どうも、園田海未です。
突然日誌を書くよう言われてちょっと困惑してます。しかもことりの話の続きをお願いって、そんなこと急に頼まれてもどうやって書いたらいいか……。
そしてやっぱりというか、言いだしっぺの主犯は当然穂乃果なんですよね。まったく、元気になったと思ったらさっそくことりを巻き込んだりして、やることが変わらな、あ、ちょっと!
すみません、人が書いてる横からいきなり穂乃果が覗き込んできたものですから、びっくりしてしまって。
穂むらで書くのはやめ、今は自宅の自室でこの日誌を開いています。
前ページのことりの文章を読みました。μ’sとしての活動を終えたばかりの穂乃果のこと、私もかなり心配しました。けれどことりの文章にも書いてある通り、確かに最初のころ、私は部屋に閉じこもる穂乃果の様子を見に行けなかったんです。だからといってそれを、私が穂乃果をないがしろにしてるみたいにことりが思ってしまったなんて……。
だって仕方ないじゃないですか、穂乃果が穂むらの娘であるように、私も園田家の娘なんです……。いろいろ事情があったんですから。なんて、言い訳しても私が穂乃果の傍に居なかったのは動かしようのない事実ですものね。ごめんなさい穂乃果、あなたが一番つらい時に隣に居てあげられなくて。今この場を借りて、もう一度謝らせてください。
少し、順を追って話したいと思います。
音ノ木坂学院を卒業し、μ’sとしての活動を終えた私はその後、家業である日舞の家元の子として、後継ぎ修業に入りました。
高校卒業後は大学へ行かず家に入る。これは昔から母にそれとなく言われてたんです。我が家の母は穂乃果の家の母上のように、物事をはっきり口にするタイプではありません。ですが、毎日同じ屋根の下で暮らしていれば、それでも母の言いたい事が伝わらないほど、私も鈍感ではありませんでした。
母は、アイドル活動を高校までで終えてほしいと望んでいました。無論、武道家である父もです。
自分の口で言うのも今更ですが、本来の日本舞踊をはじめ、弓道・剣道・薙刀、その他礼儀作法にいたるまで、隅から隅まで純和風の家に生まれた私が高校在学中だけとはいえ、スクールアイドルなんていう園田の家の方針とはまるで明後日の方角のことをやれたのは、ひとえに父母の良心があったからだと、今は思います。
1度家に入ると本気で決めてしまったのなら、私はその日を境に園田の娘としてさまざまな鎖に縛られることになるでしょう。ならばせめて、音ノ木坂学院へ通う間だけでも。母の母校であり、誘ってくれたのが知らぬ相手ではなく母の幼なじみの娘、穂乃果だったのですから……。せめて今だけは一生の思い出に残ることを精いっぱいやりなさい。それがこの厳しくて重々しい家を管理する、父母の気持ちだったと思います。
前述したように、母は物事をはっきり口にするような人ではありません。口にしたら私が気にしてしまうと分かっていたんでしょう。そしておそらくそれは間違ってはいないと思います。真面目さだけが取り柄の私ですから……。
けれど日々顔をつきあわせているんですもの、口にしなくても感じてしまう、事実がありました。その中に……、私がアイドル活動をしているおかげで父母に迷惑をかけているというものがありました。
家元、園田家に生まれた私が高校在学中にアイドル活動。伝統と格式が重んじられる日舞の世界で、父母は理解を示してくれましたが、父母の周りにいる関係者全ての人がそうであったかというと、疑問を抱かざるをえません。冷ややかな眼、心無い言葉を言われたこともあったでしょうに。しかしそれを表に出さなかった父母に、最後まで全力で走らせてくれた父と母には感謝と尊敬の念しかありません。
いちおう書かせていただきますが、後継ぎとして家へ入ることを決める前に、私には大学進学という道も提示されました。
高校を終えたら大学へ進むか、家に入るか。その2択を迫られた時、私は迷わず家へ入る道を選びました。いずれ入る道でしたし、穂乃果も家で穂むらに就職するって言ってましたしね。
……しかしこれが不思議なんですよね、高校在学中、自分の将来というものをいまだ決めかねている己があったのですが、穂乃果が当然のようにそう口にした瞬間、私の胸から迷いという感情がふうっと風に飛ばされるように消えたんです。
私は地味で真面目なだけで、穂乃果のような力強さもなければ、ことりのようにきらきらと明るいものへまっすぐ飛び込んでいく勇気もありません。大学へ進んで講義やサークル活動……なんて、私にとってそれらがプラスになる選択肢だったのかどうかは今も答えが出ないんです。
家に入る選択を選んだことに対し、後悔はしていません。
ふふっ。結局、穂乃果から離れられないだけかもしれないんですがね、私は。人生の大事な選択ですら、私は穂乃果と足並みをそろえてしまう。母親のお腹の中にいる頃からずっと一緒だった私たち。選択は、必然だったのかもしれません。
少し話が逸れてしまいましたか。本筋に戻りましょう。
園田家の後継ぎとして本格的に家に入るようになってからというもの、私の生活は一変しました。
父と対面して武を鍛錬する時間が増え、母から踊りを稽古してもらう時間が増え、さらに昔から両親が親しくさせてもらってる知人・友人・仕事関係者の方々への挨拶周り等々。高校在学中と変わらないのは早朝におこなう剣道の時間だけでした。……ずっと待たされていた両親の期待というのもあったのでしょう。
そんな大きく変わった私の新生活、動き出した歯車の中でなんとかついていこうとしていた矢先に、ことりから穂乃果の不調を知らせる連絡が入りました。
その日は来客が予定されていて、私はちょうど接客用の着物へ袖を通している最中でした。
「どうしよう海未ちゃん、穂乃果ちゃんがね、もう何日も部屋からずっと出てこないんだって」
不安をにじませたことりからそう言われ、私はとりあえずその辺にある衣服へと手を伸ばし、着るものも選ばずにことりと合流して穂乃果の家へ向かいました。
穂乃果、いつも明るく、私の周りを太陽みたいに照らし出し、さまざまなものを見せてくれる穂乃果。その明るさが、灰色みたいにくすんでしまう。まさかそんな日がくるなんて、思ってもみませんでした。
……不安はあったんです。あれだけμ’sにかけていた穂乃果が活動を終えたらどうなってしまうのだろうっていう。
「部屋を出ましょう穂乃果。落ち込むにしてもこんなやり方じゃ体に悪いですよ」
私はまず穂乃果を閉じこもっている部屋から出すべく説得を試みました。理由は分かっているんです。なら、穂乃果が抱えている悲しみを私が受け止めさえすれば立ち直れると思ったんです。
穂乃果が我慢に我慢を重ね、大泣きすることは昔からあったんです。ずっと以前、私たちが小学校を卒業する時も、穂乃果は絶対泣くとみんなから言われていたのに泣かずに平気なフリを貫いて、夜、家に帰ってから外にまで聞こえるような大声で卒業を悲しみ泣いていたんです。
泣きたいなら思いっきり泣けばいい。私は、そのためならいくらでも胸を貸そうと思っていました。
ですが……。
「ありがとう海未ちゃん。いつも心配ばっかりかけてごめんね。でも、穂乃果は本当に大丈夫だから」
ショックでした。穂乃果が私の予想とは裏腹に泣かなかったことじゃありません。目を赤く充血させ、瞼の下も少し黒く落ちくぼんであきらかに疲弊してるのに、私を頼ってくれなかったことにです。
私は……穂乃果に拒絶された?
喧嘩はこれまでに何度だってしてきました。でも、拒絶されたのはこれが初めて……でした。
腕に抱く穂乃果の表情と口調は穏やかなものの、私は時間が経過するにつれはっきりと心の壁を感じていき、結局、何一つ穂乃果の悲しみを受け止めることは出来ませんでした。
「ことり、ちょっといいですか?」
帰りがけ、ことりにつきあってもらい近くの公園で話し合いましたが、今日の穂乃果の様子にはことり自身も困惑しているようでした。私の頭も混乱しています。そんな時、手に持っていたポーチの中で携帯の振動音が聞こえてきました。
母からでしょう。来客の予定があったのにそれを放って出てきてしまったのです。電話に出ると案の定、その件でとがめられました。今はそれどころじゃって私は内心で唇を噛みました。が、…仕方ありませんね。私はもう園田家の後継ぎなのですから。高校生のように振る舞うわけにはいかず、急いで帰ることにしました。
「ことり、穂乃果のこと、頼めますか?」
「任されました。学校が終わってからになっちゃうけど、毎日穂乃果ちゃん家に行くようにするね」
優しいことりは嫌な顔一つせず受け入れてくれます。このことりの寛容さに私はいつも頭が下がります、やれと言われてなかなか出来る事ではありません。
だけど穂乃果のことがあったからでしょうか。私は、もしかしたらことりのこの優しさが今回ばかりはアダになってしまうのでは?そんな言いようのない不安を感じました。だから深追いし過ぎないよう忠告をし、その場を離れたんです。
それからも、私の新生活の歯車はくるくると回り続けます。早足で、早く、早と。日々が風のように過ぎていきました。
私の家から穂乃果の住む老舗和菓子屋穂むらは同じ通り道にあり、そう離れていません。だというのに満足に足を向けることもできない歯がゆさ。
穂乃果からの連絡は一つもありません。顔を出さない私に対し怒っているのか……。定期的に入ることりからのメッセージで、私は穂乃果がお店に再び立つことを知りました。
……確実に、……私たちの距離が離れていくのを感じます。
大人に近づくというのはこういうことなのだと思いました。互いに進むべき将来の道があり、出会う回数は減っていく。
もう私たちは音ノ木坂に通っている高校生ではないのです。こういう現実を受け止め、再会出来る日を心待ちにし、自分に課せられたことを精進し、お互いがあの頃とは違う距離の取り方を覚えなければ。
送迎の車で移動するとき、穂乃果の家に前で桜の枝を見たんです。穂むらの玄関脇に置かれた瓶の鉢に植えられたまだ小ぶりの桜。和菓子屋らしい季節感を出す飾りつけでしょう。TVでは隅田川や上野公園の桜が満開だと言っていましたが、今年は例年より雨が多く、気温も低いせいでしょうか、穂乃果の家の桜はまだ咲いていないようでした。
丸裸の樹の枝につぼみしかない桜はとても寂しげで、これではせっかくの飾りつけがもったいないです。私は早く咲いてほしいと思いました。
例年、春先になると穂乃果の家では桜餅を店頭に出します。ピンク色のお餅にあまじょっぱい桜の葉に桜の花、口に入れると穂乃果の父上が作ったお手製のあんこがほろほろと優しい甘さを広げながら溶けていくんです。ああ、あれがまた食べたいなと思いました。日常的に食べられるお菓子は自分を落ち着ける意味でも好きですが、その季節にしか食べられない自然を感じさせるお菓子というのも、なんだか特別なご褒美を受けてるみたいで私は好きです。
穂乃果がお店に立つと聞いてから、一週間ほど経とうとしていた頃でしょうか。昼の午後2時過ぎという中途半端な時間ではありましたが、私は不意に時間が空いて穂乃果の家に向かうことが出来ました。
「すみません、おじゃまします」
穂むらののれんをくぐり、子供の頃から見慣れた扉を開けると突然、
「馬鹿野郎!大事な材料をまたひっくり返しやがって!やる気がないならもう厨房に入るんじゃねぇ!」
ガシャーンという金属音とともに、穂乃果の父上の怒声がお店の奥から響いてきました。私がビクッとなって立ち止まると、もの凄いいきおいでエプロン姿の穂乃果が出てきてその瞬間、私たちは正面から目が合ってしまいました。
「あ、穂乃……」
けれど名前を呼びかける間もなく、穂乃果は2階の自室へと駆け足で階段を登っていってしまいました。全ては一瞬で、どうすることもできません。
父上がどすどすと大きい足音をたて、勝手口が開く音がし乱暴に立ち去ると、その後、店の奥から穂乃果の母上が顔を出しました。
「かっこわるいところ見せちゃってごめんなさいね。お客さんが海未ちゃんでよかった、他の人には見せられないわ」
申し訳なさそうな声で言われ頭を下げられるも、私も父から武道を教わる際に似たような経験があります。
「大丈夫です、気にはしませんから。それより……穂乃果のことが」
私は視線を階上へ上げ、それから穂乃果の部屋へ向かおうとします。しかしそれを察知した母上から会わないでほしいと止められます。私は耳を疑いました。
「な……ぜです、このまま放っておくんですか?」
「あの子が、穂むらの後継ぎとしてこの家に就職すると言い出した時から、いつかこんな日が来るとずっと分かっていたことだから」
菓子職人を選んだ人間なら誰もが一度は必ず通る道、穂乃果の母上はそう言うのです。
「遅かれ早かれ、あの子には厨房に立つなら親子ではなく、師弟であるという関係を身に着けてもらわなければならないの。だから我慢してあげて」
「ですが、それは穂乃果の家の問題であって、友人が会いに行くのは関係ないと思います」
こうして日誌をつづり、……今思い返すと、なぜあそこで不自然なまでに反感を抱きこんなセリフを口にしたのか……。普段の私ならきっと行儀よく察したと思うんです。家で私が母に踊りのお稽古をつけていただく時も、やはり母は師であり私は弟子になります。ですがこの時の私はずっと穂乃果に会えなかったこともあり、どこか焦っていたのかもしれません。母上の忠告に思い至れませんでした。そうして私が失礼しますとやや強引に家の中に入ろうとすると、母上に手首を掴まれ行っては駄目と止められます。
「なぜです、穂乃果が部屋で1人で泣いてるかもしれないじゃないですか」
「その穂乃果自身が、あなたに会うのを望んでないからよ」
私の頭の中が真っ白になりました。
なぜです穂乃果。あなたはいつから、私のことがそんなに嫌いになったのですか?私が部屋から出られないあなたの力になれなかったことがそんなに、憎いんですか?ことりは会えて私には会えないなんて、そんなのおかしいじゃないですか!?遊んでいたわけじゃないんです。私だって、私だって!
「穂乃果……。穂乃果!」
気づくと、母上に止められたまま私は大声を出していました……。
「そう。穂乃果ちゃんに会えなかったんだ、海未ちゃん」
自宅に帰ったあと、泣きたい気分でことりに電話をしたら、最近の穂乃果の様子について説明してくれました。
聞く限り、部屋から出るようになった穂乃果は、それ自体は喜ばしいのですが、どうも調子が悪いそうです。厨房に入っても店頭に立っても失敗の連続で、何をやってもうまくいかない状況が続いているとのことです。それを聞き、真姫・花陽・凛のメンバーも様子を見に来てくれたらしいのですが、あまり変わらず……。
穂乃果が子供の頃から日常的にお店の手伝いをしていて、どの程度の腕前なのかを知っていることりは、いまだに本調子を取り戻せない穂乃果が心配で出来る限り毎日夕方になるとお店に顔を出しているそうです。けれど、日増しに雰囲気が険悪になっていくお店の様子を見かねた穂乃果の母上からついに、落ち着くまで来ないでほしいと遠慮する申し出を受けてしまったそうです。
「雪穂ちゃんからも相談受けてるのに……。どうしよう海未ちゃん、ことり1人だけじゃもう、穂乃果ちゃんを戻すのに何をしたらいいか全然分からないよ」
電話先で涙ぐむ声が聴こえます。
泣きたい気分はこっちだったのに、先に泣かれてしまいました。
「ことり、あなたのことだからきっと、無理を重ねていたんでしょうね。すみません、力になれなくて。せめて話してくれれば」
「言おうとした。言おうとしたよ海未ちゃん。でも、着物を着て車で送られたり、最初の日も電話がずっと何回もなったりしていて、忙しそうだったから……甘えちゃ悪いんじゃないかなって、そう思って」
「電話……最初の日からもう気づいてたんですか?」
「……うん」
ことりはその後、頼まれてたのに約束守れなくてすまないと。頼りない自分でごめんねと私に泣きながら謝ってきました。
ことり、謝らなくてはいけないのはこちらのほうです。自分のことにかまけ、あなたに任せっきりだった私がどうしてあなたを責められますか……。
「今までごめんなさい、ことり。穂乃果のこと、今度は私に任せてもらえませんか」
「……任せるって、どうするの海未ちゃん?」
「……分かりません。今はまだどうすればいいか分かりませんが、このままじゃ駄目なんです。穂乃果のこと、必ずなんとかしてみせますから」
必ずなんとかする、そう言って電話を切ったあと、私は座ったまま膝に頭をおしつけました。正直、打開策も答えを導き出す考えもまるでありません。穂乃果がここまで私に心を閉ざすのは初めてのことです。閉ざされた理由も分からないのに、そんな私の言葉があの子の耳に届くなんて到底思えません。このままいたずらに日々が過ぎていってしまったら、穂乃果だけじゃない、ことりを含めた私たち3人が本当にばらばらになってしまうんじゃないか、そんなうすら寒さをも感じました。
互いに進むべき将来の道があり、出会う回数は減っていく。もう私たちは音ノ木坂に通っている高校生ではないんです。こういう現実を受け止め、再会出来る日を心待ちにし、自分に課せられたことを精進し、お互いがあの頃とは違う距離の取り方を覚えなければ。
頭に……現実的な言葉が響きます。
茶碗の中で茶杓を回し、頃合いを見計らって手を止め、相手にさし出す。緑色の畳の上に置かれた茶碗は相手の両手に抱かれ、中身が喉へと滑り落ちていきます。
昼下がりの茶室。庭に向けられた障子紙が陽の光で淡く輝き、ときおり炉で熱を発している炭が思い出したように小さく弾ける。
床の間に季節の花が活けられた4畳ほどの空間で私は子供の頃から母に片手間で教わっていた茶の湯をふるまいました。中身を飲みほし、相手がそっと茶碗を畳の上に戻すと、
「美味しかったわ。また腕を上げたんじゃないの?あ、こういう時はまずけっこうなお手前でって言わなきゃいけないんだっけ」
慣れない作法に戸惑いながら苦笑いをこぼします。
「いいんです、かしこまらなくて。私も最近ようやく本格的に教わり始めたばかりだから、偉そうなことは言えないんです」
「あなたが淹れてくれるお茶って、なぜか時々むしょうに飲みたくなるのよねぇ。……それで、今日はどうしたの、あなたが私を呼び出す時っていっつも何か困りごとを抱えてる時じゃない」
「そんなことは……」
「あら、以前ことりの衣装が恥ずかしくてもう着れないって夜中に電話してきたのは誰だったかしら?フフ」
「あれは……!もう過ぎた事じゃありませんか。意地悪です、絵里」
私が拗ねたようにもらすと絵里はクスクスと笑いをこぼします。ごめんごめんと謝りながら、結構なお手前でしたと茶碗をこちらに返すので私はそれを受け取りました。
「着物、似合ってるじゃない。海未の黒髪が映えて、さすが大和撫子って感じよね」
「からかうのはやめてください」
「からかってなんかいないって。海未は進学を選ばず家に入ったんだものね。それは仕事着ってところかしら?」
「ええ。まぁ、似たようなものです」
本気ともお世辞ともとれるやりとり。対面に座る絵里とはこうして時々会っています。
絵里は美しくなったと思います。音ノ木坂にいた頃から綺麗な人でしたけど、卒業して大学に進んでからよりいっそう、その美しさに磨きがかかったように見えます。
「そういえば先日ことりが、雑誌に絵里が載っているページを紹介してくれました。大学生をしながら雑誌のモデル。凄いです」
「まだまだ駆け出しだけどね。これもμ’sの時につちかった人脈のおかげってところかしら」
思い出した私が言うと絵里は相好を崩して返事を返します。けれどそこで仕切り直すように軽く咳払いをすると、
「海未、どうしたの。用件をまっすぐに言わないのなんて、あなたらしくないんじゃないの」
明るい声で、促すように私の目を覗き込みます。黒い私の瞳に映る青い絵里の瞳。
私の名前と同じ海の色をたたえた瞳が優しげに、そしてその底の方には信頼とほんの少しの厳しさが層のようになって見えました。ああ、私は絵里には穂乃果と違って別の意味で勝てません。ほんの1つしか年齢が違わないはずなのに、絵里の言うことには逆らえないんです。
私は……、偽るのをあきらめ、今の直面している問題について全て話しました。穂乃果の事。私の事。ことりの事。出来るだけ冷静に、うまく説明してたかどうかわかりませんが、絵里は口を挟まずに耳を傾けてくれました。だけどそれでも、話していると気持ちが昂ってきて、言葉が喉に詰まってしまいます。絵里はそう言う時だけ、「ゆっくりでいいから」
と声をかけ、私が落ち着いて再び話しだすのを辛抱強く待ってくれました。
絵里は私にとって緊急避難場所なのかもしれません。穂乃果とことりは2人とも幼なじみで、普段から遠慮なんかせず言いたいことを言い合っています。それはとても望ましい理想の関係なのですが……、絵里にしか言えない、絵里の前でしか出せない私の言葉があるんです。別に2人に隠してるつもりじゃないんですけど、きっとこれがさっき私が感じた、絵里に勝てない理由なんでしょう。
私が語り終えると絵里が「あの穂乃果がねぇ」と驚き混じりに言いました。
「それで海未は私に電話してきたんだ。落ち込んだ穂乃果を元に戻す何か良い知恵ないかって」
「私には……、今の穂乃果が解りません!スクールアイドルとしての活動が終わって落ちん込んでいたはずなのにいつの間にか……、いつの間にか私のこと避けるようになって。それでことりにまで迷惑をかけてしまって……。穂乃果の妹である雪穂からも相談を受けてると言っていたことりは、忙しくふるまう私と調子が戻らない穂乃果の間に板挟みになっていたんです。私がまず相談にのってあげなくてはいけなかったのに。いえ、本来なら私がここまで穂乃果に嫌われなければ長く尾を引いてこじれるなんてことには……」
「でも海未、あなただって自分の役割があったんでしょう。それだって大事なことだったんじゃないの」
「……大事です。……今まで父母の期待には応えられていなかったから、その期待に応えなくてはと。……μ’sをやっていて、どんなに世間で認知されてきたとしても、父母が暮らす世界ではその限りではないと、想像できないくらい私だって子供じゃありません。時には迷惑をかけたり仕事へ差し障りをかけたことだってあったはずなんです。それでも2人は私にスクールアイドルをやめてくれとは一度も口にしなかったんです。だから私は……、でも、ああ、でも……」
言葉が詰まります。喉が痛いです。絵里は近づいて私の背中を擦ってくれました。が、感情の溢れが止まらず、ついに私はかがみ込んで泣いてしまいました。
目の前に迫る自分の影で暗くなった畳。その上に涙がポタポタ落ちます。視界は一瞬元に戻るも、すぐにまた歪んでしまいます。
私はどうしたら。
どちらを選ぶべきなのでしょう。
絵里が言います。「海未は本音ではどうしたいの?」と。
ですが、問われても分かりません。そもそも答えなんて無いものなのでしょう。私にとって父母は大切で、穂乃果とことりも大切で、……どちらか1つを選べなんていうのはどだい無理なんです。今こうしている時も頭が混乱して、涙がとめどなく溢れて、もう、
「もう自分でも分からないんです。どうするべきなのか。自分が何をどうすれば正しいのか。音ノ木坂を卒業して家に入ったのがそもそもの間違いだったんでしょうか?でもμ’sが終わり、そこで時間が止まるわけじゃありません。私たちは大人に近づいてるんです。いずれは今のままじゃいられない、そういう現実が待ってるんです。バカ穂乃果。泣き虫穂乃果。自分だって分かってるくせにμ’sを引きずって。それで周りに迷惑かけてどうするんです。私が嫌いになったのならはっきりそう言えばいい。言われたらはっきり言い返してあげますよ、喧嘩上等じゃないですか、お互いがヘトヘトに疲れ切るまでいくらでもつきあいますよ。ですがこんなやり方……、何て言葉をかければい良いのか分からないこんなやり方……。避けられて、無視されるぐらいなら私は喧嘩している方が良かった!私は……」
うずくまり、子供のように泣き、駄々をこねる私に絵里はずっと背中を擦り続けてくれました。
ため込んでいた感情を泣いて洗い流してしまったのが幸いしたんでしょう。私はじょじょに落ち着いて、絵里の温かい感触に身をゆだねることが出来ました。
絵里が頃合いをみて語りかけます。「私には、海未がどう行動しようとそれを否定する権利はない」と。
「そもそも、権利って言葉自体どこか偉そうで、私には身に余るものなんだけどさ……。私の意見を言ってもいい?海未」
絵里の宣言に私は首を少しだけ動かして意思表示をします。
「ひょっとしたら、あなたには受け入れられないかもしれない、私の意見は。……私ね、目の前に働ける仕事があるってことは、とても素晴らしいことだと思うの。日常の嫌なことや面倒なこと、そういうの、仕事に集中している時は忘れられる。もちろ
ん仕事なんだから集中しなきゃいけないのは当たり前で、おろそかになんてできない。……私は結局、ショービジネスっていう世界が好きみたいね。子供の頃やっていたバレエも、μ’sも、舞台に立つということから離れられなかった。そのせいで良いこともあったけど、反対にいろいろな取捨選択を間違ってきたのかもしれない。海未がどんな行動を選ぼうとも、それが悩んだ末の結果なら私は応援するわ。私だけじゃなく、あなたの両親も、穂乃果たちも、たとえ時間がかかってもいつかは応援してくれると思う。最初はきついかもしれないけどね」
「……絵里は、私が家の仕事をしっかりやるべきだって言いたいんですか?」
「ううん。違うわ。ただ、あなたの話を聞いていて思い出したの。私も音ノ木を卒業してμ’sが終わった当初は落ち込んだなって。……ねぇ海未、落ち込みや悲しみ方は人それぞれじゃないかしら。今思い返すと、雑誌のモデルという仕事へ応募したのは、私がそんな状態から抜け出したくてすがったような気がするの。ひょっとしたら海未も自分が気がついてないだけで、μ’sを失った悲しみを家の事でまぎらわしてるのかもしれないわね。待たせていた両親の期待に報いようって。あなたは真面目だから」
「そんな。……私の性格を分かったふうに言わないでください」
「ごめん。そうね、私は穂乃果ほどあなたと長い付き合いではないから、表面的なところまでしか分からない。けどあなたの話を聞いていて思ったの。海未がいつもちゃんと穂乃果の事を把握していたように、今の海未を一番ちゃんと理解してるのはきっと穂乃果なのかもしれないって。あの子も同じ、家業を持つ身で、程度の差こそあれ、きっと厨房の修行なんかもしなきゃいけない。これから先が見えているからこそ、あなたに甘えてはいけないと思っているのかもしれない。あなたが家の事に一生懸命になっているからこそ、自分も応援できるようにならなくてはいけない。そんな焦りと、やる気と、いまだに拭いきれてないμ’sを失った喪失感が、穂乃果の中でうまく噛み合わず渦を巻いている」
絵里がそこまで言葉を紡いでくれた時、頭の中に雷が走りました。晴天の霹靂、というやつです。同時に浮かび上がってくるスクールアイドルとして活動した日々の思い出。
私の体が絵里の手を押しのけバネみたいに立ちあがります。
「すみません絵里、私、穂乃果の所へ行ってきます!」
「あ、ちょっと」
驚き尻餅をつく絵里をそのままに、私は家を飛び出すと数十メートル先にある穂乃果の家に走りました。着物に足袋、走りにくいです。草履をはくのをすっかり忘れていました。足の裏に鈍い痛みを何度も感じながら、穂乃果の家に辿り着き、乱れた呼吸で穂むら店の引き戸を開けると、
「……穂乃果」
また何か失敗をやらかしたらしく、しゃがんで商品のお菓子を拾う穂乃果がいました。傍らにはことりも一緒です。調子が悪い穂乃果を手伝っているのでしょう。エプロン姿でした。
「海未ちゃん……」
「ことり、学校はどうしたんです」
「……あの、その……。今日は学校がお休みだったから……穂乃果ちゃんと一緒にお店のお手伝いをしようかなぁ……なんて」
しどろもどろに小さい声で返事をすることり。答えを告白してるようなものです。私は唇を噛み、穂乃果の前にしゃがみ込みました。目線を合わせようと覗き込みましたが、穂乃果はそれを拒否し私に合わせようとしません。
「あなたがそのつもりなら、そのままでいいです。ですがこれから私が言うことに、イエスかノーか、首を動かすだけでもなんでもいいから答えてください。穂乃果、あなたは私のことを想ってそんな態度をとっているのですか?私が家に入り、忙しくしてたから、もう私に甘えてはいけないと思ったからなんですか?そうやって今も私と目を合わそうとしないのは、自分も穂むらでしっかりやって、いつか私を応援できる自分になろうと努力しようと思ったからですか!?……あなたはそんな覚悟で、私を……!」
両手で穂乃果の肩を押さえ、問い詰めると、穂乃果の目にみるみる涙が溜まっていきます。震える唇を一生懸命への字に結び、長い付き合いですから、ことり同様に答えはすぐに伝わってきました。私は穂乃果の頭を包み込み、
「バカ穂乃果……」
耳元で囁くと、「うわぁあああぁぁん」って子供みたいな泣き方をする穂乃果の大声が私の鼓膜いっぱいに響きました。
「海未ちゃん。海未ちゃん。海未ちゃん……」
泣きじゃくる穂乃果の熱と、匂いと、振動が私の五感に伝わってきます。
「……まったく、この子は……」
「海未ちゃん。……海未ちゃぁ~~ん。うわぁあああぁぁ~ん」
まったく、穂乃果のくせに生意気です。急に私を飛び越えていこうとするんですから。
「ことり」
私は隣でもらい泣きしてたたずむことりへ手を伸ばしました。
「海未ちゃん」
それで3人仲良く輪を組んでしばらく泣きました。穂乃花は子供みたいに。ことりは本当に良かったと何度も何度も呟きながら。そして私自身も、自分ですら驚くぐらい涙がこんこんと溢れ出てきて止まりません。同時に温かい気持ちが波のように全身に広がって。ああ、私はこんなにも己に嘘をついていたんだと、ここにきてようやく得心しました。
落ち込みや悲しみ方はひとそれぞれ。絵里の言う通りかもしれません。私は自分でも気づかないうちにμ’sを失った悲しみを、知らず知らず家の仕事に押し付けていた。
そう割り切ってしまうほうが、おそらく楽だったんです。穂乃花のように正面から悲しみに身を浸すことができなくて、現実に向き合おうと背伸びすることで逃げてた。私のそんな姿が穂乃花へこんなになるまで無理を強いてしまった。私が弱いから、居るべき時に穂乃花の傍に居られなかったんです。……悔しいけれど、これは私の落ち度ですね。
「穂乃花、ごめんなさい」
心を込めて謝りました。が、当の穂乃花はまだ大声で泣いていて、私の声が届いたかどうか分かりません。
すると、
ブーン、ブーン、ブーン
着物の中で私の携帯電話が震えました。突然の振動音にせっかく輪を結びかけていた私たち3人の動きが止まります。さすがに気付いたみたいです。ディスプレイの表示には母の名前が。絵里をそのままにしてきてしまったし、今日の予定に参加していない私を訝しんで呼んでいるのでしょう。ですが、私は携帯の電源を切りました。
「……いいの?海未ちゃん」
それを見て鼻の頭を赤くさせた穂乃果が呆けた調子で言いました。
「いいもなにも、家の事は大事ですけど、穂乃果とことりの事も私は大事なんです。家にかまけて大切な友人を失ってたらきっと家の事も失敗して失います。それじゃ本末転倒じゃないですか。父母があなた達を駄目というなら、私は断固戦いますよ」
「海未ちゃん!」
「ちょ、穂乃花、そんなにくっついたら痛いですよ」
遠慮なしの穂乃花はなんだかまるで動物の大型犬です。髪の毛からは晴れた太陽を思わせる陽だまりの匂いがして、それをすっと嗅いだらようやく私はホッと落ち着いた気がしました。視界を少し上げればことりの慈愛に満ちた優しい眼差しが私を包んでいます。
結局、私たち3人はまだまだしばらく離れられそうにありません。幼稚園からずっと一緒の私たちですものね、たとえμ’sが終わったからといってそれで縁が切れるわけがないんです。
私はこの時、今までずっと、答えを1つに絞ることにとらわれてきましたが、少し、兆のようなものを見た気がします。両親の期待、それにどう向き合うべきか。演じるのは楽ですけどそれはきっと本当の道には繋がっていない。ですから、将来への答えは残念ながらいまだにはっきり出せそうもありません。きっとそれはこれからもずっと同じで、そのつど泣いて喚いて、悩みながら見つけていくんだと思いました。
今回の穂乃果の件でようやく私はそれに気づけたんです。
さて、私の日誌はここまでです。
最後のまとめは私とことりをここまで巻き込んだ張本人である穂乃果に書いてもらおうじゃありませんか。ぜひ納得いく説明を書いてほしいものですね、確かに最初はμ’sのことで落ち込んでいたはずなのに、どこでどうねじ曲がってあんなふうに私を避けるにいたったのか。
まったく、ことりが性格的に人が良いからって学校まで休ませて、私もまた一つ絵里に痴態を晒してしまったじゃありませんか。本当に穂乃果の影響力は台風みたいです。
いいですか穂乃果、自分は文章を書くのがヘタだからなんていう言い訳は通用しませんよ。
私とことりだけじゃなく、絵里や花陽たちもあなたのために行動してくれたんですからね。
うまく書けない時はちゃんと付き合いますから。あなたの言葉、何回だって書き直してもいいんです。
遠慮なんかしたら今度は私の方があなたを避けますよ。