1 頓挫確定の目標
自己の形成を「ものごころ」がつく頃とするのなら。私の始まりは生まれたその瞬間からといえるだろう。ではその真意は如何、と言われれば実に簡単なもので。所謂「異世界もの」という分類に私は位置づけられるだろう。それまで一つの世界に生まれ、一つの生を謳歌していた何某が、なんの謂れもなく突然に平行する別の世界へと再誕してしまう。
「転生」であったり、「転移」であったり、もしくは「召喚」という形式がとられるらしいが、一概に言えるのは、世界をスライドしたものは皆、その世界での新たな生活を無条件に強いられるという事だ。
ここまで言って分からない者も居るまい。私もその「異世界もの」の世界を移動する側として、現在二度目となる生を謳歌している、というわけだ。
そして、今生が始まって暫く。ついに私は門の前に立つ。門の端、柱につけられた看板の文字には、「ウマ娘トレーニングセンター学園」の文字が厳かに並んでいる。周囲には私と同じように学園の前で一度立ち止まったり、あるいは気にせず門の奥へ歩いていく子達がいる。
彼女達は皆人間と同じように見えるが、しかし動物らしい耳が側頭ではなく頭頂に、そして尻の少し上に長毛の尾が伸びている。それはつまり、人間に近しいが人間ではない存在ということだ。
その名をウマ娘。前世において大きな人気を博した作品群に登場する、かつて己の命を懸け走った優駿達の生まれ変わりともいえる存在だ。
当然、今から学園に入る私もその一人。まさか本当にここへ来る事が出来ようとは思っていなかったが、しかし来てしまったからにはまだ卵といえ、私も一端のアスリート。大成するまでは足を止めることはできない。
門の隣には、緑色の服を纏い、頭に緑の帽子を携えた女性が一人。私に目を向けると、柔らかくにこりと微笑んだ。新年度だからだろう、胸元に着けられた個人を表す証明書には、その身を表す名前が書かれている。
「おはようございます。新入生の方ですね」
「はい。入学式のある講堂はこの先ですか?」
「ええ、ここから少し歩いた先に看板もあるので、分かると思いますよ。」
「ありがとうございます。駿川たづなさん」
「あら。ふふ、あなたは……スタートワンさんですね。貴女のこれからに、三女神のご加護があることを祈ります」
彼女のお辞儀に合わせ、こちらも小さいながら会釈を返す。そしてその横を通り、学園への一歩を踏み出した。
今生の名をスタートワン。ここトレセン学園では私の生はどうなるか。さて、それは三女神のみが知る、といったところだ。
というわけで、少しばかり余計だが私自身の話をしよう。別に入学式やら教室移動が面倒で意識を別に割きたいとかそういう話ではない。どこの学校でも繰り返し見ることを繰り返し説明するくらいなら、ここで必要な情報を話したほうがいいという判断だ。
先の通り、私の名はスタートワン。かつては一人の人間として生きており、何かの拍子にこの世界にて馬…厳密には『ウマ娘プリティーダービー』におけるウマ娘としての生を迎えた。ここが死後来た世界なのかそれとも生きているまま魂だけが来た世界なのかはわからない。気付いた時にはこの世界に居り、既に十年以上の歳月が経過していることだけが事実だ。競馬についてはちょっとした趣味程度ではあったが知識はあったし、ウマ娘についても知っていて、アプリにもそれなりの稼ぎを落としていた。それゆえ、最初に自分の状態を理解した時は混乱以上に困惑したものだ。それでもウマ娘に生まれたからには、一度はレースに出たいとこの門戸を叩いたのである。
ちなみに、かつては男として会社勤めをしていた。
そう、男である。まさか世界を超えるとともに性別も変わるとは思っていなかった。しかしなってしまってからあれこれ言うのもおかしな話。気付けばこの姿にも慣れ、こうして一学生として二度目の生活を送ることにも違和感を抱かないでいる。
ともあれ、こうして私の競技者生活は始まったのだ。目標はせめて名誉あるG1勝利、それが出来ずとも、重賞にて好成績を収めることが出来れば御の字だろう。
さて、そんな目標のことを考えながら講堂にて行われている入学式の経過を頭半分に追っていると、新入生代表の挨拶が始まった。ここはこれからアスリートとして活躍するべく意気込みを語る、いわゆる選手宣誓も含まれたものだが、私は学業優秀な生徒ではない故、その檀上に上がる者を見つめる側だ。語られる言葉はそこまで気にして生活をするものではないので無視してもいい。いいのだが、私の眼はその様子に釘付けにされていた。
内容ではない。問題なのは、その檀上に上がった人物。髪全体は茶色、前髪側だけは一層濃い茶色をしており、先端の一房だけが白く三日月のような形。流星を持つ鹿毛の髪だ。右につけた耳飾りはかつての姿が牡馬の証。まだ幼さの残る顔つきは、しかし既に完成された風格を漂わせている。ただ彼女を見ている私達すら圧倒する程だ。先生の中には既に未来のG1勝者を見るような目をした者さえいる。事実、それが遠からぬうちに現実のものとなることを知るのは、今のところ私だけだろう。
凛とした声が彼女から発せられ、玲瓏な響きをもって入学式の会場を飲み込む。一通りの言葉を言い終え、最後に付け加えられたその名前は。
「新入生代表、シンボリルドルフ」
…………なるほど、我がレース人生、最初にして最大の壁は初日にあったか。
シンボリルドルフ。ウマ娘を、ひいてはその大きな基となっている競馬を知る者の中に、この名を知らない者は居ないだろう。
皐月賞、日本ダービー、菊花賞。日本で四番目にこの三つの冠を取り、その称号を一度も敗北することなく戴冠。挙句その後にもG1を四度勝ち、合計七つの冠を手にした存在。その功績はあまりに大きく、約二十年後同等の成績を近代日本競馬の結晶ディープインパクトが達成、更に十数年の後ダートにてホッコータルマエが十の、ターフにて名牝アーモンドアイが九つの冠をその頭上に戴くまで、超えるべき目標、そして呪いとして残り続けた。
そして私スタートワンは、そんなシンボリルドルフが同期なのである。これは困った。実に困った。魔王を倒すための旅に出ようとドアを開けたら目の前に魔王が居るような状態だ。運命的なまでに不運だ。
しかしなってしまったものに文句をいっても仕方ない。新入生ということもあり、今日は施設の利用は許可されていない。身体能力の検査などは後日のため、今日私に出来る事は、今のうちに学園の様子を見ていくだけだ。
教室にて担任から明日以降の交々を説明されてから、改めて今日の予定が終了する。これから生活を共にする学友たちは、そのまま教室に残り会話を始めている者、周囲を気にせず自分の予定をこなそうと廊下へ出る者、そして私と同じく周囲を観察する者と様々だ。
私もそろそろ行こうと席を立ち、廊下へ出る。人は疎らながらもまだ見え、生徒が二人、教室から出てきた私を避けるように移動し廊下の奥に進んでいく。今日のところはこの学園内の簡単な散策、それと重要施設のいくつかを確認だ。同じことを考える者は少なくないようで、配布された地図と睨み合いながら同道したり離れたりしていく。
とにもかくにも、まず行くべきはトレーニングコースだろう。これから最も利用する機会の多い場所だ、道順を真っ先に覚えるほうがいい。地図を使うのが手っ取り早いが、どうせほかのところも見ていく予定なので行き当たりばったりでかまわない。
鞄を片手に道を進む。校舎を後にし、人の流れを見ながらあたりをつけ、いかにも先輩だろうというジャージ姿の生徒の行く先に足を向けた。
少し時間をおいて見えてくるのは、グラウンドとしては広すぎるほどの土地を占領する緑色の地面。その中では赤いジャージ姿の人影が幾つも走っている。楕円をしたコースの直線の位置には観客席も用意されており、その気になればここで公式のレースも開けそうなくらいだ。
流石ウマ娘を育てる日本で最大最高の学園。設備も並外れているわけだ。私と同様にコースの確認に来た幾人かも、実物に少し圧倒されている。
コースの端を通りながら観客席へ移動し、練習に励む先達を見つめる。仲良さげに走る者も居れば、いかにも本気で打ち込んでいますと真剣な顔で走っている者もいる。ストレッチの為背を押してもらっていたり、持参したのかダンベルを持ち上げながら談笑を交わしている姿も見えた。見た目には和やかな運動部の女子達という風に見えるが、内実は誰も彼もが一流のアスリートだ。その肢体の内側にある筋肉は、大人顔負けの膂力と完成度を誇っている。
彼女達と競い合う時が、いつか私にも来るのだろうか。
「どう? トレセン学園のトレーニング風景はあなたの思い浮かべるものだったかしら?」
トレーニング風景をじっと見ていると、ふとそう問いかけられる。何時からそこにいたのか、一人のウマ娘が此方を見てにこりと微笑んでいた。鹿毛で長髪のそれは後ろで二つに分けられ、緩い螺旋を描きながら伸びている。美しい光を湛える深い翠の瞳は、私を見つめながらやはり軽く笑んでいた。
その姿はかつてスマートフォン越しに見ていたものだ。もちろん、今生においても幾度か見た事がある。現トゥインクル・シリーズ最強の呼び声高い、あまりの速さ故レースにならないとさえ言わせたその名は。
「マルゼンスキーさん、ですね」
「あら、私の名前を知ってるの?」
「この学園に入学して、あなたを知らないなんてありえないです。直接会うのは初めてですが、まさか会えるとは思っていなかったので、光栄です」
「そう? 後輩ちゃんにそう言ってもらえると嬉しいわね」
手前にあるフェンスに軽く身体を預けながら、彼女はこちらから視線を外してコースを見る。まさか学園で最初に声をかけられた相手がかのマルゼンスキーとは。驚きよりも喜びの方が勝るが、あまり騒がしくしても邪魔だろう。暫く二人で練習風景を眺めてから、務めて落ち着いたまま、先の問いへの返答も兼ねて今度はこちらから声をかける。
「すごいです。思っていたものより、ずっと。マルゼンスキーさんも、練習を見ているのですか?」
「ええ。こうして皆が走ってるところを見るの、好きなのよ」
「そうなのですか。マルゼンスキーさんは、練習は?」
「今日はお休み。トレーナー君が会議に出席中なの」
トレーナー君。彼女の担当を務める人物の事だろう。因みに、この世界はかなりアプリ版に準拠しているらしく、マルゼンスキーは皐月賞をぶっちぎりの一着で取っている。しかしダービーには出走しておらず、一定のずれはあるものの元の流れに沿っている部分はあるようだ。
またメディアを通して、あとは入学に際してという程度だが、学園の事を調べた限りどうやらこの世界はアニメに登場する人物は存在しないらしく、チームを組んで複数のウマ娘を担当することはあっても、そのチームにリギルやスピカといった名前は存在しない。あるいは存在するのかもしれないが、アプリ準拠に近くなっているのかあまり表に登場しないのかもしれない。
「それにしても、一人でわざわざここに来るなんて。どうしても練習したくなっちゃった?」
「というよりも、事前の確認みたいなものです。明日以降自分が使う場所が、どんな風になっているのか見てみたくて」
「熱心なのね。利用出来るのはもう少し後よ?」
「のんびり出来るのは今日くらいでしょうから」
これからここに来る時は練習の時くらいだ。何もせず見るだけでいられるのは、今のうちだけの贅沢になる。
私の返答に、マルゼンスキーは小さく笑みを浮かべながら身体を起こす。
「そう。頑張ってね、えっと」
「スタートワンです」
「そう、スタートワンちゃん。……! あなたが走るところ、応援させてね!」
そうして私の肩を軽く叩くと、彼女はその場を去っていった。
彼女の後ろ姿を少しの間眺めていたが、その姿が見えなくなると同時に思わず息を吐く。それからトレーニング中のウマ娘たちに視線を移すと、改めてマルゼンスキーの肉体の完成度に身震いする。
一方的ながら見知った、それも日本トップクラスの選手との会話。緊張を伴うだけじゃない、恐ろしいまでに均整の取れた筋肉と、ただそこにいるだけで放たれる覇気は、強烈ながらまだ完成しきっていないシンボリルドルフのそれとは違う威圧感も含まれている。
そして肩を叩かれた瞬間向けていた目。あれは単なる先輩からの激励じゃない。同じレースに出た時、完膚なきまでに叩き潰すという意図を思いっきり詰め込んだ瞳だった。応援をされているのか、それとも獲物として目をつけられたのか。答えを知るときが来るのかと思うと背筋が凍りそうだ。
『プリティーダービー』と銘打っているのだからもっとプリティーな対応であってほしい。それともここはシンデレラグレイ的な世界なのだろうか。
と、そんなことを考えている間に新たな足音が近づいてくるのを聞き取る。ゆっくりと見えてきたその人物は、つい数時間前講堂の壇上にて見ていた特徴ある鹿毛の頭髪。
「……あなたは、新入生代表の」
「ん…。そうだ、私はシンボリルドルフ。君は……入学式に居た顔だね。確か名前は…」
「スタートワンといいます。新入生代表に覚えてもらえるとは、光栄です」
「ありがとう。だが、君もまたこのトレセン学園に入学した者の一人だ。そのことに胸を張ってほしい」
当然の様に顔を覚えられていて、それどころか名前も憶えられていそうなことに少しびっくりしたが、そういえばアプリでは顔を覚えるのが得意と明言されていた事を思い出す。顔に合わせて名前を覚えるくらい、彼女なら造作ないのかもしれない。
「ところで、君はここで何を?」
「トレーニング中の先輩の様子を見ていました。というより、時間もあるので学園の散策中なんです」
「散策? この時間は寮での生活の説明会が行われている筈だが…?」
「あれ、他の子達は」
「もうとっくに寮へ戻っているよ、新入生でここに居るのは私と君だけだ」
「それで……って、それじゃあシンボリルドルフさんもここに居るとおかしいのでは?」
「私は既に説明を終えていてね。代表選出にあたり、いくつかの予定はほかの新入生より早く終わらせているんだ」
ああ、なるほど。それなら同じ様な扱いじゃない私が居る事に違和感があってもおかしくない。
「私は寮生活じゃないので。一人暮らしなんです」
「ふむ……そうか。君が件の」
「くだんの?」
「今年入学する生徒からも一人暮らしが出るという事で、話を聞いていたんだ。例えば、マルゼンスキーという名前は君も知っているだろう。在学中の彼女も一人暮らしでね。本来は中々居ないのだけど」
あー……。そういえばそうか。ついさっき会った人物の顔が脳裏を過る。彼女も一人暮らしだから、私がここに一人でいる事に違和感が無かったのだろうか。
「説明会では食堂やトレーニングルームの説明も含まれているから、今からでも受けた方がいいんじゃないかな?」
「……まあ、行った方がいいのは確かなんですけど。このタイミングだと変に注目されそうで行きにくいですよね」
「ふふ。そういうのを気にしてしまうのだね。まあ、後日改めて施設の紹介が行われるそうだから問題ない事ではある。そちらに行くのもいいかも知れないな」
「そうですね。それに」
「それに?」
「まだ、練習の様子を見ていたいな、と思うので」
「……そうだな。私も一緒に見ていていいかな?」
「ええ。構いませんよ」
そうして、彼女と二人でレース場の様子を眺める。夕暮れを越え、日も落ちるまで、ただ無言で眺めていた。
「ところで、君は……」
「はい?」
「……いや、いい。まだ互いの事もよくわかっていないからね」
その言葉に一瞬だけ思考が回り、すぐに理解した。思わず首に手が伸び、軽く襟をつかんで彼女により首元が見える様にする。
「手袋と首の包帯は、今も怪我をしているからじゃないですよ」
「……そうか。いや、すまない。不躾だった」
「気になる事に文句は言いません。でも、わざわざ隠すなりの理由がある事は、ご理解をお願いします」
「ああ、わかったよ」
説明の手間を省きつつ、タネを隠すことに成功して少しほっとする。今生最大の目標にして障害になるであろう相手に、今私の事を話すのは得策じゃない。
私の身体の状態がどんなものかは、相対する直前まで隠し通さねばなるまい。
上の文の通り、これ一年前に用意してた前書きなんですよね。
活動報告に言い訳を用意しました。