そして奈落へ墜ちてゆけ   作:しゅないだー

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#3 生きる、もしくは飯を食う

 

 

 自宅の狭い厨房の中で軽く肩を回す。以前仕留めた際に分けてもらったナキカバネの肉塊が俎板(まないた)の上に鎮座していた。赤身と脂肪の境目に、包丁の刃先で切れ目を入れて筋を切る。ナキカバネの肉は少々硬いのでこの一手間が美味しく食べる為のコツだ。保存も兼ねて各種香辛料やサイノナを刻んで作った調味液に漬け込んでおいたので、臭味はかなり抜けているだろう。

 たっぷりの油を傍らで温めておきながら、小麦を挽いて粉にした物を詰めている缶を手に取る。大皿の上にそれを空けようとして中身が殆ど無くなっている事に気が付いた。弱ったな、と顎に手を当てて思案していたが、やがて妙案を思い付く。

 

「ねえ、鞄の中に棒みたいな形の焼菓子があるからさ。ちょっと取ってくれる?」

「焼菓子? ……これ行動食4号じゃないか、罰が当たるぞ」

 

 まだ新しい青笛を下げた少年が呆れたように呟きながら、包み紙からそれを出してキッチンに持ってきた。礼を言うと、深層探索の為に開発された完全栄養食と言われる行動食を片手で細かく砕く。

 これは栄養こそ豊富だが薄っすらとした塩味しかしないので粉代わりに使うには丁度良い。下味のついた肉にそれを満遍なくまぶすと、溶いたササリの卵にさっと潜らせて中温で数分揚げる。良い揚げ色の付いたそれを食べやすい大きさに切って予め炊いておいたマゴイモを粒加工した物の上に乗せ、野菜や果実、香辛料を煮詰めたソースを一回しする。食欲を唆る香りが部屋中に充満した。

 

「という訳で、青笛昇格おめでとう」

「どうも」

 

 目の前で肉に齧り付く少年は、名をジルオといった。まだ子供と言っても差し支えない歳だが、先日青笛を手に入れた将来有望な探窟家である。殲滅卿の弟子と聞けば、その才能は推して知るべしだろう。

 自分が五層から単身帰還する際、まだ赤笛だった頃の彼と偶然一層で鉢合わせてからの付き合いだった。味のしない食事に飽き飽きとしていた自分に分けてくれた握り飯、それの礼として時々こうやって食事を振る舞う。お互い白笛と縁深い事からそれなりに話も弾み、自分が潜らなくなってからのアビスの様子についても彼から仕入れていた。

 

「しかしあんたが一層とはいえ、もう一度アビスに潜るとはな。最初に会った時は二度と勘弁って顔だったのに」

 

 年相応に肉を口一杯に頬張りながら、彼が師匠譲りの不敵な口調で尋ねてくるのを酒を呷りながら躱す。普段はあまり飲まないが今日は友人の祝いだ。少しくらい良いだろう。

 

「赤笛だったからね。子供が好きなんだ、可愛いし」

「そうは見えないな。寧ろあんたはガキなんざ嫌いだと思ってたよ」

 

 聡い子だ。伊達に殲滅卿に師事していた訳ではないのだろう、よく人を見ている。脳に沁み込んでくる酔いのせいだろうか。柄にもない事を喋りたくなる。

 

「……探窟家になった時、きっと皆『自分の冒険はここから始まる!』って胸躍らせると思うんだ。沢山稼いで、深層へ潜って、奈落の底へ辿り着いてやろうって」

 

 アビスへ潜る際に成りたての赤笛を何度も見てきた。一様に希望溢れる、まだこの奈落に潜む悪意を知らない顔だった。

 

「でもそれは原生生物であったり、アビスの呪いその物であったり。自分ではどうにもならない何かに不可能だと思い知らされる。お前はその器ではないと」

 

 自分の場合はそれが異国の探窟家だった。直接的に負わされた傷というよりは、アビスの中でさえも誰かを貶めようとする人間の浅ましさに嫌気が差した。金のために始めた探窟ではあったが、それでも回数を重ねる内に如何に人の手が入ろうとも、その全てを明かす事のないアビスの底知れ無さに敬意を抱いていた。

 それだけに浅層でさえ他人を陥れようとする者がいる事に絶望した。自分達が力を合わせ、その命を賭してもきっと七層に辿り着く事すらできない。況してや人同士で争っていては尚更だ。

 だから自分は諦めた。行く手を阻むアビスの神秘に抗う力を手に入れたとしても、人の底知れぬ悪意にそれが追い付ける訳がない。

 

「それでも人は賢いから、適当な所で折り合いを付ける。それができずに己の力量を過信した者からここでは死んでいく。でも本当に一握り、ただ憧れのまま突き進む人達がいる。きっとそれが白笛なんだと思う」

 

 だから自分は託した。きっとこの身が滅びようとも、どれだけの人の悪意に晒されようとも。あの人ならばどんな手段を用いても必ずこの奈落に夜明けを齎すと、そう思わせてくれたから。

 悪意を踏み潰す善意。全ての好奇を背負って立つ黎明。

 

「自分はもうとっくの昔に折り合いを付けてしまったから。まだ可能性に満ちている君達が……嫌いとは少し違うかも、多分羨ましいんじゃないかな。だからこれからも頑張って羨ましがらせてくれよ、少年」

 

 自分でもよく分かっていないんじゃないか、と溜息をつくジルオへ冗談めかして話を結ぶ。

 

「精々励むとしよう。しかしせっかく階級が上がっても、潜れないのなら仕方がないな」

 

 彼は汚れた口元を拭いながら憂鬱そうに呟いた。実際その通りで、今一部の探窟家を除いてアビスに潜る事はできない。組合が一時的に青笛以下のアビスへの立入りを禁止したのだ。奇妙に捩れた生態系は、既存の危険度に当てはめる事ができず一層であっても赤笛・青笛の安全な探窟を保証できないとの事らしい。安全な探窟なんてものがあるなら是非ともこの目で拝んでみたいが。

 ともかく現状は月笛以上が潜った際に少しでも異なる階層にいる原生生物を討伐してもらいながら、後はアビスの自浄作用に任せるしかない。根本的な原因が不明である以上、そういった対症療法に甘んじる他なかった。

 ただ、もし先日自分が先輩(グェイラ)から聞いた話が真実であるとすれば。その六層から来た原生生物を処理できれば、少しは環境回復に寄与できるのだろうか。

 

 御馳走様でした、と律儀に手を合わせるジルオを孤児院まで送り届ける。街はいつもよりも静けさに満ちていた。アビスに異変が起きれば、このオースという街も少なからず影響を受ける。その呪いと同じ位に自分達は奈落から恵みを受け取って生きているからだ。よって、死ねば自分達の魂はそこへ還ると言われている。

 

「自分は、どうやって死にたいのかな」

 

 異国の探窟家に腹を撃たれた時、こんな死に方は真っ平ごめんだと願った。どうせ死ぬのならアビスの糧になりたいと。それなら今の自分はどうなのだろうか。このまま料理を作って、奈落へ潜っていく探窟家達を見送る。決して悪くない死に方の筈だが、何故か以前よりも心惹かれなかった。

 誰とも無しに月夜に向かってそんな事を呟く。当然、返事はなかった。

 

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 滑落亭の方も普段と比べて活気に欠けていた。一番の要因としては三層でのタマウガチ目撃情報だろう。あの図体でどうやって険しい大断層に住み着いているのかは分からないが、一人前と呼べる月笛に二の足を踏ませるには十分な理由だ。

 

「客はいますけど、何とも景気が悪いですね」

 

 控室で店長といつものように雑談を交わす。いつも眉間に刻まれている皴が今日は殊更に深く見えた。この店では毎日のように探窟家が訪れ、食って飲み、そしてアビスへ潜っていく。(あたか)もそれが最後の晩餐であるかのように。

 見送る事しかできないこの仕事を店長は心から愛し、それと同時に憎んでもいた。贔屓にしてくれていた探窟家の訃報を聞く度、彼の眉間の皺は増々深くなる。

 

「お前、何で此処にいる」

 

 突然の厳しい物言いに面食らう。何か粗相をしただろうかと恐る恐る彼に尋ねる。何分かの押し問答の末、ようやく店長の不機嫌の理由に辿り着いた。

 

「何だ、てっきり俺はお前があの祈手に連れ戻されるんじゃないかと思ったんだがな」

「馬鹿言わないでくださいよ、自分はもうこの暮らしが性に合ってるので。恐ろしいったらありゃしませんよ、今のアビスに潜るなんて」

 

 どうやら誤解があったらしい。自分が祈手に復帰してこの店を出て行くのだと思ったそうだ、馬鹿馬鹿しい。

 おかしいな、と頻りに呟く店長に「ないない」と手を振って笑う。仕事に戻ろうとした自分の背中に何気なく投げられた言葉に、思わず足が止まる。

 

「だって迷ってるだろう、お前。ここに来た時からずっと」

 

 

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 五層からの帰還を果たした後、暫く生活に困る事は無かった。黎明卿の近況を報告し、一層までのルートを詳細に述べるだけで探窟家組合からは莫大な報奨金が出た。それほどまでに単身での深層からの帰還は困難である。環境に精通し、上昇負荷をやり過ごし、深層の原生生物を相手取る。況してや五層、歴代白笛の中でも上澄みしか行えない離れ業だろう。自分は本当に運が良かったのだ。

 

 アビスに潜るのを止めたからといって、オースから離れる気にもならなかった。海路を選べば異国へ行く事も容易ではあったが、伝手も無いまま新天地を目指す気概はなかった。

 奈落の傍らで生まれた者は、その魂までも奈落に縛られている。幾度も聞いたそんな文言がずっと頭の中に響いていた。

 持て余す時間をどうにかする為に働き口を探し始めたのもその頃だ。単に誰かから必要とされたかったのかもしれない。しかし幼い頃からそれ一本であった自分から探窟を取ってしまえば、大して残る物はない。そう気付くのにも時間はかからなかった。

 

「お前、黒笛の癖に働き口を探してるんだってな」

 

 滑落亭で何の当てもなく、自分の無能さに飽き飽きとしながら飯を食べていた時だった。机を叩くようにして壮年の男性が自分に話し掛けていた。名前が売れた事で他の探窟家に絡まれる事も増え、この男もその類だろうと高を括る。無視して肉を食んでいると尚も男は尋ねてくる。

 

「探窟はしないのか」

「もう、そんな気はないです。放っておいてくれませんか」

 

 あまりのしつこさに辟易してつい返事をしてしまう。生来の身体の小ささもあって人から舐められやすかった自分は、気弱な性格を隠す様に棘を身に纏っていた。悪意に対する最も有効なカウンターは、それもまた悪意だ。しかし男の顔を睨み付けるようにしていた自分に投げ掛けられた言葉は、意外なものだった。

 

「じゃあお前、ここで働け。給仕から始めろ、やる気があるなら料理も教えてやる」

「……は?」

「死んだ様な面でうちの料理つつきやがって。人間様が生きるってのは美味い飯を食うって事だ、馬鹿野郎」

 

 懐かしい記憶。

 退屈ではあったが、奈落で墜ちた星だった自分を人間にしてくれたのはきっとこの人だった。

 

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 お前は迷っている。そう言われて、心臓の奥に冷たい痛みが走るようだった。きっとそれは、自分が本当にそうである事に気付いてしまったからだ。畳み掛けるように店長が呟く。

 

「黎明卿の話を聞きたがらないのもその裏返しだろ。本当は気になってるから遠ざけてんだ」

 

 言い返そうとして言葉に詰まる。否定し切るだけの自信が今の自分にはなかった。代わりに震える声で彼に尋ねる。それを自覚してしまえば取り返しが付かなくなりそうで、何だかべそをかいてしまいそうだった。

 

「店長、自分どうしたら良いと思います?」

「お前が決めろ。探窟家だろうが」

 

 当たり前のように一蹴される。探窟家を買い被り過ぎだろう、という言葉をぐっと堪えて大して詰まってもいない頭を回転させる。自分が本当にやりたい事は。

 数分のち、ぽつりとそれは口から零れた。

 

「一言、会って謝りたいです。謝った上で『やっぱり無理です』って伝えたい」

 

 命を救ってもらい、一人前の探窟家にしてもらった。決して綺麗な仕事ばかりではなかったが、それでもあの日々を単に無かった事にして割り切れる程大人でもなかった。たとえ道を分かつ事になったとしても、あの人の記憶に残る自分が不義理である事は避けたかった。

 ああ、そうか。何処まで行っても自分はあの人(先生)を嫌いになれないのだ。見放せないのだ。

 

 精算の時。

 

 見せてもらった夢に礼を言い、ちゃんと筋を通して訣別する為の精算。そんな言葉が脳裏にぼんやりと浮かんだ。

 

「なら黎明卿に退職願叩き付けて来い。行って気が変わったならそれも良い。ただ後悔だけはするなよ」

 

 自分に言い聞かせるように呟く店長は暫く俯いていたが、吹っ切ったように顔を上げる。一人の探窟家の瞳をしていた。

 

「俺達は何処まで行ってもアビスから離れられない。未練残したままなら尚更だ。だからその足がちゃんと二本付いてる内に行ってこい、奈落の底まで」

 

 お世話になりました、と思わず頭を下げる。

 自分にはきっと三人の父がいる。岸壁街というスラムとはいえ、自分にこの生を授けてくれた一人目の父。

 次にただ生きる為に探窟家を始めた自分に、生き永らえる術を教えてくれたのが二人目の父(黎明卿)

 そしてやる事を失った自分に、人として生きる事を教えてくれた三人目の父(店長)

 

 まだ早えだろ、ちゃんと帰って来いよ。

 慈しむような声でそう言いながら自分の頭を撫でる手はとても温かった。絶対に生きて帰って来よう、たとえアビスに絶対は無いとしても。そう静かに決意した。

 

 

 ─────────────────────────────────

 

 

「というか、先輩はどうやって五層から上がってきたんですか? まさか自力で?」

「冗談だろ、旦那の指示で一層と五層を繋ぐゴンドラを試作してるんだよ。それを試験的に使わせてもらったんだ。帰りもそれだ、ただでさえ下に大仕事待ってんだから余計な体力使いたくないしな」

「ならこんなに気負って準備して来なくても良かったですかね」

 

 オースから少し外れた地にその設備はあるという。どういう用途で使うのか知った事ではないが、まだ幼い子供でさえも深層に辿り着ける物を目標としているらしい。

 一通りの探窟用装備と遺物を身体に仕込んで、自分と先輩(グェイラ)はその出発地点を目指していた。店長と別れたその足で先輩の滞在先を訪ね、同行を承知したのだ。

 

「お前、ちゃんと地上の友達に挨拶してきたか?」

「一応は。というかさっきから言ってますけど、枢機に還す光(スパラグモス)を返して先生に詫びを入れたら帰りますよ。憂いを断ちに行くんです」

「はいはい、分かった分かった」

 

 話に上がっていたのは枢機に還す光だけだが、その他に借りたままにしていた遺物も探窟用の中のリュックに詰め込んで来ている。使わないに越した事はないのだが、まず優先するべきは五体満足で前線基地(イドフロント)に辿り着く事だ。

 

「……あ? 嘘だろ? マジで言ってる?」

 

 そのゴンドラとやらに待機している他の祈手と通信機で先輩は何やら話し込んでいたが、何とも言えない顔をしながらこちらに腕で×マークを作っている。どうやら何かしらの要因で頼みの綱のそれが使えないらしい。

 

「箱自体お釈迦にされたか、綱を切られたか。何れにしてもまともに使うのは難しいだろうな」

 

 冷静に考えて一層から五層までは12000mある。途中で拠点を作り、乗り換えながら降りたとしてもそう上手く事が運ぶとは思えない。寧ろ先輩が行きだけとはいえ無事に辿り着けた事が奇跡だろう。

 

「じゃあつまり、そういう事ですか」

「ああ、一層から五層まで自力で降りるしか無い。弱ったな、こんな事になるなら本腰入れて武装してきてたんだが」

 

 これを生涯最後にしようと決めた奈落(アビス)への旅。

 何の因果かそれが黒笛であるとはいえ、僅か二人で深界五層を目指す羽目になり。おまけに道中の環境は恐らく以前よりも混沌としている。

 恩師に退職願を叩き付けに行くにしてはあまりに過酷な旅路だと、上昇負荷がかかっている訳でもないのに頭が痛んだ。

 

 

 

 

 





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