キルヒアイス推しの女オタクが作中に転生したので推しの幸せを守るために奔走したいと思います 作:響谷
フレーゲルを早期に排除したためにあらゆるところに齟齬が出てきた。良い(と今のところ思える)影響はグリューネワルト伯爵夫人暗殺未遂事件が起こらなかったことだ。あれは皇帝の寵愛を失い憎悪を募らせたベーネミュンデ侯爵夫人がアンネローゼ様を逆恨みして起こる事件なのだが、わたしの感想では彼女を唆し、実行部隊を貸し与えたフレーゲルがだいたいのところ悪い。これはOVA独自の解釈だった気がするけど侯爵夫人に協力した何者かがいるはず、というのは納得できる説だ。アンネローゼ様に危ういことが起こらなかった、というのはそれはもちろん嬉しいことなのだがそれ以上に、ベーネミュンデ侯爵夫人があのような結末を迎えることがなくてよかったというのが大きい。彼女は2回の死産を経験しているがどちらとも門閥貴族の魔の手によるおぞましい殺人だったのではないか、とは誰でも推測することだ。彼女が歪み、壊れてしまった原因が自分の父や自分を生かす環境にあるのだと思うととても人ごとではいられなかった。悲しいあの人をその身の砕け散るまで男たちの手のひらの上で踊らせずに済んだ、そう思うとほんの少しだけ善行を積んだ気になった。
そしてここからは本編ノンストップの展開である。夏も盛りのうちからミューゼル艦隊はイゼルローンめがけて出征(ミッターマイヤー少将暗殺未遂事件を暴露したとしても目障りなのは同じなので前線に送るという結論は変わらなかったらしい)し、惑星レグニッツァ、第4次ティアマト会戦、明けて帝国暦487年、いよいよ本伝開始の時間軸に辿り着いた。アスターテ会戦、イゼルローン陥落、と軍事的重大事件が次々と起こる中エリザベートは16歳となる。敵前逃亡の罪に問われそうになっていたオーベルシュタイン大佐は無事にラインハルト麾下に加わったらしい。複雑な気持ちもなくはないが彼がいなくてはどこまで歴史が狂うか計り知れないところがあるので、欠けたら欠けたで恐ろしい人だと思う。そして8月。ローエングラム伯に勅命が下った。近く大挙侵入を企む反乱軍をことごとく撃退せよ、と。
「オーベルシュタイン大佐。今は准将なのだったかしら?」
ほとんど想定外のことに向こうから接触してきた。今回の同盟軍による帝国領侵攻作戦の後からが勝負だと思っていたのでかなり面食らったし怖かったが、ローエングラム陣営と繋がりを強めておくのはいいことなのでどうにか平気な顔を作ってそう視線をやる。
「はい。本日はひとつ、フロイラインのお耳に入れておきたき儀がございまして」
新無憂宮の外縁、川涼みに訪れた避暑地で傘の影に佇むわたしのすぐ隣に、堅苦しい軍服のままでいるオーベルシュタインは並んで立った。
「ローエングラム伯から聞いております。フロイラインは現在の帝室や、その権力基盤にこだわりがないと」
「そうね。でも、一方的に今持っているものを放棄しようなんて思わないわよ。それらを引き換えにしてでも手に入れたいものがあるって、それもご理解いただけてる?」
彼は呆れた顔すらしてくれなかった。本当になんの感情も表さないまま、オーベルシュタインははい、と返す。姉の力で成り上がった恥知らずの下級貴族の若造に、公爵令嬢は物好きにもご執心らしい。そう噂が立ってもう一年は過ぎただろう。どうせ顔しか見ていないのだろう、と言われていることは知っているがエリザベートはそれでもまったくかまわなかった。
「ローエングラム伯もご承知なさるでしょう。しかし失礼ながらフロイラインは未だ16の婦女子、お父君に対して対抗し得るほどの力はお持ちではないのではないですか?」
そうね、と大人しくその事実を認めてエリザベートは小川に浮かんだ笹舟を見た。現状ではローエングラム陣営はブラウンシュバイク家を味方につけた、とは到底言えない。そう指摘されるのは当然のことであった。
「そうだろうと推察しまして、小官が手を打っておきました。そこにいる、令嬢の護衛隊長。お見えになりますか?」
オーベルシュタインの視線を追って、エリザベートは顔を上げる。川の向こう、木々の影につけた地上車に寄りかかって、中に待機している部下と何か会話しているらしき軍人の姿が意識に入ってきた。木の影になってその顔立ちはよく見えないが、おそらく相当若い。目を凝らしてみるとその人物は影に紛れるのにちょうどいい、暗めの栗色の髪をしているのがわかった。
「彼をフロイライン直属の戦闘員、兼、諜報員としてお使いください。彼はブラウンシュバイク公爵家の私兵の中ではNo.3の地位にあります。その上のふたりは無論、ご存知でしょうが」
川辺の木陰に相応しい涼しげな顔ですらすらとそんなことを言うものだから、いったいどんなよそよそしい世間話かと思ってしまう。この男、今とんでもないこと言わなかった? オーベルシュタインと、彼の指し示す人物の間に三度、四度視線を往復させて、ようやくこの世界が目に見えている通りではないのだということを理解する。さぁっと川涼みの必要がないくらい体温が下がって、エリザベートの身体は微かに震えた。
「……お父さまの軍に、あなたの独自勢力を築いたってこと?」
畏れと不快感を即座に表現できたのは、この人物ならそれくらいのことはやりかねない、と本能の部分で既に納得していたからだ。硬い声音でそう僅かな遺憾の意を示せば、オーベルシュタインはぬけぬけと首を振った。
「フロイラインの勢力です。小官はあなた様の目的を補助しているまで」
ふーん。なるほど。そういう姿勢を取ればわたしを操れると思っているわけね。まぁ今のところはいいわ、その程度で操れる相手だと思わせておいてあげようじゃない。
「お父君が障害になるときは拘束するなり牽制するなり、好きなように実力行使に出るがよろしいでしょう」
「そうしないですむようにやってみるつもりよ。ねぇ、オーベルシュタイン」
「は」
隣に突っ立っている相手に、小首を傾げて視線をやる。上目遣いに甘えつつ悪戯っぽく微笑んでやれば、20近くも年上の彼はきちんとわたしに目を合わせてくれた。
「ローエングラム伯が実権を手に入れて、かつお父さまも納得する。わたしが女帝になれば、すべて丸く収まるのではなくて?」
虫の音が遠く響く中、無機質な渋茶色の瞳が仄かに赤く明滅した気がした。