キルヒアイス推しの女オタクが作中に転生したので推しの幸せを守るために奔走したいと思います   作:響谷

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キルヒアイスは大学生の研修旅行並みにはしゃいでいた。大学生の研修旅行という比喩はシェーンコップ准将から聞いたもので、隣にいたヤン提督はこら、と彼を嗜めていたがキルヒアイス自身にはとても的を射た表現に思えたのだ。10歳のころから軍人として生きてきたために、執行猶予期間、いわゆるモラトリアムなるものを経験したことがない。大学生とは、非常に魅惑的に聞こえる響きだ。もしアンネローゼ様にあのような運命が降りかからず、私とラインハルト様でこの歳になっていたらどうだっただろう。やはり大学にでも通って、民官どちらに進むかとか、いつ兵役義務に応えるかとか、そんなことで悩んでいたのだろうか。極端に多くの命に対して責任を持つ立場になってしまったために、自身が未だ学びたい盛りの若者だということも忘れがちになっていた気がする。

自由惑星同盟の領内に入った途端、あまりに世界が違いすぎて彼の中身は初等教育課程にある児童と同程度になってしまった。女性が軍服を着ている! だのゲルマン系以外が将官を務めている! だのそんな初歩的な次元から新鮮な驚きを得ているのだ。同盟市民に対し失礼のないよう、あなた方の文化を教えてくださる師をつけてくださいませんかとヤンにお願いすると、彼はその目に入れても痛くないほど可愛がっている15歳の被保護者と共に過ごしてみるといいと言ってくれた。彼の自主学習に顔を出したり、兵科教練を見学したり、共に食堂を訪ねたりしながら大人気なくさまざまなことについて質問攻めにしてしまったが、ユリアンは本当によくできた子でいやな顔ひとつせず真摯に向き合ってくれた。彼も彼でキルヒアイスの経歴や人格、帝国の価値観などに興味を持っているようで、両者の交流は双方にとって有意義なものになったと信じたい。自由惑星同盟領に生きる人々は自由と民主を犯しがたい原理だと考えているし、その価値観に基づいた人格を得て各々が言いたいことを言うのでキルヒアイスは常に目を丸くしてそれらに接することになった。

「すごいです。あなた方の国はまるですべての人が神であるかのようです」

そう無垢な賛辞を贈られるたびにヤン・ウェンリーは慈愛と、憂いと、悲しみと、誇りの綯交ぜになった顔をした。

 

 

 

同盟首都に着いたのは5月21日のことだった。全権委任使節として恥ずかしくない立ち振る舞いをと心がけて自らを律し、キルヒアイスは極めて紳士的かつ、聞き分けの良い態度を取った。ハイネセンの宇宙港に降り立つ瞬間からカメラのフラッシュを浴びせられたのは少々面食らったが、彼は即座に人好きのする微笑を浮かべそれらに応えた。

「ちょっと並ばないでください、うちの閣下が霞んでしまう」

そう軽口を叩いたのはポプラン少佐だったか。3週間の旅程でヤン艦隊幕僚の名はほぼ網羅したのだが、ユリアン・ミンツ以外なら誰でも言いそうなので記憶が曖昧だ。ヤン提督はマスコミ対応がひどく苦手らしく、困ったように笑いながら「どうせならなぜもっと早く戦争をやめなかったのかと思います」などと適当に答えていたためそのコメントは一切報道されなかった。

意外だったのは宇宙港にてヤンがキルヒアイスから引き離される際、案内係に対して少々ごねていたことだ。私も彼と同じホテルに入るよ、と言ってSPを困らせ、上に確認いたしますからひとまず我々の指示に従ってくださいと宥められていた。

「ヤン提督は何かを懸念しておられるのでしょうか」

ホテルへ移動する車の中で、ベルゲングリューンがそう耳元に囁いてきた。普段であればこのような距離感で接したりしないが、今の我々にはプライベートゾーンなどというものはない。帝国の要人用ハイヤーとは造りの違う車内で、運転手は当然同盟の職員である。自身の考察を副官たちに話すこともできず、キルヒアイスは油断のない表情で曖昧に頷くことしかできなかった。

滞在先となるホテル・シャングリラに案内され、最上階のラウンジまで直通だというエレベーターに乗せられる。同乗者は同盟側のSPが2名とキルヒアイス、ベルゲングリューン、ビューローの5人。身体検査などはされておらず、キルヒアイスと副官2名は軍服の下にブラスターを所持している。今ここで戦闘になったら何秒で制圧できるだろうか、などと無意識に考えてしまうのも悲しき軍人の性か。浮かれている場合ではないが、彼らの許可が得られるのならこのハイネセンのあらゆる場所を見学してみたいものだ。車内から見た街の景色だけでも、誘惑は非常に多く転がっていた。

2、3度互いに送り合った講和条約の草案を踏まえて、我々はこれからその内容について協議に入らねばならない。しかしこの条約が施行され平和になればきっといくらでも時間は得られるはずなので、今は目の前の仕事に専念すべきなのだろう。目的の階に着いたことを告げるベルを聞きながら、そう年齢にそぐわぬ禁欲ぶりで自身の使命を再認識する。扉を押さえるSPに軽く会釈してラウンジに足を踏み入れたキルヒアイスは、そこに待機していた人物を認識した途端愕然と口を開けてしまった。

「キルヒアイス提督! やっと来てくださったのね!」

行き届いた躾を感じさせる足取りで、その少女は音もなくキルヒアイスに駆け寄った。ふわりと靡く黒髪に刻の止まったような豪奢なドレス、淡いグレーの瞳とすみれのような甘い香り。最後に見たときは不安と寂しさにその頰を濡らしていた。無論直接会ったのはその時が初めてで、最後になる、はずだった。

「なぜ、あなたがこんなところに……」

ベルゲングリューンもビューローも、武器を持った大の男だったら躊躇はしなかったのだろうが、いかんせんそれが悪意のなさそうな小型の貴婦人だったものだから咄嗟に主人の判断を仰いでしまった。振り返った彼らが見たのは、困惑の中に微かな恐怖を浮かべるキルヒアイスの表情だった。

「あのときはわたしを助けてくださってありがとう。船に不具合があると言ってわたしだけ別の宇宙港に連れていったでしょう。両親が亡くなったと知ったとき、気付いたの。本当の味方はあなただったんだって」

まだ15歳であるはずだ。あの亡命作戦から半年ほどしか経っていない。もしどこかでその無事な姿を見ることができたのなら、ひっそりと胸の内に安堵を覚えるだけで済むはずだったのに。なぜだろう。彼女の純粋な、この上なく健康そうな瞳の煌めきに、全身の血が逆流するような恐怖を感じる。

「エリザベートったら本当にひどいわ。皇帝の地位欲しさにお父さまとお母さまを殺すなんて、そんな子だと思わなかった。エルウィンだってかわいそうよ、まだ5歳なのに帝国から追い出すなんて。いとこ同士で蹴落とし合うなんて、おじいさまはそんなこと絶対に望んでいなかった。キルヒアイス提督、あなたが来てくれたってことは、ああ、いよいよ実行に移すのね。ようやく奪われたものを取り返せるんだわ」

少女はこの世の真実を語るようにすらすらとその唇へと言葉を載せる。憎しみから希望への相転移により莫大なエネルギーが生み出されていることをその表情に見てとって、キルヒアイスは眉を顰めた。喜びのあまりくるくるとその場で踊り出しそうな少女の様子に、キルヒアイスはやがて違和感の正体を悟る。これは、洗脳だ。特定の情報を遮断し任意の情報だけを与え続け、思考の方向を都合のいいものへと作り替える。彼女にそんなことが出来たのは、そんなことをしようと望むのは誰だ。──フェザーン経由で亡命させる以上、彼女を取り巻く環境すべてをキルヒアイスの完全管理下に置くことは不可能だった。

「……フロイライン・リッテンハイム、我々は、」

「あら……人前だからって遠慮しているのかしら? もういいじゃない、ここには味方しかいないのだから」

険しい表情のままなんとか第一声を発したキルヒアイスに、サビーネはきょとんと目を丸くしてそれから優しく微笑んだ。慈愛に満ちた、それはまさしく主君としての笑みだった。

「陛下とお呼びなさいな。だってゴールデンバウム王朝の本当の皇帝は、わたしなんだもの」

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