キルヒアイス推しの女オタクが作中に転生したので推しの幸せを守るために奔走したいと思います   作:響谷

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今回から第2部に入ります。

長くなりそうですがよろしくお願いします。


第二部
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帝都オーディンは薄雲に日差しを遮られている。フェザーン回廊を通じてもたらされた同盟国内の放送音声と、数々の三流ゴシップ記事。自らを悪虐の専制者だと糾弾する黒髪の少女の言葉を遠くに聞きながら、ラインハルトは親鳥を探す雛のように寄る辺ない声を窓に向かって漏らしていた。

「キルヒアイス……?」

 

 

 

〔わたくしの従姉妹であるエリザベート・フォン・ブラウンシュバイクの恋心につけ込み王配になり仰せ、今や宰相を名乗るローエングラムは正統な帝位継承者であるわたくしの謀殺を企み刺客を差し向けてきました。その非道、その不遜に憤ったキルヒアイス元帥は主君に背きわたくしの命を救ったのです。真の騎士、真の正義がどちらであったかなどもはや語るまでもありません。キルヒアイス元帥はわたくしの帝位復権の力となるためローエングラムを見限り、こうして同盟首都たるハイネセンにまで馳せ参じてくれました〕

全宇宙にそれは響き渡る。フェザーン方面の情報網が躍動し市民階級にまで拡散されているためもはや情報統制は不可能だ。そんな無駄なことに労力を割いている場合ではないと理解しているケスラーはほぼ独断で憲兵隊を動かしていた。

音声と同時にもたらされたゴシップ記事の類いは、キルヒアイス元帥とグリューネワルト伯爵夫人の愛の逃避行を高らかに報じていた。彼/彼女はローエングラム侯の非情なやりようを看過できず、そして自分たちの仲に反対する暴君の横暴に耐えきれず、自由に愛し合える世界を求めて亡命してきた。ケスラーにとってここに記されているほとんど妄想に違いない動機などはどうでもよかった。全身の血液が凍ると同時に蒸発したのではないかと思うほどの焦燥が駆け巡って、彼は思考するまでもなく憲兵隊を直接指揮しローエングラム侯爵邸に踏み入った。

「夫人を確保し次第本人確認にご協力いただく。抵抗されるなら周囲の制圧はやむをえんが、ご本人に危害を加えることは避けろ」

静かに花の揺れる館に不似合いの、完全武装した兵士たちが突入していく。ハンドサインを繰り返し全部屋の制圧を目指す彼らを門の外側で見つめていたが、発砲音は一度も聞こえなかった。中で何があったのか、静かな困惑とわずかな恐怖が空気を揺らした気がした。突入部隊の長が素早く走ってきて、ケスラーに耳打ちする。

「──何?」

眉を険しくして、彼はつい部下を振り返ってしまった。彼の先導で庭を突っ切って館に上がり、部下たちが包囲している居間へと至る。報告された通り、そこには二人の女性が倒れ息絶えていた。

「……医療班を。それに検視官を呼べ」

一見して死体だとわかるが、ケスラーはその傍らに跪き脈と呼吸音を確認した。床に転がっているこれはグリューネワルト伯爵夫人だ。少なくともグリューネワルト伯爵夫人の顔をしている。白手袋で覆った利き手を伸ばし少し離れたところに落ちている小瓶を拾い、すんとその匂いを嗅ぐ。役職上何度か接したことのある香りを、数十倍に濃縮したような強烈な刺激が鼻腔を突いた。

「サイオキシン麻薬」

部下の差し出す証拠保存用のケースにそれを落とし入れて、DNA鑑定の機器が結果を出すまでの数秒彼はじっと唾液と涙で汚れた女の顔を見た。急激な吐き気と共に吐瀉物が食道を逆流し、それが詰まって窒息したのだろう。直感に過ぎないがケスラーは既に己の敗北を悟っている。死に顔とはいえ、あのローエングラム侯の姉君がこのような醜い姿を晒すはずがない。ではいったい、我々はどこで何を見過ごしたのか。職権が入り組んでいたとはいえオーベルシュタインもローエングラム侯も夫人の警護には心を砕いていた。そしてここで死んでいる偽物は何者なのか。命を賭した身代わりを引き受け、グリューネワルト伯爵夫人亡命のニュースが駆け巡るのと同時に毒薬を飲み干したこれは普通の人間なのか。

「簡易鑑定結果、出ました」

ケスラーの偏見を肯定する数値が立体画像に表示されて、彼は死体の収容と司法解剖を命じながらオーベルシュタインへと連絡の回線を開いた。

 

 

 

「第十三艦隊はハイネセンを動くな、だと?」

アッテンボローからそう聞かされたシェーンコップは隠しもせず怪訝な顔をした。

「なんでも我らが議長閣下直々のご命令らしいです。いったい何を考えているのやら、まことに度し難い」

肩を竦めてため息を吐く分艦隊司令官と同様にすべての幕僚が先ほどの放送に呆れ返っている。咳払いひとつで冷静さを取り戻したムライが、臨時会議室を見渡して気になる点を指摘した。

「ヤン提督はどこにいらっしゃるのです。グリーンヒル大尉も」

アッテンボローから視線を投げられたユリアンはお茶汲みとしてその場に居合わせていただけなのだが、すべての幹部が問うような視線を向けてくるので憚りながらそっと自らの知るところを答えた。

「クブルスリー統合作戦本部長のところへ行くと。議長命令より正規の手続きを経た軍命令の方が効力は上だと仰って……」

怠惰を旨とする我が艦隊司令官とは思えないほどの機敏な動きに、各々事態の切迫ぶりを感じざるを得ない。存在そのものがジョークと言われるポプランでさえ現在の状況を茶化す気にはなれないらしかった。

「イゼルローンの400万人がどうなるかはもはや運次第と言うほかありませんな」

列席者のいずれも何かを言い返す気力を持つことができずに、その表情を深刻に翳らせる。キャゼルヌ先輩、と微かに呟きが漏らされた気がするがその呼称を使う人物はひどく限定されているためみなが聞こえなかったふりをした。

「しかしキルヒアイス提督が亡命のためにいらしたとは、小官には荒唐無稽な話に聞こえますな。どこまで本当の話なのでしょうか」

しごく生真面目に事実の確認に取り掛かろうとするムライの言葉に、シェーンコップはハッと嘲りを剥き出しにした息を漏らした。無論ムライではなく政府首脳に向けられたものである。

「さぁてね。あるいは女帝陛下の亡命を手引きしたあたりまでは本当のことかもしれませんな。しかし皇帝自ら我ら下々の者に語りかけるとは、銀河帝国の権威とやらも安くなったものだ」

シェーンコップの揶揄には全員が苦い顔をした。あの少女が前面に出てきたのは他でもない、政治宣伝のためだ。理性とか論理とかをすべてすっ飛ばして民意を形成しようとする為政者どもの傲慢の表れだ。銀河帝国正統政府などという代物と手を組むことも許せなければ、感情に訴えて民主的な手続きをすべて無視しようとする政府のやり方はもっと許容できなかった。

「それにしてもあの少女の訴求力ときたら、空恐ろしいものがありましたな……」

パトリチェフがぽつんと漏らした素朴な感想に各々頷きを返す。認めたくはないが、同盟市民の半数は彼女に恋をしただろう。これから同盟国内を吹き荒れるであろう内部分裂の激しさを思うと誰もが現実から目を逸らしたくなった。

「まぁ十中八九キルヒアイス元帥は嵌められましたな。なにしろ手がこみすぎている。イゼルローンを空にしてまで彼の信用を誘い同盟内部に引き摺り込むとは……いま思うと正式な手続きをまったく踏まずにヤン提督を交渉の窓口にしたのも怪しかった。文書主義の我が国では何もなかった、と言い張ることもできますから」

そう指摘されるとヤンも軽率な行動取ってしまったと言わざるを得ない。脇が甘いのはいつものことだが民主主義の精神を冒涜するような腐臭には敏感な人だ。法的根拠のない交渉をそれでも代行してしまったのはやはりその願望につけ込まれたからか。一刻も早く戦争をやめさせたい、流血を止めたい。ぼんやりとした顔の下で誰よりも激しくそう望んでいることはやはり幕僚ならばみな理解していた。

「しかしわざわざイゼルローンを差し出してまでキルヒアイス元帥を引き込む必要はあったのでしょうか。国務尚書にはフェザーン駐在弁務官だったレムシャイド伯の名も挙げられていたでしょう? フェザーン方面からの亡命者たちだけで正統政府の形を整えることは可能だったでしょうに」

パトリチェフの口にした疑問を受けて、シェーンコップは自らの顎へと手をやりポプランはその両腕を組んだ。確かに不自然だ。同盟の損益を考えた場合、吊り合いが取れているとは言い難い。帝国──この場合ローエングラム侯の勢力を指す──の攻勢を呼ぶと分かりきっている宣言をするというのに戦略的には著しく不利な状況を自ら整えている。政府首脳がそれほどまでに無能であったとひと言で片付けるのは簡単だが、何やらその向こうには得体の知れない巨大な意思が動いているのではないかと想像してしまう。

「……提督が」

未だ幼さを残す少年の呟きに顔を上げたアッテンボローが、わずかに頷いて発言の続きを促す。彼らにあてがわれたホテルの外はとっぷりと日が暮れて、都市の街明かりが星のように浮かび始めていた。

「提督が以前仰っていました。帝国と同盟、両国の戦争により利益を得ている第三者がいると。彼らは今回の講和について、どのような妥協を見出したのだろう、と」

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