キルヒアイス推しの女オタクが作中に転生したので推しの幸せを守るために奔走したいと思います 作:響谷
ヤンとユリアンの過去編です
いつもながら捏造しかしてないです
ユリアンが倒れた。シルバーブリッジに彼がやってきて3ヶ月後のことだ。私の目の前で、几帳面にも夕食後に皿をしまい終わった直後にキッチンの向こうに頽れた。
〔そりゃあ保護者が無理をさせたからだろう。有史以来初めておまえさんの部屋が片付いて、毎朝何もせずとも朝食が出てきて、いつでも清潔なベッドで寝られるようになったのは誰のおかげだ? 12歳の、それも環境が変わったばかりの子どもにしては働きすぎだと気付かなかったのか?〕
熱を出した子どもの扱い方なんてわからない。藁にもすがる思いで勤務中のキャゼルヌ少将に連絡してみればオルタンス夫人を寄越すと言ってくれた。むろん併せて説教もついてくるのだが。
「反省しています。私にしては珍しく真剣にね。ただ了承した覚えはないんですよ、私は私の度量をよく弁えているつもりなので。未だ保護を必要とする子どもに対して偉そうにあーだこーだと指図できるほど出来た人間に見えます?」
〔いいやまったく。だがな、ヤン、おれだってひとさまの親になれるほど立派な人間じゃないはずなんだ。それでもうちの娘たちはいい子だろう。完璧な親なんてこの世には存在しない。早いとこその潔癖をなんとかして、諸々諦めて、開き直れ。でないとユリアンが気の毒だ〕
あなたが連れてきたんでしょう、と言ってやりたいのはやまやまだったがこれ以上の問答は本当にユリアンが気の毒に思えてくるのでやめた。両親を失った子どもの親権を押しつけあって揉めてる親戚同士みたいに側からは見えるのではないか、と自分自身に対して忌避感を覚えて出かかった文句をため息とともに呑み込む。
〔オルタンスは子どもたちを義母のところに預けに行っている。朝にはそちらに着くだろうからそれまではユリアンについていてやれよ〕
なんだかんだ言ってありがたい。この先輩は何がしたいんだ。人並みの生活を送れだの処世を考えろだの、世話好きが高じてヤン・ウェンリーという社会不適合な珍獣の飼育員みたいになっている。実際、飼育員の立場から諸々のお節介を焼いてくるのだと思うと様々なことに納得がいってしまうのが不本意でもあった。
「……」
静かに、音を立てないようにドアを開けて灯の消えた室内で寝ている被保護者の影を視界に収める。12歳といえばほとんど幼児じゃないか。ヤンは自らがその年齢だったときのことを思い出して困ったように眉を下げた。荷物の積み下ろしのときに港ですれ違うボリスといたずらをしてしこたま怒られたり、今となっては珍しい紙の本を父の商品棚から勝手に持ち出して読み散らかしたり、やっていたことといえばその辺りだ。もっと子どもらしく振る舞えばいいのに、そうあるべきなのに、とユリアンを見るたびにそう思うが自分の生活能力の悲惨さを鑑みればそんなことも言ってあげられない。この関係をいったいどうしたらいいのか、わからないことだらけの世界の中でももっとも切実で難しい問題だった。
「大佐。ぼくは起きていますよ」
街灯に照らされる窓辺のベッドから、声変わり前の少年の声が聞こえた。苦笑いして、ヤンは室内に入り後ろ手にドアを閉めた。
「具合はどうだい、ユリアン」
彼の勉強机から椅子を引っ張って、少年の傍らに腰をかける。どうもこうも、汗に濡れたその亜麻色の髪を額に貼り付けて苦しそうなのは目に見えてわかっていた。
「お医者さまを呼んでくださってありがとうございます。ずいぶん落ち着きました」
この子の言葉はすべてが如才ない。これまで育ってきた環境の影響もあるのだろうし、生来の気質が自分とはほぼ真逆のところにある子だというのもこれまで一緒に過ごした短い時間の中で気付き始めていた。
「ユリアン。なぜ倒れるまで無理をしたんだい。私に体調不良を言い出すのは、そんなに難しいことだったのか」
その額に手を伸ばして、濡れた髪を払ってやる。温めてしまっては苦しいだろうと思って、頭を撫でるのはやめておいた。たったそれだけの接触に、ユリアンはその潤んだ目から大きな滴を溢れさせた。
「っ……。迷惑をおかけして、すみません。ぼくはただ大佐に、心配をかけたくなくて」
「迷惑だなんて思わないよ。子どもが熱を出すのは春になったら嵐が来るくらいに当たり前のことだ。私は当たり前のことにいちいちため息をついたり嫌そうな顔をしたりしないよ」
ユリアンは声が震えてしまうのが嫌なのか、こくん、と頷くだけで理解を示した。熱が出て少し涙腺が緩くなっているらしい。どちらにしろ子どもが泣くのを見るのは愉快なことじゃない。
「私の態度が悪かったことは自覚している。ユリアン。私は君が来てくれて嬉しいんだ。君が夕食を作ってくれたり洗濯物をしてくれたりするからではないよ」
まぶたを濡らしながら、ユリアンは意外そうにこちらを見上げてきた。やっぱりこの子は、役に立つことで私に存在を許されようとしていたんだ。痛ましさに胸が軋んで、ヤンはきちんと自分の思いを言葉にしておくことを選んだ。
「私がこれまで何のために最善と信じる行動を選択して何のために戦ってきたのか、その答えがここにある。私が帰ってきたときに君がおかえりなさいと言ってくれる。たったそれだけのことで、私は十二分に報われるんだよ」
微かに首を傾げて微笑むヤンに、ユリアンは小さく息を呑んだように見えた。軍人だった、彼の父親のことでも思い出しているのだろうか。ヤンがどのような戦いを生き延びてきたのかをこの幼い少年は1割も想像できないだろうに、それでも目の前にいる相手のためにユリアンは心を痛めてくれた。
「……大佐は、優しい人なんですね」
純粋な少年の感想に、ヤンは頭を振っていいや、と言った。
「優しくなんかないさ。ついでに言うと正しくもないし善い人でもない。おまえの保護者は欠けたところだらけだ。いいかいユリアン、大人が子どもの面倒を見るのは当然のことだ。そうすべきことなんだ。私はね、すべきという義務や規範からは逃げないと決めている。それだけのことなのさ」
ヤンの言っていることがよく理解できないのか、ユリアンは眉を寄せている。思えばこれが、彼と主義主張や思想の語り合いをした最初の夜だった。
「我々の、民主主義という社会はたくさんの"すべき"が前提になってまわっている。少数者の意見を聞くべき、力無き人を助けるべき、相互に許し合うべき……挙げていけばきりがない。でも"すべき"というのは同意者による努力義務みたいなものだからね。誰でも簡単に背を向けることができてしまう。そうなるとこの社会は立ち行かなくなるだろう?」
「……はい」
「だから私という小さな個が、"すべき"を積み重ねていかなければならないのさ。民主主義を守る軍人としてね」
立ち上がって、今度こそその額に手を重ねる。ユリアンは飽和する情報を解きほぐそうとしているのか静かに落ち着いた表情をしていた。もともと考えることが嫌いじゃない子なのかもしれない。次に私を見上げたときには、彼はどこか満足げな目をしていた。その瞳はこの子の淹れてくれる、澄んだ紅茶の最後の一滴のような色をしている。
「子どもは寝なさい。成長のためにはそうするべきだよ」
ふふ、と微かに笑って、ユリアンは悪戯っぽくヤンを覗き込んだ。
「ぼくはするべきことをしないかもしれませんよ。大佐は、大佐以外の人が"すべき"から逃げてしまったらどうするんです?」
少年の問いに、ヤンは肩を竦めて答えを混ぜっ返した。まともに答えてしまっては、まるでこの身こそが宇宙を支えるアトラスの巨人であると驕っているように聞こえてしまうことに気がついたからだ。
「そんなことにはならないよ。おまえをはじめ世の中には私より遥かに真面目でまともな人間がたくさんいる。彼らが潰れてしまわないように、私は横に立っているだけだよ」
翌日、熱の下がったユリアンに家政婦を雇おうと思うんだと打ち明けたが、少年の強い拒絶によりその提案が実現することはなかった。