キルヒアイス推しの女オタクが作中に転生したので推しの幸せを守るために奔走したいと思います 作:響谷
皇帝臨行のもと行われる初夏の公式行事、オースタン。1週間にわたって様々な段取りを執り行うそれの、今日は5日目である。
「いやだわ、殿方ったらこんな野蛮な遊びに夢中になって」
陽射しを避ける東屋で、モーニングティーに手を伸ばしながら黒髪の少女がため息を吐く。2歳年下の彼女はサビーネ・フォン・リッテンハイム。わたしの従姉妹で、同じく皇帝の孫娘である。
「まったくよ。猟犬をけしかけて狩った兎の数を競うなんて下品すぎるわ」
はぁ、とため息を吐き返してミニタルトに手を伸ばす。眼下には田園、林、森が広がって、その中を騎馬した貴族や徒歩で彼らを補佐する家人、そして猟犬や鷹がちらほらと動き回っていた。
「今年はわたしだけかと思ったわ。よく家の人が許したわね、エリザベート」
ケーキをつつきながら向かいに座ったサビーネがそう漏らす。春の装いに相応しい、薄緑のドレスがよく似合っていた。
「あなたがかわいそうだと思ったのよ。見物もひとりだと肩身が狭いし、何より退屈でしょう?」
対してわたしはこれも春にしか着られない、シルクと紗を織り交ぜた薄紅のイブニングドレスを纏っている。冗談っぽくそう言ってやれば、サビーネは無垢な笑みを浮かべてくすくすとその指を口もとにやった。
ブラウンシュバイク公率いるクロプシュトック侯討伐軍が戦闘終了後に過激な略奪行為を働いていた、という件が明るみになって以降初めての公式行事だ。遠征時に負傷したため、という理由でブラウンシュバイク公は今年のオースタン出席を自粛している。エリザベートがここにいるのは彼女自身が参加を願い出たのが主な要因だったが、一族が皆欠席してしまってはリッテンハイム侯に差をつけられてしまうという懸念もあったからだ。ブラウンシュバイク公派閥の不祥事にリッテンハイム侯は狂喜しているらしく、今朝顔を合わせた際彼には歪な表情で挨拶をされている。
「わたしなら無理だわ、こんなところにお父さまもお母さまも無しで来るなんて。おじいさまの目が光っているから今日はまだマシかしら?」
少し離れた皇帝専用の四阿に視線をやって、サビーネがそう言う。彼女の言う通りここは跳梁跋扈する百鬼夜行、または蠱毒の坩堝だった。侍女や護衛の私兵がついているからなんとかなっているけれど、それが許される身分でなければわたしなんか1日で社交界から追い出されてしまうわよ。
「それにしてもひどいスキャンダルね。フレーゲル男爵は辺境の別荘に引きこもってしまったし、彼についてまわっていた青年貴族たちもみな自粛させられているのでしょう?」
「いい薬よ。それが平民であろうと女、子どもに暴力を奮って物を奪うなんて帝国貴族のすること? ミッターマイヤー少将は立派だわ、あのお父さまを正面から諫めたと言うじゃないの」
肩を竦めてそう言ってやれば、サビーネも相槌を打ってくる。わたしが被害者として振る舞えば気を遣って同情してくれただろうし、事件に言及しつつこちらの反応を探っていたのだろう。たくさんのベールに守られた、普通のいい子なのだ。ありふれたような少女であるこの子も、例の内戦を防がなければ戦火のうちに命を落とすことになる。罪がないとは言わないけれど、まだ13歳の従姉妹がそういう結末を迎えることがなければいいとわたしは願った。
「あら、そろそろ結果発表かしら。エルウィンがお呼びよ」
日も高く、空の中程に至っている。未だに4歳の従兄弟、エルウィン・ヨーゼフ2世が乳母に連れられて貴族たちが集まりつつある輪に向かう。当然幼児の彼が狩りに参加したわけではないが、彼の臣下を自称する貴族たちからの捧げものによって優勝は最初から彼と決まっている。皇帝が参加していればその座は皇帝のものであったし、順位も含めて儀式の範疇を出ないのがこの宮廷におけるブラッド・スポーツなのであった。
「いやよ、あなたが行ってきなさいよ」
「やぁね、わたしの父は参加を自粛しているのよ?」
そんな帝室唯一の公孫へ勝利の祝福を贈るに相応しい女子は、この世広しといえど二人しかいない。即ち彼と同じく皇帝の孫であり未婚の女子であるエリザベートとサビーネ。皇帝には皇后か、その寵姫が祝福を贈るのだろうが、エルウィンはまだ4歳なのだ。
「もう、仕方ないわね。来年はあなたがやりなさいよ!」
諦めたようにため息をついたサビーネが、しぶしぶ席を立ち侍女に導かれて馬に腰をかけた。丘を降りていくその姿を見送りながら、エリザベートは紅茶をひと口飲んだ。
「ねぇ、あなた。見ない顔だけれど、お父さまに言われてここに来たのかしら?」
令嬢たちの戯れを見守っていた、数人の軍人。空気と同程度でしかないその中のひとりに、エリザベートは声をかけた。かなりの長身で、そして、白髪の目立つその男は、動揺する素振りもなくエリザベートを一瞥して、それから無駄のない足捌きでこちらに向き直った。
「は。私はミュッケンベルガー元帥の次席副官を務める者です。本日は元帥から直々に、エリザベート様の周辺を警戒するよう仰せつかっております」
「……そう」
ついに、きたか。きてしまったか。心臓が金切り声を上げて痛い。やっぱり怖いのだわ、この人。
「元帥は心配してくださったのかしら? この機に乗じてわたしを殺し、ブラウンシュバイク公の力を完全に削いでおこう、などと考える輩が現れるのではないか、とか?」
小首を傾げて見上げてみれば、長身の、未だ三十前半の彼は、無表情のままわたしを見返していた。わたしは、知っている。彼にとって体制側の人間はすべて悪だ。エリザベートが十代半ばの少女だろうとなんだろうと、必要と思えば躊躇なく殺すだろう。そして彼にしてみれば、あの国内を二分させての内戦は都合がよかったのではないだろうか。旧体制派をまとめて潰すことが出来たのだから。
「左様でございます、フロイライン。本日出席なさったのは勇気ある行いでしたが、ご推察の通り危険も伴います。お目汚しでしょうが、私が付いておりますのもご了承いただければ」
「気にしないわ。こうなることも覚悟の上でしたもの」
彼は今日、自らわたしに接触を図りに来たのだ。舞台版の設定を踏襲するなら、彼はすでにラインハルトに目をつけている。神輿に担ぐ駒を見つけて、それを観察し接触する機会を窺っている状態だ。やがて主君と仰ぐべきと見込んだ相手が門閥貴族の首魁(の娘)と通じていると掴めば無論、調べに来るだろう。それは排除しておくべき毒か、利用価値のある駒なのか。
「ミッターマイヤー少将を正式に解放して謝罪するよう説得したのもわたし。裁判になる前にお父さまが折れるのはわかっていたわ、世間体が悪すぎるもの」
令嬢の独り言に付き合わされている体で、彼はじっとわたしを観察している。その気配に、指先が冷え切るほど緊張してしまう。条件を限定するとしても、ブラウンシュバイク公を説得できるほどの人材なのだと彼に思わせなければ。勝負を挑むように、言うべきことばを紡いでいく。値踏みするような、温度のないその視線が、骨まで染みるようで痛い。彼に対しては自分の方針や決定が思惑通り通るかほとんど自信がなかった。この人物に対して対等に渡り合えると思い込むのは、勘違いも甚だしいというものだろう。
「ミューゼル大将はよくやってくれたわ。もうローエングラム伯爵におなりになるのでしたっけ? あんなに若い方と張り合うなんてお父さまも大人気ないったら」
「……」
彼の前でどういう人物像を演じるかはもう決めている。ローエングラム伯の側に置くなら周辺を腐食させるほど愚かではいけないし、権力を争うほどの派閥を形成されても困る。無能すぎても、賢しすぎてもいけない。要するに彼の目から見て毒にも薬にもならない、けれど利用するには価値がある、そんな色ボケ単純お姫さまにわたしはならなければならないのだ。
「……フロイラインは」
どこか憧れるようにラインハルトの名を口にしたわたしから目を離して、長身の彼はサビーネが降りていった丘の方を見遣った。燦々と陽光降り注ぐ向こう側は眩しくて、鳥の羽ばたく音が聞こえてくるほど静かだった。
「何かしら」
「サビーネ様とミューゼル大将、どちらかをお選びにならなければいけないとしたら、如何なさいますか」
心臓が凍って、ティースプーンをテーブルクロスに落としてしまった。マリーが駆け寄ってきてわたしの肩にショールを被せ、お嬢様、と呼んでくる。
「そこのあなた、無礼でしょう。お嬢様に質問を投げかけるなど、」
「いいの、ありがとう……マリー」
彼女の手に自分の手を重ねて、顔を上げる。そこにいてほしいけれど、口出しは無用、というわたしの要望は完璧に伝わったようで、彼女はぐっと感情を押し殺しわたしの傍に寄り添った。
「あなた……名前は?」
「パウル・フォン・オーベルシュタイン大佐です」
特に恐縮する様子も反省する様子もなく、彼はこちらを見て答えた。その無機質さに人は恐れを覚えるのだ。対面して、初めて理解できた。オーベルシュタインの表情には恐怖という色がない。もう失うものはない、という極限の状態で生きているからだろうか。秘密主義の彼の生い立ちは、作中でもほとんど語られることはなかった。
「そう。それがどんな状況を想定しての質問かわからないけれど」
凡庸な夢見る少女が、数年後の帝国の勢力図を見通しているなんて悟られてはならない。この受け答えに、細心の注意を払わなければいけないことはわかっている。それでも突如投げかけられた想定外の質問に、エリザベートは今の気持ちを正直に答えることしかできなかった。
「わたしには答えられないわ、大佐……。わたしはミューゼル大将のことを好ましく思いますけど、だからといってサビーネを捨てる理由にはならないの」
そうですか、とやはり彼は無感動に応えていた。後日、リッテンハイム侯が領地において民衆たちを不当に農奴として扱っていると社交界に噂が流れ、皇帝が公の場でそれを侯に尋ねたことがきっかけとなり、リッテンハイム侯もしばらく公式行事に姿を見せなくなった。統帥本部の情報処理課に移動になったオーベルシュタイン大佐がその事態を仕組んだのではないかとわたしは疑ったが、証拠らしい証拠など何処にも存在しなかった。