転生したらミュージアムの下っ端だった件(完) 作:藍沢カナリヤ
ーーーー雫の自宅マンションーーーー
「デート、延期……ですか?」
『あぁ、悪い』
夜、わたしのスマホにかかってきた秀平さんからの電話の内容は、そんなものでした。
『その、なんだ……ちょいと野暮用が入ってな』
「…………」
野暮用。秀平さんはそう言いました。それは最近よく耳にする聞き慣れた言葉で。だから、つい黙ってしまいます。
『雫ちゃん?』
「っ、あ、いえ……ご、ごめんなさいっ」
『いや、ごめんなさいは俺の台詞だ。悪い、埋め合わせは必ずするから!』
「そ、そんなの大丈夫ですよっ……都合が合わない時だってありますから」
『……そう言ってくれると助かる』
その後、他愛のない会話を交わして、わたしは通話を切りました。そのままベッドに倒れ込みます。
「はぁぁぁぁ」
思わず漏れる大きなため息。大丈夫、とは言ってはいても、正直な話、ショックはショックです。しかも、最近野暮用が多くて。
……ううん、違います。勝手に悪い妄想をしているだけ。そんな訳は……。
『浮気じゃねぇのか?』
「っ」
わたしの心を見透かしたみたいに、『イービル』さんはそう言いました。わたしはフロッグポットを睨み付けます。
「そ、そんなわけないですっ!」
『どうだか。あの軽薄野郎のことだし、あり得ない話じゃないだろうが』
「ちがうっ、ちがいます!」
『…………なら、確かめてみるか?』
「え?」
ーーーー繁華街ーーーー
『イービル』さんに促されるまま、わたしたちは繁華街へと足を運んでいました。アイナちゃんが霧彦さんから聞き出した情報によると、今日ここに秀平さんは現れるとのことでした。
『…………来ねぇな』
変装のために買った伊達眼鏡が合わずに、何度も位置を戻しながら、『イービル』さんはそう言いました。
そう。身体を『イービル』さんに預けて、物陰から様子を伺っているのです。
『仕方ねぇだろ。あの野郎、雫相手だとどんなに離れていても感知しやがるからな。ったく、妖怪かよ』
妖怪って……ふふっ。
『あ、笑ったな。実はお前もそう思ってたのか』
あ、いいえ。面白かったんじゃなくて、どんなに離れていても見つけてくれるのって……嬉しいですよね。
『あー、はいはい、あたしが馬鹿だったよ』
『イービル』さんは呆れたようなため息を吐くと、再び視線を戻しました。残念ながら正確な時間までは分からなかったので、もしかしたらもう用事を済ませてしまったんでしょうか。
『いや、まだ朝9時前だ。短時間で済む用事なら、あいつも時間をずらす程度で、お前とのデートをキャンセルしないだろ』
……そう、ですね。そうだと、いいですけど。
『…………はぁ、大丈夫だろ。お前が心配するようなことはねぇ』
わたしの心中を察してくれたのか、『イービル』さんはわたしにそう言ってくれました。やっぱり隠し事はできないですね。繋がってるから当然といえば当然ですけど。
『イービル』さんの言う『心配するようなこと』……それは秀平さんの浮気です。出掛ける前は違うとかそんなわけないとか言ったけれど、心のどこかで疑ってしまっていたのは事実で。
『あのなぁ……お前とあいつのイチャつきを間近で、気分悪くなりながら見てるあたしが保証してやる。奴の浮気だけはねぇよ』
『……その、なんだ。悪かったよ、ちょっと茶化しすぎた』
ばつが悪そうにそう言う『イービル』さん。
……いいえ、分かっていました。『イービル』さんはわたしの中にいます。だから、わたしの心の声を代弁してくれてたんだって。
わたしの方こそごめんなさい。貴女にそんなことを言わせてしまって。
『ふんっ』
照れ隠し。それも分かってしまいます。
ふふっ。
『……ん? おい、あれ』
指をさす『イービル』さん。それが照れ隠しではないのは、指先を辿れば分かりました。そこには秀平さんがいて、その隣には……え、え?
『誰だ、あの女?』
「っ」
その光景を見た瞬間に、わたしは変身を解いて駆け出していました。
ーーーー黒井視点ーーーー
「ねぇ」
「あ? んだよ、こっちは取り込み中…………だ……?」
赤い封筒からの指示通りに繁華街に向かった俺は、件の組織『カンパニー』に繋がる人物の尾行をしていた。そんな中、突如としてその女は背後から声をかけてきた。
そこにいたのは、
「やっほ、シューヘイくん♡」
「おま、えはっ!?」
思わず声を荒げ、反射的に飛び退く。その瞬間の俺の頭の中には、尾行のことなど全く消え去っていて。
ただただ、目の前に現れたその女の名を呼ぶ。
「
「うん。そうだよ、シューヘイくん」
「ッ」
顔も違う。声も違う。だが、俺には分かる。こいつはーー
「秀平、さんっ」
「え……?」
背後にいたのは、雫ちゃんだった。息を切らせて、俺の名前を呼ぶ。顔色も悪く、一目見れば分かるくらいには動揺した様子だ。
「……え、えっと、そのっ……こ、この方は……どなたです、か?」
「っ、こい、つは……!」
こいつが現れた以上、話さなくてはならない。なのに、俺の口はまるで固まっているかのように動かなくて。
くそっ、動け。動けよっ!?
ーーーー雫視点ーーーー
「アハ♡ 初めましてぇ、この娘が雫ちゃんかぁ」
「あなた……秀平さんの……」
「ん? 私? 私はねぇ、シューヘイくんの元カノ、名前はフーカ」
フーカと名乗り、秀平さんの元カノだと主張した彼女は、
「今日はね、シューヘイくんを奪いに来たよ」
ーースルッーー
そう言うと、無防備な秀平さんの首に腕を絡ませてーー
「んっ♡」
「なっ!?!?!?」
ーー秀平さんの唇を奪ったのでした。その光景を見た瞬間に、わたしの中の何かがキレる音がして、気づけばメモリを起動していました。
『イービル』
『っ、てめぇ、何者だァァッ!』
ーーブンッーー
「おっと」
完全に不意を突いた『イービル』さんの攻撃。けれど、それを彼女は躱す。その動きは、まるで目を閉じていてもこちらの動きが分かっているようで。
「そっちが『イービル』メモリーー別人格の雫ちゃん」
『あぁ? んだ、てめぇ!』
「なんだーって、さっき名乗ったじゃん? シューヘイくんの元カノだってさ♡」
この人、なに? 一体なんなの? 『イービル』さんのことも知ってる?
……っ、じゃない。今はっ!
『おい、黒井! てめぇも何か言えッ!』
「…………」
『おいっ!!』
『イービル』さんがわたしの意を汲んで、秀平さんに聞いてくれる。けど、秀平さんは、固まったまま動きません。答えてくれません。いつもの秀平さんじゃない。絶対に様子が変。
『……てめぇ、そいつに何をしたッ?』
「んー? なにも? するとしたら、い・ま・か・ら♡」
そう言って微笑む彼女。その笑みからは嫌悪感しか感じません。そして、その予感は最悪な方向に的中してしまって。
「奪うよ、シューヘイくんのぜんぶを♡」
『アイズ』
ポケットから取り出したのは、ガイアメモリ。
メモリにひとつキスをして、舌へメモリを差し、変貌を遂げる彼女。目玉の意匠と女性的な身体ラインをもつ『ドーパント』へ。同時に出現した浮遊する2つ目玉は、秀平さんを凝視しています。
『『ドーパント』だぁ!?』
『そ、『アイズ』……シューヘイくんのぜんぶを見るための『ドーパント』だよ♡』
『…………退くぞ』
っ、でもっ! 秀平さんがっ!?
『見捨てる訳じゃねぇ! あたしじゃ『アレ』には勝てない。体制を立て直す』
後ろ髪を引かれながらも、わたしは『イービル』さんの言葉に頷きました。
ーーーー同日数時間後・廃ビルーーーー
「…………出てきたまえ」
霧彦の声が夜の廃ビルに響く。
彼にも届いていた赤い封筒には、とある場所を探るように書かれていた。『カンパニー』の隠れ家と思われる廃ビルには、複数の気配があった。その時点で、霧彦はこの場所が外れであることは察していた。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「4人……いいや、4体、かな」
暗がりから出てきたのは4人。いずれも只者ではない雰囲気を纏っている。それはメモリに関わる者の気配だった。だから、彼は初めから『ナスカ』を起動する。
『ナスカ』
彼に呼応するように、その4体も顔を上げて、メモリを起動した。
『ホール』
『ホール』
『ホール』
『ホール』
露になるその人物の顔。皮膚は所々剥がれ、欠損した部位もある。だが、それらは全て『転生者』白服が造り出した複製兵士『吉川』の顔であった。
「まだ終わっていなかった、という訳か。これは……少々厄介だね」
そう言って、霧彦はガイアドライバーをしまい、代わりにロストドライバーを取り出した。そして、次に起動するのは純正化されたガイアメモリ。
『ナスカ』
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