第1節 遠き日、永き日、夢みた希望
長い夏の終わり。想破の名家・四方堂家に二人の養子・サイカとリコリスが加わった。
そして秋の始まり、チルカを加えた三姉妹はここまでの空白の刻を埋めるかのように、閃忍のお勤めの合間を縫い、一緒の時間を何かと作っては、他愛も無い一時をかけがえない宝物として重ねていた。
朝の鍛錬の手合わせも。
学園での学びの一時も。
帰り道で食べるクレープの味も、談笑の声も。
風呂上がりの石鹸の香りさえも。
日常の一時ひとときが、サバンナのひび割れた大地に注ぐスコールのように、乾ききったサイカとリコリスの心に沁みていった。
そんなある日。
文化祭の近づく学園。準備で遅くなり、帰路を急ぐ三人に降り注ぐ、打ち上げ花火。
ひゅ〜〜っ。
どんっ。
ぱらぱらぱらぱらぱらっ。
「あっ…!」
「わあ〜っ、キレイです!
サイカさん、リコリス! チルカたちは、帰りが遅くなって、得しましたよっ!」
大小織り交ぜ、赤も白も黄色も、矢継ぎ早に夜空に彩られる同心円が、去りゆく夏を名残惜しむ。
しばしの静寂に、チルカもリコリスも固唾を呑む。
「あ…あの、お嬢様、チルカ様…あれは…?」
「えっ…? サイカさん、打ち上げ花火、知らないですか?!」
「…そうね。戦国の世には無かったでしょうから。あんなものを楽しむくらいなら、火薬は戦の大砲か、狼煙にでも使っていたでしょうしね。」
(…あっ…!!)
ひゅ〜〜〜〜〜っ。
…どんっ。
より長く響く笛の音に続き、一際華やかに咲く大輪は、鮮やかな紅の三尺玉。
…
「…、サイカ…!」
前触れも無く、サイカの頬を伝う涙。
それはかつて、サイカの生きる道標となった人…想破上弦衆頭領・戦部ヨシツグとの記憶の欠片。
そして、永劫とも思しき牢獄で、時間と想いを共にしたリコリスがくれた、新たな希望。
これは、花火に重ねた、サイカの2つの想いの物語である。
第2節 頭領の夢、閃忍の愛
…
……
人の生命が今よりも遥かに儚く、軽んじられた戦乱の時代。
四方堂家に生まれ育ったサイカは、想破の教えに忠実に、不惜身命、乱世に潜む悪を討つことを誓う。そのため、その類まれな身体能力を閃忍の修行に、利発な頭脳を学問にと、一族の理想のためその才能の全てを捧げる日々を送った。
ある日、サイカは自ら改良した狼煙を、頭領にお披露目する。
煙だけでなく閃光を放ち、青空でも曇り空でも、そして夜空でも映える紅の光を放つ、逸品。
だが、当代の頭領・戦部ヨシツグは成果を喜ぶも、最後に顔を曇らせ、思わぬことを言う。
【サイカ…お前が血の滲む努力で完成させた、この狼煙。我らにとっては、敵を未然に討ちとり、秘密裏に平和を護るための、希望の赤き光だ。
だが、これを見た民草は、この美しい光をおぞましい戦の前触れと見て、逃げ惑うだろう。】
「…御意。」
【私は…それが悔しい。
お前が作った美しいものを、ありのまま美しいと感嘆することさえ許されぬ、この乱世を。
そして、想破を統べてなお、世を正し、民草に平穏をもたらすに至らぬ、我が不徳を。】
「頭領…そのようなことはございません!
頭領が民を…そして我ら想破の一人一人を思う御心、痛いほど私は…!」
【サイカ…いつか、主も民も分け隔てなく、この狼煙の紅き煌めきに誰もが歓喜し、その下で、明日を語り、平和を歌うことができる…そんな時代を作ろう。
そのために今は…その命、私に預けておくれ。】
「…御意…!」
サイカは頭領の…ヨシツグの卓越した先見の明に、主君として以上の感情を抱く。
(この方は、私の見る世界の、二歩も三歩も先を見越しておられる…!
私も…ヨシツグ様の夢見る世界を…共に叶えたい…!)
…
……
この日から、サイカは閃忍としての研鑽と、失われし想破の技を蘇らせる研究に没頭する。
そして、幾多の想破の頭脳が挑んでは阻まれてきた、秘具・時渡りの鐘の研究を決意する。
【頭領…私に、サイカに最上の智慧と、事を成し遂げるまで挫けぬ勇気をお与え下さい…。
この鐘も、乱世に踏みにじられる民草の悲しみを救うため…そして、誰かの幸せをもたらすために鳴らす日を、必ずや…。
それが、頭領の請い願う未来ならば、私はその全てを捧げます…!】
…
……
だが。
志半ば、ヨシツグは病に侵される。
保って数ヶ月の身体を押し、想破上弦衆頭領として決死の覚悟で戦に赴くヨシツグを、サイカは止められなかった。
やがて届くヨシツグの訃報。
だが、受け入れられぬサイカは、あろうことか、時渡りの鐘を自らの心の支えとし、これを何としても完成させてヨシツグを取り戻し、遂には自らの世界で永遠の伴侶とならんがために、その身を狂気にやつす。
真の悲劇は、あまりにも深く痛ましい慟哭と、幾百年もの時の流れが、サイカの願いをねじ曲げていたこと。
既にヨシツグはこの世になく、頭領は何代も後の戦部トキサダ…。
それでもサイカは嘆きの残渣をトキサダへ差し向ける。
しかも幽閉に成功したのはトキサダに非ず、その身代わりとなった、後世の想破七閃が五位、自らと同じ四方堂家の末裔・チルカであった…。
第3節 繋がりし、二人の陽だまり
「チルカは…チルカは、頭領をお護りして、この場にいるのです! 後悔など、あるものですか!」
…そう言っていられたのも初めのうち。
一日が二日、二日が四日、やがて九重、五百十二日…それでも、頭領は来ない。
「う…ううっ…」
さらに倍折り、千二十四日。
実に三年が過ぎんとしても、頭領は来ない。
「……!」
数えて十ニ折、四千飛んで九十六日、干支で一廻り。
遂には言葉も出なくなり、稚児の如く豊かだったチルカの表情は能面のそれとこわばり、日々の全ての営みを無為と費やす。
…
……
サイカは、とある秘伝の一節を思い出していた。
いわく。
人の喜怒哀楽は、不確かな存在への働き掛けが生むのだと。
儚き存在を護り抜けば、喜びとなり。
か弱き存在を脅かす者へは、怒りを覚え。
散りゆく存在を失えば、哀しみを。
明日ある若さを育むことに、楽しみを。
ならば。
自らも周りも何一つ移ろうことなく凍り続けるこの牢獄では、この世のあらゆる感情は、喪われることだろう。
チルカがこの世界のあらゆる物質に何を働きかけても、反応は搔き消され、変化は及ばない。
チルカは自らの無力に日々虚しく向き合い。
やがて自らも変化することを止めた。
…だが、さらに一折り、一万日ももはや間近と迫るある日、サイカは思う。
チルカの心はこのつづれ織りの日々で、幾度も砕けたはず。
それが今なお、潮騒にたたずむ貝のように閉ざした心の中に、強くしなやかな芯を宿す。
もうこの子には、頭領の面影も、声も、記憶に残ってはいないだろう。
だのに、この子はしたたかな心の支えを未だに抱き、その瞳の奥に僅かな残り火を焚き続けている。
〘…もう、止めなさい。
貴女は既に、閃忍が頭領に尽くす以上の歳月を…少女が子を成し、母となるほどの歳月を、この檻で費やしたのですよ。
貴女の忠孝は、十全に示されました。ここで音を上げても、頭領も他の上弦衆も、貴女を未熟と誹ることも、恨むことも無いのですよ…!〙
遂にサイカは、悪魔の囁きをチルカに向ける。
トキサダを閉じ込め、自分が助かる取引である。
だが、抑鬱のまま、決してチルカは首を縦には振らなかった。
再び一折二折、三万二千七百六十八日。
それでも脱牢を拒むチルカ。
〘…何故です。何故なのです。
貴女をそうまで縛るものは何なのでしょう。
忠義ですか。矜持ですか。只の意地ですか…?〙
「…頭を、撫でて、貰ったんです…。」
〘…?〙
「たとえ、今の何倍も時が巡って…。
呼ぶことも無くなったお名前も。
あの方が頭領であることも。
あの方だけじゃない。
この身が何者であるかも、
呼ばれることも無くなった、自分の名前も。
全部…全部、この手から零れ落ちたとしても。
あのとき感じた胸の熱、陽だまりの香りは…
いつか私が消える日、その一瞬まで…。」
〘……!!〙
その言葉に衝き動かされたかのように、サイカの胸にもサイカの陽だまりが去来する。
龍の者と、閃忍。
そんな二人でなかったとしても、私にはかけがえのない人なのに。
もう、その姿もおぼろげで。
その思い出すら、五感全てから流砂と消えた。
…それでも。
心を熱くたぎらせた。胸を高鳴らせた。
こんなにも私は、命の全てを捧げた。
そのときめきを与えてくれた人が、確かに居た。
思い違いかもしれない。
この記憶さえも、妄想の果ての蜃気楼かもしれない。
それでも私は…熱くなった私は…確かに在った…!
〘貴女にも…居たのですね。
熱い思いを授けた人が…。〙
…
……
だから、サイカは願った。
十六折、六万五千五百三十五日。
さらにもう一折を重ねようという、十三万日が目前。
遂にトキサダ達が時渡りの鐘の真実を解き明かし、チルカの心を撫でた、あの日。
限界をとうに越し、消えゆくチルカに。
〘…生きて、ください…っ!〙
私の陽だまりは、胸の中だけに生きる人。
でも、貴女の陽だまりは、今を生きる人。
望めばこれからも、何度だって…!
…
……
果たして、リコリスとサイカは、新たな生を授かり、奇縁あってチルカと姉妹となり、今日に至る。
第4節 紅き祝福、サイカの道は再び
「何よ、サイカってば泣いてるの?」
「ええ…花火…って言うんですか?
…その、お嬢様みたいだな、って…!」
「…あんた、わかって言ってるの? リコリスが空から降ることの意味…。」
「…あっ…。」
ある、仏道の説話。
人が道を求め、しかし悟れず迷い苦しみ、自らの煩悩の醜さにもがくとき。
お釈迦様は救いの教えをもたらし、そのとき天は祝福の花を空から振り撒き、人を迷いから救うと言う。
その花の名は、曼珠沙華。
リコリスの別名である。
非業の死別とは言え、嘆きのままに罪を冒し。
生きる道を求めて鳴らした鐘で、自他を苦しめ、その贖罪で更に自らを苦しめた、サイカの原罪。
だが、その罪を解き放ち、サイカに新たな命の標を示したリコリス。
彼女は確かにサイカの新たな道を祝福する、紅い輝きであった。
「…ふぅ〜…」
呆れとも、決意ともつかない溜息を一つ。
「…いいわよ、サイカ。
赤い打ち上げ花火はリコリスね。
じゃ、白いのがあんた。はい決定。」
…
「…はい?」
「あっ、あーーーっ!!
じゃあ、じゃあ、チルカは、チルカのはーっ?」
「あら? …ふふっ、じゃあ、チルカのは黄色。お似合いよ。」
「…、あーーーっ、もしかしてチルカのこと、チューリップみたいに子どもっぽいとか、思ってますねっ!
うわーーん、チルカはチルカは、リコリスの姉なのにーーーっ!!」
まるで、おままごとの役割を取り合うような応酬ののち、三色のリコリスが夜空の下にひっそりと咲いた。
「元気な心」の、黄色いリコリス。
「情熱」の、紅きリコリス。
そして。
「想うは貴方一人」の、白きリコリス。
(…頭領…。貴方様の作らんと願った未来…。
少しだけ、叶いましたよ…!)
心に生きる想い人に、サイカは今を告げた。
こんばんは。いかがでしたでしょうか?
作者の環 藍河(たまき あいか)より、お読みいただきました御礼を申し上げます。
今週の特設イベントで登場し、何かと話題のリコリス様とサイカさん。
環もストーリーを読み返しては、じんわりと噛みしめております。
あまり急いで執筆して、粗だらけでも困るのですが、旬のうちにお届けしたいと挑戦し、結果、イベント開始から4日での投稿となりました。
原作が濃厚なこともあって、二次創作側が補う余地が少ない(?)こともあり、今回は4節構造ながら、短編で一気にお読みいただけるスタイルでお届けです。
ご感想、評価等お寄せいただければ、励みになったり、次作にフィードバックしたり、と迷える環(作者)が助かります。
またお目にかかれますように。お読みいただきありがとうございました!