キルヒアイス推しの女オタクが作中に転生したので推しの幸せを守るために奔走したいと思います   作:響谷

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「それは本当におれの子なのか」

照明を落とした薄闇の向こうに、滲み出てくるような気配があった。深夜、皇帝の居室にて。両親の葬式以来およそ2ヶ月ぶりに顔を合わせる男が、前置きなしにそう呟いた。

「……あなたに、父であることを求めたりしないわ。わたしは母に、なるけれど」

「そうか」

以前はあんなに簡単に押し倒してきたのに、今の彼は衝立よりこちらに足を踏み入れようとはしなかった。陰になってその表情はよく見えない。怯えているのか、とエリザベートはそう思った。

「この要塞には同盟水準で言う最高峰の医療環境が整っている。おまえの出産まで同盟出身の医師を止めて置けるかは、保証できないが」

言い訳のようにそう並べ立てて、ロイエンタールはふと頭を振った。

「おれよりもメルカッツが努力する。彼が努力しても届かなかったのなら、それは誰にも成し遂げられないことだったのだろう」

エリザベートはほとんど働かない頭を傾げて、そこに突っ立っている影を見た。彼の言葉は、まるで自分と腹の子を心配しているかのように聞こえた。

「……エリザベート。おまえはその腹の中の子を守りたいか」

冷徹な声音で、ロイエンタールは影の中から女帝を見下ろした。クッションに背中を預けているエリザベートが、膨らみ始めた自らの腹を撫でる。ロイエンタールはほとんど硬直しながらその光景を眺めていた。

「……エリザベート。おれはおれの野心のためにおまえとおまえの腹の中の子を利用する。ただ利用されるに甘んじるか、おれを逆用して守りたいものを守るか、それはおまえ次第だ。この状況にあっては、殿下はいざ知らず、オーベルシュタインが必ず殺しに来るだろう。その腹の中の生命をな」

ぽたり、と涙が溢れて妊婦の寝間着に染みを作った。生まれる前からこの子にかけられた呪詛が強大すぎて、エリザベートの胸は引き裂かれんばかりだった。

「戦うか、その子もろとも殺されるか。どちらがよりおまえの望む未来に近いのか。……選択の余地は、ないように思われるが」

ぽた、ぽた、と落ちていく涙の音だけが返事をしている。戦争はいやだ。戦争ほど愚かしいものはないと訴える作品だったはずだ、この世界を描いたそれは。キルヒアイスを守り切れなかった時点でわたしの命に価値はない。早く死にたいとすら思ったはずだ。でも、この子は……まだ生まれてきてもいないこの子は。この世に生まれてくる、権利があるはずだった。

「ローエングラム体制に宣戦布告をするのね。いいわ、わたしを使いなさい」

腹に手を当てたまま、エリザベートは意志のこもった目を上げた。覚悟はできていないが、決意だけはした。この先に何があったとしても、この子が生きられる世界を自分は望もう。

頰を濡らしていた涙を無視して、ロイエンタールを睨め付ける。彼はわたしたちを道具としか思っていない。そんなことはわかっている。こうしてわたしの目的を確かめようとするのは、彼の戦略にわたしの協力が必要不可欠だからだ。道具でも構わない。少なくともロイエンタールは、わたしたちを使える道具だと思っている。

「あなたの野心に乗ってあげるわ。あなたが倒れたらわたしもこの子もお終いなんだから。勝利以外の結末は、わたしがあなたに許さない」

数秒沈黙したロイエンタールが、ふ、と微かに笑みを漏らした。肩を竦めて、やっと彼らしい冷笑的な態度が戻ってきた。

「ほざいていろ。そして思い知るのだな、覚悟と準備を整えたおれに敗北などあり得ないと」

 

 

 

午前の陽が射し込む応接室。ここは帝国の軍政を司るローエングラム侯の元帥府。

「本日はいかなるご用立てでしょうか」

第三者がここに同席していたならさぞ感心したことだろう。氷点下より冷えた気配を発散させるローエングラム侯を目の前にして、飄々としたビジネスライクな笑みを浮かべる男の度胸に。

「交渉かな。どちらにしろ卿の態度による」

尊大に革の背もたれに体重を預け、ラインハルトは手を組んでいる。攻撃的な態度を隠す気もない。元来ラインハルトは芝居とか回りくどいやり方を得意とする方ではなかった。

「なるほど。侯は何をお望みなのでしょうか。私が応じられる範囲のことであれば良いのですが」

なんとかして戯けてみせようとするボルテックを無視して、ラインハルトはその水晶のような目を眇めた。

「応えられるさ。何しろ卿の生命がかかっているのだからな」

ぴくりと肩を震わせた背広の男が、その目を細めてラインハルトを見返した。外交官は命を懸ける職業だ。ただその事実を面と向かって指摘されただけのこと。必死に虚勢を張って、ボルテックは笑みを浮かべてみせた。

「さて。私の命より価値のある商品などこの宇宙にはいくらでも存在します。果たして即答できますことやら」

辛うじて切れずにいるボルテックの矜持と覚悟に、ラインハルトは視線をやった。だが今のラインハルトに、彼の誇りを尊重してやる余裕はない。

「……少々表現を誤ったな。かかっているのは卿の生命と、全フェザーン市民の生命だ」

微かな恐怖を過らせて硬直するボルテックを無視して、ラインハルトは宇宙の半分を図式化した航路図を空中に映し出す。帝国宰相とフェザーン高等弁務官を遮るように現れたそれを辿り、ラインハルトはすっ、と象牙のような指を持ち上げた。

「卿が応じないというのであれば、ここに無差別爆撃を加える。姉上をお救い申し上げるためだ、致し方ない」

ラインハルトの指は、航路図の端に記されたある星を指している。フェザーン本星。自らの生まれ育った、家族や友人の生きる星。背筋が凍って、ボルテックは航路図越しにラインハルトの表情を凝視した。信じ難いことに、彼は本気で今の言葉を紡いだようだった。

「脅しに過ぎないと思うのなら、試しにフェザーン商人を片端から捕らえて尋問にかけていこうか。彼らにも帰りを待つ家族がいるだろうが、仕方ない。姉上が誰にどうやって拉致されたかを知るためだ」

ボルテックにはもはや息もできなかった。この若すぎる帝国宰相は、すべて本気で言っている。英雄と讃えられるに相応しい冷酷な表情が、その事実を表現して余りあった。

「あ……あり得ない。フェザーンの輸送通信網を破壊すれば全宇宙にどれほどの餓死者が出ることか! あなた方帝国軍を養うこともままならなくなりますぞ」

震える拳を握り込んで、ボルテックは怒鳴った。身振り手振りで懸命にそれがどれだけ馬鹿げた考えか伝えようとしても、ラインハルトにはどこ吹く風だった。

「そうかもしれない。だが姉上をお救いできれば報われる」

「そもそも我々フェザーンがグリューネワルト伯爵夫人失踪に関与しているとの確たる証拠がお有りか! いいや、あるはずがない! あなたは無関係の民間人の生命を盾にとって、何を要求するつもりか!」

「フェザーン回廊内の自由航行権。当然だろう」

ぽろりと落とされたそのセリフに、ボルテックは愕然として、それから怒りを露わにした。彼が何かしらの反論に出る前に、ラインハルトは口を開く。

「証拠か。確かに存在しないな。これほど調べても尻尾を掴めないのだから大したものだ。だがこの期に及んでそんなものが必要だろうか? 猿でもわかる。イゼルローン回廊を通ったのでなければ、宇宙の反対側を通過した。2択の消去法なのだから」

「っ、消去法であなたは、民間人を虐殺できるというのか……!」

「できる。先に姉上を巻き込んだのはそっちだろう」

かたりと席を立って、ラインハルトは一瞬窓の外に視線をやった。彼の傷つき果てた心を察せられる者は、やはりこの場にはいなかった。

「さて、どうする。私はどちらでも構わない。我々帝国軍を祖国の上空に素通りさせるか、それともその道中で官民の区別なく蹂躙されたいか」

氷のように透き通った瞳に射竦められて、ボルテックは唇を噛んだ。確かに自分の生命より、矜持より覚悟より遥かに価値がある。フェザーンに住む、すべての人命などは。

「……こんなものは外交ではない。交渉ではない。暴力でしか成果を得られない、野蛮人めが」

苦し紛れに吐き捨てたボルテックを見つめて、ラインハルトは目を丸くした。数秒後、彼はギリシャ彫刻もかくやという美貌を残忍に歪めた。

「はは」

ありったけの皮肉を込めた嘲笑を上げて、ラインハルトはドアの外に待機している衛兵を呼び寄せる。

「脅迫以外に手段があるものなのか? 外交というのは。先進的なフェザーン人にぜひご教示願いたいものだ、あのキルヒアイスにいったいどのようにして言うことを聞かせたのか」

今度こそ捨て台詞すら吐けなくなって、ボルテックは衛兵に付き添われ退出していった。随分と長い間笑いながら、ラインハルトは目尻に浮かぶ涙を拭っていた。

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