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#4 I'm back Abyss!
深界一層、アビスの淵。
大穴を取り囲むようにして形成されている街、オースを深度0mとして1350mまでがそれに当る。上昇負荷は軽い目眩と吐き気に留まり致命的な原生生物もいないため、まだ見習いとも言える赤笛にも探窟が許されている。
景観としては陽の光が直に当たるのが要因なのか地上にも似た自然が特徴であり、そこに住む生物も比較的温厚で食料にしやすいため、捕れた肉はよく滑落亭や他の料理店に供される。発見される遺物の価値こそ低いが、ここもまた多くの恵みをオースに齎しているのだ。
まだ朝露滴る青草が裾を濡らすのを感じながら、自分達は瀑布ゴンドラへ続く道を歩いている。そこを経由し、風乗りの風車をさらに下って深界二層へと至る事が当座の目的だった。
「しかしこれと言って異変も見られませんね。組合も少々性急だったんじゃないですか」
そう先輩に話し掛ける。
一層に作られかけていたナキカバネのコロニーを報告し、探窟制限の一端となったのは自分だが。改めてこの目で確かめてみると大して実害もないように思えた。やっぱりあれは余程のレアケースだったのかもしれない。
「いや、どうだろうな」
先輩がそう言って指差した先には粘ついた糸で体中を巻き上げられ、鋭い前脚で刺殺されたと思われるインビョウの死骸が転がっていた。深界二層の逆さ森付近に棲み、縄張り意識の強いインビョウがこの付近まで上ってきている事実はやはり異常だと認めざるを得なかった。この個体は運悪くゴコウゲに捕まったようだが。
どことなく人にも似たような体躯が無残な姿を晒しているのはあまり気分の良いものではない。足早にその場を去りつつ、先輩と改めて旅程を確認する。
「とりあえず一層は手早く抜けるぞ。二層の
「タマウガチがいるなら雑にいつも通り行くのは危険ですしね。不動卿が討伐してくれていればいいんですが」
赤笛、青笛にとっては常に命の危険と隣り合わせである低階層だが。腐っても自分達は達人と評される黒笛だ。それなりに準備を整えていれば一層二層の原生生物に遅れを取る事は滅多にない。つまりこの辺りは単なる通過点、流れ作業に過ぎず余計な時間を取られるのは避けたい。
「ちぇっ、いるなあ……」
先輩が面倒臭そうに呟くのに頷いて同調する。
少し離れた所に見えるはしっとりと赤黒く光るその甲殻。どこか海老や蟹といった海洋生物を思わせる意匠をしているそれは、紛う事なきタチカナタだった。頭部と見紛う程に仰々しい巨大な鋏は、高速で打ち鳴らす事で衝撃波を発生させ外敵を倒す為にある。一層に出没する原生生物の中では輪をかけて巨大であり、赤笛の犠牲者も少なくない。近縁種なのだろうか、色の違う個体が他階層でも目撃されているのも特徴だ。
そんな取り留めもない事柄が頭の中に浮かんでは消える。少しでも探窟のリスクを減らす為に様々な原生生物の情報を頭の中に叩き込んだ弊害か、今どうでもいい事までつい考えが及んでしまうのが悪い癖だ。
「やるか?」
「いや……止めときましょう」
そう先輩に耳打ちする。
タチカナタは視力が弱く、余程大きな音でも立てない限り近寄り過ぎなければ実害はない。頭部の甲殻が特に脆いという弱点も判明しており、脅威度としてはそこまででもないのだが、如何せん衝撃波という攻撃手段に対しては避ける事も難しい為、差し当たっての理由が無ければ相手をするメリットもない。
二人で頷き合うと、抜き足差し足で刺激しないよう進む。だが近づくに連れ、次第にそのタチカナタに起こっている異変に気付く。
「いや先輩、あれ死んでますよ」
「えっマジ? いや本当じゃん、でも寿命じゃねえな。外傷あるし」
「ええ、でもそれにしては割と綺麗ですね。このクラスがやり合ったらもっと酷いですよ」
そう考えを巡らせている内に、答え合わせの時間は存外早く来た。
後方から聞こえてくる、金属のような物を噛み合わせる耳障りな音。先程確認した物よりも一回りは大きな体躯のタチカナタがそこに居た。状況から鑑みるにこいつが縄張り争いを制し先の個体に致命傷を与えたと見て間違いない。体表に刻まれている傷からそう時間は過ぎていないだろうが、それは同時にまだ気が立っていると考えて相違ないだろう。
ゆっくりと前へ進む。願わくばこのまま行かせてくれ。
そんな思いも虚しく、後ろから忙しない音と共に土煙を上げながらタチカナタが加速する。仕方なしに背負った荷物を揺らしながら逃走を始めた。
一層の個体にしてはサイズが大きく、弱点である頭部に攻撃を当てるのは中々骨が折れそうだ。
「先輩確か得物は銃でしたよね? 弾勿体無いんでスルーしましょう」
「OKOK、なあ。久々にあれ見たいからやってくれよ」
「本気で言ってるんですか!? ……じゃあまた風車近くで」
先輩が横方向に離脱するのを見届けると、大声を出してタチカナタの気を引きながら走り続ける。確かこの先真っ直ぐ走り続ければ崖になっていた筈だ。数匹のヒトジャラシが何事かと言わんばかりに散っていく。
自分が特に先生に買ってもらっていたのは、戦闘能力ではない。『墜星』などという不名誉な仇名を賜ったのはどちらかと言えばこの移動手段のせいだ。アビス内において下降とは不可逆である。降りる事こそ容易いものの、そこから帰るには上昇負荷という名の呪いが付いて回る。
故にこの自殺にも似た技術を
目の前の崖に対して速度を緩める事なく、そのまま飛んだ。
命綱なんてそんな殊勝な物はない。
自分のすぐ後ろに迫っていたタチカナタも同様に速度を落とし切れず、崖下へ滑り落ちていくのを確認する。腹の下をぞわりと撫でるような浮遊感が全身を包んだ。
『──
素早く遺物を起動させる。足元で冷たい空気が渦を巻いた。
祈手は白笛の探窟隊という観点から見ると、黎明卿自体が新参という事も相まって個々人の練度は高くない方である。しかし自分達はそれを
祈手の装備は、それ自体が規格外という事だ。
重力に身を任せながら、崖の壁面に対して迷わず手を伸ばす。衝撃と共に夥しい量の火花が散るが、高密度の素材で作られている手袋には傷一つない。速度が雀の涙ではあるが緩むのを感じると、"泡沫に沈む"から時折空気を排出し、姿勢制御を行いながら地面までの距離を測る。見誤ればその辺の獣の餌か汚らしい染み、或いはその両方になるだけだ。
衝突する寸前、壁面を渾身の力で蹴る。それと同時に貯まり切った空気全てを爆発させるように噴出させる。その勢いで落下の速度を横方向への推進力に変え、転がるように肘や背中を使った五点で着地した。
久々ではあったが下が柔らかい草地であったのも幸いしてか、特に怪我もない。裾に付いた土埃を払いながら辺りを見回す。期せずして目的地である風乗りの風車近くまで来る事ができたようだ。少なくとも目視では脅威となる原生生物はいない。多少のアクシデントこそあったが、良いペースと言える。
ほっと一息つくと、腹の虫が途端に鳴き始めた。どうやら先輩が降りてくるにはまだ時間がかかる。なら多少、趣味に走っても許されるだろう。
辺りをぶらりと散策しながら、トコシエコウや野草を採取しつつ気長に待つ。今日は何を作ろうか。
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「お前やっぱイカれてるよな」
「先輩には及びませんよ」
あの後地面に叩き付けられて事切れていたタチカナタを見つけ、それで味噌汁を作っている自分を見ての一言だった。味見をしている自分にぶつけられる先輩の呆れた視線を首を竦めて躱す。
「身も美味いんですけどね、良い出汁が取れるんですよ」
「聞いてねえよ」
殻から出汁を取って棒ミソを溶かし、その辺の野草を刻んだ物とタチカナタの身を具として贅沢に使った一品だ。先輩に勧めると「急いでるんだからな」と口では言うものの、手近にあった石に腰掛けている。
思えばアビスには美味いものが沢山あるんだぜ、と最初に教えてくれたのはこの人だった。二人で言葉を交わす事もなく、湯気の立つ味噌汁に口を付ける。あまり時間はかけられなかったにも関わらず、素材が良いのか深い味わいが心身を満たした。
「……美味いな」
「お粗末様です、味噌の方は珍味なのでちゃんと処理しておけば不動卿への手土産になりますよ。あの人確か呑兵衛でしたよね」
二層の番人の名前を出すと同時に背中にぞくりと悪寒が走る。個人的にあの人と顔を合わせるのは避けたかったのだが、我儘は言っていられない。
一級遺物、千人楔。
一刺しするだけで千人力を得られると言われているそれは、等級的には黒笛には所持が許可されていない。白笛である"不動卿"動かざるオーゼンはそれを百本以上その身に宿しているという。それもあってか彼女には「30人以上乗ったゴンドラを引き上げた」だとか「10mもある岩を支えた」など多くの逸話が残っており、それは今も更新され続けている。数十年白笛をやり続けている実力は折り紙付きで、蓄えた知識は正しく生き字引と言えるだろう。言えるのだろうが。
溜息を吐いて足首を撫で擦る。ナキカバネの頸椎を砕き、高さ数十mはある崖からのダイブにも応えてくれた左足。そこには確かに一本の千人楔が埋まっていた。
「……不動卿に会わずに済ませられませんかね」
「無理だろ」
儚い願いを先輩に一蹴されながらも、空にした鍋に手を合わせる。
がっくりと肩を落としながら踏み入るは深界二層、誘いの森。まだ地上の面影を残した一層とは異なり、重力に逆らっているとしか思えない逆さ森やナキカバネ、オットバスといった強大な原生生物が行く手を阻む。赤笛が立ち入る事はその者を自殺と見なす、それ程までに危険度が跳ね上がる。
さらにそこから先の深界三層以降は、もはや本来人が踏み入っていい領域ではない。それでも憧れを止められない狂人の為に、次なる目的地の
そんな事をぼんやりと考えながら、薄暗い森の中へと足を踏み入れた。