穂むら日記帳   作:みけじぃ

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穂乃果が音ノ木坂学院を卒業し、μ’sを終えた後のお話し。
穂むらに就職した穂乃果は1人立ちを決意して、ことりと海未から距離を取ろうとします。けれどこれが思ったほど大変。なぜか穂むらの仕事は全然うまくいかなくなるというスランプに落ち込み、お父さんから連日カミナリを落とされる始末。穂乃果はこんな風になりたいわけじゃなかったと頭を抱えます。



その2 穂乃果の1人立ち(南ことり)

 こんにちは、南ことりです。

 えっとですね、今この日誌は穂乃果ちゃん家のお店、『穂むら』屋さんのテーブルで書いてます。

 今日お店にお手伝いにきたら急にね、にっこりの笑顔で出迎えてくれた穂乃果ちゃんが「ことりちゃんもこれ書いて」って渡してきたんです。茶色い表紙のA4サイズの薄いノート。ことりが「これなぁに?」って訊いたら、

「やだなぁ~、日誌だよことりちゃん。μ’sの時も書いてたじゃん。穂乃果、あれまた書きたいなぁって思って。もちろんμ’sのみんなに書いてもらうわけじゃないよ。

 これは穂乃果とことりちゃんと海未ちゃんで作る、3人だけの日誌なの。名付けて穂むら屋回顧録!いや、穂むら日記帳……かなぁ」

ビシッと人差し指でノートを指差すポーズを決めたかと思ったら、その指がすぐさま自信なさげに頭をこりこり掻くほうへ動いちゃう穂乃果ちゃん。

「テヘヘ。1人で日誌書くのってやっぱつまんなくてさ……。楽しみはみんなで分かち合わないとって穂乃果は思ったんだよね!それにさ、こうして日誌にまとめていけばその時あったことがアルバムみたいにすぐ思い出せるじゃん。楽しいことだけじゃなく、辛いことも悲しいことも、ここで3人で共有することができたら素敵じゃないかなぁ~って。穂乃果はもう最初の1ページを書いたから、だから今日はことりちゃんの番。清き1票よろしくお願いしまっす」

 そう言いながら警察官みたいにしかめっ面で額に手を添えて、敬礼の姿勢をとる穂乃果ちゃん。

 清き1票って……日誌と選挙は違うと思うんだけどなぁってことりは思ったけど、でもその考えはすぐに思い直したの。だってここでことりが日誌を書けば、海未ちゃんを含めた3人のうち2人が穂むら日記帳?に賛成したことになるよね。そうなると民主的に賛成多数ってことで海未ちゃんも書かなくちゃいけなくなりそう。わっ、もしかして穂乃果ちゃんってすごく合理的かも。

 じゃあ拒否すればどうなっちゃうんだろう?ってことりは頭の中で想像したけど、クスクス、たぶんそんなの無理そう。穂乃果ちゃんの台風みたいに巻き込む力の凄さはもうお墨付きだもん、きっとあの手この手でアタックされて、ことりはあっさり白旗あげちゃうの。あ、それはそれでちょっと楽しみかも。ことりを求める穂乃果ちゃんもなんだかすてがたいな~って思ってたら、

「ことりちゃんどうしたの?お顔がニヤニヤしてるよ」

 きょとんとした穂乃果ちゃんに言われちゃいました。

 はっ!いけないいけない、穂乃果ちゃんは真面目にお願いしてるのに、こんな想像ふくらましてたらちゃんと聞いてよって怒られちゃいますよね。

と、いうわけでことりは今こうして穂乃果ちゃんから日誌を預かり、2ページ目を書いてます。

 フフフ、でも穂乃果ちゃんが言っていたように、楽しいことだけじゃなく辛いことも悲しいことも日誌に書き残してみんなで共有するっていうのは、けっこう良いことかもしれないなってことりは思います。もしこれから先何かあった時、ページをめくったら解決のヒントを得られるかもしれないし、喧嘩しちゃった時なんかはなかなか素直に謝れないところも、日誌で伝えるっていう方法ならすんなり出来るんじゃないかなって気がします。うん、悪くないかも。

 

 じゃあまず何から書こうかなっと。

 ……ことりがこの春から進学した被服の専門学校についてでもいいんだけど、ここ最近で一番強い印象に残った出来事っていったらやっぱり、あの太陽みたい明るくて笑顔が向日葵みたいに華やいでる穂乃果ちゃんが、μ’sの終わりと同時にとっても力なくしおれちゃった件かな。

 あのね、実はちょっぴりだけ、ことりと海未ちゃんはμ’sをやってる時からそんな予感はしてたんです。3年生最後のライブが決まって、それまでは後輩に道を譲るってことで穂乃果ちゃんはセンターに立つのを避けてたんだけど、最後は花道でお願いしますってみんなから言われて穂乃果ちゃんはセンターへ復帰、ことりと海未ちゃんはその両脇に並んだの。

 すごかったよ穂乃果ちゃんは。いっつも一生懸命なのに最後だからスクールアイドルとして培った全部をお客さんに見せようって、とっても、とっても。その姿にみんな引っぱられてたけど……、ことりと海未ちゃんはなんとなく、このままμ’sを卒業したら穂乃果ちゃんはどうなっちゃうんだろうって不安を感じてた。

「みんな、今日も頑張ろうね!」

 穂乃果ちゃんはライブまで全力疾走して、走って、走って、最後まで走り抜きました。きっとライブの後の事なんて考えてなかったと思う。……ううん、考える余裕なんて、最後のセンターを任された穂乃果ちゃんにはなかったんだと思う。μ’sの人気は着実に上がってたし、なにしろ穂乃果ちゃんだもん、大好きなことを大好きなだけやっちゃう穂乃果ちゃん。

 悪い予感は、的中しちゃいました。

 4月に入って何日かしてから、「お姉ちゃんが部屋から出てこないんだけど」という連絡を穂乃果ちゃんの妹の雪穂ちゃんから受けました。それを聞き、ことりと海未ちゃんは急いで穂乃果ちゃん家に向かいます。

「穂乃果、入りますよ」

 店舗兼住宅になってるお家の2階にある穂乃果ちゃんの部屋。海未ちゃんがノックして入った時、穂乃果ちゃんは寝間着姿でした。

「あれ、2人ともどうしたの?」

 突然の私たちの来訪に、お部屋の中央にあるテーブルへつっぷしていた穂乃果ちゃんはそう言って顔を上げると笑顔を見せてくれましたが、ことりは忘れられません、パジャマはしわくちゃで、女の子の大事な髪の毛は何日も病院のベッドに入院してる人みたいな油髪になっちゃってるの。そしてなによりも、いっつも元気で力がみなぎっているはずの穂乃果ちゃんの瞳が赤くなり……、トレードマークのあの向日葵みたいな笑顔が……。

 こんなに弱ってる穂乃果ちゃん、初めて……。

「大丈夫ですか、穂乃果」

「何が?」

「あなたが部屋から出てこないって聞いたんですよ」

「あぁ~雪穂だなー、あのお喋りめ」

 自分が抱いた疑問をまっすぐにぶつける海未ちゃん。ことりにはなかなかできない芸当です。とくにこんなになっちゃってる穂乃果ちゃんを前にしたことりはそれだけで心配で喉がつまっちゃって、情けないですね。

わざとらしく頬をふくれて見せる穂乃果ちゃんへ海未ちゃんが真面目な表情で訊ねます。

「泣いていたんですか?1人で部屋に閉じこもって、身体に悪いですよそんなの」

「べべ、別に泣いてたわけじゃないよ。ただちょっと具合が悪いっていうか、体調を崩しちゃってるだけ」

 慌てて顔の前で両手を横に振る穂乃果ちゃん。

「穂乃果、私は責めているわけじゃないんですよ。つい先日μ’sのラストライブが   終わってしまい残念がるあなたの気持ちも分かってるつもりですから。でも悲しむにしたってこんなやり方じゃ周りも心配するし、あなた自身も、」

 そこまで海未ちゃんが言葉を口にした時、あ、まずいって、なぜか不意にだけどことりは瞬間的に察知しました。

「あの、海未ちゃん……」

「海未ちゃん!」

 ことりが話しかけようとすると、穂乃果ちゃんの強い声がほぼ同時に重なってきて、ことりの声はかき消されてしまいました。

 穂乃果ちゃんは俯いて肩をぶるぶる震わせていて、今にも感情を爆発させてしまいそう。名前を呼ばれ向き合っている当の海未ちゃんの表情は、ことりからだと背中しか見えないから分からなかったけど、きっとびっくりしてるはず。穂乃果ちゃんが海未ちゃんの名前をこんな、本気で否定するみたいな雰囲気で呼ぶ日がくるなんて思ってもみませんでした。

 海未ちゃんの背中に緊張が走るのが、ことりにも伝わってきました。

「ごめんなさい穂乃果、私はあなたを非難してるつもりじゃないんです。でも穂乃果のことが心配で……」

 しどろもどろになって謝る海未ちゃんの言葉を聞きながら、穂乃果ちゃんはただじっと何かに耐えるように目をつぶってた。いつもは日向の縁側みたいにのんびりした空気がただよっている穂乃果ちゃんの部屋に、もくもくと夏の雨雲みたいな不穏な空気がまたたくまに拡がっていきます。そして次に顔を上げて私たちに見せてくれた穂乃果ちゃんの表情はなんと笑顔で、

「ありがとう海未ちゃん。いつも心配ばっかりかけてごめんね。でも、穂乃果は本当に大丈夫だから」

 えへへっておどけて笑う穂乃果ちゃん。

「穂乃果……」

 いつもならドカーンって遠慮なく噴火させちゃうはずなのに、この時の穂乃果ちゃんは違ってました。海未ちゃんはほっとしているのか困惑しているのか、自分でも分からないような雰囲気で。……結局、その後すぐ私たちは穂乃果ちゃんにていよく部屋から退出させられちゃいました。

 夕陽に染まる穂むらの玄関から2階を見上げると、穂乃果ちゃんの部屋のカーテンは全部閉じられていました。

 

「すみませんことり、ちょっといいですか」

 帰り道、ことりと海未ちゃんはすぐに別れずに、近くの公園で今日の穂乃果ちゃんについて話し合ったの。

「……どう……思いますか、ことり」

 海未ちゃんはおずおずといった感じで、まるで海未ちゃんらしくなかったです。

「どうって、穂乃果ちゃんとっても不安定に見えた……かな。海未ちゃんもびっくりしたでしょ?」

「そうですね。確かに驚きはしたんですけど……」

 そこから言葉が続かず、俯いてしまう海未ちゃん。ことりにはその続きが予想できました。

 私たちは穂乃果ちゃんがスクールアイドルとしての活動が終わってからきっと落ち込むんじゃないかって予想してて、実際そのとおりになって。でも、幼なじみで普段からする穂乃果ちゃんとの喧嘩にもすっかり慣れっこになってる海未ちゃんですら困惑してしまうほど、今日の穂乃果ちゃんはどこか違ってたの。いっつも穂乃果ちゃんに頼られ、お母さんのお腹の中に居る頃からの幼なじみの2人。なのに、海未ちゃんは今日の穂乃果ちゃんに対して壁を感じてしまったのです。それがたぶんきっと、海未ちゃんを一番驚かせてしまった出来事だと思います。

 肩を落とす海未ちゃんに、何て言葉をかければいいのかな?そんなに心配しなくても大丈夫、穂乃果ちゃんだもん。これが正解?

 ことりにはよく解りません。まだ自分に自信がないことりは間違っても口には出せません。……だから精いっぱい考えて、どうして穂乃果ちゃんが部屋から出て来なくっちゃったのか、頭をひねってみたの。

「……ことりたち、穂乃果ちゃんに甘えてたのかもしれないね。音ノ木坂学院で3年生の最後のステージで、穂乃果ちゃんはセンターに立った。センターに立つってことはお客さんの目を一番に浴びることだから、気なんか抜けなくて、ライブが終わった後のことなんか考える余裕は穂乃果ちゃんには……。でも私たちはそんな穂乃果ちゃんがいてくれたからこそ……」

「ええ。意識しないようにと努めていましたけど、ライブが終わった後の自分というものへの心構えが自然とできていました。その証拠に、私とことりはこうして次のステップに踏み出し始めている。ことりは服飾の専門学校に、私は家の修行に」

「穂乃果ちゃんは今、その心構えをしているのかな?」

「……たぶん、そうあってほしいと願います」

 海未ちゃんは、やや間を空けてから答えました。

 海未ちゃんも自信がなかったんだと思う。今日の穂乃果ちゃんを見て、なんでも知ってると思っていた幼なじみなのに、そこへ急に分からないことがでてきた。海未ちゃんが分からなければ、ことりなんかにはますます分からないよ。

 いつも元気だった穂乃果ちゃん、明るい色の向日葵みたいな笑顔を見せてくれる穂乃果ちゃん。私たちのスクールアイドルとしての活動はもう終わっちゃったけれど、早くまた元気で元通りの穂乃果ちゃんに戻って欲しい。

 ブーン、ブーン、ブーン

 そう願っていると、海未ちゃんの方から携帯電話の着信を示す振動音が聞こえてきました。着信に気づいた海未ちゃんは慌ててちょっとごめんなさいと謝って、

「はい、もしもし。……ええ。……ええ。分かってます」

 電話を耳元にあてて話す海未ちゃんは真剣な顔で、それはお家からのものなんだってことりは気づきました。同じ顔で、いっつも弓を引く海未ちゃんをことりは数えきれないほど観てきたから。それだけじゃありません、本当はね、穂乃果ちゃんのお家にいた時から気づいていたの。海未ちゃんが手にしてきた小さなポーチの中で、幾度となく振動を繰り返す携帯電話について。

 ことりは学校を終えてから雪穂ちゃんの連絡を受けて来ました。けれど海未ちゃんはもう学生じゃないから、おそらく家のことを途中で投げ出して来たみたい。

 もう私たちは違うんだなって、弱いことりはこの時ちょっとだけ思っちゃいました。

穂乃果ちゃんならどうしただろう?これぐらいの差異、全然大丈夫って屈託なく笑ってすますかな?

「すみませんことり、話の途中なのに私もう行かないと」

 申し訳なさそうにそう言って踵を返す海未ちゃん。今日は紺色の七分丈のパンツに長袖の白いブラウス、なんだか下が私服で上が仕事着で、ちぐはぐな服装を見るだけでも海未ちゃんの事情が察せます。

「お家のこと、大変なんだね」

 ことりが言うと海未ちゃんは苦笑いを見せ、

「本当、園田家の後継ぎとして挨拶回りに行けだの、新しい習い事や稽古事を増やすだの、嫌になっちゃいます」

 それから海未ちゃんはすぐに真面目な顔になって、

「ことり、もしかしたら私は忙しくて頻繁に穂乃果の様子をうかがえないかもしれません。穂乃果のこと、頼めますか?」

 まっすぐにことりの瞳を見つめてくる海未ちゃんの瞳。穂乃果ちゃんとは違った意味の力強さがあります。海未ちゃんがいないなら、穂乃果ちゃんを支える役目を担えるのはことりしかいません。

「任されました。学校が終わってからになっちゃうけど、毎日穂乃果ちゃん家に行くようにするね」

 ことりが胸をポンと叩くと、海未ちゃんは嬉しいはずなのに少し複雑な顔をしました。

「……ことり、あなたは優しいから、あまり深追いしないでくださいね」

「深追い?」

 深追いって、どういう意味なの?海未ちゃんの言葉の真意が分からなく、訊ねようとするも、

 ブーン、ブーン、ブーン

 また例の振動音が鳴って、そんな暇なく私たちは慌ただしく別れてしまいました。

 

 翌日も、翌々日も、ことりは新しい学校が終わったらそのまま穂乃果ちゃん家に向かいます。

 様子を見に来ることりを、穂乃果ちゃんのお母さんはありがとうと言って迎えてくれますが、どこか寂しそう。穂むらの店内の中もいつも以上に静かな気がして、やっぱり穂乃果ちゃんが元気でないとお店は火が消えたような感じです。

 穂乃果ちゃんのお婆ちゃんが2階に上がろうとすることりへ、これを持ってけと言い穂むらのおまんじゅうを手渡してくれました。食欲もない穂乃果ちゃんだけど、お婆ちゃんが作ってくれたおまんじゅうだけは食べてくれるそうです。

「穂乃果ちゃーん、おまんじゅうもらったよ。一緒に食べよ」

 お店の小上がりから廊下に入って階段を上がり、並んだ部屋の1つがことりたちに馴染みのある穂乃果ちゃんのお部屋。襖の隙間から声をかけると、残念ながら返事はなかったけど、室内に人がいる気配がしました。

「穂乃果ちゃん、入るね」そう言って断わって襖を開けると、穂乃果ちゃんはベッドの上で寝転がっているのが目に飛び込んできます。背を向けて、こっちを見てくれない穂乃果ちゃん。

 昨日もそうだったの。何で、どうしてって思わず口にしたくなるほど、ことりは穂乃果ちゃんによそよそしく扱われてます。でも負けない。海未ちゃんとだって約束したんだもの。大事な大事な穂乃果ちゃんのため、ちょっとぐらいじゃことりはめげないんだから。

 お婆ちゃんのおまんじゅうが駄目なら作戦その2です。今日はなんと、秋葉原駅前でクレープを買ってきちゃいました。真っ白くてふわふわの生クリームが嫌いな女の子なんていないものね。それにお家に閉じこもってばかりいたらこんな美味しい物食べれないよ。

「穂乃果ちゃ~ん、今日はクレープも買ってきてあるんだよ。甘くて甘くて、真っ赤なイチゴが乗ったキュートなクレープ、よかったら一緒に食べてほしいな」

 ことりがそう囁くと布団をかぶっている穂乃果ちゃんの肩がピクリと揺れ動きます。もう少しかも。

「早く食べないと生クリームが溶けて型崩れを起こして大変なことになっちゃうよ。 そうなる前に、ことりは穂乃果ちゃんに食べてもらいたいな~」

 歌うようにクレープの誘惑をかけて、何度も穂乃果ちゃんの注意を惹くと、

「もうっ。ことりちゃんは意地悪だよう」

 そう言ってようやくこっちを向いてくれました。穂乃果ちゃんの目は今日も少し赤いです。寝不足なんかとは違う、腫れぼったい瞼。ことりはきゅうっと胸が締めつけられるのを感じましたが、ここで泣き出したらきっと穂乃果ちゃんもつられて泣いちゃう。それは嫌だったから、代わりに無理にでも笑顔を作って、

「一緒に食べよう、ほら起きて、穂乃果ちゃん」

 ベッドから出して床に座り、2人並んで甘いクレープを頬張るの。

 しばらく、私たちは無言でクレープを食べました。穂乃果ちゃんの部屋は夕陽の光で明るくて、カーテンが閉め切られていなくて良かったと思います。お部屋の中まで暗かったら、穂乃果ちゃんはなんだかどんどん暗い方へ落ちていっちゃうような気がする。何気ないただの室内の風景だけど、光があるだけで不思議とことりはまだ大丈夫、穂乃果ちゃんなら大丈夫って自分に言い聞かせることが出来ました。

 大好きだったμ’sを卒業してしまって、仕方がないことだけど今の穂乃果ちゃんはあまり元気がありません。だからことりは少し会話だけして、あまり長居しないようにしました。ずっと一緒にいたらことりはたぶん、早く穂乃果ちゃんに今までみたいになってほしいってワガママを言っちゃいそうだから。

 帰るとき、お店の玄関から2階の穂乃果ちゃんの部屋を見上げると、窓の向こうから穂乃果ちゃんが小さく手を振ってくれるのが見えて、ことりはとても嬉しかったです。でも、まだまだ元気な穂乃果ちゃんには程遠いです。

 ふと視線を移すとお店の玄関脇に、4月という季節を表現するみたいに桜の木が植わった鉢が置かれていました。

 桜は穂乃果ちゃんに合わせるみたいにまだピンク色の花は咲かせていません。背丈が低くて苗木みたいな桜の木だから、咲いても小粒なのがひらりひらりって感じになると思います。それでも、頑張ってってことりは心の中で呟きました。

 

 穂乃果ちゃんが最初に立ち直るきっかけってなんだったんだろう?

 こうして日誌を前に鉛筆を片手に、ことりはつい一ヶ月前のあの頃のことを思い出そうと記憶のページをたぐります。

 ことりが通い始めた最初の週、残念ながら海未ちゃんは穂乃果ちゃん家に来れませんでした。海未ちゃんの家は穂乃果ちゃん家と同じに通りにあるから、こんなに近いのにって思うかもしれないけど、でも一度だけ、車の後部座席に乗ってどこかに送られる海未ちゃんを見たの。

 横切っていくからほんの一瞬しか見えなかったけど、海未ちゃんは着物姿で、なんだかことりが暮らしてる世界とは別世界って思っちゃいました。

 もともと海未ちゃん家は日本舞踊の立派な家元です。さらにはお父さんが武道の道場もやってて、地元のこの界隈じゃ有名。だから、高校を卒業して家に入るってことは、ことりが想像していた以上にこれまでと生活が変わっちゃうのかもしれません。

 海未ちゃん、穂乃果ちゃんが心配じゃないの?

 チクッと意地悪な気持ちがことりの中で湧きあがっちゃいます。自分が弱気になりかけてくると出てくる嫌な顔。人の悪口とか陰口をことりは好きじゃないから、それに大切な友達の海未ちゃんを責めるような言葉なんて言っちゃいけないから、ことりは急ぐように穂乃果ちゃんの所へ向かいました。

 

 穂乃果ちゃんが一番初めに立ち直るきっかけ。

 うーん……、それはやっぱり、歌だったと思います。

 土曜日の夜……だったかな。そして外は雨が降っていました。うん、これは間違いない。春の冷たい雨がしとしと、街路灯の光を浴びながら降っていました。

明日は日曜日だからってことでことりは穂乃果ちゃんと同じお部屋にお泊まりさせてもらうことになったの。夕飯はお部屋で2人っきり、なんだか夫婦みたいって話してたら、TVの代わりにつけていたラジオからある曲が流れてきました。

 それはとっても綺麗な曲で、メロディが凄く印象的。伸びやかで響きのあるサビはそれまでことりたちがスクールアイドルとして歌ってきたものとは全然ジャンルが違かったけど、私たちは手にしていたお箸を止めたままついつい引き込まれちゃいました。

 でもね、歌詞が英語だったから外国の歌なんだっていうのはすぐに分かったものの、ラジオ放送で流す曲って短いじゃないですか。全部は流さずにだいたい1番か多くて2番まで。あとは放送時間の都合のせいか途中でフェードアウトしていっちゃう。ことりたちを惹きつけた曲もやっぱりそうでした。

「ことりちゃん、この歌なんていうか知ってる?」

「ううん、知らない。あ~でも、どこかで聞いたことがあるような気がするかも」

 嘘じゃなく、ことりは確かに聞き覚えがあったの。でも曲名までは思い出せなくて、

「あ、ちょっと待って、たぶんこれからラジオDJの人が教えてくれるはずだよ」

 耳をすまして曲名を聞き取ります。

「『メモリー』、世界的にも有名なミュージカル『キャッツ』の中の挿入歌だって。知ってる、穂乃果ちゃん?」

「ミュージカル?」

 頓狂な声をあげて知らない知らないと首を振る穂乃果ちゃん。

 そうだよね、これまでことりたちは学校の音楽でならう他はあとはアイドルの曲ばっかり、流行の音楽も耳にしてたけどそれ以外は接してきませんでした。ましてやミュージカルなんて。クスクス。きっと真姫ちゃんになら分かりそう。

 それから穂乃果ちゃんに頼まれてことりは『メモリー』という曲名で検索しました。パソコンのスピーカーから流れるさっきと同じとても綺麗なメロディ。

 穂乃果ちゃんは雷にうたれたみたいに呆然と何度も、何度も繰り返し聴きなおします。

 たぶんこれが、穂乃果ちゃんが立ち直る最初のきっかけ、だったんだとことりは思います。

 夜、眠ってたら冷たい風が頬に当たる感触で、ことりは目が覚めました。穂乃果ちゃんはベッドに、ことりは床にお布団敷いて寝てたんだんだけど、目が覚めた時穂乃果ちゃんはベッドにいませんでした。

 穂乃果ちゃんはお部屋の隅の窓辺に座ってて、半分ぐらい開けた窓から夜空を見上げてたの。それでね、小さな声で、今日繰り返し聴いたメモリーの歌を暗唱してます。

 静かに歌う穂乃果ちゃん。瞼を擦ることりは声をかけようとしたのに、思わずその姿に見とれちゃいました。

 眠る前に降っていた雨はいつのまにか止んでいて、街のホコリがすっかり洗い流された夜空には黄色く輝くお月様。その月明かりを浴びながらアンニュイな表情で歌う穂乃果ちゃんはとってもとっても輝いて見えた。落ち込んでる穂乃果ちゃんにこんな表現は不謹慎かもしれませんね、でもことりはついうっとりしちゃったんです。恥ずかしい……。

「あれ、ことりちゃん起きちゃったんだ。ごめんね、うるさかったかな?それとも寒かった?まだ4月だもんね、ごめんごめんすぐ閉めるよ」

 穂乃果ちゃんは目が覚めたことりに気がつくと舌を出して謝って窓枠に手をかけました。

「待って穂乃果ちゃん」

ことりはそんな穂乃果ちゃんを止めました。何の考えもなく、ただ本当に反射的って感じに。

「ことりちゃん?」

 穂乃果ちゃんを止めたことりだけど、次につながる言葉がなかなか出ません。考えなしだったから当然と言えば当然なんだけど……。

 そんなことりの挙動不審ぶりを怪訝に首を傾げる穂乃果ちゃんは「この歌気にいっちゃった」って告げます。

「ことりちゃん、歌ってすごいね。穂乃果これまでμ’sの歌が一番だって思ってたけど、それが終わったら本当にガラガラガラァ~って足元が崩れちゃった気がして力が出なくなっちゃったの。でもこのメモリーって歌を聴いたら……。うん、そう。穂乃果が住むこの世界には、穂乃果の知らないまだまだたくさんの魅力的な歌があるって気がついたら、それだけでまた歌いたいって思えるようになったの。歌には、弱ってる人を再び立ち上がらせる力があるんだね。それをこのメモリーが教えてくれた」

 すごい、歌って本当にすごいと感想を漏らす穂乃果ちゃん。その目には、ことりが知る穂乃果ちゃんのあのキラキラが、ほんの少しだけ戻ってきてるように見えました。

「ことりちゃん、今日まで穂乃果につきあってくれてありがとね。穂乃果、明日からお店の店番として立ってみるよ。お父さんもやきもきしてるだろうし、そろそろちゃんとしなきゃってずっと思ってたの。ことりちゃんが傍についててくれたおかげだよ、これだけ早く気持ちを切り替えられたのは」

 穂乃果ちゃんは笑顔でことりにお礼を言ってくれました。でも、まだ穂乃果ちゃんの笑顔は100%じゃありません。ことりはそれに気が付いていました。

「ねぇことりちゃん、寝る前に、もう一回だけ今日覚えたこのメモリーって歌を歌ってもいい?」

 断わる理由なんてありません。穂乃果ちゃんの歌声、ことりは大好きだから。

「うん、いいよ。ことりももう一回、最初から歌ってほしい」

 

 この夜の出来事をさかいに、穂乃果ちゃんはまたお店に立つようになりました。

 やっぱり穂むらの看板娘がいないとお店に本当の明るさがやってきません。穂乃果ちゃんの笑顔がないと。

 歌で立ち直った穂乃果ちゃんはまた元気に頑張るのでした、めでたしめでたし……っていうふうになったら良かったんだけどね。これがなかなかむずかしかったの。そうは問屋がおろさねぇってみたいな感じ?

 

 えっと、とうとつだけど、ことりの日誌はとりあえずここまでにしようと思います。もうたくさん書いちゃったから、続きは海未ちゃんにお願いするね。

 海未ちゃんが穂乃果ちゃんのピンチをかっこよく助けてくれなかったら、ことりもきっと一緒にだめだめになってました。クスクス。

 というわけで、残り後半をよろしくね海未ちゃん。本日のお相手は南ことりでした。

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