「はーい、二人共! 今日はよろしくね!」
「ふふ、四人で一緒に練習なんて、なかなか珍しいね。楽しくいこう」
「ああ、先達の走り、今日はしかと見させてもらうよ」
「まあその、お手柔らかにお願いします」
とんでもねー事になっちまった。どうしよう。
内心大荒れもいいところだが、思わず言葉も荒くなろうというものだ。何せ私の目の前に居るのはジャージ姿のウマ娘が三人。マルゼンスキー、ミスターシービー、シンボリルドルフが居るのだから。
「まずはストレッチね。シービーちゃん、一緒にやりましょう?」
「うん、お願いしようかな。ほら、ルドルフとスタートワンもストレッチストレッチ!」
「ああ、スタートワン、頼めるかい?」
「…はい、ええ、大丈夫ですよ」
極力普段通りに見えるよう繕いながら、シンボリルドルフの背を押して柔軟を手伝う。練習中の周囲では幾人ものウマ娘やトレーナーが此方の様子を伺っているというのに、三人は至って自然体だ。私だけが心の中で焦っている。揃って食事をしてから現在まで良好な関係を維持しているにも関わらず毎回ドキドキするところは、我ながら小心者らしさが出ているなあ。
「なるほど…スタミナ温存のための追い込み、か。なかなか大変そうだ」
「そりゃお前もだろ。初の担当が鳴り物入りの新入生代表だ、プレッシャーがやべーんじゃねえの?」
「俺と比べれば、マルゼンスキーさんのトレーナーの方が苦労が多かったんじゃないですか? ダービーを出走しないって話、結構騒ぎになりましたから」
「彼女にその気が無かったからね。俺は彼女の好きなように走ってほしいんだ、一生に一度のレースが気乗りしないものになるなんて、その方が害になる」
「そのくらいの気概があるからこそ、マルゼンスキーとの関係も良好なんだな」
「それは君の方もだろう? ミスターシービーに気に入られて契約を結んだって言ってたじゃないか」
「まあそうだが…。僕はどっちかというとシービーには振り回されてばっかだよ…。まあ、彼女がいいなら構わないけどさ」
聞こえてくるのは、それぞれ私達のトレーナーの会話。今回の練習に当たって全員が集合したわけなのだけれど、どうやらあちらの関係も悪くないらしい。変にぎすぎすした空気にならないのならそれは安心だ。
「ありがとうスタートワン。さ、次は君の番だ」
「ええ、お願いしますね」
さて、これがどういう状況なのかを説明しよう。といっても、特に難しい話は無い。私とシンボリルドルフが一緒に練習している事を知ったマルゼンスキーとミスターシービーが、ならば私達も、と更に参加を申し出てきたのだ。
先日の上級生との併走を知ったミスターシービーが、「だったらアタシも参加していいでしょ?」と提案してきたことがすべての始まり。
「どうせなら、一緒に練習しましょう!」というマルゼンスキーの言葉に「いいね、そのほうがもっと面白そうじゃないか」と提案者のミスターシービーが乗り。「ああ、折角だ。よろしく頼むよ」という形でシンボリルドルフが許可してしまった。
「よろしくお願いします」と言う以外の選択を無くした私はこうして以前と変わらぬ衆人環境の中練習を始めたというわけだ。
仮にもG1ウマ娘二人と、先日の練習で更なる強さを見せつけた新入生最強。三人が揃った状態じゃあ、以前にも増して注目度が上がるのも仕方ない。
「前から思っていたのだが。君、意外と身体が柔らかいんだな」
「ストレッチは毎日してますから。昔は結構固かったんですよ」
「へえー。ちょっと気になるね。次の練習の時は私と柔軟する?」
「絶対何かする気じゃないですか。やです」
「えー」
「あら、シービーちゃんったら! なら、私と一緒にしましょっか、スタートワンちゃん!」
談笑を続けながらも、準備は終わり練習が始まった。基本は走り込みで、私とシンボリルドルフ、あるいはマルゼンスキーかミスターシービーといった形でひたすらにトラックを周回し続ける。陸上競技の長距離に近い事もあってか、ウマ娘のトレーニングは基本的に走る事ばかりだ。
シンボリルドルフの隣を、遅れないように追随する。速度はまだ人間の範疇に入るジョギングレベルなので、体力も気にするほどではない。
「このくらいなら、まだまだ走れるんですけどね」
「とはいっても、レースはもっと速くなければいけない。それに、これからが本番だよ」
「わかっています」
少しずつ、走る速度を上げていく。ぴったり並走することを意識して、どこまでついていけるかという所だ。私は体力が持つ限りシンボリルドルフの隣を維持し、彼女は私から少しでも先行する事を意識。シンプルな内容だが、レースで出す速度にまで到達すると、なかなかきつい。
「ぐっ…んん…!」
「まだいけるかい、スタートワン!」
「っ、とう…、ぜん!」
そろそろ1500メートルを超える。私の体力が限界に来るところだ。
シンボリルドルフに負けぬよう走るが、ゆっくりとその距離に差が生まれてくる。1バ身、2バ身、呼吸の荒れが激しくなり、足の動きが鈍くなるほどに開いたその間は広がっていく。
2000メートルを超え、それでも疾走を続けるシンボリルドルフの背を追い100メートルを走り。ついにその場に崩れ落ちる頃になると、その距離は大差という以上にまで開かれていた。
「ぐっ…、はあっ、ぜえっ……っ、」
胸を抑え、明滅する視界を何とか保たせながら立ち上がる。震える足がそのまま地面に落ちそうで、身体を支えているだけで神経をすり減らしているような気がしてくる。喉の痛みに咳込みそうになるのを強引に抑え込んだ。
「大丈夫か、スタートワン」
「…っ、ええ…。もちろん…、です…っ」
此方に気付いて戻って来たらしい。肩に手を置く、遠くぼやけたシンボリルドルフの声に返事をしながら、少しでも体力が戻るのを待つ。
「少し休んでからまた走ろう。トラックの端まで歩けるかい?」
「……すみ、ません」
シンボリルドルフの肩を借りながら、トラックの端へ移動する。一度二度連続して走る程度ならまだ融通も効くのだが、私はどうしても周りより体力の消費が多い関係上、体力が尽きた時はこうして何時も呼吸が落ち着くまで休みをもらう。前回の上級生達を含めてのときも、定期的に休憩を取っていたりする。
そしてそういう時、彼女は何も言わず隣でじっと私の調子が戻るのを待ってくれる。自分だけ練習していてもいいし何度もそう言っているのに、そういう所が彼女らしい。
息が整ってから、また二人で走り出す。そして一定の距離まで走って息が乱れると短い休憩をはさむ。
私達の練習は、普通のウマ娘の練習風景よりも独特な間を持っている。短距離を走るウマ娘でも結構な短時間に連続で走る子は少なくないので、私のような小刻みのリズムで練習をするウマ娘というのは特殊だ。上級生や同級生を含めた前回のトレーニングの際も、私の休息の為全員が一度走る度に短い休息を取っていた。まあ、同級生の方は後半になると私以上に休んでいる事が多かったのだが。
マルゼンスキーやミスターシービーと入れ替わりつつ併走を繰り返していく中でも当然、私は休みを挟みながらだ。二人には事前に説明して理解を得ているが、だからといって練習時間を強制的に削ってしまうのは気分のいいものではない。
「……毎度毎度、すみません」
「気にしなくていい。君のその努力家な所は評価に値するが、無理をしては本末転倒だ。併走のためにも、呼吸は整えよう」
「マルゼンスキーさんや、ミスターシービーさんは、もう何度も、コースを走って、ますけど」
「二人は既にデビュー済みだからね。私達と比べれば、体力的にも優れているさ」
何度も私達の前を横切っては走り続けている二人を、シンボリルドルフと共に眺める。既にシニア級に上がっているマルゼンスキーも、菊花賞を目指すミスターシービーも、私達より一年以上のキャリアがある。長時間走り続けているにも関わらず、その表情はどちらも余裕十分といった様子で、時折何かを話している素振りすら見える。
経験の差だという事は分かっていても、彼女達を見ているとどうしても走りたくなる。一々止まってばかりでは意味が無いと心のどこかが急かされる。
「……落ち着きました。走りましょう」
「本当に大丈夫か?」
「もちろん、早く併走しましょう。……私も、止まってられません」
「……そうだな。うん、調子は最高だ。さあ、いこう!」
「…………」
「…………」
「…………いきましょうか」
「……ああ……」
「マルゼンスキー、ミスターシービー、スタートワン。準備はいいかな?」
「ええ、モチのロンよ!」
「うん、いつでもオッケー」
「問題ありません…一応」
併走を延々と繰り返してから数時間後。いまだ観客のあつまる中、コースに四人で並ぶ。ちらとトレーナーの方を見ると、彼方も既に準備を終えているようだった。
合同での練習の最後。模擬レースを真似た全力の走り。距離は2000メートル。周囲で私達の練習を見ていた観衆も、今日の集大成に固唾を飲んでその時を待っている。
これまでの練習では四人揃って走る事はあっても、ここまで本気で走るという事は無かった。メイクデビューを視野に入れているという事で急遽決定した事だが、正直不安な気持ちしかない。
私のトレーナーに視線を向けると、バインダーを片手に腕を組んだ彼は、こちらに気付いてにやりと笑みを浮かべた。自分の相方ながら、その顔は中々にあくどい。
少し前、一緒に走ると決めそれぞれのトレーナーのもとへ集まり作戦会議をした時の事を思い返す。
『いいかスタートワン。今回の練習はあくまで併走だが、俺たちの目的はそこじゃない』
『走りを見ろ…ですよね』
『ああ。悔しい事だが、今居る四人の中じゃ俺たちが一番弱いし、そりゃもうしょうがねえ。だからこそ勝つことより、少しでも三人の走りを肌で感じて、大量に情報を持って帰ってくるのを最優先しろ。特にシンボリルドルフのな』
『はい。しっかり見てきます』
『……だが、負けて帰ってこいとは言わねえ。勝てるんだったら遠慮なく狙ってこい。相手に自分より強いと思わせるってのは、後々結構響いてくるからな』
『…出来るだけの事はしてきます』
意識をターフの上に戻し、横へ並んだ三人へ移す。
並んだ四人の内、一番外に並んだマルゼンスキー。彼女は基本的に逃げの作戦をとる事が多い。…多いというか、彼女が走ると自然と逃げに近い状況になるというだけだが。その脚質の恐ろしいところは速過ぎるが故に、かのサイレンススズカの走りに類する『逃げて差す』という走りが出来るという所だ。逃げという作戦の中でも“常軌を逸する”という前提が付く走りは、この中で最も洗練され切れ味をより一層に増している。
にこにこと笑みを浮かべて合図を待つ姿からは、普段明るい彼女からは似つかわしくない、寒気を含んだ妖艶さを感じる。
その隣に並ぶミスターシービー。作戦は私と同じ追い込みだが、それは付け焼刃に過ぎない私と比べ、彼女にとって最も良質なパフォーマンスが出来る走りでもある。当時タブーとまで言われた淀の坂で加速し最前線へ躍り出るというのは、三冠を取るに相応しいだけの能力がある証だ。今はまだ二冠ウマ娘という称号だが、直ぐに三つ目の冠を戴く事だろう。
腕を組みながらあくまで自然体で居る彼女は、その瞳から今にでも走り出そうというぎらついた輝きを放っている。
一つ間を空け、一番内に立つシンボリルドルフ。私の最大の目標。彼女の作戦は先行から差しの王道にして盤石のもの。誰よりも安定した、誰にも前を走らせず勝利する走りは、ミスターシービーの翌年無敗のまま三冠を勝ち取る凄まじい成績が完璧な実力によるものである事を物語っている。
デビュー前ながら並みのデビュー後ウマ娘なら容易く蹴散らせる彼女は、薄い笑みを浮かべたまま微動だにしない。しかしその全身から、先の二人に勝るとも劣らない圧で周囲を沈黙させていた。
そして、三冠ウマ娘二人に挟まれ縮こまるように合図を待つこの私、名無し同然のウマ娘スタートワン。作戦は得意でもない追い込み、2000メートルは現状走れるぎりぎりで、実力的にも先の三人と圧倒的に差がある。ぶっちゃけここに居ること自体が何かしらの冗談めいた存在だ。能力でも、ウマ娘になったとかいう意味でも。
身長すら大きく離されている私は、一番ベテランに当たるマルゼンスキーのトレーナーが行うスタートを、出来れば大差にならないよう、これからの勝利に繋がる経験を獲得できるようじっと待ち続ける。
ゆっくりと手を上げられる手に、緊張が高まる。
一帯から感じる、じりじりと過熱した走り出しへの期待。両隣からも感じられる分余計に気持ちが疲弊してくるが、ぐっと堪えて、ひたすらその瞬間を待つ。
鼓動がうるさく聞こえる中、集中に集中を重ねた視界で、高々と上げられた手が一気に落ちるのを見た。
我先にと飛び出した瞬間、自分が今射殺されたのではないかと錯覚した。自分が今、何をしていたのかという事さえ一瞬脳から弾き出される。
前後不覚の中、それでも奇跡的に足を乱さなかったのは、初めから後ろに下がる予定が決まっていたからだろう。強烈な圧が背中に突き刺さる。跳ね上がった鼓動に合わせ、吹き出す脂汗が背を伝う。
私と入れ替わるように鹿毛のウマ娘が二人、弾丸の様に先を走り抜けた。ほんの僅かに遅れて黒鹿毛のウマ娘が私を過ぎ、1バ身程前を行く。
たった数秒で、私達の位置関係は大きく変化した。先頭を行くのはマルゼンスキー、2バ身後を追うのはシンボリルドルフ。そこから2、或いは3バ身下がってミスターシービー、そして更に4バ身遅れて私。まだ四分の一も過ぎていないが、そのペースは想定以上にずっと速い。このままだと私は1500を越える前に限界を迎えるだろう。しかし少しでも息を残そうと速度を落とした瞬間、二度と誰一人に追い付く事が出来ない確信がある。
「はあっ、はあっ、はあっ……っ! こ、の…っ…!?」
トレーナーとの会話で決めていた事が何一つ守れない。そんな事をしていられる余裕が無い。
不味いのはわかっている。しかし何もできない。コーナーを曲がりながら、緩やかにその距離が離されていく。食らい付こうと速度を上げる。半ばに差し掛かる。三人が加速していく。ついていけなくなる。呼吸が乱れ始める。足を動かしているのかどうか自分でもわからない。
マルゼンスキーの走りは異常だ。仮にも競い合いだというのに、まるで一人で気ままに走っているかのように軽やかな足取りをしている。先頭を取ってから、一瞬も速度を落とさぬままどんどんと突き進んでいく。アクセルが踏み込まれ、エンジンが呻る。赤いスーパーカーが残像を残していく。
シンボリルドルフの走りは異常だ。前を追いながら、後ろを意識しながら。全体のペースを認識した状態で、己の支配する盤面であるように自分の位置を狂いなく保ち続けている。速度を出したまま、更に上がある事を嫌でも理解させてくる。澄んだ靴音、そして稲妻が轟き、閃光の先に玉座が現れる。
ミスターシービーの走りは異常だ。後方を維持しているのに、明らかなくらい前方との距離が縮まってきている。加速が始まってから、延々とその加速が終わらない。地を抉る蹄鉄の音は一歩ごとに響き渡り、雨降る大地を震わせる。軽やかに跳ねる足が前を行く獲物を狙い鋭く迫る。
追い付けない。間に合わない。何もかもが私には足りない。死に物狂いで詰めていた差が簡単に開いていく。最終コーナーが近い。視界が揺らぐ。胸が苦しい。マルゼンスキーが最終コーナーを回った。シンボリルドルフがそこに追い付く、ミスターシービーが追随する。私はようやくコーナーに入ったところだ。
くそ、間に合わない。クソッ、追い付けない。くそ、クソっ! クソッ!!
勝てない。勝てないことはわかっている。だが足は止まらない、止めはしない。例え足先の感覚が無くなろうと、そのまま捥ぎ取れてしまっても。止めはしない。
何のために語った目標だ。何のため彼女を追う事を決めた!
まて、待て、待て! まだだ、まだ私は走っている、まだ私は、負けを認めない! 絶対、絶っ対認めない!
「ぐっ、ぅ、ぁぁぁぁ……!」
声にもならない叫びを発し、無理やり呼吸をして加速する。最終直線、横一列に並び先頭を奪い合う三人に近づいていく。
風の音が、鼓動の音が、呼吸の音が頭の中を荒らす。土が舞い、視界が暗闇の中へ包まれ。中央に捉えた三人だけが残っていく。少しずつ近づいてくるその背中。ようやく、ようやく届き始めた。
燃える様に熱い身体は炎に包まれ、そして私の耳についに銃弾を装填する音が――――――
「――――――ッ!!!!」
反射的に強く地面を蹴り、それを境に少しずつ速度を落とす。まだ三人もゴールしておらず距離もあるが、私と同じように、彼女達の背中が一瞬今まで以上に加速した後、ゴール前にも関わらず減速していくのが見えた。
辿り着かなければならない場所まで30メートル以上手前で、私の足は完全に止まった。がたがたと震える身体を止める事が出来ず、そのまま倒れるように蹲る。選抜レース以上に酷いめまいと吐き気で座っていられず、額を芝に付けた。
「……、……っ。……、……」
呼吸がままならない。意識を飛ばさないでいられる事すら不思議に感じている。僅かに振動がある事に気付き、混ざり合う幾多の雑音の中に女性の声を捉える。
「……ートワン。スタートワン。大丈夫か?」
「……、」
「んー…、休憩した方がよさそうだね。それか保健室つれてく?」
「あっ、二人共待って、何か返事しようとしてるわ。スタートワンちゃん、どうしたの?」
「…………、」
「……サムズアップ?」
「……?」
握っている感覚も殆ど分からない指先だが、何とか形を作る事には成功したらしい。暫くの間何を伝えたいのか分からない様子が沈黙から分かったが、そこで「ああ」と手を叩きながら漏らしたミスターシービーの声がする。
「もしかして、大丈夫って事?」
「……みたいだね。とはいえここに放置というわけにもいかない。スタートワン、少し落ち着いたら移動させるよ。水はいるかい? ……わかった、少し待っていてくれ。ただし、体勢は少し変えさせてもらう」
身体を動かされ、横向きに芝に転がされる。視界は今も暗いが、少しだけ呼吸が楽になった。足音が一つ離れていくのを聞く。伝わってくれてよかった。時間はいるが、待ってくれさえすればいいので、取り敢えずそのまま放置してもらえるとありがたい。
呼吸に専念していると、足音が近付いてきた。シンボリルドルフが戻って来たのかと思ったが、なんとなく音が違う。
「スタートワン、大丈夫か?」
「あっ、スタートワンちゃんのトレーナーさん。ごめんなさい、ちょっと私、大人げない事しちゃったみたい」
「いや、コイツは全力出すとこうなるからあんま気にしなくていい。シンボリルドルフから飲みモン持ってくるのは聞いた。マルゼンスキーもミスターシービーも一旦休んだ方がいい。どっちもトレーナーが準備してるぞ」
「そう? …ホントに任せて大丈夫?」
「ああ、何かあれば俺が対処する」
会話の内容で周囲の状況を少しだけ理解する。それからマルゼンスキーとミスターシービーらしい足音が遠のいていき、直ぐ近くに人が腰を下ろした気配。
「おい、聞こえるか? ……一応は聞こえてるらしいな。まだ動けそうにないか? ……そうか。水飲むか? ……後で運んでやる、今は飲めて喋れるようになるまで体力を戻せ」
「……、」
「随分張り切ったみたいだな」
「…………」
「無茶すんなとは言わなかったし、勝てるなら勝って来いとも言った。だがぶっ倒れるまで全力出せとまでは言ってねえ。意味は分かるな?」
「……」
返事をしたいが声を出す余裕が無いので、小さく手を振るだけにした。それでも彼には意味が伝わったらしく、溜め息とともに頭を何度か優しく撫でられた。怒るわけにもいかないが、何も言わないというのも、といった様子だ。
撫でられながらも呼吸に意識をしていると、ぽつりとトレーナーが呟く。
「減速の直前、一瞬大きく地面を蹴ったな。足に問題は無いか?」
「…………」
「そうか。俺らから見てた感じだと、お前が足を止める瞬間、三人の速度が上がった。直ぐに落ち着きはしたが、あれはお前の地面を蹴った音に驚いたような感じじゃなかった」
「……」
「…………まさかとは思うが。お前がやったのか?」
「…………。」
その言葉にどう返せばいいのか分からず、何もせず止まる。
何も言わない私に、トレーナーは深く息を吐いた。
「……詳しい事は今じゃなくていい。時間がある時にでも説明すりゃいいさ」
そのまま頭を撫でるトレーナーは、シンボリルドルフらしい音が来たことで手を離す。
彼が何かを話す声を遠く聞きながら、まだ頭に残る、彼の手が髪を揺らす感覚に意識を傾け続けた。
上から見て下。
下から見て上。
では中間から見ると?