくることになる。故にこれは帝国上層部の誰にとっても不測の事態なのであろう、とケスラーは考えていた。ならば誘拐の犯人はローエングラム体制にとって害となる形で皇帝を利用しようとしている可能性が高い。

「総監閣下」

「何か」

夕立の降りかかる中、ザザ、と耳元の通信機器が微かなノイズと共に部下の声を吹き込んでくる。即応して、ケスラーは顔を上げぬまま報告を促す。

「グリューネワルト伯爵夫人、ブラウンシュバイク公爵家墓地からご帰宅されました」

私生活の邪魔をせぬよう留意しつつ周辺を監視させている対象はいくつか挙げられるが、今報告されたのは優先度Sの案件だ。情報漏洩のリスクを少しでも下げるため、その任にあたっている者からは憲兵総監に直通で回線が開かれる。

「ご苦労。引き続き身辺の様子に気を配るように」

これもまた、ケスラーの仕事だ。調査のため外に出ながら、彼の頭の中に広げられた帝都全体の配置図は随時最新のものに更新されていく。

今報告をもたらした部下は憲兵本部にあって、監視映像越しにローエングラム侯爵邸を見張っている。アンネローゼ周辺においてケスラーが打てる布石はここまでなのだ。護衛にあたる人材はローエングラム侯が自ら手配し、その組織運用はオーベルシュタイン総参謀長、周辺の防衛はケスラーの管轄と、グリューネワルト伯爵夫人周辺の職域・職権は他に類を見ないほど入り組んでいる。ラインハルトやオーベルシュタインを相手に物怖じしないほどの胆力と責任感を買われて彼はここにいるわけだが、やはり関係各所との調整は面倒とも言えた。

「フェザーン高等弁務官事務所の方に動きはないか」

顔を上げてそう傍らに問いかけるケスラーに、責任者たる部下が、は、と明朗な返答をする。

「昼過ぎからレムシャイド伯別邸へと赴いていましたが、先ほど弁務官府へと戻りました。特に不審な点は報告されておりません」

「そうか」

統括した情報を告げてくる部下に背を見せて、それからケスラーは灰色の雲の向こうにあるはずの宇宙を見上げた。今日もまた皇帝の足跡をどうにか辿ろうと、ケスラー大将自ら立ち合いのもと貴族の私邸に踏み入った後だった。

「……オーベルシュタイン上級大将に要請。フェザーン商船への臨検の徹底を願う。さらに高等弁務官府への立ち入り調査を許可されたい、と」

考えるまでもないことだ。犯人がいるとすればそれは門閥貴族の残党か、またはよからぬことを企むフェザーン政府、どちらかの可能性が極めて高い。だがそのどちらもがほとんど治外法権と言って差し支えない特権を所有している。まったく面倒な事態になったものだ、と放っておけば勝手に皺を寄せ始める眉間に手をやって意識的にそれを解す。宇宙へ昇ることもない我が身の矮小さは意識の端に追いやって、ケスラーは制帽の下の目を細め対処すべき事案に向かう。

「はっ」

素直に敬礼して指示を実行する部下に少しその口もとを弛めて、彼はどこか老成した雰囲気まで感じさせる表情を浮かべた。

「ダメ元だがな。あのオーベルシュタインのことだ、やるつもりならとっくにやっている」

そう誰にともなく呟いて、ケスラーはぬかるみ始めた地面を蹴り踵を返す。まだ早いとおれなどは思うが、オーベルシュタインはこの不測の事態すら反ローエングラム勢力を炙り出す良い機会とでも捉えているのやも知れんな。確かに、旧権力を引き継ぐ形を取ったために地固めには不安が残っている。皇帝を泳がせることで反勢力の形が明らかになるのならそれはそれで効率的か。ローエングラム侯であれば一撃で反抗勢力を粉砕する自信があるのだろうし、オーベルシュタインの方も敵の姿が顕になったところで武力闘争には発展させず、政治的交渉や工作を用いてそれを攻略していくつもりなのかも知れない。総参謀長の思惑が通ってはビッテンフェルトなどがまた忍耐を強いられることになるな、と取り止めのない思考を転がしつつケスラーは強い雨脚の中を軍用車まで引き返していく。

士官学校時代、校舎裏に広がる公園にてある同級生がアイリスを眺めているのを見かけた。週末の午後だっただろうか。花が好きなのかと問うと、彼は手元の書籍に視線を落としてしまった。私ではない、母が好んでいた花だ、と聞こえるか聞こえないかくらいの声が溢れたのはどれほど経った頃だっただろう。やはり木漏れ日の下で本を読んでいたケスラーはそうか、と相手につられたような小声で相槌を打った。

──私の花だから、好きなのだそうだ。

超然と憎まれ役を買って出ているあいつでも、平凡に愛のある家庭で育ったのだとわかっていれば過度に嫌うことなく同じ土俵に立つこともできる。記憶の彼方でこっそりそう教えてくれる少年に小さく笑みを浮かべて、ケスラーは悪戯っぽく独り言ちた。

「もうすぐおまえの季節が来るな、オーベルシュタイン」

事態は未だ不透明で不安材料は尽きないが、笑う余裕はあった。自分を見出してくれた相手の下で働けているのだから、それだけで我々は満たされている。視線の先、雲の切間から天啓のような光が幾筋か落ちているのを見つけた。晩春の通り雨はすぐに上がるだろう。ローエングラム体制に挑戦する気がある相手であればこちらが望まずともいずれ堂々と名乗りを上げる。責任を感じ捜査に打ち込むケスラーに総参謀長がかけた言葉だ。やがて来たる季節には、それが吉か凶かはわからんが、本能のまま脈打つ生命が噴き溢れるほど満ちているはずだ。動き出す世界を待って、彼らはしばし静寂に包まれていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。