そして奈落へ墜ちてゆけ   作:しゅないだー

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地上〜夜のはじまり〜
#0 自分は如何にして黎明卿の一番弟子となりしか


 

 

 何故、と問われてすぐに答えられる者はそういないのではないか。けれど自分は人にそう問わずにはいられなかった。

 

 何故命を賭してまで奈落(アビス)に潜るのか、と。

 

 ある者は名誉の為だと。

 ある者は一生食うに困らない財産の為だと。

 ある者は深淵の底に潜む未知を解き明かす為だと。

 

 いずれも立派な志である。だが答えるまでに数瞬かかるのは、きっと。

 アビスとはそういう物だから、それに他ならない。

 どんなに崇高な使命で取り繕おうとも、灯りに群がる羽虫のように人はあの魔物の口に惹き付けられてしまう。ただそれだけの事に過ぎないのだ。

 そう理解しているのに尚問う事を止められないのは、何処かにそんな夜のような暗い諦観を捻じ伏せる眩い夜明けを心の底では求めていたのかもしれない。幸か不幸かその何かに自分は巡り合う事ができた。

 その出会いは同時にこのそう長くも無い探窟家人生を、取り返しのつかない奈落へも(いざな)ったが。

 

─────────────────────────────────

 

 あれは確か岸壁街出身の孤児である自分が、青笛になってすぐの事だったと思う。

 最初にアビスへ潜ろうと思った動機は、確か金だった。貧しい人間と、貧しい場所で、貧しいパイの一欠片を争って日々糊口を凌ぐ暮らしからどうにかして抜け出したかった。

 そんな人生を覆すには、ここでは探窟家にでもなるしかなかった。暗い路地裏から盗み見るようにして眺めた深層からの帰還者達は皆輝いているように思えた。

 孤児院での教育も受けられず、他の探窟家の技術を目で盗み、日銭を稼ぎながらやっとの思いで勝ち取った赤笛。

 最初に一層で探窟を始めた時は「何故アビスに潜るのか」なんて下らない質問は思い浮かばなかった。ただ生き抜く事に必死だった。並の探窟家からすれば都合の良い食料でしかないツチバシでさえ、自分には命を脅かす巨大な原生生物だったから。

 その余裕が出てきたのはツノナキを一人で討伐する事に成功してからだった筈だ。一層の草食動物とはいえ、頭部の巨大な角に刺し穿たれたり踏み殺される赤笛も少なくない。

 そんな代物を一頭だけだったとはいえ、自分一人で誘い出し、突進を躱して罠に掛け縊り殺した。硬い皮にナイフを入れ、肉を剥ぐ。達成感と共にそれと同じ位虚しさが湧いてきたのを覚えている。

 

 アビスに潜るという事は、それだけで何かを奪う事を意味している。

 そこに暮らす命を、先人達が残した遺物を。

 それでも何故人は深淵の底に憧れて止まないのか。自分が先の問いを出会う人に投げ掛け出したのもその頃だった。

 

 

 そうして更に長い時間と労力をかけて、齢十五程で二層に潜る許可と青笛をようやく得たのだ。逸る気を抑え切れずに単身誘いの森へ挑んだ気持ちも少しは理解してもらえるのではないかと思う。

 ヤドカカエ、トゲアルキ、上ではお目にかかれなかった原生生物を観察するだけでもあっという間に時間が溶けてゆく。

 陽の光が直に射し込む一層とは全く異なる鬱蒼と茂った密林を思わせる環境に胸が弾み、夢中になって遺物発掘に励んだ。

 今になって思えば無謀極まりないがそれでも獣避けは十全に、二層特有の原生生物や環境も頭に叩き込んで臨んだ事もあり探窟は順調に進んでいた。そんなビギナーズラックに浮かれつつ一層とは比べ物にならない実入りにほくほく顔で戻ろうとした自分の帰路を阻んだのは、原生生物ではなく人だった。

 

 撃たれたと気付いたのは確か銃声がしてからだった筈だ。アビスではあまり耳馴染みの無い破裂音の後に、腹部が異様な熱を持ったのを覚えている。痛みはまだ来なかった。

 混乱する頭で辺りを確認すると、銃声を放った相手はすぐに見つかった。どうやら木陰に隠れるようにして潜伏していたらしく、獣にしか気を配っていなかった自分の浅慮を呪う。ゆっくりと敵意がない事を示すように両手を上げながら座り込んだ。

 恐らく異国の探窟家であろう浅黒い肌の男はこちらが解せない言葉を使って喋り、見慣れぬ意匠の銃を構えている。取り回しの良さそうな小さな重心に、子供である自分の腹も貫通し切らない威力。まず間違いなく対人用だった。

 腹から溢れ出す鮮血を、無理矢理服を千切った襤褸布で止血しながら男を威嚇するように睨み付ける。その時自分を満たしていたのは恐怖でも怒りでもなく、悔しさだった。

 まだ青笛の自分にも、探窟家の矜持という物は一丁前に備わっていたらしい。どうせ死ぬのならアビスの手にかかって死にたい、そんなちっぽけな矜持が。

 

 ゆっくりと近付いてきた男は片手に持った人相書きをこちらに突き付けて何やら叫んでいる。どうやら「この男を知っているか」と聞いているらしい。御尋ね者か行方不明者か、いずれにしても素直に吐けば助けてくれるのだろうか。生憎と自分に見覚えはなく、黙って首を横に振る。

 恐らく追う側である筈の男のどこか怯えの混じった表情だけが酷く印象に残った。

 

 舌打ち混じりに男が撃鉄を起こす音を合図に、背筋と片腕だけで飛び上がるようにして銃を持っていた方の腕を蹴り抜く。枯枝を踏んだ時のような、指の骨が折れる小気味良い音がした。

 勢い良く遠くに転がって崖から落ちていく銃を見ながらざまあみろ、と吐き捨てる。依然として状況が好転した訳でもないが、目の前の男に一泡吹かせてやったという暗い達成感に心の内が満たされた。

 さてここからどうするかと考えた瞬間、脳天に星が走る。噛み締めていた奥歯にひびが入ったのを感じた。

 殴られたと気付いたのは数瞬経ってからだった。怒りで顔を紅潮させた男の手が自分の首にかけられる。

 

「か……は……」

 

 酸素を求めて魚のように虚しく喘ぐ。薄白んでいく視界の中で、どうにか引き剥がそうと手を振り回す。

 哀しいかな、親子ほども違う体格差の前では蟷螂の斧もいい所だった。潰された喉笛からひゅーひゅーと聞こえる空っ風のような音だけが脳髄に響く。

 ここで自分は死ぬのだ。この暗い陽も碌に差さない場所で自分は何かの糧となる事もなく、ただ役目を終えるのだ。

 そもそも自分にそんな大層な役目なんて与えられた事があったか?

 

 嫌にゆっくりと時間が流れる。きっと走馬灯を見るほどの思い出も自分にはなかったのだろう。

 そう思った矢先、何かが風を切るような音と共に男の動きが止まる。次の瞬間、自分を突き飛ばすと耐え兼ねたように地面に突っ伏して胃の内容物を地面に広げ始めた。明らかに上昇負荷の症状だが、男がそれを受けるほど高低差があったとは思えない。やっと通るようになった気道から懸命に息を吸う。酸素不足で朦朧とした頭を動かそうと自分の頬を張った。

 こいつの昼飯はヒトジャラシだったんだろうな。銃創に当てた布から滲み出てくる血に気が遠くなりながらも、そんなどうでもいい感想がぼんやりと浮かんだ。

 もう訳が分からない、好きにしてくれ。そう投げやりになりながら目を閉じた時。

 

 声がした。

 

──二層分の呪い針(シェイカー)ですが、やはり探窟慣れしていない人間にしか効果はありませんか。ギャリケー、確か四層で採掘した用途不明の遺物がありましたよね。せっかくの機会なので御協力願いましょう。

 

 数分後、異国の探窟家の劈くような悲鳴が逆さ森に響く。何をしているのか考えたくもなかった。

 霞む視界を何とか擦って開いた先には、数人の男がいた。皆一様に同じような外套を羽織り、仮面を付けている。恐らく探窟隊だろう。二層で最も名を聞くのは不動卿オーゼン率いる『地臥せり(ハイドギヴァー)』だが、それとはどうも様相が異なるように感じた。リーダー格と思しき細身の男が仮面を取って近付いてくる。その胸にはまだ新しい黒笛が提げられていた。

 

──少し拝見していましたが、とても素晴らしい身体能力ですね。タマウガチのような身体のバネ、腹部を撃たれながらも抵抗を……おっと、無闇に動かない方が良いでしょう。内臓が傷付いていますから。

 

 そう言いながら男は止血のために当てていた布を取ると、あまりの激痛に呻く自分を意にも介さず鉗子のような物を傷口に捩じ込んできた。摘出した弾丸を興味深そうに胸ポケットに入れた後、縫合など一通りの処置を行ってはくれたが。

 

 鎮痛剤が効き始めてようやく冷えた頭で彼らをよく観察すると、自分を治療した男の顔があの異国の探窟家が見せてきた人相書きと一致している事に気が付いた。それで合点がいく。

 目の前の彼はどこかの国の御尋ね者で、自分を助けるのは決して善意などではなく、探窟家組合の心証を良くし活動を行いやすくする為だろう。だがその理屈が今の自分にはとても心地良かった。

 無償の愛やただ与えられるだけの善意、それより怖い物など早々ない。

 

──君の名前を教えて頂けますか? ああ、これは失礼。人に名を尋ねる時はこちらから名乗るのが礼儀でしたね。私はボンドルド。見ての通り黒笛です。

 

 少し迷った後、口内に刺さっている歯の欠片を血の混じった唾と共に吐き出しながらモルグ、とただ一言だけ返す。

 自分の名前を反芻するように呟いている男に対して、痛みに朦朧としながら己の口が絞り出したのは助けてくれという懇願でも、どうしてもっと早く来てくれなかったのかという叱責でもなかった。

 

 何故命を狙われてまでアビスに潜るのだ、という問い。

 

 思えば既にその時から、目の前の男が人と呼ぶにはあまりに逸脱しているという事を本能で理解していたのかもしれない。

 奇妙な仮面を手に携えた男は突然投げ掛けられた脈絡のない質問に困惑するでもなく、自分に向かってそっと空いた方の手を差し出した。特段これといった変わった特徴がある訳でもない、至って普通の人の手を。

 

──私はただ夜明けを見届けたいのですよ。次の二千年に足を踏み入れる為に。

 

 目の前の男は自分の問いに迷い無く、淀み無く答えた。アビスの魔力をも塗り替えるような、本当に心の底から人類の歴史を一歩進めたいと願っているその狂気に足が震えた。その声色には嘘偽り無く、私欲の欠片も感じ取れなかった。リスクを背負ってアビスに潜る以上、どれだけ口当たりの良い高尚な建前を吐こうともそこには大なり小なり打算が含まれる。

 金の為。

 名誉の為。

 

 そんな欲望が一切感じ取れない人間を自分は今まで見た事がなかった。いるのか? そんな人間が。

 目の前の相手が、単に人の皮を被った何かにしか見えなくなってくる。

 なのに、ついていきたいと思った。この人が口にする『夜明け』とは何なのか知りたいと思った。

 この怪物に関わるという事は己の身を切り売りするのに等しいと逆立つ(うなじ)が、本能が告げている。

 だがそれでも。差し伸べられた手を取ってしまった時、初めて知った。

 

 狂気とは憧れに似ているのだと。

 

「自分を、弟子に、して下さい」

「おやおやおや……部下はともかくとして、弟子は初めてですね」

 

 潰れた喉笛と鉄錆の味がする口腔から、絞り出すようにして乞うた願い。それが自分の祈手(アンブラハンズ)としての最初の一歩、そしてずっと続いていく長い夜の始まりだった。

 

「しかし旦那、これはもしかすると一番弟子ってやつでは?」

「いけませんよ、グェイラ。人が考えて選んだ事を嘲笑うのは」

「馬鹿にしてないっすよ、面白いと思っただけで。アルドレは四層で死んじゃったし猫の手くらいには使えるじゃないんすか、一応青笛っぽいし」

 

 どこか牛を思わせる仮面を着けた男が笑いながら自分の身体を軽々と抱え上げた。まだ傷も閉じ切っていない腹に走った痛みに、思わず声を漏らす。

 

「よお一番弟子、俺の事は先輩って呼べよ」

 

 

─────────────────────────────────

 

 

 黎明卿、新しきボンドルド。

 不可侵のルート開拓から始まり、深界五層での活動を可能にした拠点『前線基地(イドフロント)』の建設、各種探窟技術の発展から新薬開発に至るまで人類の探窟史をその手で大きく進めた偉大な白笛である。

 

 そんな彼をサポートする探窟隊『祈手』は大きく2つの役割に分かれている。研究や雑用を補佐する非戦闘員、そして白い外套を身に纏った死装束(シュラウド)と呼ばれる戦闘員。

 その腕利きの中でも特に広く知られているのは灰のギャリケーだろう。火炎放射器を得物とし、合同探窟隊の戦隊長を務め得るほどの実力と装備を保持している。またアビス内の原生生物に造詣が深く、判断力も優れている古参でもある。

 

 そしてもう一人。

 

 まだルートも確立していない頃の深界五層(なきがらの海)より単身で帰還し、その功績で月笛から黒笛へと成った若き祈手。

 上昇負荷をも恐れず縦横無尽に空間を利用しながら荒々しく戦うその様を、対峙した者は「まるで星が墜ちるようだ」と揶揄した。黎明卿の先鋒として他の探窟隊と競り合う事も頻繁にあった彼には随分敵が多かったと言われている。故にそうあれという呪いと嘲りの意を込めて付けられたそれは、いつしか彼自身を表す二つ名となった。

 

 墜星のモルグ、と。

 

 

 

 

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