キルヒアイス推しの女オタクが作中に転生したので推しの幸せを守るために奔走したいと思います   作:響谷

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姉の身代わりとなって周辺の目を誤魔化していたそれは、全身整形を施したまったくの別人であることがわかった。ここまで精巧な全身整形技術は一般には公開されておらず、姉とその侍女に成り代わっていた女二人が飲み干した瓶の中身もサイオキシン麻薬と同系統の成分で調合された即効性の神経毒であったらしい。静脈注射で直接筋繊維に叩き込むならまだしも、経口摂取で即死に近い結果を得られる毒なんて市場に出回るわけがない。なんらかの、それも大規模な犯罪組織が関わっていることはほぼ間違いないというのがケスラーの見立てだ。状況を見る限り誘拐と解釈するのが一般的な思考回路だろう。キルヒアイスや、グリューネワルト伯爵夫人がそのような犯罪組織と通じるはずがない、という認識をケスラーもオーベルシュタインも持っているようだった。

ラインハルトも無論、理性では彼らと同じような見解に至っていた。姉は誘拐され、キルヒアイスは彼女の身柄を盾に身動きを封じられているのではないか。同盟に攻め入り、ゴールデンバウム王朝正統政府を倒しあのふたりを助け出す。それが差し当たって自分の取るべき方針であると理解しているから帝国宇宙艦隊司令長官としてまだ動けている。だが理性以外のところでは、ラインハルトは森の中に捨てられた子どもだった。

自分が悪いことをしてもあのふたりならいつだって見放さず、喧嘩相手に一緒に頭を下げて、それから共に夕食をとってくれると思っていた。でも自分は、そういうことを積み重ね過ぎたのではないか。ローエングラム侯の暴虐に耐えきれずふたりは逃げてきたと、そう同盟内で流れるテレビ放送が言っている。皇帝の両親を殺してから一度も姉の待つ自邸に帰っていない。いくらよくできた偽物だからって、自分が顔を合わせて話をしていれば起こっている事態を看破できたはずだ。姉が身代わりと入れ替わったのはここ1ヶ月以内のことに違いない。大好きで、大切で、それ以外の価値をすべて無に帰すことができてしまうほど愛しているのになぜ自分は彼女の顔を見れなかったのか。──後ろめたかったからだ。ひとりの少女の意思や人格を無視して王宮に閉じ込め政治的に利用することを良しとした。ブラウンシュバイクの娘だからと、古臭くて馬鹿馬鹿しい偏見と差別に基づいて彼女を軽蔑し誠実に対応したことは一度としてなかった。あの娘はおれを、確かに親愛の籠る目で見ていたというのに。その想いと、確かに存在した献身に報いず、おれはおれの中の闇を終ぞ否定し切ることができなかった。キルヒアイスがいい人で居続けてくれると言うから、おれはそれに甘えきってオーベルシュタインの暗躍を黙認した。

「──あねうえ」

深夜に近い時間、彫像のようになって執務室の椅子に座り込んでいたラインハルトが己の手を組み額をそこに押し当てた。懺悔するような、赦しを乞うような、あまりに心もとない声が喉から搾り出された。

「姉上」

許してくれるはずがない。だってあの人がそうだったのだから。意思も人格も無視されて強制的に後宮に納められ、美しい宝飾品の如くモノとして扱われ好きでもない年寄りに愛玩されてきた。踏み躙られる痛みを知っている。自由という言葉が宇宙の果てにあるような孤独を知っている。どんなに想っても届くことのない、刺さるような寂しさを知っている。なぜ、気付かなかったのだろう。あの人は弟である自分などより、エリザベートの方に心情を重ねるはずだ。いや、何もかもすべてわかっていたのに、自分はひたすら目を逸らしていただけなのだ。目を逸らさなければ、エリザベートの両親を殺すことも、彼女自身の命を狙うことも、到底できなかっただろうから。

息もできないほど苦しくて、ラインハルトは自身の頭を抱え込み激しくその金髪を握りしめた。そうしてエリザベートを通し姉を苦しめる自分を見て、キルヒアイスは何と思っただろう。許せない。ついていけない。見捨ててやる、と、思ったのではないか。わかっている、わかっているのだあの人たちが自分を愛してくれているということは。愛とは無償のもので、自分がどれだけ幼く未熟な存在であったとしてもあの人たちは見捨てない。わかっているのにラインハルトは苦しんだ。自分の中の、自分を責める人としての部分が、愛するふたりの姿をとってラインハルトを蔑み罵ってくる。わかっているのか。おまえは姉を踏み躙ったゴールデンバウム王朝のようにひとりの少女からすべてを奪おうとした。あれほどルドルフを憎んでおきながら、おまえは彼と何が違うと言うのか。奪われる痛みを知っていたはずなのに、野心に取り憑かれるあまりそれすら忘れてしまったの。あ、あ、と臓腑を焼く後悔のせいで呻き声が勝手に漏れ出ていく。

「……なさ、ごめ、なさい」

ごめんなさい、ごめんなさい、おれが悪い子だったから、何もかもおれが悪かったから、ぜんぶ謝ってちゃんと償うから。夜の中でひとり金髪を掻きむしって、少年のままでいる彼は心臓を差し出すように窓の向こうの星々を見上げた。わかっていたのだ、ふたりが想い合っていることなど。もっとふたりの、ふたりだけの時間を作ってあげるべきだった。ただおれは姉上も、キルヒアイスも大好きで、離れがたくて仕方なかっただけなんだ。自分はキルヒアイス以外と関係を築く努力をしてこなかったから、ふたりの間に入れてもらわなければどこにも居場所がなくなってしまうと思っていた。本当に子どもだった。おれはずっと子どものまま生きてきたのだ。でも姉上、キルヒアイス、そんなおれを許して甘やかしてきたのはあなた方ではないですか。おれをこんな風にしてしまったのは、あなた方にも責任があるのではないですか。一度も叱らずに黙って姿を消すなんて、そんなにおれのことが嫌いになったのですか。あなた方が人格的に立派であることは、よくわかっている。おれの幼さに呆れてしまうのも無理はない。本当は自分こそが、あの暖かいお茶会の中でもっとも相応しくない存在だったのかもしれない。でもだからって、今さら置いていくのは酷すぎやしませんか。叱ってくれたら、今度はきちんと変わる努力をする。自分を抑えることを覚えて、大好きなふたりの関係を尊重する。姉上がやめろと言ったらやめるし、キルヒアイスにおれの良心を押しつけることもしないから。ふたりに好かれる、おれになるから──。

「だから、おれを見捨てて、いかないで」

涙で潰れたその懇願を、聞く者は誰もいなかった。

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