キルヒアイス推しの女オタクが作中に転生したので推しの幸せを守るために奔走したいと思います 作:響谷
即位から2日後、侯爵に位階を進めたローエングラム侯ラインハルトと女帝エリザベートの婚儀が執り行われた。彼は無礼でない程度に模範的な新郎としての振る舞いをして、エリザベートの面差しを覆うベールを避けるとその身を屈めて触れるだけのキスをした。通常であれば父親から婿へと引き渡される形で花嫁が導かれるが、今回は夫である前に臣下である婿の方がエリザベートの下に参ずる形を取った。よってバージンロードは用意されず、金髪の孺子と娘の婚姻を止められないことに愕然として癇癪を起こしているブラウンシュバイク公の出番は訪れることなく済んでしまった。形式上の摂政になりはしたものの、国璽は奪われ娘も囚われて、彼はようやくどちらがこの同盟関係の主人であったか理解したらしい。何度娘に面会を求めてもローエングラム侯の配した警備に拒絶される。怒り狂ってラインハルトへの武力闘争を起こそうとしても既にローエングラム陣営の諸将らが各星域の制圧に出陣した後だった。領地に帰って体勢を整えることもできず、以後はオーディンでの地上戦、地方反乱、宮廷内での闘争で決着をつけることを余儀なくされる。
先帝の崩御から2ヶ月。形式的には初夜と呼ばれる晩である。エリザベートは少し、ラインハルト陣営の過激かつ繊細な采配に感謝してしまっていた。ローエングラム侯に無理やり結婚を迫られて本当は嫌なの助けてとか、本当はラインハルト様と結婚したかったのごめんなさいとか、どちらにしろ父に対してこれ以上嘘は吐きたくなかったのだ。
「……」
シルクのネグリジェを僅かに持ち上げだだっ広い寝台に腰掛けて、窓の外の星空を見る。マリーはわたしの就寝の準備をして、もう下がってしまった。彼女も今や皇帝の侍女で、それも侍従長であるから、皇帝の寝室からは回廊を挟んで向かいにあたる場所に立派な部屋を与えてある。いちおう念入りに身繕いをしてくれたが、ラインハルトは来ないだろう。当然だ。彼に旧体制を象徴する存在と子をなす意図なんかあるわけない。今さら傷ついたりなんかしないけれど、ちょっとだけ惨めではある。どうせ独りでいるなら今しか出来ないことをしておこう、と秘密裏の回線を開いて一時自分の護衛隊長だった男と連絡を試みることにする。目的の相手は仕事中だったらしくすぐに応答してくれた。
皇帝の即位より前に式を挙げて何か男女の情らしきものがあったのではと勘ぐられるより、即位後に結婚して徹頭徹尾相手の身分を利用する気であったのだと取られる方がまだマシだと、そうラインハルトは漏らしていたらしい。そのような事情、誰もわたしに言いたがらなかったがフェルナーだけは素直に教えてくれた。彼はいい意味でも悪い意味でもわたしに同情的なところがないため重宝する。いや、わたしの配下ではなくオーベルシュタインの配下なのだが。
「サビーネとエルウィンは無事?」
通信画面の向こうで、仕事の片手間に皇帝の相手をしているフェルナーがええ、と適当に答える。わたしがいる新無憂宮は日が沈んでしばらく経つところだが、彼の職場はいま夕刻ほどらしい。オーディンの、皇宮から経度90°ほどの位置といえば軍船収容基地があったところだろうか。門閥貴族の軍機能を押さえるために自ら動いているのかな、と想像しつつ無礼極まる彼の態度をため息ひとつで不問に付してやる。
〔ええ、まぁ。総参謀長にしては甘い気がしますが、ご無事ですよ。もっとも子どもたちの面倒を買って出たのはキルヒアイス上級大将ですのでオーベルシュタイン閣下は死亡事故の偽装以外何もしていないのですが〕
エルウィンの離宮は不審火に燃え落ちて、サビーネの亡命船は一家もろとも事故で吹き飛んだ。不審に思う者もいるだろうが、何かしらの行動を起こせばオーベルシュタインから粛清の手が伸びるだろう。こうやって国家というものは無意味かつ重大な秘密の上に死体を積み重ねていくのかと思うと、確かにラインハルトの軽蔑しきった顔も納得できる。
「……そちらでも地上戦が起こっているの」
なるべく感情を消そうとしたけれど、恐らく失敗している。フェルナーはこちらに視線をよこして、なにか打算のないような柔らかい微笑みを浮かべた。
〔つまらないことをお訊きにならないでください。教えられるはずないじゃありませんか〕
「そう……そうね」
侮蔑するでもなく、警戒するでもなく、ただ宥めるようにそう言われてエリザベートは目を伏せた。彼にとって、わたしは味方ではないのだ。当たり前だろう。ありがとう、また何かあったら頼むわね、と言い置いて通信を切る。その姿が消える直前、フェルナー大佐は敬礼をした気がする。小娘のお守りを任されて彼も大変だろう。正直なところ、ここまで来てラインハルト陣営が負けるはずがないのだ。自分はほとんど目的を果たした、ような気がするがまだ油断してはいけない。悲劇が起こったのはいつだって、趨勢が決された後だったではないか。
──4時間前。
「さすが我らの元帥閣下は堂々たるものだったな」
「ああ」
披露宴会場にて新郎新婦の登場を待機している諸将の中にはロイエンタール、ミッターマイヤーをはじめラインハルトの下に参集する諸提督の顔がちらほらと見える。欠席しているキルヒアイス、ルッツ、ワーレンは現在もなお辺境星域を鎮定中でありあと数週間はここオーディンに戻れない。公式にはそう呼称されないが内戦時における皇帝の挙式など前代未聞のことだった。
「なぁ、ロイエンタール。おれたちは祝福の言葉を贈ってもいいのだろうか」
何か思い悩むような顔で手にしたグラスを見つめているミッターマイヤーが、小さく隣の親友に呟く。その横顔を見下ろして、ロイエンタールは蠱惑的に煌めく金銀妖瞳を眇めた。
「閣下はその身を切られたのではないか。私人としての領域を売り渡してしまわれたのではないか。そんな閣下におめでとうございますなんて言葉をかけてもよいのだろうか」
その口から溢れたあまりに凡人らしい感性に、思わずロイエンタールは微笑んだ。彼は幸せな結婚をして満たされた家庭生活を送っている。どうしても自身と比較してしまうのだな、と理解しながらロイエンタールは不敵に笑ってみせた。
「よいのだ。わかるだろう、これは閣下が望んだことだ」
「そうかな」
「そうだとも。それになミッターマイヤー、閣下には私人としての領域など存在せんよ。むしろすべてが私人としての領域と言うべきか。グリューネワルト伯爵夫人の手前、自身のみが幸せな家庭生活を営むことを許せる方だと思うか」
ハッとその顔を上げてミッターマイヤーはロイエンタールを見つめた。その表情に痛切を滲ませ、彼はすぐに俯いてしまった。
「そうだな……15歳で先帝に召抱えられ10年間宮廷に囚われ続けた姉君を思えばこの程度のこと、残酷と表現することすら憚られるのかもしれん」
あの方は自身の野望のために道を選んだのだ、と自分を納得させるように言葉にして、それからミッターマイヤーはわずかに明るい表情を作った。
「皇帝陛下に見えるのは即位式以来2回目だが、比較的健康そうに見えて安心したよ。どうもブラウンシュバイクの娘だというから先入観があって」
苦笑して肩を竦めるミッターマイヤーに、ロイエンタールはわずかに虚を突かれた顔を晒した。並んで立っている親友に、彼の反応は伝わらなかったようだが。
「今年17におなりか。さすがに物怖じしないがやはり幼いな。元帥閣下に焦がれたひとりの少女と思うと他人事ではない気もしてきた」
冗談めかして言葉を続けるミッターマイヤーに、ロイエンタールはつい冷笑を漏らしてしまった。その鼻で笑うような冷たい響きに気付いたミッターマイヤーがむぅ、と不機嫌そうに唇を尖らせて隣を振り返る。
「ロイエンタール」
「いやすまん、卿の女を見る目を馬鹿にしているわけではない。ただサンプルが少ないのだろうと思ってな。卿は奥方以外の女と付き合ったことはないのではないか?」
その直接的な問いに、ミッターマイヤーは顔を真っ赤にして反論しようとした。だがここで見栄を張ってはエヴァにつまらない思いをさせると思い至って、彼は拗ねたようにそっぽを向くことで親友への遺憾の意を表すことにしたらしかった。
「……なんだ。卿の見解は異なるのか? 陛下が以前からローエングラム侯を慕っておられたというのは有名な話ではないか」
卿のような男に一途に想われる奥方は幸せだ、と心からの言葉を呟いてから、ロイエンタールは冷めた目で会場を一瞥した。
「好いた男に口づけられた女はあんな顔などせんよ」
「……は?」
その内容よりも、隣から聞こえた声音があまりに凍えていることに驚いてミッターマイヤーは顔を上げた。彼が親友の顔を覗き込んだときには、ロイエンタールはすでにいつものような皮肉げかつ穏やかな笑みを湛えていた。
「それに健康そうというのもな。あの気配、ほとんど殺気に近い気がしたぞ」
「殺気? あのように若いご婦人がか? ……さすがロイエンタール提督は女性の機微に敏感であられる」
揶揄って危うい軽口を叩き合うのも彼らの間にはよくあることだ。ただ目を細めて見下ろすだけでミッターマイヤーの皮肉を受け流して、ロイエンタールは傾国の笑みを口もとに湛えその瞼をそっと下ろした。
「あれは悪女だ、ミッターマイヤー。邪悪なまでの素直さのために周囲も自らも滅ぼし尽くす、天災の類いの女だ」