キルヒアイス推しの女オタクが作中に転生したので推しの幸せを守るために奔走したいと思います 作:響谷
キルヒアイスとユリアンと保護者たち
番外編 -2-
キルヒアイスは柔和な微笑みをその顔に浮かべながら少々首を傾げていた。
ユリアン・ミンツは文武両道の優等生と聞く。事実彼は非常に明朗な話し方をして、初めて顔を合わせたときは流暢な帝国標準語で挨拶をしてくれた。自分が15歳の頃はこんなに大人だっただろうかと気恥ずかしくなるほどよくできた子で、何事もよく考えてから発言し誰もに好かれるような静かな微笑みを湛えている。自分にはよくわからないが、この歳にして政治への関心が高くどの話題についても一定の見解を述べる力があるというのは同盟では普通のことなのだろうか。きっとそんなことはないのだろうなと彼と席を並べる少年少女たちを見て思う。ユリアンが元から持った素質であるのか、養父の薫陶よろしきを得ているのか、おそらくは双方なのだろう。そう微笑ましく思いながら彼の活動を見学して3日目。白兵戦の訓練で彼は本来の調子を出せないでいるようだった。
「おらおらどうしたぁ! キレがないぞユリアン!」
見かねたポプラン少佐が訓練場の端で給水しているユリアンの肩を抱いた。おそらく自身も仕事の合間であって、ふらりと訓練兵たちの様子を覗きに寄ったのだろう。キルヒアイスの観察によると、このポプランというスパルタニアンパイロット、地上に足をつけたままでも相当やる部類である。なぜ艦載機のエースパイロットが地上戦まで得意なのか不思議なところではあるが。
「うわっ、どうしたんですか少佐、こんなところで」
痛いところを突かれたのか、亜麻色の髪の少年は気まずそうに微笑んで話を逸らそうとする。すぐ側の壁際に立っているキルヒアイスに顔を向けて、ポプラン少佐は屈託なく肩を竦め健康的な笑みのまま眉を下げた。
「お気を悪くせんでください、元帥閣下。こいつはたぶん、あなたに見られて緊張してるんです」
ぎく、とその身を固めてさっと視線を逸らしたユリアンを見つめて、キルヒアイスは僅かに首を傾げた。
「緊張」
「未熟で当たり前のくせに、一丁前に緊張するなんて生意気だぞ!」
わしゃわしゃと汗をかいているユリアンの髪を撫で回して、ポプラン少佐は少年から笑顔を引き出そうとする。少し硬くはあるが、ユリアンは控えめな微笑みを漏らしてエースパイロットの気遣いに応えようとした。
「て、提督!?」
「これは、ヤン提督!」
そのとき広い訓練場に水滴を落としたような細波が広がった。僅かながら場の空気が変わって、教官をはじめとしたすべての人間が敬礼の姿勢を取っていく。さざめきの中心に目をやると、そこにはこの艦隊の主人である中背中肉の男の姿があった。
「ああ、いいよ、みんな続けて。邪魔して悪いね」
おざなりな敬礼を返しながらひらひらと手を振って、彼は本当に申し訳なさそうに壁際を伝ってキルヒアイスのところまでやってきた。また軍帽を取って頭を掻きながら彼はどうもと会釈してくる。
「いつもは仕事中に通りかかるだけなんですけど、今日はこの通り閣下の姿をお見かけしたもので。立ち寄ったはいいものの肩身が狭いことこの上ないですね」
はは、と頼りなさそうに笑って眉を下げているヤンに、キルヒアイスは何度目とも知らぬがまた首を傾げた。
「肩身が狭いと仰いますか。提督はこの艦隊の主人でありますのに」
このように親しみをもって尊敬されてもいる、と続けながら場内を見渡すとヤンはとんでもない、と首を振った。
「私、ご覧の通り肉体労働はからきしでして。教官たちはむろん、ここにいる学生たちにだって勝てる気がしません」
おそらくはそうなのだろうな、とは思っていたがこうも恥ずかしげなく口にされるとやはりキルヒアイスは衝撃を受けた。軍人たるもの、自身の戦闘力に自信を持っていて当たり前。肉体も魂も頭脳も、すべて備えてこその指揮官である。帝国では、文字通りぜんぶひとりでできるのが当たり前だった。
「ユーリアン。おまえさんが提督を守るんだろ? な」
キルヒアイスを挟んで息を潜めていたユリアンの背を、ポプラン少佐がポンと叩いた。あ、あ、と数秒言葉に詰まっていた少年が、どうにか立ち直ってぴしりと初々しい敬礼の姿勢を取りヤンに向かい合う。
「はい! 提督が安心して作戦指揮を行えるよう、きっと背中をお守りします!」
切実な憧憬で煌めき、潤む瞳。キルヒアイスには、驕りかもしれないがユリアンのすべてがわかるような気がした。
対してヤンの方へと目を向けると、彼は驚くほど親としての表情を浮かべて愛しさと葛藤を黒くなるまで混ぜ込んだような瞳を細めていた。どうにも浮世離れした掴みどころのない人物であるはずなのに、彼がユリアンを見る目は息を呑むほど普通の人間のようだった。
「……ふむ」
ふたりを見比べて、キルヒアイスはようやく気付いた。ユリアンは常に「魔術師ヤンの養子」として見られるのだ。自分の評判が悪ければ提督に迷惑をかけるし、成績を落として同盟最高の智将の名を汚すわけにはいかない。その身にかかるプレッシャーは到底その15歳の背中に見合わないはずだ。ユリアンの生き方は薄氷の上を歩くような危ういものだと、キルヒアイスは思った。それでもヤンが注いでくれる確かな愛情とそれを信じ切る健全な精神性が、彼を彼のまま生かすことを許しているのだろう。
自分たち……ラインハルトやアンネローゼ、そして自分とはまた違った在り方。親と子としての関係が、彼らを繋ぐ絆の糸の中には確かに存在しているのだな、とキルヒアイスは眩いものを見つけたように小さく微笑みを浮かべてしまった。
「私に見られているという状況に緊張を覚えるのなら、どうでしょう。私と訓練をしてみては」
即座にぎょっとした表情を浮かべたのはヤンで、ユリアンは何を言われているのか理解できないというように固まってしまった。ポプラン少佐はヒュウ、と口笛を吹いてユリアンの背中をばんばんと叩いている。
「いいじゃないか、そうしてもらえよ。気前のいい元帥閣下に直接おまえの成長具合を見てもらえ」
えっ、そんな、と尻込みするユリアンを無視して、キルヒアイスは傍らに控えているベルゲングリューンに自らの上着を預けた。
「帝国の軍服は硬いところが多くて、怪我をさせてはいけませんから」
どうやらこの客人は本気らしい、と理解したユリアンが恐々とした表情をどうにか引っ込めて、かちこちの敬礼をした。
「はっ! ユリアン・ミンツ軍曹待遇、元帥閣下から勉強させていただきます!」
あちゃー、とでも言いたげに顔を手で覆っているヤンを壁際に置いて、キルヒアイスとユリアンは場内に進み出る。最初は確かに動きが硬かったが、キルヒアイスと手合わせしているうちにユリアンの緊張は解けていった。全力でかかってもなお及ばない相手だと感覚で理解したからだ。誰に見られているとか、いい成績を残さなければならないとか、そんな雑念が飛ぶくらいの濃い時間を彼らは共有した。目の前に存在する圧倒的な白兵戦の手練れに、ユリアンはその身につけたすべての技術をもって挑んでくる。器用で、隙はないが、まだ型に沿っている。戦場仕込みのキルヒアイスの守りを崩すには至らない。それでも見惚れるほど美しい、若い研鑽の結晶である技の数々に、キルヒアイスは少年の素質や成長率を存分に感じ取ることができた。
「はッ、はぁっ……! まだまだ……!」
「その意気やよし。満足するまでいらっしゃい」
シェーンコップ准将に稽古をつけてもらっているみたいだ、と少年は漏らした。シェーンコップ准将。やはり見かけで多少はわかるがそれほど強いのか。気になる存在ではあるな。
もはやお互い以外何も見えていないふたりに、ヤンは壁際から弱々しい言葉を投げかけていた。
「ユリアーン……おまえは別に元帥に敵わなくてもいいんだよ〜……」
黙って見ておきなさい、とポプランがヤンの腕を小突く。葛藤が前面に露出して落ち着きのないヤンに、ポプランはやはり皮肉げながらも柔らかい笑みを浮かべて壁に寄りかかった。
「提督のお気持ちもわかりますがね。たまには褒めてやるべきです。それがあなたの望む分野での結果でないにしても」
「……わかってるよ」
ユリアン、と呟いて養い子の奮闘を見つめるヤンには、やはり答えが出せなかった。ただ21歳の元帥と15歳の少年が互いの技をもってぶつかり合う光景の美しさというものは、その場にいたすべての人間が否定できないほど確かにそこに存在していた。