キルヒアイス推しの女オタクが作中に転生したので推しの幸せを守るために奔走したいと思います   作:響谷

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「どうだった」

ホテルに着いて腰を落ち着けるなりヤンは同室を割り当てられた被保護者にそう声をかけた。

「どう、とは?」

ふたり分のトランクを寝室に運びこんで、とりあえずの一杯をこさえているユリアンは振り返りながら首を傾げる。

「キルヒアイス元帥のことさ」

「ああ……」

蒸したポットをテーブルに運んで、ユリアンはヤンの向かいに腰を下ろした。ハイネセンまでの道中は客人以外みな多忙であり、腰を落ち着けて話す機会を持つことができなかった。

「ぼくが言うのもなんですが、とても純粋な方だと思いました。帝国で育つと皆ああなるのかな、と思ってしまうほど」

それが事実ならワルター・フォン・シェーンコップは生まれまい、と思ったが口に出すのはやめておいた。本人がここにいるのなら嫌味として言ってもよかったが、とひとり苦笑いを浮かべてしまう。7歳で亡命してきた元帝国貴族がどれほどの苦労を経て今の人格を形成してきたかなんてわかるとは言わないが、想像くらいはできているとそう思いたかった。

「確かに、帝国人は一本気が通っている感じがするかもしれないね。単に私と比べてしまっているだけかもしれないが」

頭を掻いて苦笑するヤンにユリアンは驚いた顔をしていた。

「ぼくは、提督も純粋な方だと思っていますよ」

ぱちくりと目を瞬き被保護者と見つめ合って、それからふたりしてぷっと吹き出す。茶請けとして出されているビスケットを引き寄せつつ、ヤンは無意識にブランデーを探し始めた。

「キルヒアイス元帥は、私としては思っていたより危なっかしい人に見えたな。人間誰しも譲れないところはあるのだろうが、それにしても彼は打算で動く部分がとても少ないようだ」

「打算、ですか」

「損得勘定と言ってもいいかな。捉え方によっては悪いように聞こえるかもしれないけれど要するにそれは理性だ。損より得が大きくなるようにする、生物としての生存戦略だ。キルヒアイス元帥は、非常に明哲に見えてその実ほとんど理性が吹っ飛んでいる」

貶しているわけではない。ヤンが口にしていることは単なる観察とその結果であるとユリアンは理解している。自らの口にした純粋、という印象と擦り合わせてユリアンはユリアンなりに納得を深めているようだ。その手を顎にあてて、彼は紅茶に視線を落としていた。

「彼を取り巻く状況が正常に回っているのならなんら問題はないだろう。これまでずっとそうだったはずだ。これからもずっとそうであればやはり問題も起きないだろう。この宇宙が彼と同様に誠実であれば、と願わずにはいられないね」

くる、と手元のカップを回してヤンはひと口紅茶を飲んだ。芳醇で甘く、それでいてすっきりした後味が残る。うん、おいしい、と口に出して穏やかな微笑みを浮かべればユリアンはその整った相好を幸せそうに崩した。

「ところで提督、もうそろそろ16時です。政府からの重大発表があるとかで視聴命令が出ていますが」

備え付けのテレビジョンの電源を点けて、ユリアンはヤンを振り返ってくる。あからさまにそんなものもあったな、という顔をしてヤンは傍らに置いていた軍帽を弄んだ。

「あーはいはい。どうせ改めて帝国との和平について聞かされるだけだろうけど、立場上無視するわけにもいかんだろうなぁ」

手元の端末を開いて、ヤンはグリーンヒル大尉に通信を繋いだ。彼女は女性士官のために用意された別の階に部屋があるはずである。

「あー、大尉。我が艦隊の面々はひと通り腰を落ち着けたと思っていいかな」

〔はい閣下。16時には全将兵の収容が間に合いそうです〕

「そいつはよかった。キャゼルヌ先輩がいない中で大尉には迷惑をかけるね」

〔いいえ、とんでもない。それより提督が視聴命令を覚えていらしたことの方が驚きです。こちらから連絡を差し上げようとしていたところです〕

むっ、と子どもっぽく拗ねるヤンの横からくすくすとした笑い声が闖入してくる。画面に映っていないユリアンがぼくが思い出させて差し上げたところですよ、などと言うものだから余計なことを言うんじゃないとそちらを振り返ってしまった。

〔安心いたしました。それでは提督、後ほど〕

「ああうん。君も無理しないで今日は早く休みなさい、大尉」

そうしてなんやかんやとぼやいているうちに重大発表とかいう放送の時間になる。視聴喚起のアナウンスがしばらく流れて、同盟標準時の時計で16時を迎えた途端、画面にはトリューニヒト最高評議会議長の姿が映し出された。

〔自由惑星同盟の全市民諸君。私、最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトは全人類の歴史に巨大な転機が訪れたことをここに宣言します。この宣言を行う立場にあることを私は深く喜びとしかつ誇りとするものであります〕

宣言を行う人物が気に食わないとしても、ここまではなんの問題もなかった。むしろヤンは歓迎していたし、喜んでもいた。しかし甘い夢は夢でしかないということを、彼は思い出すことになる。

〔先日ひとりの亡命者が身の安全を求めてこの自由の国の客人となりました。かつて多くの人々が専制政治の冷酷な手から逃れ、自由の転地を求めてやってきました。しかしながら今回亡命を求めてやってきた人物の名は特別な意味を持つものと言えるでしょう。

すなわち、ゴールデンバウム朝銀河帝国第37代皇帝、サビーネ・フォン・リッテンハイム=ゴールデンバウム〕

なんの話をしているんだ、と大半の人間は思っていただろう。ユリアンもそのひとりで、不可解のまま隣に座る保護者の表情を伺うことになったが、視線の先に映る絶望があまりに激しく濃い色をしていたため彼はわけもわからないまま恐怖に息を呑むことになった。

〔帝国のラインハルト・フォン・ローエングラムは強大な武力によって反対者を一掃し、いまや独裁者として権力をほしいままにしています。わずか17歳の少女を騙して娶り、自らの欲望の赴くままに法律を変え、部下を要職につけて国家を私物化しつつあります〕

和平に応じる者の態度ではないな、と大多数は気付き始める。トリューニヒトは、あらゆる点で凡庸ではなかったが、特に演説の技巧は抜きん出ていた。民衆に訴求し、何も持たぬ手で空を掴み、自らこそが正義であると誰よりも上手く演じることができた。まるで一流の舞台を観るように、無垢な市民は正義という概念に感情移入していく。

〔しかも彼の邪悪な野心は我が国に対しても向けられています。全宇宙を専制的に支配し人類が守り続けた自由と民主主義の火を、消してしまおうというのです。彼のごとき人物と共存することは不可能です!〕

同時代の史料によれば、トリューニヒト議長の主張に同盟市民の半数が賛同し、残る半数が疑問を持ったという。賛同する側については言及するまでもないが、疑念を持つ側にも感情を主な論拠とする者は数多くいた。だが戦争なんかもう懲り懲りだ、という感情論ほど貴重で、重要なものもそうなかったに違いない。

〔我々はここで過去の経緯を捨て、ローエングラムに追われた不幸な人々と手を携えて全ての人類に迫る巨大な脅威から我々自身を守らねばならないのです。この脅威を排除して初めて人類は恒久平和を現実のものとすることができるでしょう〕

ヤンはここで自らの口に手をあてた。ようやく絶望の辺りまで感情が追いつたユリアンは、傍らを見上げながらこの黒髪の魔術師が既に戦略、戦術レベルで無数の仮定推論をその宇宙のような脳裏に展開しているのだろうことを悟っていた。

〔それでは亡命政権の代表者の方を紹介しましょう。ゴールデンバウム朝銀河帝国第37代皇帝、サビーネ陛下です〕

トリューニヒトがその場を譲り、黒髪を結い上げた少女が画面の中央に登壇する。これが本物の王族か、と誰もが思ったに違いない。同盟では国の理念としてその存在を認められない高貴などという概念が、人のかたちを取ってそこに存在していた。

〔この度は我が帝国に正義を回復するための機会と本拠地を与えていただき、感謝にたえません〕

黒い髪と、灰緑色の瞳を持つ未だ14、5歳ほどだろう少女が頭を下げることは一度としてなかった。愛らしいとも、可憐であるとも表現できるのに、卑屈さや謙虚さは一切見出せない。どちらかといえば神に近い、生まれながらに人を統べる存在。そんな超常的な何かを信じかけてしまうほど、それは帝王としてそこにあった。

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