俺は、日本中から各界の子息、令嬢が集まるエリート学校、慶秋院(けいしゅういん)、中等部校舎の前で人を待っている。
今日は執事として勤務初日。
神代グループの末っ子の令嬢、神代(かみしろ) 茜(あかね)の下校の迎えのため、運転手付きの黒塗りの高級車を後ろに背筋を伸ばして立っている。
俺の自慢の金髪は今や真っ黒に染まり、いつもは遊ばせている毛先もオールバックに固めている。
いつも愛用しているサングラスも今日は家に置いてきた。
持っている中で一番地味で宝石の少ない、純銀の時計だけが、俺の身につけている物の中で最も高級な品だ。
いつもは限定もののスニーカーばかり履いているので、黒光りする革靴が固くて、苦痛である。
くつだけに。(しょうもな)
しっかし、遅い。予定の時間を四十分も過ぎている。
もうとっくに出てきて良いはずの時間なのだが。
すると、一人の少女が真っすぐにこちらへ歩いてくる。
間違いない、見せられていた写真と完全に一致している。
この女が神代 茜で間違いない。
端整で気高く優雅なその顔立ちは、美男美女であふれる慶秋院と言えど、明らかに数段上の美しさを放っていた。
肩甲骨のあたりまで、しなやかに伸びた上品な黒髪は育ちの良さを感じさせた。
「あんただれ」
なっっ……! 総理大臣をひれ伏す、東雲グループ全体を将来的に引き継いでいくこととなる、次男 東雲(しののめ) 凪(なぎ)にあんただと……?
この小娘、肝が据わっていやがる……!
「ちょっと、答えなさいよ」
「本日よりお嬢様の執事を担当いたします、東雲(しののめ)と申します」
言っちゃった! 俺、人生で初めてへりくだっちゃった! なんか悔しい通り越して、不思議な感じで楽しいぞ!
「舞(まい)は?」
「まい?」
「舞は?」
俺の頭の中で、まいという音がゲシュタルト崩壊する。
まい? マイ? MY?
その様子を途中から車窓を開けて聞いていた運転手が、俺に小声でささやく。
「執事長ですよ……! シツジチョー!」
「あぁ~! 執事長ねえ!」
「はあ? なんなのあんた」
こんのクソガキなめた口を……!
「九条(くじょう)執事長は本邸(ほんてい)にて、業務を取り仕切っておりますので…………今日は私が……」
「今日? じゃあ明日はあんたじゃないのね?」
「いえ、九条さんは先日退職された前執事長に変わって、これからは全体業務を統率する立場ですので……もう、茜さまの専属ではありません……」
「は? キモ。気やすく名前を呼ばないでくれる?」
「んぐっ……」
危ない、危ない。あやうく全語彙力を結集して、あの巨大な神代グループの令嬢を罵倒するところであった。
なんとかこらえて、俺は答える。
「ですので……これからは私があなたの専属執事に…………」
「はぁああ?! あんたが私の専属ぅうう?! なんであんたみたいな寂れた男なのよ!
舞に私のところに戻ってくるように言っておいて!」
はぁああん? このガキ、大臣全員のLINEを持ってる俺にふざけたことをぬかしやがって! 一回しばきまわしたろか?
「ちょっと、はやくしなさいよ」
「はい?」
運転手が額の汗をハンカチで拭いながら、俺にささやく。
「ドアですよ……! ドアーー……! 開けてください……!」
「あ、ああ~」
俺は手早く、後部座席のドアを開ける。
「ど、どぞ…………」
「ふんっっ!」
クソガキは髪をはらって車の中に入っていく。
俺は始まって数分の人生初となる仕事にため息をつき、ガキに続く。
「は?」
「え?」
「なに隣に座ろうとしてんのよ、バカなの?」
え? いよいよわからない。
コンコンと仕切りのガラスをたたく音がしたので、そちらを向くと、運転手が血眼になって助手席を指差している。
え? こういうのって隣でスケジュール伝えたりするんじゃないの?
まあ、確かに少なくともここまで来るときは助手席だったので、俺は前に移る。
「はあ……」
俺は思わず、イライラをドアにぶつけ、少し強めに閉める。
「ちょっと……!」
「うわ、びっくりした」
横を見ると、運転手が汗まみれで俺を凝視していた。
運転手は仕切りの存在を目視で再確認すると、早口でしゃべりだした。
「ちょっと……! 東雲くんでしたよね……!
あなた正気ですか? 新人の執事が入ったって聞いたときは、いきなり茜お嬢様の専属だなんて言うからどんなエリートかと思ったら……!
なんなんですかあの態度は……! 下手したら消されますよ!!」
「もう~そんなおおげさなあ~。消すって言ったて、まあ、俺もクビにされたら困るけどさあ~」
「何言ってるんですか! 殺されますよ! 東京湾に浮かぶはめになるって言ってるんです!」
「あ~、東京湾ねえ~。何回か泳ぐ羽目になったことはあるけど……」
「はあ?! 何言ってるんですか!」
「いや、ついこの間もぷかぷかしてたばかりだよ。
結局警察に保護されたんだけどね」
「意味がわかりませんよ! ま、まあとりあえず、すごい人なのはわかりましたけど、本当にお願いしますよ!
私みたいな他の使用人にも火の粉が降りかかりかねないんですから、しっかりしてください!」
「うーす」
「まったく…………」
車が走り出してから十分ぐらいすると、突然小娘がガラスをたたき、下を指差した。
ルームミラーを確認して慌てた運転手はすかさず車を歩道沿いに停めた。
後ろでやつがなめた顔つきで手招きをしている。
「ぼーっとしてないで、速く行ってください!」
俺は運転手のおっさんに背中を押され、ちょこちょこと外に出る。
「はい、いかがなさいましたか?」
「ちょっと用事があるからここで降りるわ。あとは自分で帰るから」
「あ、了解っす」
俺はドアを開けて小娘を送り出し、助手席に戻る。
「用事らしいっす」
「はあ? なんでついていかないんですか!」
「え? だって、なんかそういう感じじゃなかったから」
「お嬢様はいつも使用人を置いて一人で行動したがられるんです!
それでも今まで何とか追いかけてたのに!
お嬢様を常に一人にしないように言われてますよね!!」
「あ~、かも?」
「ふざけてるんですか! 今すぐ追いかけないと! 私は今すぐこの車をどこかの駐車場に停めてくるので、先にお嬢様を探しててください!」
「お、おう……」
「はやく!」
俺は今にも泣きそうなおっさんを横目に、外に出る。
ドアを閉めたとたん、車は慌てて急発進した。
「あぶねえなあ…………」
俺は小娘の歩いて行った方向を軽く見渡す。
「うん、いない」